昨日、僕たちは、双葉郡広野町にあります、
広野小学校に、「まほろん」の出前講座で行って来ました。
実は、広野小学校は、
僕の、母校なのです。
とっても懐かしかったです。
僕の父親は、広野町にありました福島県営双葉経営伝習農場というところに勤務していたので、僕たち家族も、農場の敷地にあった官舎に住んでいました。
なので僕も広野小学校に入学し、父親が次の職場に転職する小学6年の2学期まで、広野小学校に通学していました。
昨日行ったら、広野小学校の校歌の石碑が建てられていましたが、僕が入学した時と同じ校歌だったので、嬉しくなりました(^^♪
久しぶりの母校訪問でした。
二宮金次郎の像も、しっかり保存されていて、嬉しかったです。
僕が通学していました広野小学校は、校歌にもあるとおり、築地が丘という所にありましたが、
現在は、山側の、中央台に移転していました。
昔では考えられないモダンな校舎となっていました。
僕が入学した頃は、戦前からの木造校舎でした。
授業の終わりと始めは、用務員さん(昔は小使いさんと言っていた)が手持ちの鐘をカランカランと鳴らして知らせていたし、職員室にある唯一の電話機は「となりのトトロ」で描かれていたような、クラシックなあれです♪
実は、僕の母親も、僕が入学する前の年まで、ここ広野小学校で教員をしていました。
「となりのトトロ」で「さつき」のクラスの先生を見ると、母親を思い出します。
広野小学校校歌を作詞した坂本惣助先生は楢葉の方で、同校の校長にまでなられ、戦後、母親が広野小に赴任したときの上司だったそうです。
出前講座では、「土器や石器を観察しよう」と「火起こしに挑戦」を子供たちに楽しんでもらいました。
昨日は、陽射しが暑かったですが、子供たちはとっても楽しんでいました(^^♪
そして、
帰り道の途中に、
下北迫におわします、お地蔵様に立ち寄り、参拝いたしました。
このお地蔵様がある場所は、僕が小学生の時の通学路だったのです。
懐かしい風景、、
早く家に帰らなければならない時は、画面左側の道を急ぎ、
ゆっくり、遊びながら帰宅するときは、画面右側の坂道を歩いて、道草くいながら帰ったものでした。
左側の道が旧国道(国道6号)で、僕が小学生の頃は、砂利道でした。
右側の道は、地面むき出しの細い道で、あの頃、その先には東電の火発も何もなく、自然豊かな林が続いていました。
東電広野火発があるあたりは、「東原(ひがしっぱら)」という原野で、湿地も沼もありました。
あの頃、、
帰り道、お地蔵様に手を合わせ、小石を積んだ思い出があります。
みんな小石を積むから積んでいましたが、それが功徳だったのですね。
お地蔵様は、子供たちを見守ってくれていたし、今も見守っておられるのです。
北迫地蔵と呼ばれるお地蔵様、
優しい、慈愛に満ちたご表情です。
このお地蔵様は、
江戸時代、天明の大飢饉の犠牲者の御霊を慰めるために建てられたそうです。
天明の大飢饉は、東北地方で何十万人もの犠牲者がおられたそうです。
広野町でも犠牲者がおられたのですね。
今世紀になっても、
東日本大震災、そして、全国的に地震や大雨、台風の被害が絶えません、、
昨日も、北海道で大地震が起こり、残念ながら、犠牲になられた方がおられます。
お地蔵様に参拝できたのも、何かの縁、、
大地震で犠牲になられた方々の御霊のご冥福をお祈り申し上げるとともに、
この先、天変地異など起きませぬように(祈
追記:来週の火曜日まで、ネットにつながらない所にいますね
追記の追記:寒河江のみかママのお家に来たら、auのルーターが設置されていて、暗証番号入れたら、ネットが使えました♪ 実は、今回、YモバイルのWi−Fiを持ってくるの忘れたので、あきらめていましたが、ラッキーでした。ありがとう♪みかママ(^^♪