2018/12/13

クリスマスと社会性と責任について  ふと思いついた事。

3つは関連しあっていると断言できます。

クリスマスは社会性度合いが高い人ほど「クリスマスだから」と責任転嫁しはっちゃけます。



なので、クリスマスにハッチャケられる人は「社会性が高い」と言えます。


で、個人的な懸念ですが「責任」について。

社会性と責任に結びつきは僕は「社会からの脅迫=責任」だと考えています。


脅迫、とすると物騒ですがこのおかげでかなりの部分助かっており人類反映の一つの要因です。



だけど、簡単に暴走します。

暴走のきっかけとなるのは「人間の尊厳」「命」が「社会的責任」よりも蔑ろになる時です。

歴史を学ぶと、この暴走が幾度も起こり「争い」が絡っています。


法律が制定されてから暴走の度合いは小さくなりまた少しずつですが是正される方向へ向かっています。



ここで罠があるんですが、今生きている時代は過去から連なっている歴史の一部という真実です。

つまり今の常識が1000年後の非常識、なんてことは当たり前。


社会性の暴走から自分が被害を被った時

「俺だけここで倒れるわけにはいかない、踏ん張らないと先輩たちだって頑張っている」

ではなくて

「今歴史の変換点と見据え、この暴走から降りる、被害者なんかになるものか。」


まぁ理想なんですけど。今生きている人全員が「歴史を作っている」というのも事実です。

偉人と呼ばれる人たちが歴史を作っているわけじゃなくて「声が大きかった人」でもありある意味「歴史を修正できるだけの力がある危険人物たち」とも言える。



今までルールになかったからって止める、行動を起こさない、ひるむ必要はない、なんて言う人もこれまで歴史上たくさんいたわけですし。

社会性という宗教から早く脱却したいものですね!

脱却のおかげでより生きやすい世の中に変化した!ってこともよくある話です。

行動の始動時は周りから「おかしなやつ」「社会性がない惨めな野郎」という評価を受けますが後から「救世主」的な評価をもらう可能性だって当たり前のようにあります。



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