2018/5/31

抑制を利用することで人生を豊かにできるのだろうか?  ふと思いついた事。

僕はタバコが本当に嫌で、同じ部屋に吸っている人がいれば防毒・防塵マスクをつけたくなります。

そんな空間で長時間いたあと、外のベンチに座っているだけで幸福感を覚えます。

1時間くらいぼーっとできます。客観的に見れば時間の無駄ですが主観からするとただの幸せです。



■このように、普段抑制されている・しているからこその幸せというのはよくあります。

大人になってからアニメにハマると危険だとかもこの類かと。

なので、より過ごす時間を幸せに=濃密にするために自ら抑制をかける。

「いざ!」という時に残しておくという発想。

毎日風呂に入るか、週に一回風呂で他シャワーかとか。特別感を演出。



しかし、これが本当にいいものかというと考えものです。

技術の発展で生活も豊かにし「当たり前の範囲を広げる」ことが人類の進歩でもあります。

「抑制」は当たり前のレベルを下げるとも言い換えられ脳の癖を悪い方向に利用しているとも。

それならば当たり前の範囲を広げ続けることで幸福感を得たほうがいいのではないか、と。


■幸福感に対しての疑問です。

それを感じさえすれば全て良しなのか、と。

人は幸せになるために生きているのだ!と言う反論。

ならば大麻吸いまくれよとかいうツッコミが生じ、つまり幸福感を得たいというのはライフスタイルの大きな原動力。

それを「抑制から解放」に求めるのは人生を考える上でいいのか?と。

抑制されない環境づくりの構築の方が大切なのでは?という提言です。
0

2018/5/28

責任で他人をねじ伏せる  ふと思いついた事。

ここしばらく「責任は悪だ!」てきな糾弾を目立つ記事を作成していました。

断言できますが、この概念で人生の選択に大きな影響を与えてきたので「このやろう!」という感じで。


まだ責任ってなんだろう、と考え続けていてプラスの効果はやはり「相手をねじ伏せれる」という点。

「正論化」や「納得を与える」ことができます。

最強なのはねじ伏せた後に自分の世界から消すことができる。


告白した側が別れを切り出すとかそういうのです。

僕は「告白した自分に責任があるから相手から別れを告げるよう仕向ける」とかしそうですが。


つまり「責任を支配しさらにそれを通して他人の意思を支配する」ということができる。


そう考えれば詐欺や詐欺まがいの証券・保険販売もこの手口ですよね。

あたかも発信者本人が責任を持つと思わせ、実際は聞き手が責任を被っていた。


抑止力として「相手に嫌われる」「不死感を与える」がある。

しかしこれらを無視できる環境、感情があればある意味最強の人間です。


責任感を持つということは一定数いる「最強の人間」の餌になる可能性が常にあるということ。

何かを成し遂げたいな時、責任を巧みに利用し目的を果たす。


逆に、目的を阻むために責任感を利用されることも多々ある。

「周りに迷惑をかける」というのもそうです。

言葉その意味もありますが、責任という概念を利用し行動抑制を促す。

0

2018/5/27

【本】責任という虚構 感想  ふと思いついた事。

小坂井 敏晶 著。


まず、僕の独唱性能の低さを痛感しました。

「完全に眠くない」時間など僕の中では存在しませんが、それでも難しく思える本を読み始めると数分でうとうとします。

子供か!と自分でつっこんでしまう。本当にすぐ寝ます。


しかし、対策として有効なのは「むずかしい!」と思った瞬間に逐一紙にその文章を書き出す、ということ。

「文章フレンド策」と命名しました。人間同じ日本語を使っても質、類が違います。

あまりにかけ離れていると脳の疲労度が高くなりすぐカロリーを消費し眠くなる。

なので少しでも慣れるために写生し、自分の言葉へと落とし込む。

だんだん慣れていき、すらすら読めるようになります。

これが功をそうし、後半は3時間くらい一気に読み通すことができました。



そして、やっとここから感想。

「難しく思える本の文章に慣れる」ことができても、自分の書き出す文章の質が上がるとは限らず。

本書が強く主張しているのは

虚構は人間にとって大切な概念、現実と相互作用をなす。責任は安定的社会秩序に不可欠の概念になっている。

間違うことが許されない大切なのは

「責任は因果律に則っているので果たす必要性がある」
ではなく
「社会秩序のために責任という概念を作り出した」


ということ。


責任を含めた「社会秩序を守ることに機能した概念」=虚構と宣言。

もちろん「貨幣」も虚構の一種。

ある人間を刺してしまった場合、救急車が来るまでに道が混んでいるかどうかで被害者の生死が決まるとすると、本来の意味での責任は加害者ではなくて渋滞を起こした人たち、そして救急車の運転手に帰属してしまう。

しかし実際はそれを考慮されず、全責任を加害者が背負うこととなる。

なぜなら、被害者の家族や親しい人にとって「加害者の全責任」こそが一番納得する帰結だから。

まずい料理が出された時、責任を調理した人に全て押し付けてしまう。


このように、厳密に精査すると責任は拡散されているはずなのに、被害側が「納得できる」ことが重要視される。

そこには本来あるはずがない「自由意志」が発生するから、という一つの解が見受けられる。

自由=責任が伴う、という虚構を常識下において認められており「自由なはずだ」と決めつける。

度々「因果律」というワードが使用されており、ランダムな世界を単純化させる虚構として引用されている。

「自由」は主観性が強く「様々な選択ができる」という見方が強いと発生する。

そしてそこには「因果律」が発生したようにも認識され、責任は当事者のみに帰結する、という了解を欲してしまう。


大発明なんですね、人間に責任を当てはめるというのは。

ホロコーストを行なったナチスは個人の責任を薄めるためにかなり細かな分業制を採用した。

魔女裁判は特定の女性に責任を押し付けることで社会秩序の安定性を図った。


責任は生きている人がこれから健全な精神状態で生き続けるために要する私刑のようなもの。


確信できたのは「責任感が強い」は短所だということ。


魔女裁判では自ら刑を望み、ホロコーストではより虐殺に加担をする。

責任感が強い=自らを生贄としてしまう、個人にとってバイタリティを奪う最悪な概念です。

「連帯責任」がいかに愚かな虚構なのか。

学校で強く言われた概念ですが、これは「先生たちが納得したいから」だけの虚構です。

大人がこどもを犠牲にする概念です。

僕は運動会とか合唱等の学校の催しが嫌いで仕方なく何回かボイコットしました。

その理由を言語化すると「責任を肥大化させ社会的制裁が整えられているから」です。

恐らく多くの人はそれと引き換えに「楽しい思い出」を記憶できるので気にならないんでしょう。

いじめ発生を何よりも恐れていたので、つまりいじめが正当化されてしまう危険性があるので参加したくありませんでした。



いつも通り文章構成を考えずにひたすらタイピングをし続けるという感想記事。

なので、本書を読んだことで変化しまた人生にプラスになったことを簡単に書いて終わりにします。



・責任は他人が納得したいがためのリンチであり虚構としては性能が言い分たちが悪い。

・責任感が強いこどもに育てることは罪深い。比例して親はただ楽して子育てをし自分は立派な人間だと思い込みたい。

0

2018/5/27

成功・失敗には厚いフィルターがある  ふと思いついた事。

簡単に「失敗・成功」を使用してはいけない、ということです。

日頃「遠くのゴミ箱に入れる」レベルでも使う。

本来ならかなり分厚いフィルター、なかなかすり抜けないようにしなければならない。


なぜなら影響力がでかいからです。

僕は特に「失敗」の影響力が成功に比べかなり高いので。

失敗・成功と判断できるレベルは相当高みに登らないといけないよ、基本は「できた・できなかった」レベルだよ、と。

できた=成功、ではない。
0

2018/5/27

虚構についてどんなイメージがありますか?  ふと思いついた事。

僕は以前まで虚構=だまされてはいけないもの、と考えていました。

漫画とか映画は好きなですが、普段何気に常識として受け入れているものには虚構があります。

なので、それをすんなり受け入れず「虚構だ!」と拒否するよな姿勢が必要、と。



でも「責任という虚構」という本を読んで意味合いが変わりました。

感想については後日。

何が変化したかというと、虚構は人間にとって非常に大切な、動物として頂点に君臨している所以だということ。

「サピエンス全史」にも同じような「人間の強みは虚構」という解釈がありました。

当時僕は「虚構と見抜き距離をおけ、ということだな」と理解。

やっと本質を理解することはできました。

言葉、コミュニケーション、その他諸々ほとんどが虚構だということ。

現実と相互作用をしておりもはや虚構こそが人間の本質。

虚構=受け入れてはいけないものではない。

「嫌いな虚構」をただそう意味づけていただけだった。



僕はなぜ異性と「付き合う」ことが正当化しているのか理解できませんでした。

「同性愛」の存在の有無、というわけではなく、異性同士公にいちゃついていたりカップルといった、市民権が強いのかという疑問。

「特段大事にしなければならない」「趣味よりも大事」という世間からの命令が聞こえてきます。

もはや宗教で、普段話している仲から「交際関係」になるだけでなぜ友好の意味合いが変化するのか。


受け入れるか、受け入れらないかの問題。

「交際」は異性と仲良くなりすぎる効果がある道具です。

結婚は人間としてステップアップをし守るものができ家族ができるという道具です。

だが僕には必要性を感じないために不必要な道具。


虚構の利便性をしっかりと納得し駆使し利用すること。

「誰も見た目なんか気にしてない」というのは虚構の理解不足。

見た目という虚構はコスパが高く他の虚構を利用せずとも人と安易にコミュニケーションが取れる。

コミュニケーションはただ道路ですれ違うだけことだけでも枠内だと思っています。








0

2018/5/26

フルメタル・パニック! iv 第6話 感想  ふと思いついた事。

◆好きすぎてもはや何でも肯定してしまう

ナミが宗介を好きになるとかベタすぎる展開じゃないですか。

それを「環境次第で簡単に人が好きになるもんだな」とあたかも現実世界と混同して納得します。

なんでしょうね。それだけの説得力を持つスーパーパワーがフルメタにあるのでしょう。

「ん?歯か。」は良かったですね。

最低限の情報で視聴者に環境説明をしている。

いかに虚構を脳内で現実に照らし合わせ想像を含ませるんですね。

ASのスポンサーロゴも良かったです。

玩具メーカーばかりでしたが一つ一つ企業が真剣に考えているので絵になります。

レーバテインが出てきたらテンションどうなるのか。本当に楽しみですね。
0

2018/5/26

子供に責任感を植え付ける親は滅びろ  ふと思いついた事。

◆幼い頃から責任感を与えるのはいいこと!とかいう教育は滅んで欲しい。

誇張ではなく滅んで欲しい。

責任が強い=何か行動を起こすことに恐怖を感じる人間になる、はもう確実だと断定します。

「こどもの監督責任」を果すのが面倒だから「責任感が強い」という特殊能力を身につけさせようとする。

こどもに「責任感が強いから大丈夫だよね?」といちいち伝えたらどうなるのか。

こどもは働いて自分を養う大人の強さに憧れをもっている。

その大人から「〜が強い」と指摘されれば誤解して「それが自分の強み」と思い込みこられからも伸ばそうとする。


◆こどもの「責任」というのはようは我慢です。「責任があるから馬鹿なことはしない」ということ。

大人達はそのことを知っているため「褒める」を表面上、本質は「押さえ込む」です。



◆責任は他人と関わる時に円滑に物事を進めるための道具です。

それが本来人間に機能する必要性があり強ければ強い程良い良質な能力という人類壊滅級の終焉的発想で植え付けさせる。

いわば必要悪です。責任の度合いが高い程がんじがらめになるのは真理です。

責任を求めるクソさ。

0

2018/5/25

学校のテストの悪いところが今頃でてきた  ふと思いついた事。

学校のテスト勉強は僕にとって災いです。

本当に辛かったです。

現時点で浮かび上がった問題、同等の勉強量をこなそうとするとその時のトラウマチックなものが襲ってくる。

「テストじゃなくて自分ためなんだから手を抜いても良いよね」

「いいの?そんなにがんばったらあのときの苦痛がまた襲ってくるよ?」


塾の方針で「テスト勉強期間中は一切遊び禁止!」というところで、つまり息抜きを禁じられました。

そうしてぼくは「長時間寝転ぶ」ことでストレス回避を行っていました。

一日2時間くらいつかってたので、その時間ゲームした方がよかったじゃん!という。


その時の精神状況は脳内に保存しているので、それクラスの勉強量は簡単に身体が拒絶する。


救いは、それを乗り越えることができるかもしれないこと。

「テストのためより自分のための方が大事だから勉強量も増やしてやる!」という考え。

とりあえず1日5時間勉強してみます。
0

2018/5/25

売名のなにがいけないの?  ふと思いついた事。

世間からの「ずるっこー!」という声が聞こえてきます。

虚偽の善意を利用し良い人アピールをすることを「ずるっこー!」と糾弾をする。

本人の内心なんてわかるはずありませんし、例えば被災地でボランティア活動中に記念撮影するたびに「SNSにアップしてくださいね!」と付け加えても、一石二鳥的な考えでも非難される。

売名行為=悪というのはあまりにも思考深度が浅い。

人間が言葉に安易に支配されている構図の一例です。

売名行為を利用する側だってあります。

「顔売れるから手伝ってよ。」という。


今回触れた発端は「日大被害者の父が売名行為嫌がり息子を優先し来季出馬せず」というニュースから。

利用すべきだと思うんですけどね。市議だから世間に敏感ではないといけないと思いますが。

ドラマだって映画だってCMだって売名行為だらけです。

恐らく「息子を利用した売名行為」というヘイトが一人でもいるのがいやなんでしょう。

人間のくそさというか、どうしても消し去ることが無い思考回路をもつ人達。

僕個人としては、そんなヘイト無視して活躍できる社会ではないといけないと結論づけます。



0

2018/5/25

スパロボX クリア  ふと思いついた事。

最高難度
無改造
スキルパーツ&強化パーツ使用不可
よくわからない段階ごとにあがるやつも使用せず

でクリアしました。裏面、真の最終話ではありませんでした。

隠しはクインマンサとオフシュートのみです。


◆面白かったか?

面白かったです。

Zシリーズは最初の2作のみで、つまり天元突破グレンラガンを操作するのは初めてでした。

圧倒的な強さを操られるというのはそれだけで魅力ですし実際楽しいです。

無改造ながら精神コマンドを使用すれば無双できました。

ストーリーはもう期待していないので殆どスキップをしました。

シーブックの顔が原作とかけ離れていたのはショックでした。

あと歌ですね。オリジナル音源を一度体験すると絶対にBGMのみにはもう戻れません。

Wが特に良かったです。スパロボのWは個人的に思い出深く、戦闘デモは正直ため息でしたが歌で帳消しです。


難易度は丁度いい感じでした。難しいステージでも途中で全回復イベントがあったり、Vのほうが難しかったですね。

精神コマンドが便利になったのが大きいですね。精神コマンド使用不可縛りだとクリアできませんでした。

ターン制限のマップは無理だと思います。バティコンプレックスのラスボス面が一番キツかったです。

マジンガーZEROも手こずりました。全精力をつぎ込んだ後に残り80残り、そこからは最低ダメージである「10」でちくちく攻撃しました。

ラスボスは能力上かなりびびりましたが、全回復と気力MAXイベントのお陰で「やばい」と思いつつ感情と乖離してすんなりとクリアできました。

個人的ベスト戦闘シーンはGセルフのビームサーベル2刀流です。

あと無改造縛りはもうしません。

キツくしようとすれば何でも制限できますし、それに伴いスパロボの面白さの一つを欠けさせるのはどうかと途中で疑問として浮かんでしまったからです。

特別なアイテムとか貰えればいいんですが・・・。


◆今後スパロボがでたら買うか?

このままだと買いません。

安定のスパロボ、はもういいですか。

同じシミュレーションなら戦場のヴァルキュリアの方が楽しみながらプレイできます。

2010年以降本当にロボットアニメに恵まれていませんよね。

なのでアニメロボットを題材にしたゲームは先細りは運命であり今後より面白くなるとは考えにくい。

どんなスパロボだったら買うかな?と考えるとスマホでツメスパロボが出たら絶対買いますね。

僕の中でスパロボWが1番の傑作だと位置づけています。

携帯機さながらのレスポンスの早さと数多の敵を薙ぎ払う爽快感が忘れられません。

爽快感を欲しているのにわざわざ難度を上げる縛りはおかしいですよね。

ただ、「ヌルゲー」と「爽快感」は感覚としては別です。

理想の何度はPSPのスパロボAかもしれません。

アドバンス版は難しくてやる気がなくなりましたが、APはエースボーナスの塩梅でかなりよかったです。

理想は

・基本爽快感

・ところどころ難しいステージがある
 (理想はAのシャッフル同盟VSマスターアジア)


戦闘シーンはビジュアルの美麗さはアップしていますが演出は退化していますね。

一部凄いのはありますが、Wが未だ頂点です。

携帯機の自由さがあるのでしょうか。

スイッチででてほしいですね。



0



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ