2019/3/14

責任メモ  ふと思いついた事。

責任について思いついたことを書き綴るスタイル。


1)責任とれないからするな(親が子供に対して)

小さい子供に皿割られても賃金を稼げないので食器洗いはするな、とか。

今は「それをすることで学べたはずの知見を損失した責任は取れるのか?」と言い返せる。

このことから、「責任を果たす対象」からその人の価値観をあぶり出すことができる。

子供に対して金をせびる大人ってことですこの場合。


(2)自分だけの責任です、君たちは悪くない、自分が悪い

ウッディ大尉よろしくですよ。

「は?なにお前だけの責任にしているわけ?うぬぼれも大概にしろ」

ですよ。関係者である人達の責任を勝手に奪うなって話。

たった一人で全責任を取れるはずもないのに、代表者気取りたいからってもはや暴言。

責任を取ることでコントロール側、従属に対する支配側だといううぬぼれ。

それだけ力持ってますよーアピール。ふざけんな。


(3)責任を取れば何やってもいい

うぬぼれ。

他人が介する時点で自己完結できる課題ではない。

真の意味での責任を取るは存在しなく、代替手段でしかない。

例えば車で人を轢き後遺症を追わせた場合。

責任を取るとは時間を戻し事故が起こった記憶もダメージも消え去ること。

でもそんなことはできずに代替として金銭と懲役を加害者が被る。

だからこの発言をした人間は「俺は他人に損害を容易に与える人間です」と自己紹介しているだけ。

もしくは言い間違い。

本来は「人間死なない限り失敗ではない」。

まぁこんなこと言う奴とはさっさと距離をとってそのままFO。


(4)他人に責任を取らせることは不可能という真実

(3)に続く内容。

加害者が責任を取れないのに対して、被害者も責任を取らせることができない。

「代替」でしかない。

これに気づいたことにより、より「責任を取れば何をやっても良い」の暴言・愚かさが浮き彫りになりましたね。

(5)ショックを受ける=責任があると自覚している

「だって仕方ないじゃん!」が通用しないと自覚している。

だからショックを受けた時は「ちゃんと自分の責任として認識しているんだな」と考えること。

次にそれが「正当」か「余計」なのかを見極めること。

正当ならば「よし!ちゃんと責任を持っているぞ!」となる。

余計ならば「ショック受ける必要全くないじゃん!」となる。


(6)「責任を持っている」と見られる=信頼に値する人物

なんというか、やっと一つの真理にたどり着いた気分。

「責任を持つ」メリット。責任を持ってくれる、とはそれだけ信頼できる。

だからお金は信用できそれは「みんながほしいレベル」です。

信頼できる=安心感。



(7)人の目を気にするな

人は常に他人に責任を与えたい(=楽になる、優位に立ちたい)ので「他人の目」による威圧感、ストレスは必ずある。

だけど例えば具体的な対価「金銭」レベルじゃないと「責任取る必要がない」責任に分類される。

あまりにも自由に振舞っているからと注意されても「あ、この人私に不必要な責任求めて自分の責任の価値を上げようとしている人だ」とみなす。

ただし、例えば結婚式で一人だけふんどし一丁とか、瞬間責任圧力というのがあって、わかってていても脳が責任を感じ取り耐えられなくなる時もあります。

それに耐えられてずっと一丁なら大したものですが、ここまでいくと高密度な同調圧力も合間って「無責任なやつ」と評価される。



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2019/3/14

「人の目を気にしない」と「責任」と「自由」の関係  ふと思いついた事。

<<要約>>>

・人は人に責任を求める習性から、人は責任から逃れて生きることは不可能。
・責任は「取る必要があるもの」「ないもの」の2つにわけられる。
・「ないもの」を「取る」人が「良い人」と評価されやすい。
・「人の目」とはそれを責任の担保として商売している人以外からすると「ないもの」
・2つの区別をはっきりでき、「ないもの」は無視を、「あるもの」にどれだけ真剣に取り組めるか。




・・・・本文・・・・・



責任取りさえすれば何をやってもいい、のは事実ですが、そんな莫大な力は人間にはない。


《人の目を気にする=責任を感じる、から。》



責任を感じない能力。

無責任=最強とも言えますが。

無責任に行きいても、被害にあった人たちは逃さない。



無責任の範囲をどこまで広げるか。


「責任取りさえすれば何をやってもいい」と発言する人は

「責任なんかめんどくせーから無責任に生きようぜ」の方が意味は正しいはず。


取らなくていい責任はと


責任はなんでも発生する

そこで「取る必要がある」「ない」に2つにわける。

「ない」は無関心でいい→無関心なほど自由になる。

人は「ない」に縛られる。


「ない」ものにも責任を取る
→責任感が強い、人想い、優しい

例)マクドナルド注文中に床に落ちているゴミを見つける。
・・・客である自分はゴミを拾う責任はない。
   →「ない」が「責任を取る=ゴミを拾う」ことで「良い人間」として見られる。


客観的に見て

・優しい人間
・気配り上手な人間
・人想いな人間

一括りして「良い人間」

犠牲にしているもの→(都度変わるが)時間、精神・肉体疲労、良い人の仮面をかぶり続ける負担。

《良い人の仮面》は
「時間や思考に余裕がなくて雑になる・見過ごすと『何だあいつやっぱり本心は悪いやつなんだな』と悪態つけられる」
を含む。


取らなくて良い責任を取ることが多い人の特徴

・良い人と思われたい。
・自信になる分野がない(少ない)ので少しでも自尊心を高めるために。
  →「ほとんどの人がやらない」とわかっているのでチャンスだと思っている。




「良い人」はある意味罪になりますね。

責任を取らなくて良いものは無視。これで。
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2019/3/14

「僕に興味がある」ことを認識しないと相手に失礼  ふと思いついた事。

僕は自尊心が著しく低い人間だと自覚しているが、それを改善しない人間でもあります。

なぜなら「なんとなくの恩恵」を受けているからです。

それは「オレがオレが!と前に出ないお淑やかさ」があるということで「こいつの前で悪事を働いても告発されないだろう」という利用価値があることでもある。



でも実際の僕はすげえ傲慢で親が「てめえは自閉症だ」とまさかの禁じ手(言葉)を使うくらいのコントロール不可人間。

なので現在の僕の解決策は「できるだけ一人にでいる」ことなんですよね。

一人だと傲慢で相手が傷つくことはまずありませんし、傲慢による損は自分だけになりますし。





で、これに慣れすぎたせいで相手とのコミュニケーションをとっている際に欠落してしまったのが「相手は自分に興味がある」ということです。

僕は「《ない》に決まっている」と勝手に決めつけてしまい、逆にこれが相手に失礼になってしまってないか、と。

例えば相手に自分のことを質問されても「本当は興味ないけど気を使ってくれているだけだな」から始まり「なら誤解されてもいいから簡単かつ短時間で終わる回答をしよう」となる。


そうなですよね、結局は僕の傲慢の発展形でしかないんですよね。

お淑やかさ、ではなくて静かな傲慢です。相手の思考を勝手に汲み取りこっちでコントロールした気になっている。


自尊心の欠落と傲慢が相まうと、こんなおかしな特徴へと昇華してしまう。


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