この間行ってきた、高柴デコ屋敷の写真が整理できました。
4軒の民芸品店兼工房ですが、見るところがいっぱいあり、半日でも足りないくらい。
念願がかなって良かったです。
高柴デコ屋敷と言えば、まず三春駒が有名ですよね。郵便切手のデザインに採用されたくらいですから。
上の1枚目の写真が三春駒です。
僕も、お守りに、ひとつ買ってきました。
そして、三春張子も有名です。
上の2枚目の写真には、「あまびえ」の張子が写っています。
新型コロナ退散を祈願して作られました。
三春張子は、近世の三春藩時代から続いていますが、時代のできごとを反映しているものもあるのかもしれませんね。
ちょうど紫陽花の花が満開でした。
梅雨時で曇り空ですが、あちこちに紫陽花が咲き、素敵な雰囲気でした♪
最初は、本家大黒屋さんに向かいました。
古民家の入り口に木馬神社が祀られています。
奉納された絵馬の数々。
古民家再生住宅が素敵です。
大きな天狗面がデコ屋敷らしいですね。
本家大黒屋さんのお店兼工房。
三春ダルマや張子などの民芸品が所狭しと並ぶお店の中。
小型のダルマを買い求めました。
ここで、三春張子の絵付けを行います。
ひょっとこ面などを飾った草鞋。
三春張子の木型です。
相当使い古されています。今は店頭に並んでいないような張子の木型もあり、三春張子の歴史を感じることができますよ。
木型に和紙を張り重ね、さらに胡粉を塗ったものを自然乾燥させている小型の三春ダルマ。
本家大黒屋さんの店先で一息つきました。
何とも言えない、いい雰囲気で、いつまでも座っていたくなります。
続いて、彦治民芸さんに向かいました。
大きな三春駒が出迎えてくれます。
彦治民芸さんのお屋敷は、唯一茅葺屋根として残っています。
ところで、現在は「民芸」という言葉を普通に使っていますけど、
民芸品とか民芸店とか、民芸品コーナーとか、
実は、ある歴史があるんです。
大正時代の民芸運動により出来た言葉なのです。
柳宗悦さん達により、大正14年に「民芸」という言葉が生まれました。
「民芸」とは「民衆的工芸」の略なのです。
民芸運動は、思想家の柳宗悦さん、陶芸家の濱田庄司さん、河井寛次郎さん達が推進いたしました。
民衆の暮らしのなかから生まれた美の世界。暮らしの美を啓発する運動でした。
この運動により、全国の民芸の価値が高められたと言ってもいいでしょう。
そういう視点で高柴デコ屋敷を見て回るのもいいと思います。
栃木県益子町の濱田庄司記念館で民芸運動のことを知り、それから益子町の陶芸を見る目が変わりました。
デコ屋敷も同じだと思います。
彦治民芸さんのお店の入り口。
入る前から、いろいろと楽しめます。
三春ダルマ、そしてダルマの木型、天狗様、胡粉を塗った張子など並んでいますね。
奥には、獅子頭まであります。
これは、、すごいです。
道六神様のご神体。
災厄消除と生産性の向上を願った象徴的な作品。
一番大事な部分には笊がかぶせられています。
僕は、このご神体について、ある考えを持っています。
このお姿を見た昔の人は、精神的な高揚と、それによる循環器系の流れの促進、体力の充満、精力の向上を体感し、ひいてはそれが自己免疫力の向上に役立ったのではないかと思いました。自己免疫力が向上することは疾病予防につながります。
男根形または女陰形の作品は縄文時代からありますが、昔の人は本能的にそれが免疫力の向上に役立つことを知っていたのではないかと考えました。
歴史的に、性的な表現は、過度でなければ免疫力の向上と健康増進、性欲の向上に役立ってきたのではないかと思いました。それが転じて多産による子孫繁栄や健康増進、生産性の向上、災厄消除のお守りになったものと考えます。それが何となく自然ですよね。
医学的なエビデンスはないのですが、詳しく調べれば得られると思います。
お庭の池の周りには、河童とか、いろんな生き物がくつろいでいる様子が見えました。
ダルマと、般若面、そして何でしょう? この表情は。
竈神様にも似ているような、、、
大きな木型です。
素晴らしい天狗の面。
お店に並んだ三春駒。
これが彦治民芸さんの売りなのです♪
古い民具、歴史的民具がところ狭しとありました。
見ごたえ十分。
凄いですね♪
囲炉裏があって、屋根を組んだ煤けた古材も露わに、
築400年の古民家での民芸が、雰囲気を醸しています。
大きな般若面が、睨みをきかせています。
お店を出て、休みながら、しばらく彦治民芸さんの茅葺屋根を眺めていました。
一気に見ていますと、少し疲れます。いろいろ考えてしまって。
しかし、休憩していますと、周囲の雰囲気に癒されますね♪
続いて、本家恵比寿屋さんに行きました。
彦治民芸さんの東です。
ここは、三春張子の工房です。
職人の方と、しばらくお話しすることができました。
囲炉裏の周りに、木型や貼り重ねる和紙、様々な道具がありました。
ダルマやお面、観音様、天狗様などの木型が見えました。
本家恵比寿屋さんのお店です。
お店の中の様子。
民芸品販売と絵付け作業が行われていました。
外の工房は、張子の成形、お店の中で絵付けが行われているのですね。
江戸時代からのお面の木型が展示されていました。
なかには、福島県の文化財に指定されているものもあります。
三春張子の作品の他に、古い陶磁器、三春駒の木型、民具なども展示されています。
キツネのお面が印象的でした。
本家恵比寿屋さんを後にして、三春駒神社に参拝に向かいました。
境内には、女陰形の道六姫神様、男根系の道六神様、双体道祖神様などが祀られています。
紫陽花に囲まれた小さな祠。
道六姫神様が祀られていました。
これは、エッチなことでも何でもなく、デコ屋敷の最も大切な祈りのひとつと思いました。
江戸時代に、三春藩の許可を受けて始まった三春駒や三春張子の生産ですが、屋敷(集落のこと)のなかで伝統工芸の後継者の確保は、何よりも不可欠な案件だったわけです。伝統工芸を担う子孫は絶えることなく続かなければならないのです。
祠の道六姫神様に対する子孫繁栄の祈りは、昔から続いてきたものと思われます。
ゆえに、よりリアルなご神体として、屋敷の男衆の奮起と女性の安産を願ったのではないでしょうか。
僕も参拝して、自己免疫力が高まった気持ちになれました。
紫陽花がほんとうに美しい境内でした♪
赤い鳥居をくぐりまして、三春張子神社と三春駒神社が祀られていますお社を参拝いたしました。
神社が鎮座する高台からながめたデコ屋敷の風景です。
何てもない阿武隈山地の中山間地域の集落ですが、江戸時代以来、民芸の伝統が絶えることなく続いてきたことは素晴らしいと思います。
最後に、橋本広司民芸さんに向かいました。
柱に括りつけられたお面が「ひょっとこの里」を象徴しているように思えます。
お店兼工房の中。
ここでも素敵な三春張子が並んでいました。
「一生一笑」
大切にしたい言葉ですね。
古いお面の木型と天狗面が、煤けた建物の梁材に飾られています。
もともとは茅葺屋根だったそうです。
家の間取りは、茅葺屋根の時代そのままです。
三和土土間があり、囲炉裏があります。
竈もそのままです。
数多く展示されている三春張子を眺めながら、懐かしい香りを感じることが出来ました。
奥の間の襖に描かれた仏様の絵。
この仏絵を描いた絵師は、描くときに山籠もりしたそうです。
山の中で仏さまと会話を交わし、一気に絵筆を走らせた、そんな印象をいただきました。
粗いながらも魂が感じられる円空仏や、木喰上人の刻んだ仏像に通じる何かがあるような感じがします。
素晴らしい仏絵です。
文字は、般若心経です。
奥の間の張子も、ゆっくり鑑賞できました。
ここの橋本広司民芸さんには、デコ屋敷資料館が併設されています。
入館無料で、お家の方に親切にもご案内いただくことができました。
ここには、福島県指定の重要有形民俗文化財、三春人形木型が保管・展示されています。
指定書が展示されています。
貴重な木型の一部。
写真をとるよりも、実物に見入ってしまいました。
天井には、唐人凧が飾られていました。
僕が「この唐人凧は、磐梯熱海の斎藤さんが作られたものですか?」と尋ねましたら、「そうです」とお答えいただきました。
実は、僕は磐梯熱海の斎藤誠さんの唐人凧の工房を訪れたことがあります。斎藤さんは考古学が大好きで、『福島考古』にも論文を執筆され、何よりも、日本における旧石器時代の石器を初めて岩宿遺跡で発見された相沢忠洋さんとご一緒に発掘調査されたこともおありなのです。
本職は、民芸品である唐人凧の製作ですが、手先の器用さを生かして作られた発掘調査用の竹ベラをプレゼントいただいたことがありました。当時、磐梯熱海町で発掘調査を行っており、現場に届けていただいたのです。
そんな懐かしい想い出がよみがえりました。
高柴デコ屋敷のことは、まだまだ書き足りませんが、長くなりすぎたので、ここでとりあえずお開きにいたします。
屋敷の皆様が、これからもお元気で三春駒や三春張子を製作されますように、心からお祈り申し上げます。