上に書いたタイトルは、SIGHT誌VOL.32で大芝亮という人の発言です。
それに対して、僕自身からの突っ込みです。
「だから、それが難しいんだって…!」
そうそう、とても難しいのです。少なくとも僕にとっては。
最近は、そんな事ばかり考えてすっきりしない毎日を送っているわけで。
自分の中で思考の整理がついてないので上手く書けませんが、
平和と宗教の密接な関係を自分自身の中からばっちし、そしてしっかりと見出して
しまったり。しているわけで。少なからずショックを受けているわけで。
昔から、宗教に対して否定的でした。
食事をする前に神様にお祈りするとか、「はぁ?」みたいな感じで。
更に言えば、宗教って聞くと「オウム真理教」の影響だと思うんだけど
ちょいと怪しいとか思ってしまうし、または宗教戦争っていうのも実際たくさんあるし。あまり良いイメージは持ってなかったです。
21年間、神様を必要としていなかった僕ですが、ここにきてついに、ついに、だれに勧められるでもなく、誰かの本を読むでもなくして、すがりたくなんだなぁ。神様に?
あぁ、神様だよ、僕は神様を欲しているのかぁ。と気づくわけですね。
自分の少し知識と平和への思いと、救いや希望を求める心とその他もろもろと、そんな中から僕は、自分の思考を深く深く(いや、実際深いのか知らんのですけど・・・)
思考の旅を続けていくとですね。どんどん宗教的になっていくの。
宗教って、つまり欲求ですから。希望を見出すための嘘ですから。
嘘だからこそ信じたくなるみたいなね。
僕の場合は、試しに思想をゲーム感覚で巡らせてみるとして、
神様を信じてみると楽になるのです。
なぜか。
それは、この世の悪い事を神様のせいにしちゃうからです。
なんでこんな世の中になってしまったのか(こういう事言うと馬鹿みたいですが)
それは神様のせいだぁぁぁ!と考えると、なんだ僕は悪くないのか、ホッ。
と。
まぁ、これは都合良すぎの歪んだ解釈なので、どうでもいいんですが。
でもさ、でもね、実際の話さ、僕は昔からは宗教なんてどうも理解できない、神様なんていないんだからもっと現実を見てがんばっていきましょうよって、失礼な話ですけどそう思っていたのですが。
が、本当に現実を見据えてみると、シリアスに現実を感じてみると、宗教にたどり着くのは当たり前で、逆に、無宗教でいるというのは、とってもタフな事なんですよ!!
知ってましたか!?僕はびっくりしましたけど、この事実に!!!
もうやだ。いろんな事が嫌になります。
戦争のないこの国でさえ、今日も数十人の自殺者が命を投げ出してんだよ。
なんだよ、自分自身のブレのない平和観って。
そんなん解ったら苦労しねぇよ。
わかってるよ、勉強が足りないのは。もっといっぱい本も読むさ。
でも、1年後、5年後自分は自分自身の平和観をもって生きてられるのか。
実際のところ、自分自身が知らない間に宗教的な物に惹かれていたことにはショックを受けました。たぶん、僕の胸の中にそういった宗教的な物(←なんて言えばいいのかわからないのでこう書きます)の種が生まれた事は事実だと思います。これから、ちょっと不安です。今は、大丈夫です。でも、また自分の殻に閉じた時に、どうなるか。
そんな時に、街を歩かないように気をつけます。
そんな僕に宗教の勧誘は決してしないでください。すぐに食いつきます。
少なくとも、仏教には影響されそうです。
5年後、坊主になってるかもしれません、大芝さん。どうしましょ。

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