2019/7/19

京アニ放火事件に関して思うこと  1日まとめ記事


昨日ニュースを知ってから1日中ぐったりしていました。

大げさではなく、アニメ好きなら京都アニメーションが作成したアニメの動画・作画を見て「明るい未来」を感じ取れるはずです。

「明るい未来」とは「まだアニメーションのレベルが上がり続けているんだ」と素人目にもわかることです。

まだまだ新しいアニメを見せてくれる、つまり僕のこの先の人生も楽しませてくれるんだ、と。




それがもう見れない、とはなって欲しくありませんが、「京都アニメーション制作」のテロップの意味合いが事件発生前と後では意味合いが大きく変わってしまった。

自分勝手な願いと、被害に遭われた人、その知人や親族達の今を考えると「複雑な心境」がそのまま分離せずに心に留まっている。


自分の中で「喪失感」と言いますか、心が重くなる感覚はいかにアニメーション作品が自分の一部となってくれ僕を生かしてくれてたのか、というのを実感。

今度からアニメグッズを買う際の購入が変わりますね。応援のために購入、が購買理由となります。

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2019/7/19

【その1】罪悪感を軽減・消滅させるための行動は積極的に取らないと、心がダメになる。  1日まとめ記事




僕は長文になりがちで、短くしようとまとめていると時間がかかり書く気をなくします。

それで「下書き」で終わり公開されなかった記事は100以上あることに気づきました。

なので無理矢理にもで区切り各記事を短くしようという思惑です。


以下本文。



僕は罪悪感の扱い方が人生のクオリティを左右させると最近気づきました。

人間は罪悪感が生じるかどうかに選択の責任を預けますよね。

こどもを殴らないのは「教育のため」よりも「罪悪感を感じたくないから」の人って結構多いんじゃないでしょうか。



僕はこれまで「我慢して生じた罪悪感を背負い続ける」という選択をしてきました。

非常に苦しいが「仕方ない、罪を犯してしまったのだから(法に抵触していません)」と自分に言い聞かせてきました。

なぜこんなことするのかというと「自分を守るため」です。

罪悪感を当時のまま持ち続けることで迷惑をかけた人たちへの贖罪、生きててごめんなさいと謝り続けることで相手から僕が存在してもいい許可を得たいと考えている。

「あの時あんなことしやがって!」と怒られても罪悪感を持ち続けることで相手は満足してくれるだろう、と。



でもこれは絶対にやったらダメです。

そうじゃなくて罪悪感を軽減させる努力が必要です。

軽減させる方法は人生のクオリティを上げることに繋がる可能性が高いです。


続きは「その2」で。






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2019/7/18

相談する人を選ばないと、自分が壊れる  1日まとめ記事


とある分野で相談する際、

・嫌いで気にくわないが、近しい場所かつその分野で同じ経験をした人

・同じ経験をしていないが親しい人

どっちに相談すべきか。

未熟な僕は「親しい人」に相談してしまいましたね。これが人生最大のミスです。

子供の頃は「親しい」は人間関係の中で最強の部類で、絶対自分を拒絶しない一人だけでも安全地帯になってくれる。

だから頼ってしまうし、助言もすんなりと聞いてしまう。



大人、というか中学生以降ですかね。高校進学という人生の大きな岐路から。

この頃から「嫌いでも同じ状況の人」に相談した方が絶対いい。


僕は20代後半でようやく気がつきましたね、こんなの当然じゃないですか。

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2019/7/16

万引き家族 感想その2  1日まとめ記事

最近あらゆる感想を分けているのは、書いた後もう少し描きたいなと欲が出るのと、一度で書き切ろうとするとまとまりがなくなり書く気が失せてしまうからです。


万引き家族感想その2。

主人公の男・女カップルについて。リリーフランキーと安藤サクラ。

「本来の家族から見捨てられた子どもを拾い家族として受け入れる心温かい人」

というのが映画をみていながらの感想ですが、鑑賞後時間が経つと

「己の惨めさ、孤独さを手っ取り早く紛らわすための手段に捨てられた子どもを利用」


実際子ども達は安心できる場所を提供されたわけなので「これでよかった」と思うべきなのかもしれませんが。

本作がすごいな、と思うのはこうやって考えれば考えるほどお題が表象へ浮き出てきて「え・・と、家族ってなんなんだろう?」というみんなが知っているはずだがよくわからない概念と鑑賞者を向き合わさせる。





僕は集団というのはごっこ遊びだという変な見方をしています。

というか、そう思わないと自分がやっていけない。

僕は超わがままなので、歴史がなく「なんとなく」決まったルールとかには従いたくない。

しかし従わなければ浮くわけです。浮くと攻撃対象にして良いという許可が暗黙の了解でくだるわけです。

小さい女の子のおままごとで砂場なのに室内という設定だから靴を脱げ!と同レベルとしか思えないんですよ。


だからごっこ遊び。上司役と部下役が配置されていてなんか綺麗なお姉さん役もいて・・と。

実際役者さんに多いんじゃないですかね。会社はごっこ遊びにしか思えないから、それなら俳優になってそれを演じるほうがいい、というような。



万引き家族内で拾われた子ども達は、家族ごっこ遊びができない親の元で育てられたり、また子ども役として演じられなかった。

そんな息苦しさ、実際虐待を受けていたわけですが、そこから逃げ出してちゃんとごっこ遊びできる人たちに拾われた。


書いていて思い出したんですが、どろろのエンディングは「さよならごっこ」でしたね。

世間を冷ややかな目で見てる俺カッケー、じゃなくて実際他人とコミュニケーションを取る時はなんらかのごっこ遊びなんですよ。

「こういう態度とればいい先輩にみえるかな」とか、舐められないかな、とか。

人は自分のごっこ遊びを楽しく受け入れてもらえる人たちのところへ行けばいいんですよ。


ごっこ遊び。






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2019/7/15

【映画】万引き家族  感想  1日まとめ記事



鑑賞した皆さんは、心のどこをえぐられましたか。
僕は鑑賞後の今よくわかりませんが、色々な箇所えぐられました。

ただただ、汚い家で大勢が暮らしている姿だけでもキツかったです。



僕の俗物的な感想。

人は何かに依存しなければ生きていくことはできず、それは空気とか食事を含み、その延長線上に家族とか学歴とかあります。

一度依存してしまうと自分と重ね合わせ手放す=自分の一部を失う喪失感が発生する。

本作の家族は「犯罪」と「世間に居場所がない経験をした人達との暮らし」という、言葉にすると物騒ですし関わったらいけない人たちにみえる。

しかししっかりと「家族」が形成されていてそれも「血の繋がった家族」よりも「人間同士の温かみ」を感じ取れる。

「わざとそう見える作りにしている」というのは確かですが生きていく上での「環境が大事」の環境は周囲の人間のことだよと訴えかけているかのよう。



終盤に登場する刑事?区役所の職員?が子ども達の感情からでる言葉を上書きする場面。

子供達自身も「おかしさ」を理解していたので職員達の「責任の荷を降ろしてくれる言葉」にもたれ掛かり自白。

具体例を挙げると「それ、優しさじゃないよ?」とかですね。




面白い?面白くない?はよくわからないですね。

見てるだけで不愉快にもなりましたし、温かさを感じたり。

未成年の少女がJKビシネス?で性的サービスをやってる場面でも温かみを感じましたからね。

うわ・・・これなら通っちまうわってのも思いましたし。



見てよかったのは確かですね。

この作品を見なかったら現れることがなかった感情を見つけ出してくれるのは良作品である証。

「自分だったらどうするか」「主人公達のような人達と遭遇したらどう接すればいいだろうか」とかとか。


違法だけど本人達がよかったらそれでよくない?と考えてしまった法治国家国民としてあるまじき感想。


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2019/7/15

昔据え置きゲーマーだった人がスマホに傾倒する理由がわかった  1日まとめ記事



今年こそゲームいっぱいする!と意気ごんでいましたが。

ゲームをすると生活が破綻する可能性が高くなってしまい、娯楽は映画、本ばかりに。


この前やったSEKIROもクリアまでは結局できませんでしたし。。。時間が。



で、気づいたこと。

スマホゲーする人は

・ゲーム経験がそれまでなかった人

・あくまでもサブ


だと想定していました。

謎だったのが

・据え置きゲーマーだった人がスマホゲーに傾倒


なぜ謎かと言うと、あまりにもゲームとしての質が劣るのによく耐えられるな!と。


しかしここ数年ゲームプレイ頻度が落ちSEKIROして気づいたのは、ゲーム会社はこれまでゲームプレイしてきた人を想定して作っているので、やらない期間が長くなると操作についてこれなくなってしまう、ということ。

まだ純粋な子供なら「ついてこれない=自分が悪いから鍛錬する!」となりますが、他に楽しめるだけの財力がある大人からすれば「切り捨て対象」となる。


なので元据え置きゲーマーといえどプレイしなくなるが、もともとゲームは好きなのでプレイが簡単で簡素なスマホゲーに魅力を感じるようになる。


かく言う僕もデビルメイクライ5がギリギリかなと思うこの頃。。。ハードなアクションは今はかなり辛い。RPGも。
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2019/7/14

スパイダーマン ファーフロムホーム 感想  1日まとめ記事



見ました。ネタバレ全開。

あらゆる小ネタがちらばめており脳がフル回転かというくらいずっと働かせ続けました。

鑑賞者に気づかせるようにわかりやすい「フリ」を仕掛けるんですが、全作品みているこっち側からすると挑戦を突きつけられたのも同然。

全て、の自信はありませんが、最後のニュースキャスターがJJシモンズと気づいたレベルまではわかりました。



スパイダーマンにハズレはなしと公言したいくらい、もしかすると今作が一番好きかもしれません。

「MJフェイク」に心やられたんですよね。

特に1度目ですよ。「間違いない!」と不安ながらも確信していたのに実際は「勝手に思っていただけ」という結。

急に孤独感が襲い無力感、そして自分が導き出したあらゆる法則を疑い始めるんですよね。


翻訳者の癖かもしれませんが「自分勝手」とピーターが言う場面が数カ所あり「人のため」にやっていることは「自分勝手なのでは?」という、力あるがゆえの悩みにぶち当たる。

「自分勝手」を捨てて「人のため」にやったことが「自分勝手」と責められ・・・。

つまり他者が恩恵を受ける成功=人のためにやったこと、損害が出る=自分勝手という変換されるんだな、と。



映像に関しては何ですかね、sony内で実写VSアニメのスパイダーマン戦争でもやってるんですね。

「ホログラフィック」が一つの題材である本作は「一番すごかった」が過言じゃない。

鑑賞者も「何が本物か」がわからず、最後は「さすがスパイダーマン」と彼の強さを実感できるあの場面最高。




おまけ映像のニックについて。

あそこまでやられると「なんでもありやん!」ってつっこみますよね。

「なんでもありやん!」という鑑賞者の気持ち。

これは「ホップ」であり、そしてステップがきて・・・本当にサム・ライミ版と合流するのか、X-MEN、デッドプールとは?とわくわく。



一般販売されたら何度もストップかけてじっくりみたい、そんな映画でした。


MJ最高!!!!!
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2019/7/13

【読書感想】私は何も悪くない 小林エリコ  その3  1日まとめ記事




■感想本文


著者小林エリコさんの人生を振り返りつつ其の都度感じた、そして思い返した現時点での気持ちを連ねた本作。

インタビュー形式ではなく当事者自信が編み出した言葉が作り上げた世界。

幾度も自殺未遂、入院。精神病院へ強制入院。

「自分はダメな人間だ」という自責がいけないのか。蔑み攻撃をしかけてくる他人がいけないのか。

生活保護受給者になるとどんな心境になるのか。精神障害とは何か。

「見える化」をしてくれる貴重であり、生きてくれてありがとうございますと感謝したくなる作品。






読んだ人たちはどうなんですかね。

僕は苦しかったです。

本当にやりたかったことの代用で満足せざるおえない状況。

僕個人からすると、何度も話題に出る「行きたかった美大に親の反対が原因でいけなかった」が社会的底辺と呼ばれる立場まで落ちてしまった要因に思えました。

よく言われる「本当にしたかったら誰に邪魔されようが、止められようがしているはずだ」という嘘。

この文言は「加害者になりたくないよー、だから邪魔されて被害受けたお前が悪いってことで代わりに加害者になれ!」という欲望ただそれだけ。


「どうしても選びたい選択肢」を他者からの妨害により阻止された時。

人生を生き続けるために「自分には無理だったんだと」と思い込み代用を探すんですね。

その代用は「本来選びたかったこと」と関連性を持つものを重視して選ぶため、どうしても下位互換になってしまう。

その現実を受け止めるのは大変厳しく、「選ばなかった自分」ばかりせめ「邪魔をした他者」は乗り越えるべきハードルだったと位置付ける。


結局著者は漫画を描いたり、本来やりたかったことを約30年近く時を跨いで実行に移す。

30年ですよ。読者にとっては様々な貴重な体験をしていただき、それを本として出版しこうやって知ることができたので感謝です。

しかし本人にとっては。本人にとってはあまりにも長すぎる回り道。

18歳の少女が「できること」なのに「できない」に強制的に変換された。

変換させた人間は全く罰せられない。そんな法律も当然ありませんし。



スーパー複雑ですね。

小林エリコさんに限っては出会って影響を与えてきた人たちがあまりにもクソすぎますよ。

頼ってはいけない人たちばかり。「助ける」と近寄り地獄へ落とす。

小林さんという人間の価値を見下している。あまりにも下に見ている。

社会的底辺へ意思を持って落としている、としか思えない。

底辺へ落とすことが当人のためと本気で思っている。



こういう人種の人たちとは僕の人生でも度々遭遇しています。

「安心=底辺」という結びつきを信じきっている。


本書から学んだのはカスな人間はさっさと切り捨ててそれを超えるカスな行動を自らする必要性が人生にはある、ということです。

カスな人間は強い影響を与えてくるんですが、それよりカスな行動をすることで価値を下げ記憶に残らせない。

カスな行動とは即ち他人にとっては嫌だが自分にとってはやりたい行動という見方ができる。


だから誰かがカスな行動しているならば「ああ自分がやりたいことできてすごいな」でいいですし自分も落ち込むんじゃなくて生きている実感を掴み取る。

度がすぎるカスは法で取り締まられるのでご安心を。どのカスな行動を許容範囲におさめるかは日々議論が進んでいます。さすが法治国家!



もう一度読み直します。小林エリコさんを貶めたカスどもを罰する法律ができますように。

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2019/7/13

【読書感想】私は何も悪くない 小林エリコ  その3  1日まとめ記事




■感想本文


著者小林エリコさんの人生を振り返りつつ其の都度感じた、そして思い返した現時点での気持ちを連ねた本作。

インタビュー形式ではなく当事者自信が編み出した言葉が作り上げた世界。

幾度も自殺未遂、入院。精神病院へ強制入院。

「自分はダメな人間だ」という自責がいけないのか。蔑み攻撃をしかけてくる他人がいけないのか。

生活保護受給者になるとどんな心境になるのか。精神障害とは何か。

「見える化」をしてくれる貴重であり、生きてくれてありがとうございますと感謝したくなる作品。






読んだ人たちはどうなんですかね。

僕は苦しかったです。

本当にやりたかったことの代用で満足せざるおえない状況。

僕個人からすると、何度も話題に出る「行きたかった美大に親の反対が原因でいけなかった」が社会的底辺と呼ばれる立場まで落ちてしまった要因に思えました。

よく言われる「本当にしたかったら誰に邪魔されようが、止められようがしているはずだ」という嘘。

この文言は「加害者になりたくないよー、だから邪魔されて被害受けたお前が悪いってことで代わりに加害者になれ!」という欲望ただそれだけ。


「どうしても選びたい選択肢」を他者からの妨害により阻止された時。

人生を生き続けるために「自分には無理だったんだと」と思い込み代用を探すんですね。

その代用は「本来選びたかったこと」と関連性を持つものを重視して選ぶため、どうしても下位互換になってしまう。

その現実を受け止めるのは大変厳しく、「選ばなかった自分」ばかりせめ「邪魔をした他者」は乗り越えるべきハードルだったと位置付ける。


結局著者は漫画を描いたり、本来やりたかったことを約30年近く時を跨いで実行に移す。

30年ですよ。読者にとっては様々な貴重な体験をしていただき、それを本として出版しこうやって知ることができたので感謝です。

しかし本人にとっては。本人にとってはあまりにも長すぎる回り道。

18歳の少女が「できること」なのに「できない」に強制的に変換された。

変換させた人間は全く罰せられない。そんな法律も当然ありませんし。



スーパー複雑ですね。

小林エリコさんに限っては出会って影響を与えてきた人たちがあまりにもクソすぎますよ。

頼ってはいけない人たちばかり。「助ける」と近寄り地獄へ落とす。

小林さんという人間の価値を見下している。あまりにも下に見ている。

社会的底辺へ意思を持って落としている、としか思えない。

底辺へ落とすことが当人のためと本気で思っている。



こういう人種の人たちとは僕の人生でも度々遭遇しています。

「安心=底辺」という結びつきを信じきっている。


本書から学んだのはカスな人間はさっさと切り捨ててそれを超えるカスな行動を自らする必要性が人生にはある、ということです。

カスな人間は強い影響を与えてくるんですが、それよりカスな行動をすることで価値を下げ記憶に残らせない。

カスな行動とは即ち他人にとっては嫌だが自分にとってはやりたい行動という見方ができる。


だから誰かがカスな行動しているならば「ああ自分がやりたいことできてすごいな」でいいですし自分も落ち込むんじゃなくて生きている実感を掴み取る。

度がすぎるカスは法で取り締まられるのでご安心を。どのカスな行動を許容範囲におさめるかは日々議論が進んでいます。さすが法治国家!



もう一度読み直します。小林エリコさんを貶めたカスどもを罰する法律ができますように。

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2019/7/12

【読書感想】私は何も悪くない 小林エリコ  その2  1日まとめ記事



続き。

■マイケルムーアと比べて

なぜ比較するのか。

マイケルムーアは狂気の行動力を持っている。

僕から見るとマイケルムーアの方が「問題」に見える。

例えば嫌いな教頭をクビにするために教育委員会の会員に立候補し当選、権力を行使し「個人的な理由」で教頭を解雇した。

「嫌いな教頭」と言えど一人の人間、自尊心もあれば生活もあり、家族もいる。

「嫌いだから」という理由だけで一人の人生を壊す。



一方で本書の著者は嫌いな人がいると「我慢」し「自分が悪い」と自責、結果自殺遂行寸前までいく。


「自分を守るために相手の人生を破壊する」

「攻撃を仕掛ける相手の主張を尊重し自らの人生を破壊する」


今の世の中、前者は成功者側となり後者は敗北者、と言わなくても社会的弱者へ簡単に落ちる。


人を傷つけない、傷つけられない。傷つけるくらいなら自分を責める。

こういう人たちが社会的弱者になるの今の世の中、僕の目にはそう映ります。



後者を社会的弱者にならない社会を望んでいます。

被害者となった時にしっかりとその権利、慰謝料や加害者を罰し「被害にあった、自分に悪い点はない」ことを実感する体験。

近しい第三者の介入。


カスになるのを恐れているんですよね。カスになったらダメだ、と。

人間みんなカスですよ。だからカスな行動をしたな、という自覚があってもやっていいんですよ。

ダメなら法が罰してくれますから。「自己を尊重した行動」は他人からすると「勝手な行動」としか見えないんですよ。




そして感想・・・・は「その3」で。
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