2019/7/31
宇垣美里さんはアゴ割れ 1日まとめ記事
僕はアゴ割れ女性がかなり好きです。
なぜなら自分もアゴが割れていて、しかもそれがかなりのコンプレックスだからです。
だから顔を上げて人と話す、ということがいまだにできません。
だけど、綺麗な女性がアゴ割れだと自分自身に自信がもてます。
宇垣美里さんがアゴ割れ女性だということを今日知りました。
c.cのことを「しーしー」と言ってからかなり嫌いになりましたが、アゴ割れなので免罪です。
宇垣さん大好きです。

2019/7/30
コミュ力という言葉が使われて欲しくない理由 1日まとめ記事
攻撃的な人が有利になれるからです
「は?」とか「意味不明ww」「もっとわかりやすく説明しろよ!」とか言えばコミュ力が強い人間になります。
つまり自分の理解不足だったり、相手のコミュニケーションを見下したり貶したりすれば強い、と思われる。
じゃあお前の考えるコミュ力強いってなによ?って聞かれたら
言葉だけじゃなくてジェスチャーを使ったり、つまるところお互いが理解、通じ合えるコミュニケーションを瞬時に見極め使用ができる
前提に例えば同じ母語であっても言葉の意味合い、それが指す事柄のイメージに違いが生まれることをしっかりと理解できていること。
コミュ力って超面倒なのでもうなくなれよ、ってことです。
コミュ力なんてありません。ただお互い、知らない人同士でもちゃんとコミュニケーションを取ろうという気概です。
話しかける方はコミュニケーションをとる前提なんですが、かけられる側はそんな心算がありません。
なのでぞんざいに扱ってしまったり空返事になったり。
そんなことされた話しかけた側は「ああ俺はコミュ力ないな」なんて思うんですよ。
コミュ力関係ないですよ。1万円をちらっと見せて「これで、質問していいかい?」なんて言ったら相手はかなり気を使って答えてくれますよ。
つまり話す相手全員に相手が納得する金銭を渡せばコミュ力最強になります。
僕は過去に耳鼻咽喉科で吃音について受診していた時、担当医がカウンセラーでもありました。
その時の僕はコミュ力最強でした。
コミュ力なんてないです。
話が合わなかったら「話が合わなかったな」で終わりです。
コミュ力ないな俺、じゃないです。そんな存在しない意味不明なパラメータを否定するのは愚かです。

2019/7/23
プロ根性、とは 1日まとめ記事
僕はプロ根性を聞くだけで読むだけで吐きそうになります。
意味不明だからです。意味不明なのに脅迫じみた意味合いが含まれているからです。
プロ根性はつまるところ色んな問題をうやむやにして責任を対象に全て押し付ける言葉です。
プロという言葉も分野によって定義が曖昧で、根性なんてHP30%回復以外明確な定義ってあるんですか。
プロというのは責任が生じるがしっかりと対価を受け取る人たちを指すことが多い。
もしも責任ばかり多くきなり対価が減少すると「奴隷」になります。
責任が小さく対価が大きいのほど僕はプロの度合いが高いと考えています。
楽して稼げる人賛美ってことですが、法で規制するからほったらかしにし貧富の差拡大するかはもはや国の話になります。
根性、根性って何ですか。
受け取る人によって意味が変わる。そうですか。じゃあ言葉としてカスですね。なくならないと理解の違いでの争いが永遠に続きます。
ツイッターをみてみると「批判してるやつは語彙力がない!〇〇ということだろ!」というツイートを多くみかけますが、〇〇の部分に違いがあるのがもう答えですよ。
曖昧な言葉って後付けし放題なんですよ。
本来想定していた意味合いが否定された場合、後から否定して本当はこういう意味だと改竄したって、自分しかしらない事実なので誰にもバレない。
卑怯なんですよ。卑怯。曖昧な言葉を使った時点でコミュニケーションを破綻させようとしているんですよ。
曖昧な言葉を使うのは保身です。なので僕は悪い印象を持ちますが否定はしません。
自分を守るため、また周囲を守るための言葉。
何も喋らないよりまし、何か強い意味合いが含まれそうな言葉を言い放って相手を黙らせよう。

2019/7/20
【その2】罪悪感を軽減・消滅させるための行動は積極的に取らないと、心がダメになる。 1日まとめ記事
その2。
<要約>
■罪悪感を軽減させる選択の一つ「苦労すること」
■他人から強制してやらされている苦労ではない。むしろこれは逆効果。
■自分がプラスになる苦労を選択する。
罪悪感の軽減はマインドを変えるだけではどうしようもなく、実際行動に出ないと効果がない、という経験知。
まだまだ模索中なんですが、その一つに「苦労すること」があります。
罪意識を植え付けるために苦労を押し付けられる、はよくあると思いますがこれはダメです。
他人から押し付けられた苦労だとその経験こそが「罪意識の元」となり、「苦労=第三者に罪を償う」というマインドセットになってしまうから。
これの何がいけないのか。
このマインドセットを得た当人は「苦労を強いられること=解決手段」となるので自分がやりたいことを簡単に犠牲にしてしまう。
子供の頃に親に「反省の色を示せ!」とゲームとか遊びを禁止させる教育もこれに当てはまります。
「反省の色を強いられと子供」は大人になると反省の色示すために一時へそ曲がりな性格になり周りに余計な迷惑をかける。
個人の反省の色なんてどうでもいいので、カバーする行動をさっさと取れよ、という話です。
僕が提唱する「苦労すること」とは「自分にとってプラスになる行動で苦労をする」ということ。
他人から押し付けられたものではなく、自分で選んで行動をする、そしてその苦労の結果自分にとってプラスになること。
自分目線でも「これはやりすぎだ」と思えるくらい。
これの何がいいのか。
(1)
単純に忙しくなるので罪悪感を思い出す時間が減る。
(2)
苦労して成し遂げたことにより得た達成感が贖罪の手出すをしてくれる。
被害者、法律に触れていなくても「嫌なことを言われた」レベルでも、加害者の人生が充実していると恨みを増幅してしまう。
「なんであんなやつがーーー!」というやつです。
そこに引っ張られたらダメです。罪意識を持たないと・・とせっかく薄まっていたものを当時の濃度に戻してはダメです。
被害者は恨むな、という話ではなく独立した事柄だということ。
一見繋がっているようですが、個人の感情に自分の人生を大きく振り回されるのは不幸です。
根に持たれてしまったから自粛し行動範囲を狭めボランティア等人のためになる仕事を選ぶ・・・じゃないです。
それをも糧にしさらに苦労を重ね、お金持ちになったら幾分か慰謝料として払う、くらいの気概。
現時点での罪悪感を軽減させる一つの選択肢。後何かるかな・・・見つけたらまた書きます。

2019/7/19
京アニ放火事件に関して思うこと 1日まとめ記事
昨日ニュースを知ってから1日中ぐったりしていました。
大げさではなく、アニメ好きなら京都アニメーションが作成したアニメの動画・作画を見て「明るい未来」を感じ取れるはずです。
「明るい未来」とは「まだアニメーションのレベルが上がり続けているんだ」と素人目にもわかることです。
まだまだ新しいアニメを見せてくれる、つまり僕のこの先の人生も楽しませてくれるんだ、と。
それがもう見れない、とはなって欲しくありませんが、「京都アニメーション制作」のテロップの意味合いが事件発生前と後では意味合いが大きく変わってしまった。
自分勝手な願いと、被害に遭われた人、その知人や親族達の今を考えると「複雑な心境」がそのまま分離せずに心に留まっている。
自分の中で「喪失感」と言いますか、心が重くなる感覚はいかにアニメーション作品が自分の一部となってくれ僕を生かしてくれてたのか、というのを実感。
今度からアニメグッズを買う際の購入が変わりますね。応援のために購入、が購買理由となります。

2019/7/19
【その1】罪悪感を軽減・消滅させるための行動は積極的に取らないと、心がダメになる。 1日まとめ記事
僕は長文になりがちで、短くしようとまとめていると時間がかかり書く気をなくします。
それで「下書き」で終わり公開されなかった記事は100以上あることに気づきました。
なので無理矢理にもで区切り各記事を短くしようという思惑です。
以下本文。
僕は罪悪感の扱い方が人生のクオリティを左右させると最近気づきました。
人間は罪悪感が生じるかどうかに選択の責任を預けますよね。
こどもを殴らないのは「教育のため」よりも「罪悪感を感じたくないから」の人って結構多いんじゃないでしょうか。
僕はこれまで「我慢して生じた罪悪感を背負い続ける」という選択をしてきました。
非常に苦しいが「仕方ない、罪を犯してしまったのだから(法に抵触していません)」と自分に言い聞かせてきました。
なぜこんなことするのかというと「自分を守るため」です。
罪悪感を当時のまま持ち続けることで迷惑をかけた人たちへの贖罪、生きててごめんなさいと謝り続けることで相手から僕が存在してもいい許可を得たいと考えている。
「あの時あんなことしやがって!」と怒られても罪悪感を持ち続けることで相手は満足してくれるだろう、と。
でもこれは絶対にやったらダメです。
そうじゃなくて罪悪感を軽減させる努力が必要です。
軽減させる方法は人生のクオリティを上げることに繋がる可能性が高いです。
続きは「その2」で。

2019/7/18
相談する人を選ばないと、自分が壊れる 1日まとめ記事
とある分野で相談する際、
・嫌いで気にくわないが、近しい場所かつその分野で同じ経験をした人
・同じ経験をしていないが親しい人
どっちに相談すべきか。
未熟な僕は「親しい人」に相談してしまいましたね。これが人生最大のミスです。
子供の頃は「親しい」は人間関係の中で最強の部類で、絶対自分を拒絶しない一人だけでも安全地帯になってくれる。
だから頼ってしまうし、助言もすんなりと聞いてしまう。
大人、というか中学生以降ですかね。高校進学という人生の大きな岐路から。
この頃から「嫌いでも同じ状況の人」に相談した方が絶対いい。
僕は20代後半でようやく気がつきましたね、こんなの当然じゃないですか。

2019/7/16
万引き家族 感想その2 1日まとめ記事
最近あらゆる感想を分けているのは、書いた後もう少し描きたいなと欲が出るのと、一度で書き切ろうとするとまとまりがなくなり書く気が失せてしまうからです。
万引き家族感想その2。
主人公の男・女カップルについて。リリーフランキーと安藤サクラ。
「本来の家族から見捨てられた子どもを拾い家族として受け入れる心温かい人」
というのが映画をみていながらの感想ですが、鑑賞後時間が経つと
「己の惨めさ、孤独さを手っ取り早く紛らわすための手段に捨てられた子どもを利用」
実際子ども達は安心できる場所を提供されたわけなので「これでよかった」と思うべきなのかもしれませんが。
本作がすごいな、と思うのはこうやって考えれば考えるほどお題が表象へ浮き出てきて「え・・と、家族ってなんなんだろう?」というみんなが知っているはずだがよくわからない概念と鑑賞者を向き合わさせる。
僕は集団というのはごっこ遊びだという変な見方をしています。
というか、そう思わないと自分がやっていけない。
僕は超わがままなので、歴史がなく「なんとなく」決まったルールとかには従いたくない。
しかし従わなければ浮くわけです。浮くと攻撃対象にして良いという許可が暗黙の了解でくだるわけです。
小さい女の子のおままごとで砂場なのに室内という設定だから靴を脱げ!と同レベルとしか思えないんですよ。
だからごっこ遊び。上司役と部下役が配置されていてなんか綺麗なお姉さん役もいて・・と。
実際役者さんに多いんじゃないですかね。会社はごっこ遊びにしか思えないから、それなら俳優になってそれを演じるほうがいい、というような。
万引き家族内で拾われた子ども達は、家族ごっこ遊びができない親の元で育てられたり、また子ども役として演じられなかった。
そんな息苦しさ、実際虐待を受けていたわけですが、そこから逃げ出してちゃんとごっこ遊びできる人たちに拾われた。
書いていて思い出したんですが、どろろのエンディングは「さよならごっこ」でしたね。
世間を冷ややかな目で見てる俺カッケー、じゃなくて実際他人とコミュニケーションを取る時はなんらかのごっこ遊びなんですよ。
「こういう態度とればいい先輩にみえるかな」とか、舐められないかな、とか。
人は自分のごっこ遊びを楽しく受け入れてもらえる人たちのところへ行けばいいんですよ。
ごっこ遊び。
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万引き家族感想その2。
主人公の男・女カップルについて。リリーフランキーと安藤サクラ。
「本来の家族から見捨てられた子どもを拾い家族として受け入れる心温かい人」
というのが映画をみていながらの感想ですが、鑑賞後時間が経つと
「己の惨めさ、孤独さを手っ取り早く紛らわすための手段に捨てられた子どもを利用」
実際子ども達は安心できる場所を提供されたわけなので「これでよかった」と思うべきなのかもしれませんが。
本作がすごいな、と思うのはこうやって考えれば考えるほどお題が表象へ浮き出てきて「え・・と、家族ってなんなんだろう?」というみんなが知っているはずだがよくわからない概念と鑑賞者を向き合わさせる。
僕は集団というのはごっこ遊びだという変な見方をしています。
というか、そう思わないと自分がやっていけない。
僕は超わがままなので、歴史がなく「なんとなく」決まったルールとかには従いたくない。
しかし従わなければ浮くわけです。浮くと攻撃対象にして良いという許可が暗黙の了解でくだるわけです。
小さい女の子のおままごとで砂場なのに室内という設定だから靴を脱げ!と同レベルとしか思えないんですよ。
だからごっこ遊び。上司役と部下役が配置されていてなんか綺麗なお姉さん役もいて・・と。
実際役者さんに多いんじゃないですかね。会社はごっこ遊びにしか思えないから、それなら俳優になってそれを演じるほうがいい、というような。
万引き家族内で拾われた子ども達は、家族ごっこ遊びができない親の元で育てられたり、また子ども役として演じられなかった。
そんな息苦しさ、実際虐待を受けていたわけですが、そこから逃げ出してちゃんとごっこ遊びできる人たちに拾われた。
書いていて思い出したんですが、どろろのエンディングは「さよならごっこ」でしたね。
世間を冷ややかな目で見てる俺カッケー、じゃなくて実際他人とコミュニケーションを取る時はなんらかのごっこ遊びなんですよ。
「こういう態度とればいい先輩にみえるかな」とか、舐められないかな、とか。
人は自分のごっこ遊びを楽しく受け入れてもらえる人たちのところへ行けばいいんですよ。
ごっこ遊び。

2019/7/15
【映画】万引き家族 感想 1日まとめ記事
鑑賞した皆さんは、心のどこをえぐられましたか。
僕は鑑賞後の今よくわかりませんが、色々な箇所えぐられました。
ただただ、汚い家で大勢が暮らしている姿だけでもキツかったです。
僕の俗物的な感想。
人は何かに依存しなければ生きていくことはできず、それは空気とか食事を含み、その延長線上に家族とか学歴とかあります。
一度依存してしまうと自分と重ね合わせ手放す=自分の一部を失う喪失感が発生する。
本作の家族は「犯罪」と「世間に居場所がない経験をした人達との暮らし」という、言葉にすると物騒ですし関わったらいけない人たちにみえる。
しかししっかりと「家族」が形成されていてそれも「血の繋がった家族」よりも「人間同士の温かみ」を感じ取れる。
「わざとそう見える作りにしている」というのは確かですが生きていく上での「環境が大事」の環境は周囲の人間のことだよと訴えかけているかのよう。
終盤に登場する刑事?区役所の職員?が子ども達の感情からでる言葉を上書きする場面。
子供達自身も「おかしさ」を理解していたので職員達の「責任の荷を降ろしてくれる言葉」にもたれ掛かり自白。
具体例を挙げると「それ、優しさじゃないよ?」とかですね。
面白い?面白くない?はよくわからないですね。
見てるだけで不愉快にもなりましたし、温かさを感じたり。
未成年の少女がJKビシネス?で性的サービスをやってる場面でも温かみを感じましたからね。
うわ・・・これなら通っちまうわってのも思いましたし。
見てよかったのは確かですね。
この作品を見なかったら現れることがなかった感情を見つけ出してくれるのは良作品である証。
「自分だったらどうするか」「主人公達のような人達と遭遇したらどう接すればいいだろうか」とかとか。
違法だけど本人達がよかったらそれでよくない?と考えてしまった法治国家国民としてあるまじき感想。

2019/7/15
昔据え置きゲーマーだった人がスマホに傾倒する理由がわかった 1日まとめ記事
今年こそゲームいっぱいする!と意気ごんでいましたが。
ゲームをすると生活が破綻する可能性が高くなってしまい、娯楽は映画、本ばかりに。
この前やったSEKIROもクリアまでは結局できませんでしたし。。。時間が。
で、気づいたこと。
スマホゲーする人は
・ゲーム経験がそれまでなかった人
・あくまでもサブ
だと想定していました。
謎だったのが
・据え置きゲーマーだった人がスマホゲーに傾倒
なぜ謎かと言うと、あまりにもゲームとしての質が劣るのによく耐えられるな!と。
しかしここ数年ゲームプレイ頻度が落ちSEKIROして気づいたのは、ゲーム会社はこれまでゲームプレイしてきた人を想定して作っているので、やらない期間が長くなると操作についてこれなくなってしまう、ということ。
まだ純粋な子供なら「ついてこれない=自分が悪いから鍛錬する!」となりますが、他に楽しめるだけの財力がある大人からすれば「切り捨て対象」となる。
なので元据え置きゲーマーといえどプレイしなくなるが、もともとゲームは好きなのでプレイが簡単で簡素なスマホゲーに魅力を感じるようになる。
かく言う僕もデビルメイクライ5がギリギリかなと思うこの頃。。。ハードなアクションは今はかなり辛い。RPGも。
