3週間以上福島市に滞在していて、ようやく栃木に戻ってきました。その間は、次女と三女の引っ越し手伝いと、しのぶ台の旧宅の引き渡しのための大掃除をしていましたが、10月13日の台風19号により、須賀川のひまわり君の姉上宅が阿武隈川の決壊により床上浸水するという被害もありまして、いろいろ忙しく、疲れて、体力的に、まだ回復できていません。
今回の水害は、福島県の石川町や須賀川市、いわき市、本宮市、福島市、伊達市、相馬市などの被災地情報がなかなか報道されず、何かおかしいなと思っていました。石川町が浸水したことを知ったのは、かなりたってからです。とにかく、被災地の情報が不足していました。もっと自分の被災地をテレビで報道してほしいという声も、人づてに聞こえてきました。
須賀川の姉さん宅にお見舞いと復旧手伝いに行った時も、「この現状を写真に撮ってブログに載せて被災地情報を広めて」と姉さんから頼まれていたのですが、ブログアップできる環境になく、栃木の自宅に戻ってきて、大変遅ればせながら、公開したいと思います。
まず、台風19号が接近した10月12日は、えいたんの弟の、ゆうちゃんが通っている福島愛隣幼稚園の運動会が行われました。
台風接近の日でしたが、あづま総合運動公園の体育館を借りての運動会でしたので、問題ありませんでした。
ゆうちゃんは3歳児クラス。元気に参加いたしました。
運動会の開会式の様子。
この時点では、翌日、大水害が県内各地で発生するとは思ってもみませんでした。雨は降っていましたが、風もなく、普通の雨降りでした。
黄色いポンポンを手に、元気にダンスをするゆうちゃんです。
夜になると、状況は一変しました。
雨が強くなり、三女夫婦の新居のそばを流れる水路から、水が溢れ出しました。水は、道路を越えて、反対側の畑に流れています。
この時になって「この台風の大雨は危険なことになるのでは」と思い始めました。その頃、テレビのテロップで「相馬市の宇多川が決壊」との知らせが入りました。
夜中には、ひっきりなしに携帯電話に緊急事態発生のメールが届き、明け方には消防車のサイレンの音で、早く目が覚めました。
テレビのテロップで「須賀川市の和田地区で阿武隈川が決壊」との情報を知りましたが、和田地区から浜尾の姉さん宅までは距離があるので、ぎりぎり大丈夫かなと願いました。
写真は、福島市黒岩の阿武隈川蓬莱橋付近の川の様子です。
いつ洪水が起きてもおかしくない状況です。
その後、須賀川の姉さんから電話があって、浜尾の自宅の、母屋一階と隠居が水没して、胸の高さまで水が上がり、たいへんな事になったとの知らせを受けました。
道路の通行の安全が確認された翌々日、とにかく、ひまわり君と一緒に、須賀川の浜尾に駆けつけました。
場所は、浜尾遊水池の近くです。
姉さんのご主人の姉上夫婦が経営していた「正華飯店」も水没してしまい、家具や調理器具の搬出が行われていました。
ここの辛子味噌ラーメンは、須賀川市内でも有名でしたので、本当に気の毒です。
道路際には、運び出した水没家具が並んでいます。
信じられない光景でした。
浜尾遊水池があるから大丈夫と思っていましたが、今回は、須賀川市小作田の阿武隈川橋付近が決壊して、そこからの水で、和田から浜尾にかけて水没してしまいました。
湖のようだったそうです。
浜尾地区の集落は、ほぼ全戸床上浸水です。
冷蔵庫も洗濯機も水没して、使えなくなりました。
ちょうど我が家で引っ越しだったので、今まで使っていた洗濯機や冷蔵庫やテレビがあったので、取り急ぎ、それを提供して使っていただきました。
洗濯機がなくて、毎日コインランドリーに持ち込んで洗濯していたので、大変だったそうです。
ものすごい災害ごみです。
親戚の方々のご協力で、今は、搬出されています。
親戚に、ゴミ収集車を自前で持っている方がおられ、本当に助かりました。
たー君たちも、栃木から駆けつけて、災害ごみの搬出を手伝いました。
水没した家の中の様子。
とりあえず、作業する人々の休憩場所は確保できました。
水没レベルまで、漆喰壁は剥がれてしまいました。
奥の襖に、最大浸水レベルの線が染みとなって残っています。
1メートル60pの高さまで水が上がったそうです。
とにかく、けが人や死者が出なかったことだけが救いです。
謹んで、須賀川市浜尾の姉さん宅の床上浸水被害についてブログアップさせていただきます。
そして、今回の台風被害に遭われた方々に、心からお見舞い申し上げます。
後日になって、いろんな被災情報が入ってきましたが、信じられない雨量だったのですね。
浜尾遊水池も機能せずに溢れて江持地区を水没させたみたいです。
今後は、徹底して被災情報を集めて、水害の原因究明と再発防止をお願いしたいと思うばかりです。