塩谷町に入って尚仁沢に向かいますと、このような看板が立っていました。
3.11東日本大震災直後の、東京電力福島第一原子力発電所の事故、
いわゆる原子力災害の後、原発事故で出た放射性廃棄物の最終処分場に、栃木県塩谷郡塩谷町の山中が候補地として選定されました。
選定したのは環境省です。
僕が栃木に引っ越す前、といいますか、原発事故後に双葉郡双葉町・大熊町・富岡町に除染土などの中間貯蔵施設の計画が立てられ、そして、最終処分場候補地の一つとして塩谷町の山中が選定された話はニュースや新聞記事で知っていました。
ただ、その頃、塩谷町がどこにあるのか、塩谷町の山中とはどこか、僕はイメージできていませんでした。
平成27年に塩谷郡高根沢町に引っ越して来て、今年、塩谷町の尚仁沢湧水群に足を運ぶようになって、原発事故にともなう放射性廃棄物の最終処分場がどこに計画され、町民の方々がどのような思いをなさっておられたのか、身近な問題となってきました。
お昼をいただいた食堂に貼ってあったペーパーです。ご主人の許可を得て撮影しました。
なんと、最終処分場の候補地は高原山南東部の山中、釈迦岳の南東山麓斜面、尚仁沢湧水からも、国指定天然記念物イヌブナ原生林からも近い場所でした。ある方にお話しをうかがいましたら、尚仁沢湧水から4キロメートル離れた場所らしいです。そこに8000ベクレル以上の放射性廃棄物を焼却する最終処分場の建設候補地として選定されたのです。
あの日本一美味しい湧水の近くに8000ベクレル以上の放射性廃棄物を焼却する最終処分場を建設して稼働したら、どうなるのか、、、
誰が考えても分かりますよね。
震災にともなう原発事故後に聞いた塩谷町の山中とは、ここだったのですね、、
原発事故被災地の福島県双葉郡に生まれ育った者として、ものすごく辛くせつない気持ちになりました。
核燃料も放射性廃棄物もきちんと処分しなければなりませんが、このような自然豊かな高原山山麓に最終処分場を計画する人の気が知れません。まさに役人的発想です。
現代世界は核拡散を防止する方向ですが、
原発事故にともなう核廃棄物の拡散も防止しなければと思いました。
町内のいたるところで、このような看板を目にします。
高原山と与謝野晶子、、
調べましたら、与謝野晶子さんは東北本線から眺めた高原山の美しさに感動して、短歌を詠まれているそうです。
矢板市から眺めた冬の高原山、
美しい山容ですね♪
与謝野晶子さんの気持ちが分かるようです。
真ん中のピークが釈迦岳、
この中腹に放射性廃棄物最終処分場を建設することなど考えられません、、
尚仁沢湧水を日本の名水百選のひとつに選定したのは環境庁、
そして、
放射性廃棄物最終処分場の候補地として高原山を選定したのも環境省、、
帰り道に立ち寄った酒屋さん(名水仕込みの日本酒を販売しています)も、処分場は絶対に造らせないと憤っておられました。
塩谷町は、全町一丸となって放射性廃棄物最終処分場の候補地選定に反対しています。
僕は、
原発事故が起きた福島県双葉郡に生まれ育ち、
縁あって栃木県塩谷郡に居住していますが、
原発事故からの避難先で母親を亡くし、
引っ越し先の塩谷郡で放射性廃棄物最終処分場の候補地選定問題に直面しました。
いずれも東電イチエフがらみの事です。
縁あって、今回、尚仁沢湧水を訪れることができましたが、同時にこの問題と身近になりました。
栃木県外にお住いの方々、特に福島県にお住いの方々でも、塩谷町の山中のイメージと町民の方々のお気持ちに接する機会はほぼ少ないと思います。
僕もそうでした。先週までは、、
しかし、尚仁沢湧水を訪れ、人々の話を聞き、町民の気持ちを反映した多数の看板を目にした今、看過することはできない気持ちです。
この意味も含めて、ブログにて現状を報告する次第です。