明日はクリスマスイブ、
一日早いクリスマスプレゼントは、
新しい携帯電話でした♪
今日まで使っていた、NTTドコモの携帯電話は、平成19年10月に買った携帯電話で、あれから5年が過ぎて、一度も電池交換したことがなかったので、そろそろ電池交換しなければと思っていたら、
ひまわりママが、
「我が家では、みんなauの携帯なので、パパもauにすれば、家族間は無料で電話がかけられるので、今日、携帯を替えよう〜」
と言いました。
今は、家族間が無料でかけられるのですね〜
僕は、一番電話をかける相手がひまわり君なので、それもいいかなと思いました。
あとは、電話をかける人は10人程度に限られているので、auにして家族無料サービスを受けることにして、今日の午後、寒河江から帰って来てから、ひまわり君と一緒に出かけて、最初にドコモの解約をして、それからauのショップに行って手続きして、新しい携帯にしました。
それにしても、今の携帯は便利になっていますね〜
僕が最初に携帯を買ったのは、平成9年の3月でした。
あの頃は、東北セルラーという会社のアナログ式携帯電話でした。
東北セルラーは、後にauKDDIという会社になったのです。
僕は、電話は財産だと思っていました。
僕が小学校の頃、楢葉の実家に初めて電話を引いた時は、農業集団電話で、お隣の加藤建設さんと同じ番号で共有していました。
農業集団電話、通称「農集電話」と言っても、若い人たちには分からないと思います。同じ電話番号で加入している片方の家で電話をかけると、我が家では使えないのです。
電話もハンドルをぐるぐる回して、竜田局を出して「何番お願いします」とか、楢葉町から外にかけるときには「市外記録を願います」と言って繋いでもらうのです。
広野町にいた時は、父親の職場の電話しかなく、ハンドルをぐるぐる回して広野局を出して、あの頃は「魚やさんを願います」とか「広野タクシーを願います」で繋いでもらったのだから便利でした。
僕が小学校1年の頃は、小学校にあった電話機は、ベルが二つおっぱいのように並んで、送話器のラッパがあり、受話器は片手で耳にあてる、そう、「トトロ」の映画に出て来たような電話機でした〜。
僕が就職してから、楢葉の実家の電話機がダイヤル式に変わりました。
僕が初めて携帯電話を見たのは、今の職場に入ってからで、最初は、ハンドバックのような電話機本体があり、家電のハンドセットみたいなのが付いていました。
一晩充電しておかないと、次の日は電話がつかえないのです。
平成6年の夏に、我が家は初めてコードレスホンとなりました。
それでもあの頃は携帯電話は高嶺の花。
携帯が普及し始めたのは平成10年頃からでしたね〜
それが今は、デジタル携帯は当たり前、
スマートホンの世界となりました。
スマートホンは、使いづらくて、僕には操作できません。
スマートホンは電話機というよりは小型のパソコンですね〜
今日、au電話屋さんで対応されたお姉さんに、「昔は農業集団電話を使っていたけど、今は便利になったもんだなぃ。農集電話って知ってっかい?」と聞いたら、大笑いしていました。
まぁ、そんなこんなで、携帯新しくしたので、電話番号の登録をしなければなりません。ドコモからauなので、データのダイレクト送信ができなかったのです。
明日、ゆっくり、再登録すっぺ。