2018/9/6

暴力に対してのグリップの強さってなんなんでしょうかね。  ふと思いついた事。

体操選手のコーチによるビンタをみて。

まずいち早くこのコーチには警察に出頭してほしい。

暴力を軽く見てる人は人類のバグです。


暴力の一番の問題は被害者の視野狭窄ではないでしょうか。


暴力は非常に強いグリップを携えている。

暴力を振るう人に対して脳内が占める割合が大きくなる。

重症になると常に「あの人ならこうするな」「あの人ならこのお茶を一気に飲まないな」レベルに支配されてしまう。



暴力を受けている側は離れようとしない。

「暴力に耐えられる」というのは自信形成の材料となる。

なので他人が受けていても「このくらいで根をあげるなんて」「大げさに痛がりやがって」等蔑みにより心中で誇示をする。



あと仲間意識も生まれてしまうんですよね。同じ被害にあった人と同調できるので。

共通する経験があると、特に被害側だと話が共感しやすい。共感は人間の栄養じゃないでしょうか。






暴力による指導が何が悪いかと言うと、自分がやりたいことよりもコーチから暴力を受けないような行動を優先してしまうこと。

また自分で考える能力が低下、欠如する可能性が高いこと。

「殴られたくないんだから考えるようになるでしょ」というツッコミが生じます。

暴力加害側に対して従属ともいえる立ち位置になるので、自分を殺してでも相手に褒められることを優先してしまうんですよね。

「考える」ことはするんですが常に脳内にコーチが点在しているが故「自分の考え」がわからなくなる。

暴力じゃなくてもグリップが強力である「従順関係」では起こること。

暴力は言葉で理解しなくてもダメージを受ける行為なのでよりそうなりやすく、また正当化しやすい。





暴力をする側は善悪の感情が狂ってると思われがちですが、そんなことなくちゃんとしています。

狂っていたらマスコミの前でも大会の観客の目の前での場内に響くほどのビンタをかましているはず。

今回は「身内の前ではやってもいい」という一部狂った感覚がありましたが、善悪の所有は確認できる。

被害側はそこにも「正当性」を見出すんですよね。

「コーチは自制心なしに暴力をしているのではない、ちゃんと理性をコントロールした上でやっているんだ。」と。





被害者は「言葉が通用しない人間未満の動物」と認識されていることに気づくべきです。

私なんて・・・とか、私はレベルが低いから・・・なんて考えてしまってるということは重篤な被害にあっている証拠。

個人の「言葉の質」をあげるべきです。

近道は読書。言葉の可能性の高さを知らなくてはならない。

暴力は効果があるんですよ。牽制だったり、やったらいけないことをわからせてくれたり。


でも、不透明性が高くまた人体にダメージ、脳には強い精神的負荷がかかる。

不透明性とは、その暴力に内在する意味合いがわからない、行なった後で加害者側が好き勝手理由をつけられるということ。

暴力は人間を惨めにさせる、もう無くさないといけない指導です。







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