2019/2/14

人の考えに「自分」を取り除くことが不可能なことに気づいて欲しい。  ふと思いついた事。






僕が数学が好きだった理由は言葉と違い完全な独立性が担保されていると思ったから。

しかし大学に入ると波動関数にぶち当たり素粒子で数字の厳密性が薄れ、理解できたときの感動はひとしおだが拡張性を感じ取ってしまった。

つまり「ブレ」があることに気づいてしまった。
(小学生でも「大人と子供それぞれからみた身長170cmの意味合いが違うことが理解できるので僕は遅すぎた)




人の考えること、発言、行動全て「その人自身」を通さなければならない。

この真実を「知らない」人は僕調べでは大半といっても過言じゃない。

他人の考え、同情をあたかも自分と完全に独立した思考と間違った認識をする。

これは「理解をする」ために必要なプロセスの途中で一緒に生み出してしまう、必要悪だと思っています。

サンドイッチを作るために焼いた食パンの耳、みたいなものです。切り落とす必要がある。

でもそれ「知らない」ので切り落とさずにパンの耳ごとサンドイッチにして発言をする。



自己からの独立のための統計データでも「どこで、誰に、どのような質問を、いつしたか」でブレが生じる。

匿名のアンケートだって「1回のアンケートに答えるインセンティブ」によっても変わる。


なにかも逃れらない。人を介する時点で完全な独立性はありえない。



「冷たい人間だな」と言われますが、そんなことよりも僕は人の尊厳を守ることの方が動物としての人類にとってプラスだと考えている。

人の気持ちがわかる思いやりのある人間というのは一種の憧れですがそれは「嫌ならいやっていってね」と言っても素直に了解してくれる仲じゃないと僕は無理です。

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