昨日と今日は、風邪ひきのため、我が家で寝ていました。
ようやく関節痛がやわらいだため、先月撮りためた写真の中から、歴史的な石碑を紹介したいと思います。
上の写真がそうなのです。
これは、平将門の首供養碑、通称「平将門の首塚」と言われる石碑です。
建立年代は分かりません。
隣に、首塚を解説した碑がありました。
写真をクリックして拡大画像にしますと読めます。
石碑は、上に、肋骨みたいな文様があり、四角に区画された内側には、判読できない文字みたいな模様が見られます。
何となく古めかしく、歴史を感じますね。
平将門の首塚が栃木県にあることにも驚きました。
よく残されていたものです。
平将門は下総の人で、桓武天皇の血をひき、上総介高望王の孫にあたります。
様々な戦いに勝ち残り、常陸国府や上野国府まで落として、天慶二年には関東地方の大半を支配するに至ります。
しかし、朝廷の命令を受けた藤原秀郷によって討たれてしまいました。
その首級は京都に送られ、さらし首にされるところでしたが、その首は、京都から空を飛んで坂東(関東地方)に戻ってきたそうです。
関東地方には、平将門の怨霊を慰める供養碑などがあるそうです。
供養碑を破壊しようとすれば、たちまち祟りがあるそうです。
有名な話としては、終戦直後に東京都の大手町にある首塚を、GHQが工事のために破壊しようとしたら、大きな労災事故が起きたという事例があります。
平将門は、地元の人々からは敬愛されていたという説も残っています。
京都の朝廷からの圧力と戦った英雄であった可能性もありますね。
だからこそ、首塚が祀られたのかもしれません。
平将門の首塚は、ここ、宇都宮市の東下ケ橋の神社境内に、大切に祀られています。
馬頭尊が祀られた神社。
平将門は、騎馬による戦に長けていたと言われています。
馬頭尊は馬の神様、、
馬頭観音が本尊なので、本当はお寺さんかもしれません。
ただ、馬頭尊に平将門の首塚が祀られていることは、馬との縁なのでしょうね。
http://www.muse.pref.tochigi.lg.jp/exhibition/kikaku/181027fujiwara/index.html
栃木県立博物館では、10月27日から、企画展「藤原秀郷-源平と並ぶ名門武士団の成立について-」が開催されます。
藤原秀郷は下野国の武将で、天慶の乱で平将門を討ってから、歴史の表舞台に登場いたしました。
県立博物館で企画展をご覧になったら、ぜひ宇都宮市東下ケ橋の平将門の首塚を参拝され、御霊を慰さめられることをお奨めします(合掌)