2018/4/19

「自分を愛してくれる」は自分しかできない  ふと思いついた事。

◆勝手な「愛」についての解釈

一般的に使われている「愛する」というのは自分以外の何か、かもしれませんが。

僕は愛の意味の一つに「何としてでもその人を守りそれが生き甲斐となる」という意味合いが含まれていると規定しています。


◆トラウマと愛と

僕は自信が致命的になく、あらゆるトラウマを作り出しています。

それを回避するため、時間があればトラウマを一つずつ検証し潰して行く作業を日々行っています。

途方に暮れる作業ですがこれしか自信を取り戻せないと確信しています。


その中で「愛」というのが重要なポイントで、ことの言葉にはどういう力があるのかを問答しています。

人から「愛してる」といわれたらどう思いますか。

言われた直後から良い意味でも悪い意味でも「特別な存在」になりませんか。

もしかしたら一生の思い出、一生夢に出てくる人間になり得る可能性だってあります。



◆愛の束縛性が強すぎる

僕はこの言葉を使う人を信じることはできず、何らかの拘束力が欲しいがために使用したんだな、と判断します。

「なんとこの私が貴方を愛するのですよ。」「だからあなたは私に注目しなさい!」てな具合に。


冷徹だろうが、僕は他人を愛することは絶対できませんし、僕を愛しているなんて言う人とは金輪際会いたくありません。

つまるところ、愛せるのは自分しかいない、傷ついた時優しい言葉をかけられるのは自分しか居ない、真の意味で励ましてくるのは自分でしかいかない。


自分自身を守るために強くならなければならない。
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2018/4/19

子どもの頃は自分で決めて行動する自信をつけることが第一  ふと思いついた事。

本を読んでいて、すらすらっと読める本は平仮名が多いことに気づきました。

それを基本のスピードとして読むので、感じが多い本は飛ばし飛ばしでないと「遅い!」と感じストレスを覚えます。


ドン引きする僕の音読能力ですが、まだ小学生の頃「速読」を大人から同級生と競わされたので「遅い」ことが「自分は無能である」に直結するのです。


◆コミュニケーションが好きでした。

僕は恐らく中学2年生当たりまではかなりコミュケーションが活発な人間でした。

自分一人で楽しむ、ということができなかったので毎日誰かと遊び、周りの大人に深入りしていました。

ゲームやプラモで一人遊びはできましたが、それだけはいけないという危機感がありました。


◆幼少期、周りに大人ばかりがいる問題点とは?

僕が今回上げる問題点は、幼少期に「これはこうだ」と決めつける大人がたくさんいたこと。

そしてその大人達は独自の答えを教えてくれ「大人が言っているんだから」と子どもの僕は絶対知として信じます。

そのことにより周りの同年齢がとても幼く見え「僕は彼らより大人だ」という実感がありました。

「敬語」は小学校低学年ではある程度習得していました。敬語で話す大人をみていたからです。真似です。



◆多の同級生が通った経験をしていない

失敗をして許されて、自分なりの答えを見つけ出す。

答え合わせは自分に自信がついた、ある程度大きくなってから。

僕はこのルートを通ってない。

正解は大人達が教えてくれる。失敗は許されない。失敗する前に正解を聞かなかった自分が悪い。

自分の経験から生み出した答えは価値がない、大人の正解を聞いとけば人生間違いない。

これは子ども時代では周りを言論マウントする点では非常に有利にする要素です。

が、成長して20代半ばの今は「過去の人間の常識に染められてしまっていた」という絶望感があります。


◆この絶望感は「当時」から持っていた筈

いくら周りより有利だとしても「自分の考えは大人達に勝てない」という劣等感を持っている。

この障害が自尊心を築く過程を邪魔し続け成長してしまった。

馬鹿なことをいい、周りからも見下され、失敗を繰り返しても「自分から導き出したものを優先する」を継続していればよかった、と。

◆僕は常に「先生」を求めていた。

失敗をすることはコスパが悪い、自分の経験なんて価値が低い。


僕は子どものころは一人で考える時間、それを行動に起こす周囲の許容、失敗をしても行動自体を称賛しそこから何を得たか考えるように促す。

正確な答えをすぐ教えてくれる先生が当たりまえのようにいると、失敗をただのマイナスと決めつけ自信構築期間をスキップする人間になる。


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