前回の続きです。
栃木市の巴波川(うづまがわ)に沿って、石蔵を見ることができました。
左右に石倉を置く、両袖切妻造という建物で、右半分が麻問屋、左半分が銀行を営んでいた、明治時代の横山さんという豪商の建物です。
現在は、建物が、横山家から栃木市に寄贈され、「横山郷土館」として公開されています。
情緒あふれる風景ですね。
巴波川の水運がもたらせた栄華がうかがえます。
巴波川綱手道という通りです。
歴史的な通りですね。
川面には、鯉が群れ泳いでいました。
瓦ぶき切妻造の商屋に、時代が感じられます。
左側の石倉は、屋根の部分が煉瓦造りです。
文書蔵だったそうで、銀行の倉庫みたいなものだったのでしょうか。
こちらが、当時の銀行入口です。
「共立銀行」と書かれています。
明治時代当時、金融業を立ち上げることができた資金力は、
こちら、麻問屋で得た財力なのです。
これが、主な商品の精麻です。
当時、栃木県は、全国の大麻の九割を独占生産していました。
そして、ここ栃木市が大麻の一大集荷地でした。
その大麻取引を仕切っていたのが横山商店だったのです。
大麻と言っても、麻薬ではなく、麻の繊維のことです。
麻は、当時のアパレル産業の大事な原料でした。
作られた精麻は、写真のような形で商品となりました。
繊維を採ったあとの苧殻(おがら)。
精麻の繊維を左撚りに撚った紐、
麻苧です。
麻紐は、このように、下駄の鼻緒の芯として利用されました。
これが、精麻を左撚に撚る、芯縄台という道具です。
僕にとって、初めて目にする民具でした。
石蔵に展示されていた精麻の束です。
麻は、アパレルだけでなく、神社にも欠かせません。
神事に用いる注連縄など、古代から神聖な繊維だったのです。
大相撲の横綱も、麻縄で撚られ、締め上げられます。
現在は、日本の大麻生産が減少し、代替繊維による注連縄もあるそうです。
日本の麻文化の復興を願いたいと思います。
郷土館で親しくしていただいた職員の方から、精麻の道具を教えていただきました。
上の写真は、麻を熱湯で煮沸する樽だそうです。
そして、
こちらが、麻を発酵させる「苧ぶね」だそうです。
麻茎を煮沸し、発酵させて、皮を剥いで、
檜板の麻引き台の上で苧引きするそうです。
こちらが麻畑(苧畑)に麻の種を播く道具だそうです。
これも苧殻です。
いろいろ説明いただきまして、当時の財力を支えた、栃木の大麻文化の一旦を垣間見ることができました。
横山商店の裏側には、洋風建築が残されていました。
言わば、ゲストハウス的な洋館、、
さまざまなゲストが宿泊されたそうです。
母屋も、立派な建物です。金に糸目をつけず銘木を手に入れて建築したようです。
離れの天井には、屋久杉の一枚板を見ることができました。
驚いたのは、隠れキリシタンのキリスト像が残されていたことです。
しっかりと残されていたのですね〜
見事な庭園を眺めて、横山郷土館を後にしました。
店の北側に、巴波川に流れ込む堀がめぐらされ、
ここが麻苧真縄の荷揚げ場となっていました。
今回、改めて、栃木の大麻文化が、明治期(江戸時代にさかのぼる)経済において重要な位置を占めていたことが分かりました。
日本の大麻文化の復興を願いたいと、本当に、心から思いました。