2019/3/25

ハイスコアガール 10巻(最終巻)感想  ふと思いついた事。



★感想

泣きました。

こんなベタベタで想像だに優しい展開なのに。

終盤のセリフが省かれ絵だけが続くページ。

もう近寄らざるおえない、言葉の隙を作らない二人の関係をページ数をめくるスピードで感じ取れました。


漫画としての物語自体だけではなくて、自分の人生も照らし合わせてしまった。

大野派、日高派とかどうでもいいです。

人は人を幸せにさせてあげたいんだなーと、なんか世界が明るく見えます。

「フィクションの、漫画なんかに感化されやがって」とかいうツッコミ。

全人類そんなに愚かではなくて、実生活と共通する部分があるから意識できずとも照り合わせられる。

人間はフィクションの塊なんですよ。

漫画はそれが顕在化されてるが故にバッシングされやすいだけです。




こんな素晴らしい物語は紡げなかったとしても、人の目を気にせずに同級生の女子にゲームの面白さを伝えとけばよかったと。




★自分語り

後悔。

でもこの後悔は「ネガティブ」ではないです。

自分の可能性を教えてくれました。



僕は学生時代、同級生の女子にゲームの楽しさを教えて一緒に楽しむ努力を怠った。

「キモい」とか同性から「女好き」と言われて嫌われるのを恐れていた。


「女性にゲームをする人が少ない」と嘆くことがありますが、それは僕が原因でもある。

ゲームの楽しさをしっていたのに、それを教えてあげられなかった。


「自分なんか」という卑下はありましたが、やっぱり他人の目と自分の立場ですよね。

いじめられるのが怖かったんですよ。実際女子生徒と仲良い男子たちを貶したり仲間はずれにしていました。

これは今考えると、女性差別でもありますよね。異性とのコミュニケーションの機会を奪う。


ただ、当時は「女子とゲーム」よりもそっちの方が断然価値が高かった。

だから当時の自分を責めることはない。よくがんばったな、だけです。

現在の自分が後世に説得力ある説明をできる能力を得た、だけです。



あと、ゲームに全く興味のない女子に魅力を教えハマらせることができた可能性がある、というのを実感できてよかったです。

 

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2019/3/25

自分を褒めるくせがないと人間性が失われる  ふと思いついた事。



僕は基本「褒め」は危険な概念だと位置付けています。

なぜなら強力な言葉、この場合の強力とは相手にインパクトを与えやすいということ。

人によってはそれを「長所」と価値づけますし、また好意を寄せるきっかけにもなる。

さらには「それがその人の価値だ」と周囲に思い込ませることもできる。


目的がなく「本音だから」と安易に褒めることでの弊害、またコントロール目的での手段として有能。




僕自身「褒め」にかなりの猜疑心を小学生の頃から持ち合わせている。

だからと言ってこのことを他人に言うのはどうかと今は思いますね。

なぜなら圧倒的に褒められて嬉しい、で思考が終わる方が幸せだからです。

僕は「コントロールされた幸せとは?」みたいなくだらないととさえ思えることを考えることが趣味。






で、大事なのは「自分を褒める癖」です。

努力の可視化。お腹減ってご飯を食べるだけ、も立派な努力なんですよ。

「え?当たり前じゃん」と。当たり前のレベルを引き上げることが人間の価値を上げる、とよく言われています。

まぁ確かに、と思う一方でそれは自分の行動の価値を下げる行為でもある。


自分を褒める、とは外界から守る手段でもあります。

他人から何か叱られて「人間としてダメ」って平気で使う人多いじゃないですか。

そんな言葉を使う人の言語感覚に辟易しますが、やはり言われると凹む。

そんな時普段から自分を褒めていると「ちゃんと予定通りに行動して、腹減ったら自発的にご飯食えるのにダメってなんだよ」と反発できる。

隙を許さない。

あれですよ、ここまで書いたことは僕個人の感性ですし、それが続きます。


本当に、自分を褒めないと、普段やっていることの価値を認めないと自己破壊します。

「反当たり前のレベルを上げる派閥」ですね。

気をつけることは物事によっての価値の差を広げ過ぎないようにすることですね。

空腹でご飯を食う、と大勢の前でプレゼンして好評を得た、をほぼ同価値にする。

価値の差を広げると、優劣が生まれ結局は空腹飯食うが近似「当たり前」になってしまう。


自分を褒められるのは自分だけなんですよ。

自分の人生を知っているのは自分だけなんですよ。

自分でも的外れな指摘を自身にするのに、他人が的を得るなんてほぼ不可能です。




僕や「苦しみ、何かを犠牲にしたこと」のみ努力とみなす癖があります。

今の生活はこれまで歴史を紡いできた多くの人たちのおかげはもちろんのことです。

しかし服を着て、買い物をして、ご飯を食べるのは自動的ではなくて僕固有の人間が成し遂げている。

生きるための努力を日々行なっている。

そんな自分を褒めなければ、自分の一番の功労者を無下にすることはあってはならない。

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2019/3/25

助けを求めているのに「ここで手を出したら成長につながらん」と突き放す教育、絶対間違っている。  ふと思いついた事。





僕は何度も親以外からもされてきて、友人関係という同等な間柄でも突き放す人がいます。

決まって

「お前のためだ。ここで手を出したらお前のためにならん」

って言いますね。


これ絶対間違いです。ただ「見捨てられた」というトラウマと猜疑心が発生するだけです。

「僕のためを思ってくれたんだね!」とか思わないですよ。




タチ悪いのは「絶対に教育的に良い」と思い込んでいることで「健康に良い」と信じて冷えた濡れタオルを頭の上に乗せて生活するみたいな、まぁ宗教にハマっている感じです。

こういう人たちは「助ける=自分が代わりにする」というような助ける度合いが高いことしか考えられない。


何か物事がうまく行かなくて不安な時、顔見知りがそばにいるだけでほっとするもんですよ。

「大丈夫大丈夫。」とそばで囁くだけでも十分な「助け」です。


反論者は「甘えた性格になる!」と言いそうですが、困った時に助けを呼んで援助してもらうって社会の基本じゃないですか。

そんなこと言うと、誰かしらから介入される=悪いことという反社会性を身につけて孤独至高人間になりますよ。





助けを求めても教育だからと突き放す人は「プラスになるはずだ」と信じてる宗教家で自分の頭で理屈を考えようとする習慣がない人です。

なので僕は危険人物として距離を置くことにしています。

「〜はずだ」と信じ込んであえて相手を不安、罪悪感を覚えさす行為は世の中で回っているのでご注意を。


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