ばあちゃんが元気なとき、僕たち家族と一緒に写った最後の写真を探したら、
去年の11月6日に、リリー園で撮った写真が最後でした〜。
あの日は、木戸川の鮭漁を大ちゃんとちゅっくんに見せたくて、最初木戸川に行って、鮭漁を見ていたら、何と、クリさんご家族ともお会いできたのです〜♪
そして、鮭漁を見てから、リリー園にばあちゃんに会いに行きました。
このときは、もちろん認知症はあったけど〜、健康的には何の心配もなく、みんなと会えたことを喜んでいました〜。
顔色も健康でしたのに、、、
ばあちゃん、嬉しそうに、ちゅっくんを見ています〜。
僕がリリー園でばあちゃんと会ったのは、今年の3月7日が最後でした。
正月前に転んで打撲傷を負ったのですが、それを除いては元気で、会話も普通にできていました。
そして3.11の東日本大震災、
3月12日には、東電第一原発でベントするとなって、緊急避難、
最初、草野中学校の体育館に避難して、3月18日に「ひらた中央病院」に避難入院したのです。
その後は衰弱の一途を辿りました。
でも、入院して7箇月間、ばあちゃん、よくがんばりましたよね(泣〜)
今日、会津美里町にある楢葉町役場出張所に行ってきました。
楢葉町役場出張所は、ここ、会津美里町役場本郷庁舎に間借りしています。
戸籍担当の方と面談いたしました。
そしたら、
死亡届は、一昨日、ばあちゃんが亡くなった日の午後、平田村役場に死亡診断書が届けられて発行され、それで火葬許可証が発行されたとのことでした。
そういえば、あの日、ひらた斉苑のスタッフの方に死亡診断書と印鑑をお預けして、その方面の事務手続きをお願いしていた、、、
確かに、死亡届が受理されないと、火葬許可証も発行されませんよね。
なるほど、
すべて理解できました。
楢葉町の戸籍係の方のお話しですと、
平田村役場からばあちゃんの死亡届が楢葉町に転送され、それから、ばあちゃんの戸籍抹消手続きが取られるそうです。それにかかる期間が約一週間。
そして、それから、ばあちゃんの戸籍を抹消した戸籍抄本が発行され、それを持って厚生年金や遺族年金、恩給などの停止処置になるそうです。
「落ち着かれてから、そういった事務手続きをなされた方がいいと思います」とのことでした。
まず、明日は東北福島社会保険事務所や福島県教育庁福利課、そして郵便局の簡保窓口などに行って、説明を受けて、必要書類をもらって、いつでも手続きできるように準備します。
きわめて実務的な話となり、僕も現実に引き戻されました。
よーするに、
戸籍が抹消された印が入ったばあちゃんの戸籍抄本が得られて初めて、年金や恩給関係、郵便局の簡保関係、銀行関係の手続きも成立するのですね。
そういう事務関係に疎い僕でも、やっと納得できました。
戸籍関係のお話しが済んで、
楢葉町の総務課長している親戚のSさんと面会することができました。
彼は僕の父親の姉の孫で、楢葉中学校では僕より2年先輩です。
ばあちゃんが楢葉の実家に居たときは、毎年新米を届けてくださったのです〜。
父親の姉の孫だから、「いとこ」でなくて「はとこ」となるんですね。
震災以来初めて会えて、嬉しかったです。
それで、ばあちゃんの神葬祭のことでいろいろとアドバイスをいただきました。
やっと、親戚に会えた〜、、、
これが現実です〜。
でも、「はとこ」のSさんと会えて、いろいろお話しできて、ほんと、嬉しかった〜。
会津美里町からの帰り道は、とても心が温かくなっていました。
それで、
久しぶりに土湯峠の旧道を通って帰りました。
やっと、
ブナ林の紅葉を眺める、心の余裕ができたのです。
久しぶりに、ブナ林を眺めたくなりました。
ちょっとだけ、ブナ林の紅葉を眺めて、
落ち着いた気持ちで自宅に戻れました。
さあ、
明日も忙しい。
がんばるからね!!!
ばあちゃん!!!!!