昨年、福島から栃木県高根沢町に引っ越してきまして、周辺の農村風景を眺めて歩きますと、立派な門構えの農家がそこかしこに見られることに気づきました。
それで、12月になってから、休みの日、体力維持を兼ねて、農家の門構えを観察してみました。すると、上の写真のような「長屋門」の構えを多く見ることができました。
栃木県も、矢板市から南に行きますと、広々とした関東平野になります。農家の屋敷も広く、なかには塀を巡らせた長屋門を構えた屋敷もありました。
さすが、関東平野の農家と、驚きました。
この長屋門を構えた農家が多いのは、高根沢町を含めた、宇都宮市周辺の農家の特徴なのでしょうか。
長屋門は、昔は、武家屋敷などに構えられ、入母屋造りの屋根の建物の真ん中を出入り口として、両側に部屋が造られています。部屋には、門番や小者を住まわせていたようです。
江戸時代の農民でも、庄屋様や組頭などの上層農家には、長屋門の構築が許されていたようです。
言ってみれば、長屋門は、昔からの上層農家のステータスかもしれませんね。
高根沢町周辺には、このような長屋門を構えた農家のお屋敷があちこちに点在しており、昔から豊かな農村だったのかもしれませんね。
広々としたお屋敷の長屋門です。
こちらの長屋門の左側は、住まいとして現在も使っているようです。右側は農具関係の物置として用いられているのでしょうか。
こちらのお屋敷は、かなり大きな長屋門でした。
奥に大きな母屋があり、長屋門の右側にも建物があります。
長屋門とは別に、通用門的な屋根門まで構えておられました。
広い屋敷の周囲には、屋敷林が繁っております。
昔ながらの豪農という雰囲気でした。
長屋門を巡るのが楽しくなりました。
こちらの長屋門は板壁です。様式的に古いのでしょうか。
屋根は、見事な瓦葺き入母屋造りですが、昔は藁ぶき屋根だったのかもしれませんね。
僕が、高根沢町に引っ越してきて長屋門に興味を惹かれたきっかけとなった農家です。
板壁と漆喰壁に屋根を葺いた塀を巡らせ、堂々とした長屋門と母屋建築。
最初は武家屋敷かと思いました。
おそらく、昔の庄屋様クラスの建物かもしれませんね。
こちらの長屋門は、建物の下半分に大谷石を重ねた例が多いです。
この長屋門は、右半分が大谷石の壁となっていました。
ほんとうに見事な長屋門を見て歩くことができました。
こちらは、宇都宮市岡本地区の農家の長屋門です。
そして、
近くに、国指定重要文化財「岡本家住宅」がありました。
その長屋門です。
ご当主様にお聞きしましたら、昔は藁ぶき屋根だったそうです。
岡本家の母屋です。
江戸時代は、庄屋の筆頭組頭だったそうです。
岡本家住宅長屋門の内側を見ることができました。
素晴らしい、歴史的建築遺産です。
こちらは、さくら市氏家の瀧澤家住宅長屋門です。
栃木県指定有形文化財建築物です。
町屋の長屋門で、昔は武士階級だったのかもしれませんね。
瀧澤家は、明治天皇行幸の際、御休息所として使われたそうです。
高根沢町周辺では、長屋門の他にも、立派な屋敷門を見ることが出来ます。
見事な四脚門を構えたお屋敷です。
高麗門的な特徴の門構えですね。
そして、板・漆喰壁の屋根塀が大きく巡らされていました。
昔の武家屋敷風のお屋敷ですね。
こちらの農家も、四脚門が構えられ、門の脇に建物が建てられています。
こちらのお宅の門は、薬医門的な構えでした。
こちらは、四脚門の脇に二階建ての建物が建てられていました。もちろん母屋とは別です。
母屋の南西部に離れの建物を造り、その脇に四脚門を構えるという屋敷配置の例が複数見られました。
12月になってから、こちらの農家の門構えを観察して歩きましたが、素晴らしい農家建築の文化があることに驚きました。
これから、この周辺の散歩が楽しみになりました。