今日の午前中、福島市のフォーラム5・6にて、ひまわり君と一緒に映画を見て来ました。
お互いに見たい映画が同時に上映していたのです。
僕は「聯合艦隊司令長官 山本五十六」
彼女は「紫式部」光源氏の映画です。
「聯合艦隊司令長官 山本五十六」は、原作者の半藤一利氏の著作を繰り返し読んでいたので、ストーリーは手に取るように分かりました。
2011「山本五十六」製作委員会(東映)パンフレットより。以下同じ。
役所広司さんの山本五十六長官はなかなかのものでした。かなり人物像に迫っていたと思います。かつての三船俊郎さんが演じた山本五十六長官よりも、人間味が厚く表現されていました。
映画は、
このシーン、この台詞から始まりました。
僕の愛読書『日本海軍の興亡』半藤一利1999年PHP文庫のなかの一場面です。
映画でも、赤煉瓦(海軍省の建物)の前で陸軍の部隊が示威行進して、歩兵銃を一斉に海軍省の建物に向けていました。
その理由は、
当時、
海軍省軍務局長の井上成美海軍少将(柳葉敏郎さん)が先頭に立って、日独伊三国軍事同盟に反対しており、
山本五十六海軍次官(当時)と、
米内光政海軍大臣(柄本明さん)が連携して、海軍省としても日独伊三国軍事同盟に反対していたからなのです。
米内海軍大臣、山本次官、井上軍務局長は、海軍の開明派トリオとまで言われていました。
当然、昭和天皇も米内海軍大臣に、絶対の信頼を置いていました。
しかし、開明派と対立する軍人は以前から軍縮条約反対や日独伊三国軍事同盟推進の立場を取っていました。
次第に米内海軍大臣、山本次官、井上軍務局長は孤立を深めて行きましたが、当時のナチスドイツがソ連と不可侵条約を締結したため、ドイツに裏切られた形の日本では、日独伊三国軍事同盟締結の動きは立ち消えになったのです。
その後、山本次官は、いよいよ聯合艦隊司令長官として戦艦長門に座乗することになりました。井上軍務局長も支那艦隊参謀長として転出しました。
そして、やがてナチスドイツ軍がポーランドに侵攻するに至って、日独伊三国軍事同盟が締結されてしまったのです。
そこからの日本は、歯車が完全に狂ってしまいました。
山本さんは、常々、兵学校同期の桜で親友の
堀悌吉元海軍中将(板東三津五郎さん)に全幅の信頼を寄せていました。
堀元海軍中将は軍縮問題では軍縮推進の立場を明確にしており、
フリート・イン・ビーイング(防備艦隊)の思想の持ち主でした。
現在の専守防衛です。
当時八八艦隊を目指していた海軍にあって、軍縮で日本の艦船装備を対米英比率6割にされてしまうのは海軍強硬派からすれば屈辱的であろうし、堀悌吉軍務局長や山梨海軍次官は目の上のたんこぶでしたが、しかし、堀悌吉軍務局長は海軍きっての秀才で、加藤寛治らの強硬派は堀さんとは議論になりませんでした。
しかしやがて堀さんは窮地に立たされ、伏見宮軍令部総長などの謀略で予備役に回されてしまいました。
堀悌吉さんが海軍を実効支配していたら、太平洋戦争は起きなかったことでしょう。
それを山本さんは惜しんでいるのです。
山本さんの日独伊三国軍事同盟反対や対米開戦反対の考え方は、親友の堀さんと全く同じです。
しかし、
好むと好まざるとに関わらず開戦の運命に巻き込まれた山本さんは、聯合艦隊司令長官の立場として、開戦劈頭米艦隊を撃滅して早期に「講和」に持ち込む作戦に出ました。
しかし、第一航空艦隊司令長官の南雲忠一さんは消極的な攻撃で、山本さんの意を挺した作戦が実行できませんでした。これは、永野修身軍令部総長が山本さんに黙って「艦隊を失ってはいけない」と南雲さんに余計な指示をしたからなのです。
戦(いくさ)を知らぬアホが赤煉瓦の中でトップに立つと悲劇です。
ここで、
第二航空艦隊司令官の山口多聞少将(安部寛さん)が意見具申したとおり、真珠湾に第二次攻撃隊を送っていたらと、悔やまれてなりません。
そして、ミッドウェー海戦の時、山口さんが空母「飛龍」で運命を共にすることなく、自重して、後日、小沢治三郎少将あたりと一緒に仕事をしていてくれればと思いました。
僕が当時の聯合艦隊司令長官だったら、第一航空艦隊司令官に山口多聞少将、第二航空艦隊司令官に小沢治三郎少将を起用いたします。
もっとも、それ以前に、
海軍大臣に米内光政大将、海軍次官に堀悌吉中将、軍令部総長に山本五十六大将、聯合艦隊司令長官に井上成美海軍中将、聯合艦隊参謀長に山口多聞少将、第一航空艦隊司令官に小沢治三郎少将を起用したかったです。これぞ鉄壁の布陣だと思います。
突撃精神だけでは勝てませんし、
それ以前に、
対米戦争を起こしてはいけなかったのです。
なので、当時の総理大臣には鈴木貫太郎海軍大将、陸軍大臣には今村均陸軍中将を起用したかったです!!! そして陸軍参謀総長には天皇から愛されていた阿南惟幾中将を起用したいです。
間違っても東条英機や板垣征四郎、石原完爾などのファシストは起用したくありません。
ほんとうは、
それが出来るだけの権限は昭和天皇に付与されていたはずですが、東条英機や板垣征四郎などの君側の奸が大元帥陛下としての権限を剥奪していました。
山本五十六さんは、おっしゃっています。
「国防は軍の占有するものではない。外交で戦争を回避すべき」と
当時の海軍良識派を退けた結果が、
数百万人の犠牲者を出した「大東亜戦争」です。
このことを、
太平洋戦争70年目の今、
考え直すべきです。
良識は、国を救います。
東日本大震災による東電の原発事故で国内が揺れている今、
あらためて良識を考えるべき時に来ています。
聯合艦隊の辿った歴史、
今、学ぶべき時ですね!!!
今、先の大戦に身を捧げ奉られました英霊に対し奉り、
謹んで、祈りを捧げます。
二度とこのような悲劇が繰り返されませんように。