2018/11/30

アニメ版 ガンダム THE ORIGIN を見て  ふと思いついた事。

あらかじめですが漫画版はめちゃくちゃ好きです。

開始から最終回までガンダムエースを買っていましたし。

なので初代アニメ版からの改変は受け入れています。




しかし、映画版というのかアニメ版というのか、このオリジンは嫌いに属します。

「古くささ」と「ほれ、ガンダム好きはこれが嬉しいんだろ?」と足元見られているようです。


古くささは漫画版では全く感じなかったところ。

アニメ:ジョジョから多くを学びましたが漫画のアニメ化は相当な技術を要するということ。

ジョジョは漫画から「読者が愛しているポイント」の抽出の精度が高い。

また五部ではそれまでと比べある改善がなされ、その改善とはコマ表現の漫画から常に動きが生じるアニメへの移植に生じる「動きのギャップ・さじ加減」について。

つまりアニメ化に従い1コマの中では動きがないのにセリフや擬音が詰め込まれている漫画表現に動きをつけなければならないが、よくあるのは

・漫画同様キャラが静止したまま台詞が流れる
 →視覚的な面白さに欠けるため視聴者は「刺激が少なくのんびりしていてつまらない」と感想を抱く。

・戦闘シーン等のスピーディーなシーンでは話す時間とアクション時間に矛盾が生じないようにするため間延びが発生する。


五部では視覚効果、アップにしたり画面を揺らしたり特殊模様を画面で覆い尽くしたり、視覚的に飽きさせないようにする工夫がなされている。




ジオリジンアニメは漫画よりもおとなしい印象。

この印象の由来は漫画からアニメへの変換に生じる「間延び」の処理ができていないからです。

映像は新しく綺麗なんですが演出が古臭くノロマに感じる。

安彦さんが総指揮なんですが動画演出に関しては富野監督に及ばないということなのか。



ジオリジンは漫画ジャンルに絞ってもかなり好きな部類に入るのでアニメ化は楽しみでしたし期待もありました。

なのに腹が立つレベルで嫌悪感が生じるのは自分の中で「漫画のポテンシャルを引き出せていない苛立ち」があるからです。


単に2時間で終わる話を制作スケジュールや財政面から1時間30分近くの6回になんて分けてしまったら間延びした可能性も。


12話でアニメ放送するらしいですが合計時間だけでかんがると3時間以上短くなる計算なので良い印象を持てるかもしれません。


個人的には再編集された2時間で見て見たい。
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2018/11/30

予習の敵  ふと思いついた事。

・マウントを取ってくる自分より知識がある人達
→知識の習得が足し算ではなく引き算になってしまう。
 「自分は知識がない」という引き算の予習をしてしまうことになる。


・「成功・失敗」「良い・悪い」「好き・嫌い」と白黒はっきりする言葉ばかり使う人達
→目的の達成も白黒はっきりさせようとし思考の短絡さが自分にも感染してしまう。
 結果予習とは何かさえ考える暇を奪われ最悪「相手の意思なのに自分の意思で行動を起こしたと曲解」にぶち当たる。



・わからないこと(難しく思えること)ばかりいう人たち。
学習意欲の低下は即ち予習の意識低下でもある。
なぜなら「どうせこんなことしたって」と卑下してしまうから。
わからないことばかり言われると脳内パンク状態になりただ疲労するだけとなる。



・新しい事柄を学んだ際に飲み込みが早い人を「天才」悪い人を「才能がない」と分類する人達
天才ではなくて「関連することを意識せず予習していたから」であり才能がないではなくて「それまで予習範囲から除外されていた新しい概念だから」であるのにまるで脳の質の差とこの上ない侮蔑をする愚かながら強力な影響を与える滅ぶべき人種


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2018/11/30

チケット転売規制法成立へ  ふと思いついた事。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181129-00000183-kyodonews-pol

懸念いていること。

買占める人数は減るかも知れないが存在が滅亡しない。
→金持ちが独占できる。


金持ちのステータスとなり買占めたチケットを「その代わり服従しろよ」と指し示す道具となる恐れ。


一生に一度行くかどうかレベルなのにいい席で見れる可能性がさらに低くなった。
→大体席決められた区分からランダムで指定されます。高くても絶対いい席でみたい!が不可能となります。


チケット転売の闇商売化。
→すべての案件を取り締まれるとは思えず、アンダーグラウンド化し所謂「危険を省みた分の増額」により転売チケットの値段が上がる。





極端ですが「行きたい人ではなく全チケットが転売屋に確保される」ことを懸念した結果なのかな、と。

一客として競争率が下がるのは願ったり。

各運営が講じる転売対策の経費が削減されその分サービスに回ればいいですね。

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2018/11/29

勉強の質の決定は予習で決まる  ふと思いついた事。

・超超超今更案件。自分だけの可能性が高いですが。


僕が学校含む勉強で「とっつきやすい」「勉強意欲が高い」「高得点を取れた」のは総じて「理論立てた本格的な勉強をする前にある程度知っていた」ことです。


例えば数学関連は兄の教科書やゲームで、国語はアニメや漫画で。

社会が苦手なのは歴史関連、例えばどこかの歴史的建造物に行ったとか海外旅行に行ったことがなかったので超苦手でした。


ここに行き着くまで

予習=授業前に授業範囲を勉強すること

今は

予習=授業前に身につけた知識全部









・予習に対する考えがかなり変わりました。

正直なところ「無駄な時間」とさえ思っていました。

授業で同じことするんだろ?」と。予習で理解できたんなら授業自体無価値だと。









・予習の罠は「授業」という概念にあるんですよね。

つまり授業を重心、基本として考えてしまっているということ。

違うんですよね、授業なんて単なる補足、付け足し、脇役でしかない。

自分では見つけ出せなかった、浮かばなかった考えが知ればいいかな程度の軽い価値です。








・なぜ授業に対して大きな価値を置いていたのか
・・・・というか日本で教育を受けた人は全員重きを置くしかないですが。

まず出なかったから「内申点」という個人的にはクソ制度だと考えていますが著しくさがりますし、高校以降は進級できませんし。

大学は授業の専門化が進み全国統一された授業範囲は一応ありますがないに等しく、単に勉強難易度が著しく上がるので授業にでて「わからないことがわからない」という壊滅的な状況を打破する必要性があります。

ですが、その専門分野を独学で理解しているのならば出なくてもいい、というのは大学教育の特権でもあります(出席の有無を成績に加味する場合もありますが)。










・で、予習は授業を受けるためにあり、授業なくして予習は成り立たない、という考えでした。



でも今はそうではなく、授業と予習は各々独立した概念で、授業は予習の成果を確認する場。


「ということは授業前に授業内容を勉強したらいいんだな」というのは予習の一部、一つの方法であるが前述した通り授業ベースの考え。

授業なんて勉強の一つ方法ではなくて「合わない」ことがあっても当たり前なんです。

授業の価値が高い点というのは先生の世間話だったりするんですよ、本当に。












・予習はそれと意識せず常に蓄積されていっているということです。

ブログで文章を綴り続けているのも、何か仕事で文章を書く機会が訪れれば「予習していた」ことになるんです。

この考えで得る利点は

勉強していてわからないとっつきにくいことはこれまで予習が蓄積されていなかっただけ。

・逆にとっつきやすかった時に「何が予習として働いたか」を見つけ出すことでその行為の効用を認識でき応用に活かせる
(応用とはパターン認識からの発展、また同じ予習項目を別の分野に活かせる可能性をみつける)









・ある知識がない事柄を勉強する際に事後か事前どっちのがいいのか問題。


例えば勉強を深めるため歴史的建造物を見学するとする。

この見学を勉強に入る前か後ろかどっちにするか。

・・・「予習」です。勉強の際に「あ、知ってる。」「みたことある」と実際目にした記憶から想像を膨らませることができ「理解難化(わからない)」を和らげる作用がある。


・・・「わからない」から出発。これを「知的好奇心発生」と好意的に受け止められるか個人能力が試される。発生しなければ「苦手分野」に属し見学がただの苦痛となる。
(知的好奇心は「自分が知らない=自分はバカ」という思想がある人には発生せずただ惨めになるんですよね)
(さらに言えば「元々好きなジャンル」でしか発生しないと思うんですよね。僕が貧弱なだけかもしれませんが、ゲームや映画で「PVをみる(予習をする)」が嫌いなのは「新鮮味(わからないを含む)」をあえて欲しているからで、それは2つとも「大好きな分野」だからです。)


苦手意識が発生その分野における己の敗北だと言い換えられる。

一度発生すると反射的に避けるようになり苦痛が生じる。

予習はこのようなトラブルを避ける効用も確認できる。










・予習の大切さ、予習が全てです。

あくまでも準備じゃありません。

準備予習とニアリイコールではなく予習の一部です。

目的達成の確立を上げるため行為を起こす前に策を練ったり道具を集めたりする行為。

予習は「何の道具を集めたら効果高いか」を考えられる基であり、策の有効性を判断できる能力の基である。













・全く描けないが美術展巡りが好き、は立派な予習です。

もし後に絵を書き始めたとすると「〜ぽい」とか「なんかかっこ悪い」という感性を獲得しているはずですし。



「今やっている何か」「今考えている何か」「今遭遇しているこの場面」すべて予習です。


ただ、予習が功をなせる選択をするのは個人の能力です。
















まとめです。

・授業は予習の確認作業と位置付けるだけでもありがたく思えよと言いたいほど、予習と比較して重要性は低い。

予習は個人の全分野に当てはまる(行動・思考・遭遇・周囲の環境・・・)

「わからないこと」「とっつきにくいこと」は予習していなかったことであり「自分の中にない全く新しい概念」である。




「授業」についてはまた今度改めて考えてみたい。



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2018/11/29

ジョジョ展 2回目の感想  ふと思いついた事。

大阪のジョジョ展に行ってきました。

2回目、としたのは1回目は6年前(!?)の東京の森タワーで催された展示を1回目としているからです。



かなり感想が変わりました。

1回目はすべての原画が立体的、飛び出してくるような迫力!といったような感想を持ちました。

2回目となる今回では「綺麗」という感想。

衝撃の度合いだと「大幅減」と表現してもいいくらいです。


これは間違いなく「原画慣れ」です。

初めて見た漫画原画は「高橋留美子展」におけるうる星やつらでした。

その時の衝撃は「”印刷された絵”と”直筆の絵”の違いをしっかりと認識している自分の脳に対して」というものです。

ジョジョ展1回目も由来は同じで、すぐさま引き込まれるなんでだろう〜〜〜!!?というもの。



今回は引き込まれる、よりも綺麗だなっていうなんだか夜景をみているような感じでした。

脳は一度経験することで衝撃緩和材が自動作成され感動をも阻害させてしまうんですね。




ただ、最後の大型原画12枚はここのブースだけで1時間いました。

ここに関しては1回目と同じく「なんだこれは!!!」という衝撃をダイレクトで受けました。

でかいのにちゃんとジョジョ絵なんです。

そしてタッチの細かさは漫画原稿サイズと変わらずそのままスケールアップしただけです。

なのに「細かい!」と認識してしまった。

つまり「漫画原稿サイズの絵の書き込みがどれだけ細かいのかを証明し教えてくれた」ということです。


色使いも最高でした。

スタンドにおいてわざと外した色、「汚い色」と揶揄されそうな配色がバッチリと決まっている。

そんな色合いだからこそ「奥行き」を感じ「今僕は超高級な空間に存在している」というようななんだか、海外の5つ星ホテルとかよりももっと上位な部屋にいるんだという確信を持てました。


特に好きだったのはハイエロファントグリーンです。

ハイエロファントの配色を知っているからこそ、展示されていた色合いの不可思議さを見て取ることができました。




これはジョジョ展の問題じゃないんですが、やっぱり展示会場の外部が賑わっているかどうかも大事ですね。

東京の森ビルは近くにテレビ局もあり人口樹林でリッチな感じですし。

天保山は海遊館横ですが一歩外れたら正直なんの変哲もない場所です。

どうせいくなら、新幹線代払ってでも東京のほうが良かったのかな・・とも。

金が集まる東京の強みで普段「金持ちなんて何くそ!」とか増えていますがもっと街の風景をリッチに、自然と融合してどこでもちょこんと座れるような生きやすい場所になってほしいですね。

おしまい。
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2018/11/28

失敗について再考  ふと思いついた事。

特に僕ですが、社会全般、失敗にコントロールされすぎです。

歴史をたどることで無意識化にまで沈殿された概念を表面に浮かび上がらせコントロールされた度合いを測ることができる。







失敗・成功というような簡単に白黒はっきりさせる言葉は応じて歴史が深い。

現在でもいわゆる「グレーゾーン」の認識レベルが低く白でないと糾弾する人たちがいる。

もしかすると、この失敗・成功が言語化されるまでは物事の結果のグレーゾーンについて寛容だったのかもしれません。







そこで誰か恐らく権力者が己の利益のため「失敗・成功と白黒はっきりさせた概念を形成する。これにより我に貢献してるかどうかを判断する」みたいな。

トップダウン。失敗・成功がボトムアップで生まれた言葉だとは到底思えないんですよね。








ボトプアップだとすると「こっちの方が成果が多いのになんで給料は同じなんだ!失敗・成功という概念を作ってこっちが有利だということを殿に教えよう!」



・・・・ボトムアップありそーですね。

だが、総じて「成功側(強者)が言い出した」のかな、と。

では「失敗側」だとすると・・・


「私より成果を挙げている人と同じ給料などもらえません。成功・失敗という概念を導入してはっきりさせてください。」

「私には向いていなく死ぬほうがましなレベルの仕事をさせられている・・・失敗・成功という概念を作って失敗する者はその仕事から離れる権利をもらおう。」







こうして考えてみると・・

成功者側・・・己の利益の拡張、信頼の確認フィルム、他者の出しぬき。

失敗側・・・罪悪感の軽減、自分の考えを社会に理解してほしい(語源のほとんどに当てはまりそうですが)


成功・失敗概念を形成することで寛容さが失われたが「社会・権力者が楽かつ短時間で判断できる」という利益を得た。

現在まで頻繁に使われているのでそれだけ有益な概念だということ。

有益・そして簡単に理解することができる概念なので個人レベルにまで広まっている。

「簡単に理解出る」というのは「風」でありつまり奥深く考えずに習得してもいいという勘違いを起こしている。











現時点で僕が考えている成功・失敗の問題点。


・こどもに頻繁に使うべきではない
→何が失敗か成功をはっきりさせる時期じゃない。こどもが生まれて初めてやることその概念を押し付けるのは荒唐無稽で「何かをやる」時点で成功でしかない。


・物事を簡単に理解するための概念だということを十分に理解すること。
→人は「簡単かつはっきりと区別できる概念」を好んでいる。脳に負担をかけずにまた大勢が賛成すること事柄に魅力を感じるから。つまりこの概念には簡単に人を切り捨てたり持ち上げたりする効用がある。


・物事の多くは当てはめられるが同時に本質をそぎ落とすほど強力
→失敗を怖がってできないこと、成功したために行動できないことなどなど。












成功・失敗概念は魔法の言葉です。軽く人間を支配しています。

この二つの言葉で人の生きる道を大きく左右させる。怖い言葉。


ただいくら一個人がそう考えたとしても未だ強力で資本・競争社会では有益をもたらしているので利用すりしかない。












利用する。

そう、利用するので、世間が簡単に喜び賛美する「成功」だけを話せばいい。

社会が失敗と認識する談話は評価を落とすだけ。


社会を利用するためだけの概念なので、成功だけを口にすればいい。

それくらいの冷めた関わり合い方をする。











で、個人レベルではこの概念を持ち出さない。

あくまでも社会と迎合するための道具でしかない。
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2018/11/25

「自分が思ったことをやる」の難しさについて  ふと思いついた事。

恐らく大多数の人は克服している事柄ですが。


僕は「自分の思ったこと」をそのまま表に出すことを大変苦手としています。



「昔のお前はあんな人懐っこくて明るい子だったのに・・・」と親や親戚に嘆かれます。

僕は「いやお前らの教育の賜物だろ」という反論。

というのも、

・調子にのるな
・迷惑をかけるな
・人の気持ちを考えろ

と僕が元気に振る舞う度に言われた、つまり制御されつづけると学習し「言われなくても自己制御する」過程に移された。

こうやって思い返すと、自ら(親)の躾の結果を相手(子供)に全責任負わすスタイル、これネグレクトですよ。

しかも嘆き節で。親の同情心がデフォルト強い子供はかなり深いダメージを負います。


注意をするとき、なぜ注意が必要なのか、もし改めずにそのまま行動したらどうなるのか、をちゃんと答えないといけない。


結果、自分がやりたいことをやる=いけないこと、となる。

成長するとこんな単純な等式は成立たないことを理解するので行動前に考える。

それが「一歩遅い」につながりまた余計な時間・体力消費となる。




好きなようにやった結果、周りには理解してくれる人だけになり生きやすい世界になる

これが理想です。

だが批判的な人はわざわざ攻撃を仕掛けてくる。

「私の世界には不要だ」と。

わざわざ自ら他人の世界に踏み込み批判をする。

こう言う人たちを「敵」として退治することについて正当性があると定義しないといけない。

今の僕は「あ、批判されたってことはいけないことだ。自分の世界を壊しあなたの世界に服従します。」てな感じです。

僕が人から嫌われにくい、なんか人気者的な立場になりやすいのはこのため。


表面的には良いことだから根本悪です。

人間断捨離。



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2018/11/25

ssss グリッドマン 8話感想  ふと思いついた事。

6,7話で僕の中でトーンダウンしてしまっていました。

謎が明かされると世界観が一気に縮小してしまう。
(SWのローグワンだったり)

まだ全てではないですが「あーそういう系か・・」と。


風呂敷広げる作品の功罪で惹きつけるがその期待を超えることは難しく。



しかし8話、また僕の中でグリッドマン熱が復活。

ポイントは

・立花が作られた人間

・合体グリッドマン

・エンディング最後の立花の髪の毛作画クオリティ神



ツイッターでたくさん同人絵が投下され早々とフィギュア化も決定し立花は眩しい存在、そんな彼女が粘土こねこねで作られた怪獣の副産物だと知ると輝きが陰りに覆われる。

性格の悪さがでてるーではなくて「人の弱み、悩み、痛みを知ると親近感が湧く」は多くの人間が共感するはず。

立花さん本人は大変良い子なので本人に対してのギャップ萌えではありません。

今回の立花の場合は奇声を上げて膝から崩れ落ちてもおかしくないレベルですが、演出を見る限り理解できずに「人間てタンパク質だよー」と言われるのと同レベルだったのかな、と。



合体グリッドマンの作画はストップモーション&何度も巻き戻しでみました。

シーンによって絵のジャンルが違う。数分で魂が吸われる作画。

「癖のある作画」と称される過去のロボットアニメ由来のオマージュ的な。

マイトガインは感動しましたね。まんまですよ。




エンディングの立花の髪は不自然な流れなんですが優雅、今までの立花作画のなかで一番好きです。

陰影がほぼなくのっぺりした顔なんですが、そこを髪の毛の一件ランダムななびきにより心奪われる絵となっている。




グリッドマンってやっぱすごい!と言う回。

慣れてきて感動が薄くなっていた。

最終話を想像するだけで心ときめく傑作です。
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2018/11/23

「人のせいにするな」てよくいうけど、その「せい」は案外的確だったりする。  ふと思いついた事。

歯医者で高校生が医者の「テストどう?」という投げかけに対して

「問題が悪かった、ちょうど勉強したところ以外からでた」

という言い訳と聞こえる返答をしていた。




僕は「うわー絶対成績伸びないパターン。」と哀れみが生じ「ああここで発言権があればそんな言い訳マイナスにしかならないよ、ほれ、僕をみてみ?とアドバイスしたかったな、と。


この類は「自分を傷つけないようにするため」が第一目的でありなのでその時点で自分の中で最もらしい理由を公言する。

言ったそばから本人が「甘えた言い訳」だとしても切り抜ける最大限の努力の結果として受容し発言してしまう。




で、医者は「へーそうなんかー。」と「はいはい言い訳乙」的なニュアンスに聞こえもなくない相槌を打っていた。


これでその高校生は「あ、塩対応された。やっぱり自分の勉強量が少ないだけなのにそれを棚に上げたらだめだな」と自省するのかと言われれば望み薄。






ここからがふと思ったことなですが、これは単なる甘ったれた言い訳ではなく的を射た的確な答えなのでは、と。

実際自分がやった勉強範囲のみからピンポイントのテストだったら満点もしくは高得点を取れる。


つまり返しとしては「その通りっすね。そりゃあ勉強した範囲外から問題出されたら無理っすよ。」が正解なのかな、と。

しかしその続きとしては「ということは範囲を広くしたら問題解けるってことっすよね?それなら次のテスト対策の方針決まったってことで楽勝っすよ!」という。



「人のせいにするな」という言葉の暴力で無思考でただただこの言葉の強力さに支配されただけでの言論弱者。

その言葉よりも、本人が絞り出した「他人のせいと切り捨てられる理由」は単純に真意。


他人のせい!派閥はその言い訳の実現性が低いので強い語気を交えて言い負かす。

僕は「人間は常に他人を言い負かしたい欲に駆られている」という仮説を立てています。

経験則ですが「絶対に間違ってない!」と確信できる発言になると語気が強くなり「これは正しい発言なのでどれだけ言っても問題ない」とし「この言葉で傷つくのはあなたが未熟で悪辣で欺瞞で責任はこっちに全くない」という権利を所持しているように振る舞う。



人のせいにするな、は今後できるかぎり使わない用語に認定します。
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2018/11/21

Gのレコンギスタの映画が正式発表  ふと思いついた事。

2019年。

Gレコがもう4年前とは信じられず、4年というイメージと自分の成長のしなささに肩から崩れ落ちます。


僕はGレコ好きなので映画化は大変嬉しく、アイーダ様のMS戦の活躍度合いが上がっていると良いなという期待。




思い出。


Gレコ放送当時、僕以外の周りはみんな「Gレコおもんない」という感想でした。

僕は面白くない要素を見つけ出すことができず「ああ富野信者になってしまったのか」とそんな結論にひとまず。

で、なぜ面白くないのかと聞くと「意味がわからない」という。

逆になぜ面白いかと聞かれ「物語の疾走感が気持ちい」「白黒はっきりした敵対関係じゃないのに人殺しにつながるMS戦を仕掛けあるちぐはぐさが0か10をすぐつける世間の常識に一石投じてる」とかなんとか言いました。

なぜ面白いのか、面白くないのかを言語化するって難しいですよね。

「面白くない」という人はそこで興味をなくし「なぜ?」を突き詰めることも当然やらないのでお互い理解できないんですよね。


結局僕は「Gレコ好きと言えばガンダムオタク上級者の俺かっけーになると勘違いしているガンオタ」みたいな立場になり生きづらくなりました。



この前また見返したんですが、面白くないという人は「未来の話」というのを理解できていないんじゃないかという仮説。

「今の日本の周囲の感情の常識」を前提に見ている。

だから物語前に「これははるか未来の話なので人間たちの思考や常識は現在の日本まして世界の人々と乖離しています。」という説明をつけたほうがよかったんですかね。

「人間とはこういうものだ」という偏見は十人十色ですが個人「世間も同じ考え」と勘違いしている人が結構いるんですね。

20代後半になっても同世代に「女はあっさりしているもんだ」とか絶対覆ることない真理だと思い込んでいる人も結構いる。

そういう人は洗脳しやすいというかコントロールしやすくて、その人が思い込んでいるルールを利用して感情をコントロールできる。

話がめっちゃそれましたが閃光のハサウェイも楽しみです
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