日光の杉並木街道はシダの宝庫なことを、改めて知りました。
今回、猛暑を避けて涼しい杉並木の木蔭を歩いていたら、ナツノハナワラビに初めて出会うことができました。
福島では、フユノハナワラビやアカハナワラビは何度も見ていましたが、ナツノハナワラビとは出会うことが出来ないでいました。
それが、今回、例幣使街道で確認できました。
フユノハナワラビと比べても大きなシダなので、目立って分かりやすかったです。
ここは、日光市今市の、日光街道(御成り街道)と例幣使街道との分岐点です。
追分け地蔵尊が祀られています。
お地蔵さまです。
いろいろと伝説がありまして、日光社参の折に徳川吉宗公も目にしているそうです。
おそらく、江戸時代初めの頃のお地蔵さまと思われます。
ここから例幣使杉並木街道に入ります。
例幣使とは、江戸時代に、日光東照宮に幣帛を収めるために天皇より遣わされた公家のことですが、毎年、京都から日光に来ていました。
当時のお公家さんは貧乏で、例幣使として旅する道中の金銭トラブルは有名な話です。例えばですが、例幣使が乗る駕籠を例幣使自身がわざわざゆすって、「駕籠をゆすっただろう。麿は乗り心地が大変悪かったであるぞ」などと駕籠を担ぐ人に因縁をつけてお金を巻き上げたなどというトラブルから「ゆすり」という言葉が出来たという話もあります。「ゆすり・たかり」は反社会的組織から来た言葉だと思っていましたが、「ゆすり」が天皇の遣いの例幣使から来ていた言葉だとは知りませんでした。
江戸時代は武士の社会だったので、皇室やお公家さんたちは冷遇されており、いろいろとあったみたいですね。
そんな昔のことを考えながら杉並木街道を歩きました。
梅雨入り前日の猛暑日。杉木立の間から漏れる日差しが眩しいです。
この道をどこまでも行くと鹿沼市そして栃木市方面に向かいます。
そして、この道沿いでナツノハナワラビを見つけることができました。
高く立ちあがる胞子葉。
胞子嚢群(ソーラス)が生長しつつあります。
大きな栄養葉。小羽片縁辺のギザギザが目立ちますね。
ナツノハナワラビは福島県にも分布しているはずですが、僕は出会えないでいたのです。今回、見ることが出来て嬉しかったです。
ナツノハナワラビが入り乱れて立ち上がっている様子。大きいシダなので、隣どうしの間隔が近いと、胞子葉が絡みついたりします。
全体的に株の数は多かったです。
ここでも、コバノヒノキシダをたくさん見ることができました。
他に、たくさんの種類のシダが繁茂しています。
杉並木街道は、杉木立の根元がシダの生育に適しているようですね。直射日光が避けられ、適度な湿度が担保されていますし。
シシランらしきシダも確認できました。
今度、詳しく調べてみます。
ただし、日光の杉並木街道は国の特別天然記念物であり、特別史跡でもあるので、標本の採取はご法度です。
JR日光線の踏切です。
ちょうど電車が来ました。
この踏切を越えてさらにどこまでも行くと、鹿沼市に入ります。
シダの観察をしていますと、犬の散歩をさせていたおじいさんと出会いまして、いろいろ話し込み、教えていただきました。
この先に、杉の幹から檜が出ている木立があるとのこと。
おじいさんの案内をいただきまして行きました。
ありました。
確かに、杉の上の方に、杉とは違う葉が茂っています。
ズームアップすると、こんな感じです。
檜の葉でしょうか。杉の葉とは違いますね。
不思議です。
人為的に杉の幹に檜を挿し木したわけではないでしょうが、こういう現象も起きるのですね。
おじいさん、ありがとうございました♪
追分け地蔵さまの交差点に戻り、今度は、左側の日光街道(御成り街道)杉並木に入ります。
なぜ御成り街道と言うかと申しますと、この道は江戸とつながっており、徳川将軍が日光社参(東照宮詣で)するときに通る道だからなのです。
公方さまが日光東照宮に御成りになる街道という意味ですね。
ここも杉並木です。
日が高くなり、木立の間も暑くなってきました。
そして、
ここでもナツノハナワラビと出会うことができました。
綺麗な立ち上がりです。
それにしても、日光杉並木街道はシダの宝庫ですね。
今度は、曇り空の涼しい日を選んで足を運び、詳しく観察してみたいと思いました。