この間、真岡市の大前神社(おおさきじんじゃ)を参拝しました。
昨年、本殿と拝殿が国指定重要文化財に指定されたばかりなのです。
まず目に入ったのが、拝殿における軒唐破風向拝の彫刻、そして極彩色の素晴らしさでした。
神社は式内社ですが、近世初期の素晴らしい建築と彫刻が残されています。
本殿の建築です。
桃山時代末期、文禄二年(1593年)の建築だそうです。
それにしても、神社の写真撮影は困難です。
拝殿から本殿に続く建築様式と、本殿が瑞垣に囲まれており、さらに晴れた日は光と影のコントラストが強く、なかなかいいアングルがないのです。
なんとか撮影いたしました。
それでも、軒下の壁面に数多くの彫刻が並んでいるのがご覧になれると思います。
数多くの龍の頭が並んでいます。
そして、壁の下端には水の流れが表現されています。
本殿を囲む龍の彫刻は、水神で、社殿を火事から守る意味があるそうです。
神社の解説によりますと、
水の恵みと水神が、彫刻のメインテーマらしいです。
本殿西側には、
因幡の白兎を表現した彫刻が見られました。
向拝軒唐破風には鳳凰の懸魚が飾られ、
壁面は見事な龍の彫刻でした。
怒涛のような流れから龍が舞い上がるような姿です。
もしかすると、
神の使いの鯉が龍となって天に昇る姿なのかもしれませんね。
本殿壁面の彫刻には、鯉の姿も刻まれています。
これらの彫刻は、宝永年間の大修理の折に、棟梁藤田孫平治、工匠島村円哲たちによりなされたそうです。
そして、この方々たちは五年後に、成田山新勝寺の三重塔の彫刻も手掛けられました。
ちなみに、直接彫刻を施した工匠島村円哲さんは、日光東照宮の眠り猫を制作した左甚五郎の直系の工匠だそうです。
どうりで、神社の彫刻を見たときに、日光東照宮を連想したはずですね。
境内には、スダジイの大樹がご神木として聳えていました。
さすが、関東地方にはスダジイをご神木としたり、スダジイ樹叢が境内林だったりする例が多いですね。
神社の東側を流れる五行川、
昔から、この周辺の農地を潤してきました。
五行川の名は、平将門が常陸国から下野国、上野国、相模国までを席捲する戦を起こす前に、この川で禊・潔斎の勤行(ごぎょう)をおこなったあたりから来ているらしいです。
ちなみに、五行川の鯉は、大前神社のお使いなので、絶対に食べてはいけないそうです。
やはり、大前神社は水の恵みの神様なのかもしれませんね。
さらに、写真に写っています堰は大前堰と言い、二宮尊徳先生の指導によるものだそうです。
ここにもご仕法の遺跡が残されています。
というか、二宮尊徳先生は、晩年には真岡代官の嘱吏として真岡に移住されたのです。
ここ、真岡市の大前堰を眺めていて、
遠く、相馬藩のご仕法の歴史を思い起こしました。
どこに住んでいても、何かと、故郷の福島県とは、何かしらの歴史的つながりが見つかるものなのですね。