2018/4/21

フルメタルパニック IV 2話 やばすぎました  ふと思いついた事。

何がヤバかったのか

・千鳥かなめの命が狙われているのに延命手段を拒否するような行動に充分な説得力を演出した。

・今までのシリーズで鑑賞者達がみなしていた「テッサへの甘い感情」を一気に葬り去った


演出がすごくいいですね。

安堵からの即絶望。テッサの「核なら一瞬だわ」からのOP。

カーチェイスのCGには不満が残りますが、宗介とかなめの温度差演出は素晴らしすぎる。

高校生らしき一般人に流れ弾があたったところでのかなめの発言「ごめん」もよかったですね。

「え!それだけ!?」というツッコミが生まれるも「それだけしか無理だよね」っていう環境の説得力。


いや本当に凄い。これでまだAS同士の戦闘シーンがないんですよ。

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2018/4/21

子どもの人権を守るために、という本が面白いです。  読書(感想、気になる本)

まだ読み終えていませんが。

読み終えたら改めて全体の感想を書きます。


◆子どもの存在ってみなさんどう考えていますか

・かわいい
・活発

という存在自体、表面での印象が強いです。

法律では「子ども専用とも言える権利」があります。


◆法律は先人達の失敗から得た教訓

本書はじめに記載されています。

なぜ子どもに標準を当てた法がこんなにあるのか。

歴史的事実から紐解いたその理由が書かれており納得とともに「多くの方が権利侵害経験済みじゃね?」という。

例えば親含め教育者が己の信念を子どもに植え付けさせるのは人権の侵害となります。

子どもが差別感情をもちそれを是するため、等の他人の人権侵害を防ぐため等の理由の場合は許される。

例えば「〜が美味しい!」という子どもの感想に対して「これを美味しいと思うお前はおかしい」というのは人権侵害です。

人権侵害は日常どこでも起こっており、それを防ぐためには人権に一定の知識がある大人、または子ども自身が知識を得ることが必須。

◆僕はレベルが高いことだと思っています。

だって、子ども作る前に子どもの人権について学ぼうとし実際学ぶ人ってどれくらいいるんですか。

先生達からも普通に人権侵害されてきましたし、その場に会いましたよ。

大学の教授というのはやはり最高学府の先生なだけあるな、と本書を読んで思いました。

なぜなら「子どもだからといって個人の尊重を蔑ろにしなかった」からです。

「個人として確立した人格」と見なしているので生きることの責任を求められていました。

「当たりが強い」のは「先生に対して生徒という支配」ではなく「個人と個人」という立場を保証していたから、ということです。


◆批判的精神の否定は人格否定

批判的精神を削がれた人の未来というのを「戦争」から得た教訓として記載されています。

問題としてあげられているのは「属している自分が悪い」と自責を永遠としてしまうこと。

軍国少年と呼ばれていた人は「一人の人間」の前に「軍国少年」である自分に戦争の責任を重ね合わせる。


家族から批判的精神を削がれた場合、家族の失態を自分の失態だと重ね合わせる。






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2018/4/20

「できない」からこそ生まれる貴重性の思考吸引力  ふと思いついた事。

◆思考吸引力?

勝手な造語ですが、考える必要がないのに考えさせられてしまうことを指します。

空腹は思考吸引力が高い。


◆「女性の部屋を見れる時代」

youtubeやメルカリのライブで簡単に女性の部屋を見れるんですよ。

小学校の頃好きだった女の子はどんな部屋なのかな?と考えたことありませんか。

普段何をしているのかな?とか好きな物はなにかな?とか。

思考吸引力が強い話題です。

特定の好きな子ではなくても、女性の部屋を簡単に覗けることができるようになり貴重性は減りました。

貴重性は思考吸引力アップに直接関わります。


◆思考吸引力をコントロールできるという有能



コントロールできないので問題であり、恐らくコントロールはほぼ不可能です。

コントロールの範囲に属すかわかりませんが「経験」である程度耐性をつけることができます。

この場合の経験は「貴重性の度合いを下げる」というものです。

「慣れ」とも言い換えられそうです。

予め脳内で対処できる予防策を練ることでランダム性を下げます。

ランダムなことが起こっても「こんな時には」という予防策を練られます。


◆思考吸引能力の低下=「仕方ある」「仕方ない」の明確な区分分けをする

ランダム、予期せぬことが起こったのに冷静に対処できる。

これは「仕方ない」という「コントロール不可」だと確信しているから。

一方で「仕方ある」「コントロール可能」も分けておりここを「自信」として処理。


◆ランダム性が高いと確信することで思考吸引力を低下させる

ランダム性が高い=自動的に思考吸引力が高いです。

ランダム性が高いことを受け止める。

それによる失敗はランダム性を噛み砕く新しい発見を享受させてくれる。



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2018/4/19

「自分を愛してくれる」は自分しかできない  ふと思いついた事。

◆勝手な「愛」についての解釈

一般的に使われている「愛する」というのは自分以外の何か、かもしれませんが。

僕は愛の意味の一つに「何としてでもその人を守りそれが生き甲斐となる」という意味合いが含まれていると規定しています。


◆トラウマと愛と

僕は自信が致命的になく、あらゆるトラウマを作り出しています。

それを回避するため、時間があればトラウマを一つずつ検証し潰して行く作業を日々行っています。

途方に暮れる作業ですがこれしか自信を取り戻せないと確信しています。


その中で「愛」というのが重要なポイントで、ことの言葉にはどういう力があるのかを問答しています。

人から「愛してる」といわれたらどう思いますか。

言われた直後から良い意味でも悪い意味でも「特別な存在」になりませんか。

もしかしたら一生の思い出、一生夢に出てくる人間になり得る可能性だってあります。



◆愛の束縛性が強すぎる

僕はこの言葉を使う人を信じることはできず、何らかの拘束力が欲しいがために使用したんだな、と判断します。

「なんとこの私が貴方を愛するのですよ。」「だからあなたは私に注目しなさい!」てな具合に。


冷徹だろうが、僕は他人を愛することは絶対できませんし、僕を愛しているなんて言う人とは金輪際会いたくありません。

つまるところ、愛せるのは自分しかいない、傷ついた時優しい言葉をかけられるのは自分しか居ない、真の意味で励ましてくるのは自分でしかいかない。


自分自身を守るために強くならなければならない。
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2018/4/19

子どもの頃は自分で決めて行動する自信をつけることが第一  ふと思いついた事。

本を読んでいて、すらすらっと読める本は平仮名が多いことに気づきました。

それを基本のスピードとして読むので、感じが多い本は飛ばし飛ばしでないと「遅い!」と感じストレスを覚えます。


ドン引きする僕の音読能力ですが、まだ小学生の頃「速読」を大人から同級生と競わされたので「遅い」ことが「自分は無能である」に直結するのです。


◆コミュニケーションが好きでした。

僕は恐らく中学2年生当たりまではかなりコミュケーションが活発な人間でした。

自分一人で楽しむ、ということができなかったので毎日誰かと遊び、周りの大人に深入りしていました。

ゲームやプラモで一人遊びはできましたが、それだけはいけないという危機感がありました。


◆幼少期、周りに大人ばかりがいる問題点とは?

僕が今回上げる問題点は、幼少期に「これはこうだ」と決めつける大人がたくさんいたこと。

そしてその大人達は独自の答えを教えてくれ「大人が言っているんだから」と子どもの僕は絶対知として信じます。

そのことにより周りの同年齢がとても幼く見え「僕は彼らより大人だ」という実感がありました。

「敬語」は小学校低学年ではある程度習得していました。敬語で話す大人をみていたからです。真似です。



◆多の同級生が通った経験をしていない

失敗をして許されて、自分なりの答えを見つけ出す。

答え合わせは自分に自信がついた、ある程度大きくなってから。

僕はこのルートを通ってない。

正解は大人達が教えてくれる。失敗は許されない。失敗する前に正解を聞かなかった自分が悪い。

自分の経験から生み出した答えは価値がない、大人の正解を聞いとけば人生間違いない。

これは子ども時代では周りを言論マウントする点では非常に有利にする要素です。

が、成長して20代半ばの今は「過去の人間の常識に染められてしまっていた」という絶望感があります。


◆この絶望感は「当時」から持っていた筈

いくら周りより有利だとしても「自分の考えは大人達に勝てない」という劣等感を持っている。

この障害が自尊心を築く過程を邪魔し続け成長してしまった。

馬鹿なことをいい、周りからも見下され、失敗を繰り返しても「自分から導き出したものを優先する」を継続していればよかった、と。

◆僕は常に「先生」を求めていた。

失敗をすることはコスパが悪い、自分の経験なんて価値が低い。


僕は子どものころは一人で考える時間、それを行動に起こす周囲の許容、失敗をしても行動自体を称賛しそこから何を得たか考えるように促す。

正確な答えをすぐ教えてくれる先生が当たりまえのようにいると、失敗をただのマイナスと決めつけ自信構築期間をスキップする人間になる。


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2018/4/18

歌とアニメーションが合致する気持ち良さ  ふと思いついた事。

アニメのopとエンディングが好きなのはこのためです。

曲だけよりもアニメーションが加わることで気持ち良さが増す。

気持ち良さとは、お互いのイメージが脳内でリンクしより物語性の想像を膨らませることができる、ということです。

映画君の名は。は本編丸ごとそれが起こっており、見ていて終始気持ちがいい作品です。


アニメに苦言を呈したいのは、挿入歌とリンクする作品がすくないこと。

僕は新海誠監督作品とガンダム劇場版とトップをねらえのみ好きです。

オープニングの曲とアニメーションがリンクしているか、挿入歌がリンクしているか、は楽しむための大事にポイントとしています。


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2018/4/17

コードギアスR2の第二期OPのすごさ  ふと思いついた事。



開始位置調整してるところからのアニメーションがツボです。

個性を表すアクションをするキャラクターを速いスピードで流して行く。

本編では絶対しないカレンの可愛らしい仕草から始まるのがかなりいいです。

このスピードで各キャラが輝くアニメーションの気持ち良さ。


きつい見方をするとキャラクターこれでもかと鑑賞者に媚びているともとれる。

死ぬまでにこんな疾走するキャラクター紹介を書いてみたい。
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2018/4/17

精神的ダメージは脳が受けたダメージです。  ふと思いついた事。

◆2種類の人間の損傷。

・外皮、肉の損傷

・臓器の損傷

この2種類と今回は定めてみました。


◆精神的ダメージ=臓器の損傷

まず多くの方が合意してくれると思いますが損傷は「臓器」の方が傷が重い。

そして臓器の中で最も重要な箇所は「脳」です。

「精神」という器官は人間に存在しておらず、「ハート」と言い換えることができますが心臓と直結している訳ではありません。

心臓は思考を司る器官ではなく、ハートは「心臓の鼓動に強弱がある」点から気持ちのを表す道具として扱われています。



なので精神=思考を司る、ということで精神=脳です。

精神的ダメージとは「脳にダメージを負った」と言ってもいいのではないかと提言です。


◆精神的ダメージは本来のダメージを軽視する恐れ


精神的ダメージ、精神と使うことで人間が所持する器官、能力と思い込みがちです。

「精神科」とか「心療内科」ってありますけど、専門書を読むとどれも「脳」なんですよね。

「精神障害」も「脳の(回復できる程軽度のものからできないものまでの)障害」なんです。


だから精神的ダメージを与えた、与えられた場合は

「臓器の中で最も重要な箇所である脳にダメージを与えた、与えられた。」と認識すべきです。

精神ダメージを避ける、極度に嫌悪感を示す理由です。
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2018/4/16

「だけで暴力はダメ」という腑に落ちない表現。  ふと思いついた事。

◆暴力最高!ということではありません。

暴力はダメ、と正義の鉄槌を振りかざす感じがいけ好かない、という個人的価値観です。

どこはかとない他人感を醸し出している、とりあえず言っておこう正しくないはずはないのだから、みたいな。


そんな簡単に済ましていいの?っていう疑いですね。

「〜で腹が立つのは分かるけど、暴力はだめ」

このパターンもいやですね。具体的な理由があるようで全くないです。

しかも理解力がありますよと抱擁力を示している風なのが質が悪い。


◆「じゃあどういえばいいんだよ?」ってことですが。

とても面倒ですが僕はなぜ暴力がダメなのか一人一人ちゃんと付せて説明して欲しいです。

「違法性があるから」は法律信じ過ぎだろ!って思いますし、「相手を傷つけるから」は言葉もそうだろ!とか。

説明があるだけ大分マシですが。



◆僕が暴力をダメだとしている理由

痛み・怪我の出現は勿論で精神的抑圧性が高いからです。

暴力を許すということは「許さざる負えない」状況であり、相手に逆らうことが難しい状況。

相手の機嫌を伺わなければならない、反抗できない、仕事ではなく暴力を受けないためという最悪な環境になるからです。

見事反抗が成功しても、もっと酷い暴力を振るう可能性があり、これも精神的ダメージを逐一蓄積させていきます。

◆暴力性に訴えた相手に対して安心を得るには

・もう二度と会わない環境づくり

・こっちが圧倒的に支配できる立場になる。

という、ハードルが高い条件が必要。

暴力に対して暴力で訴えると早めに「殺し合い」に辿り着く。

「警察に相談」もまぁ結構な労力ですよね。

暴力を振りかざす相手と二度と会うことがない絶対的な保証がないと生活不安になるんですよ。

実際地球の反対側にていもふいに会う可能性がある。

そんな万が一の可能性があれど不安は拭え切れない。

暴力にはこんな恐ろしさがある。



◆やっぱり「〜はダメ」だけではいただけない。

「そんなの当たりまえだよ、みんな分かっているよ。だから「ダメ」だけでいいんだよ。」

には欺瞞が満ちあふれていますね。

そんな全体的な共通見識があるのか?と。

面倒だから、で回避してはいけない話題であり「暴力はだめ」は子どもが大人に一方的に叩き込まれた洗脳概念の匂いがあるんですよ。


個人的観念を具体的に長文になってでも説明するのは、その人の自尊心を守る行為です。

人間一人一人能力がちゃんとあるのだから簡単言葉で済ますのは己自身への否定行為です。

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2018/4/16

失敗のジレンマ  ふと思いついた事。






失敗をすると落ち込み、そこをよく他人に疲れます。

失敗をする=できないことをしている、といってもいい。

できることなのに失敗をした、場合は次から気が緩まないようにしよという心意気を形成できる。

失敗がいけないんじゃなくて、失敗をしたらいけない環境づくりがいけない。

失敗をしても大丈夫な環境づくり。

失敗をするとあとはないは実際ありますが、その場合は失敗をしても新たな大きな教訓を作製できますし。
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