2017/12/31

鈍感力否定  ふと思いついた事。

否定と肯定の原作をもうすぐで読み切る。


そこで自分也に浮かび上がったのは「相手からの言論攻撃の対処法」です。


僕は敏感で鈍感力が足りないからまともに喰らってしまうとばかり思っていました。



異なる視点を提供してくれました。

それは「攻撃と認めない」という選択をするということ。


何が違うか。


鈍感力とは、攻撃をされても全く気がつく事ない、それが攻撃とさえ感じない鈍感さについて。


今回僕が提示しているのは「はじめは攻撃と認識しても、その後の選択で『攻撃という土俵に立っていない。』と責める事」を指します。



何が+になるのか。



鈍感力の場合、「鈍感かどうか」を瞬時に選択する事は不可能といってもいい。

鈍感を選択するってどういう意味でしょうか?

資質といいますか、例えば年収100円の人が買ううまい棒と、年収1億円の人が買ううまい棒の重み。

鈍感になれるのは後者。

つまり立場上圧倒的有利にならないと鈍感力は発動しない。

さらに、「鈍感になれ」と念じた時点で鈍感ではない。



「攻撃として認めない」は、相手の攻撃を受けた瞬間、確かにぐらっときても「いやいや、攻撃と言うにはあまりにもお粗末だからぐらっとする意味なくね?」と

回復させる効力があります。

聞く耳持たず、です。


なんでもかんでも「個人の意見を尊重」「言論の自由」とか言って受け入れず、まず自分にとってその言葉はどういう意味をなしているのかを考える事。



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2017/12/31

サンドイッチの妙味  ふと思いついた事。

コンビニでとりあえずサンドイッチを買う事が多い。

満足度が高そう、おいしそう、なんだかかっこいい、というような。


自分で作ると、断面を見せるのは食欲を満たすであろうという予想立てを安易に脳がする、ということからだと気づく。


数ある食品の中でサンドイッチに目を奪われる理由を獲得した。

このように、日頃消費しているものを生産することにより「なぜよく消費するのか」を理解し、コントロール可能範囲を広げる事ができる。
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2017/12/31

為末大 Twitter  ふと思いついた事。

















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2017/12/31

他人を捨て切る、ということ  ふと思いついた事。

僕はここが非常に甘い。


あるたくさんの選択肢の中で選んだ物が、少数派で、それを選んだ目的を他人が勝手に推測する。

このとき本来の目的と乖離していても「深層心理的に他人が言った事が正しいかも」であったり、

「他人にそう思われるのがいやだから、違う選択肢をしようと」と私見を蔑ろにしたり。



つまり、他人の意見によって、それが的外れでも優先ししてしまい、自分の本来の目的を見失う。


これがあまりにも多すぎる。


なぜなら、僕は「人を切り捨てる」を能動的に行う事が苦手、悪い事、やってはいけないことという価値観を持っているから。




いつもいつも、環境の変化、時間経過による「自然的な別離」に任せっきり。

そうではなく、自分の意志で「あなたの勝手な予想立てには辟易します。」と反撃というか、完全に切り離す必要性。


自分の行動に対しての間違った相手の指摘にたいして「是が非」の土俵にたたないこと。

「それがあっているか、間違っているか」の土俵にたたないこと。

ただただ切り捨てるだけ。

「その程度の想像力しかないのか。」

「これで、あなたが私に抱いている人間性が判明しました。」


自己を保つための切り捨て。上下関係なく。
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2017/12/31

経験がなぜ大切なのかを考察  ふと思いついた事。

経験がなぜ大切かというと、即効性があるからではないかと。


「口が臭い」について考えている時に思いつきました。

口の匂いを自分で判断する事は難しい。

また相手の口が臭い時は「今の第一目標は会話に集中する事なのでいいますが、貴方の口臭は議論の妨げになるので、このガムを噛んでください」と言うのが良いのか、とか。


何が言いたいかというと「現在もなお抱えている問題を顕在化させてくれる」ということ。

本や自分で考えたチェックリストで確認し「よし、自分は〜を満たしている」と確信。

しかしいざ経験すると「まだ満たしていない部分がある」ことに気づく。


こういう体験は僕はよくあります。


ただ、「事前確認をせず経験だけ重視」はあまりよろしくないのではないかと。

なぜなら事前確認(予想)と経験とのギャップが学習の蓄積になるんじゃないかと思っています。

あらゆる問題対処の際にはこれが活きる。

事前確認したが対処できなかったことは脳に強烈にインプットされる。




経験が大切な理由は「足りない箇所等の問題点や、現在の自分の位置、自分には必要かどうかを示してくれ、さらに即効で脳に判断させる。」ことですね

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2017/12/30

片言で話すと脳内も片言、という悪思考  ふと思いついた事。


外国人が日本語の片言を話すと、相手がいきなり子どもと接するような喋り方になるそう。


これはすごくわかります。

ですが、これは相手を愚弄する卑劣な行為なので、もっと公に報道したり注意喚起すべき問題です。

子どもと接するように対応する方の気持ちもわかります。


スピードを緩めて話す、は相手に理解してもらいたいからです。

そうではなく、言葉自体が、語尾だったりが子ども向けになるんです。

「ど う で す か ?」ではなく「どーですかぁー?」と。




日本語がオリジナル言語である僕も同じ経験、というか外国人側にいます。

僕は吃音症という、言葉が自分の思い通りに発生できない障害を抱えています。

障害と言っても国からの援助は一切受けられない、障害よりも「症状」と言った方が正しいニュアンスではないかと世間では認知されています。

一生そう対応されるであろうと諦めているのが、今回提示した問題です。

コンビニで店員さんが急に「大丈夫ですか?ゆっくりでいいですよ。」と声のトーンが高くなり赤ちゃん言葉のような発生に変わる事なんて日常茶飯事です。


嫌な顔だってよくされます。「うわ、知的障害者がきた、通じるかな。」というあの顔です。



一生記憶に残るであろう思い出は、大学の就職相談で担当者から「障碍者のための就職説明会」に勧められた事です。

話し方のみで「知的障害者かどうか」を判別されるんです。


話し方によって「頼りがいがある」とか「こいつは命令し易い」とか判断しませんか。

人は瞬時に判断しますよね。見下して良い相手だとか、逆らったらいけないな、とか。



僕は自分は何か発達障害であったり自閉症であったりするはずだ、と一時期複数の病院で診断しましたが、結果全くなく。

本人でさえ「話し方と脳内のギャップ」に惑わされているんです。



話し方がへんだったり、言葉がでなかったりしても頭の中ははっきりとした言語が浮かび上がっています。

自尊心がすっげえ傷つきますが、僕が話す=この対応をされる覚悟を持つ、ということ。



できれば全員マスクして欲しい。

なぜなら、美人な人にこの対応されたら相当傷がつくんで。

この考えこそが差別なんですけどね。
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2017/12/30

自分の人生経験の「絶対」を強める  ふと思いついた事。

相手に指摘されたらすぐ呑み込む

人の経験とその時起こった感情は個人によって絶対的不変のものです。

つまり、転んで擦り剥けた膝を「血がでて一安心」という感想を得たらそれが絶対なんです。

「痛いだろうが!」という常識的ツッコミが生成されても揺るがない物なのです。


しかし僕はすぐ揺らぐ

揺らぐどころじゃないですて、代替してしまいます。

「受験苦しかった」を「頭のいい大学じゃないから苦しくない筈だ」というツッコミを受け入れ

あのときの自分は苦しくなかった、としてしまいます。


皆から「おかしい」と言われ続けるとこうなる。


家族からが影響大きいですね。あと見知らぬ人もです。

家族から「考えがおかしい」といつも指摘されています。

なので自分よりも「おしくないと思われる」他人の感想を優先させます。

今は言語化をしたことによりその修正、自分固有の感想を大切にしようと心がけますが、不安です。



自分の感情に自信がないという重傷


重傷、としたのは、相手に自我をコントロールされる事を歓迎している、という人間としてやってはいけない思考をしているからです。


僕は最近まで「空腹」を認めていませんでした。

「お腹が減る」とは誰かが「お腹が減ったでしょ?」と言わない限り空腹ではない、と。

自分自身で空腹と察知するのは傲慢、甘え、目の前の事象から逃げているだけ、と。


当たりまえですがそんなことないんですよね。

空腹は空腹、空腹が収まればそれに集中力を削ぐことがなく問題解決になるんです。

空腹する他人に指摘されなければ実感しない。

いや、実感はしているが、認めない。


自分だけで自己感情を表現する事は傲慢であり稚拙だとしてきました

自己中!という誰かの声が聞こえてきます。


でも、自分に起こった事象を自分だけで納得しなくちゃいけないんですよね。

いつまでも「これっておかしくない?」と他人に同意を得ようとする。

得なかったら「やっぱりおかしいんだぼく。」と。

同意なんて必要ないんですよね。

僕がそう思えば、それが真実なんです。







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2017/12/30

ゲーム&映画 2017best  ふと思いついた事。

今現在振り返って一番印象に残っているもの。



ゲーム

ファイナルファンタジー15

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面白さはバイオハザード7とドラクエの方が上ですが、ラストは一生記憶に残りますよね。

「つれえわ・・・。」でおなじみになったネタですが、僕はかなり心にずんときました。

そりゃつれえでしょ、です。

やっと先日配信されたイグニスストーリーも加点ですね、あの理不尽グラディオに腹立たなくなりましたし。

あと「雰囲気オシャレ」って大事ですよね、ナルシスト心をくすぐります。


映画

PK

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ヒロインが可愛かったです。

「そんなのあたりまえでしょ」と常識化している人にはつまんない映画です。

しかし「疑問をもつことを普通に、失礼と思われても無視。」を意識できたきっかけの映画。

ヒロインですよね、やっぱり。
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2017/12/30

アニメ視聴再開  ふと思いついた事。

萌えアニメだったり日常系だったり大嫌いでしたが今みてみるとすんなり受け入れられる。

面白みは感じないんですがぶっつづけで見れる。


最後のジェダイを見て「いくらこっちが考察しようが作り手側次第でどうにでもなるので無意味」を痛感したことは、映像作品に対する態度を変格させたきっかけです。

結局は生産者側にならないと無意味なんですねよね。

消費者側は生産者の手のうちからは出られない。


熱意あるものはいち早く生産者側へいくべきですね。

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2017/12/29

超像BIG いい感じ  ふと思いついた事。





超像可動スタープラチナ発売時からすると約5倍、現行だと2.5倍の値段の超像BIG。

付属品も少ないが、塗装の質がかなり良く、また造形も良い。

定価2万円と高めだが、同サイズのホットトイズ等と比較するとそんなことはなく。

実際は付属品、塗装の質、生地等でホットトイズの方が上ですが、ギャップが小さい。

ジャイロ見たく質を落とさず、高価格帯+高クオリティを安定させて欲しいです。

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