2018/12/3

覚悟という言葉の定義  ふと思いついた事。

覚悟、という言葉を見てどう感じますか。

強力単語の一角ですよね。愛、とか勇気、とかと同格。

もしかするとそれ以上に位置するのかも。


あまりにも強いので言質を取られる筆頭単語でもありが説得材料としても有用です。




ですが、この言葉は一見強力にみえるだけの言葉です。

コミュニケーション意思疎通の道具である言葉が「人生」まで踏み込むとそれは過剰であり害です。

害虫ならぬ害語です。

覚悟は「死」をも彷彿させませんか。腕をなくしても突き進む、何もかも諦めて精進する、とか。


「覚悟がない!」という批判はよくありますが、これの意味は「目的に全てを注げ!」みたいな人権侵害上等な意味です。






で、覚悟って実はめっちゃ軽い言葉です。

学校や会社で平日毎朝決まった時間に到着する。

これは「覚悟」によるものです。「絶対に指定した時間に到着する」という覚悟があるからこそ成り立ちます。

なぜ覚悟と人は思わないのか、それは自動覚悟装置が発動しているからのと「慣れ」です。

自動覚悟装置とは決まった事柄を他者から指示されることです。

己が「覚悟」と意識しなくても時間通りに着くということを第一目標にしてそのほかのことはおろそかにする。



覚悟、というのは本来有能な概念です。

ですがなんか強者で成功者がナルシズムが起点で覚悟の意味合いを大きくしてしまった。

みんなからより慕われたいので覚悟を利用した、という話。



おそらく現在では「トイレにいく」ことを「本当はこのまま座って映画を見続けたいが漏らしたくないのでトイレに行く覚悟を持って生きている。」なんて言うと大げさなやつとか単純に意味わからないやばいやつっていう評価を受けます。

しかしこの使いかは合っていて僕はこの記事を書き上げる覚悟の元ゲームとかプラモとかをほったらかしにしている。



そうです、何かを成し遂げるためには「覚悟」がどうしても必要です。

何かを成し遂げた=覚悟を要した、なのです。



で、覚悟を利用しないほかありません。

しっかりと意識することで普段はだらしなかったことをきちっと仕上げることができる。

少しずつですが、生活クオリティが上がります。



強い言葉を本来の「単なる言葉、人間の道具でしかない」を認識する。
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2018/12/3

問題児の矯正の影響  ふと思いついた事。

12月初っ端からくらいどんよりした記事です。



経験談。

僕は幼少の頃問題児でした。

自分勝手、相手よりも自分が大事(を隠せなかった)、やりたいことがしたい。


で、社会性を押し込まれたんですがそれは「恐怖」と「自己犠牲」が伴うんですよね。


まだ思考力が低い子供にこの二つで教育するのは絶対に間違っています。

今なら断言できます。

子供の頃に叩き込まれた「恐怖」と「自己犠牲」は成長と共にスケールアップするんですよね。


子供の頃は「仲間外れにされる」くらいですが今は「命を狙われる」レベルです。


僕はコンビニやスーパーで「おばちゃん」以外は恐怖を感じので極力利用しないんですよね。

コンビニは怖いの「おばちゃんがいる時間帯」を狙うようにしています。

これは「いくら丁寧に接しても急に襲いかかる危険性がある」からです。

じゃあ若い華奢な女性ならどう?というのは「痴漢!」とか言われたらもう終わるからです。

いくらこっちが弁解したって負ける未来しか見えない。

「被害妄想乙」ですが実際そういうやばいやつに出くわしたことがあるので恐怖なんです。




ここから脱却するため今唱えているのは

・自分は逃れられない社会という枠組みの一人
→特別枠でもなく同じ一人。


・みんなもリスクを嫌がっている。
→リスクを嫌がっているから仕掛けてこない


・みんな自分勝手
→他人に尽くせば尽くすほど無駄骨に終わる。




自分勝手=糾弾されるってもう嫌なですよね。

自分勝手最高じゃないですか、今まで「羨ましい」を「にくい」として「あいつは〜だ!」嫌悪誇張表現で大勢を仲間にして攻めてくるやつら。


もう社会嫌すぎですが、そんなことしている間にどんどん利用して僕の養分として生きろ、というくらいのしたたかさが必要です。

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