2019/7/12

【読書感想】私は何も悪くない 小林エリコ  その2  1日まとめ記事



続き。

■マイケルムーアと比べて

なぜ比較するのか。

マイケルムーアは狂気の行動力を持っている。

僕から見るとマイケルムーアの方が「問題」に見える。

例えば嫌いな教頭をクビにするために教育委員会の会員に立候補し当選、権力を行使し「個人的な理由」で教頭を解雇した。

「嫌いな教頭」と言えど一人の人間、自尊心もあれば生活もあり、家族もいる。

「嫌いだから」という理由だけで一人の人生を壊す。



一方で本書の著者は嫌いな人がいると「我慢」し「自分が悪い」と自責、結果自殺遂行寸前までいく。


「自分を守るために相手の人生を破壊する」

「攻撃を仕掛ける相手の主張を尊重し自らの人生を破壊する」


今の世の中、前者は成功者側となり後者は敗北者、と言わなくても社会的弱者へ簡単に落ちる。


人を傷つけない、傷つけられない。傷つけるくらいなら自分を責める。

こういう人たちが社会的弱者になるの今の世の中、僕の目にはそう映ります。



後者を社会的弱者にならない社会を望んでいます。

被害者となった時にしっかりとその権利、慰謝料や加害者を罰し「被害にあった、自分に悪い点はない」ことを実感する体験。

近しい第三者の介入。


カスになるのを恐れているんですよね。カスになったらダメだ、と。

人間みんなカスですよ。だからカスな行動をしたな、という自覚があってもやっていいんですよ。

ダメなら法が罰してくれますから。「自己を尊重した行動」は他人からすると「勝手な行動」としか見えないんですよ。




そして感想・・・・は「その3」で。
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2019/7/12

【読書感想】私は何も悪くない 小林エリコ  その2  1日まとめ記事



続き。

■マイケルムーアと比べて

なぜ比較するのか。

マイケルムーアは狂気の行動力を持っている。

僕から見るとマイケルムーアの方が「問題」に見える。

例えば嫌いな教頭をクビにするために教育委員会の会員に立候補し当選、権力を行使し「個人的な理由」で教頭を解雇した。

「嫌いな教頭」と言えど一人の人間、自尊心もあれば生活もあり、家族もいる。

「嫌いだから」という理由だけで一人の人生を壊す。



一方で本書の著者は嫌いな人がいると「我慢」し「自分が悪い」と自責、結果自殺遂行寸前までいく。


「自分を守るために相手の人生を破壊する」

「攻撃を仕掛ける相手の主張を尊重し自らの人生を破壊する」


今の世の中、前者は成功者側となり後者は敗北者、と言わなくても社会的弱者へ簡単に落ちる。


人を傷つけない、傷つけられない。傷つけるくらいなら自分を責める。

こういう人たちが社会的弱者になるの今の世の中、僕の目にはそう映ります。



後者を社会的弱者にならない社会を望んでいます。

被害者となった時にしっかりとその権利、慰謝料や加害者を罰し「被害にあった、自分に悪い点はない」ことを実感する体験。

近しい第三者の介入。


カスになるのを恐れているんですよね。カスになったらダメだ、と。

人間みんなカスですよ。だからカスな行動をしたな、という自覚があってもやっていいんですよ。

ダメなら法が罰してくれますから。「自己を尊重した行動」は他人からすると「勝手な行動」としか見えないんですよ。




そして感想・・・・は「その3」で。
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2019/7/12

【読書感想】私は何も悪くない 小林エリコ  1日まとめ記事


■感想の前に・・・

僕は「社会的底辺」と呼ばれる人達が題材の本が好きです。

「下には下がいるんだから俺はまだマシ…」と安心するため、ではないです。

社会の構造が見えるから、そして精神的構造が自分と非常に似ているので「自分を知る」きっかけをくれるからです。


弱者ほど風当たりが強い。そしてその理由・原因が周知されても「かわいそう」な立場へ強制的に置かれる。

僕は汗だくになりながらよちよち歩く老人を見て「助けたい」なんて全く思わないです。

老人当人からすると僕ら健常者と呼ばれる人間達の通常の歩行と何ら変わりないからです。

人それぞれ世界がある。個人の世界を他人に押し付け勝手に「強者・弱者」を選別し弱者に哀れの眼差しを向ける。


精神構造のどこが似ているのか。

自責観念が強いところです。

自責観念のプロフェッショナル。「全く自責しなくていい場面」を「必然性がある場面」にする天才です。

本書も何の疑いもなく自責をする文章が連なっています。

それに対するツッコミが全くないので、自責して当然、しないほうが甘えだ、なんて読者は思えすんなりと読み通す。


自責観念が弱い人、一般的と言える人達は攻撃してきた人を「加害者」と認識でき、自分の目的を妨げようとする人には抗議する。

強い人は被害者である自分を「加害者」だと思いたい、目的を妨げようとする人がいれば自分の落ち度を探し始める。



今のところ、自責観念が強くなる原因はまだ自分で言葉・概念を編み出せない頃から「責任」を強く追及されてきたからだと見ています。

強者は弱者の責任を追及するが、弱者は強者へ追及できない。「強者へ責任追及をした責任」を追及されるからだ。


こどもはあらゆる場面で弱者です。そのこどもたちを守らなかったツケなんですよね。

守れなかったんですよね。知識もない。「守れるほどの力が」がない強者だった。



で、感想・・・・を書こうと思いましたが前置きが長くなってしまったので今回はここまで。

次回は感想とともに、ついの存在であるマイケルムーアとの比較を絡んで書く予定です。
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2019/7/12

【読書感想】私は何も悪くない 小林エリコ  1日まとめ記事


■感想の前に・・・

僕は「社会的底辺」と呼ばれる人達が題材の本が好きです。

「下には下がいるんだから俺はまだマシ…」と安心するため、ではないです。

社会の構造が見えるから、そして精神的構造が自分と非常に似ているので「自分を知る」きっかけをくれるからです。


弱者ほど風当たりが強い。そしてその理由・原因が周知されても「かわいそう」な立場へ強制的に置かれる。

僕は汗だくになりながらよちよち歩く老人を見て「助けたい」なんて全く思わないです。

老人当人からすると僕ら健常者と呼ばれる人間達の通常の歩行と何ら変わりないからです。

人それぞれ世界がある。個人の世界を他人に押し付け勝手に「強者・弱者」を選別し弱者に哀れの眼差しを向ける。


精神構造のどこが似ているのか。

自責観念が強いところです。

自責観念のプロフェッショナル。「全く自責しなくていい場面」を「必然性がある場面」にする天才です。

本書も何の疑いもなく自責をする文章が連なっています。

それに対するツッコミが全くないので、自責して当然、しないほうが甘えだ、なんて読者は思えすんなりと読み通す。


自責観念が弱い人、一般的と言える人達は攻撃してきた人を「加害者」と認識でき、自分の目的を妨げようとする人には抗議する。

強い人は被害者である自分を「加害者」だと思いたい、目的を妨げようとする人がいれば自分の落ち度を探し始める。



今のところ、自責観念が強くなる原因はまだ自分で言葉・概念を編み出せない頃から「責任」を強く追及されてきたからだと見ています。

強者は弱者の責任を追及するが、弱者は強者へ追及できない。「強者へ責任追及をした責任」を追及されるからだ。


こどもはあらゆる場面で弱者です。そのこどもたちを守らなかったツケなんですよね。

守れなかったんですよね。知識もない。「守れるほどの力が」がない強者だった。



で、感想・・・・を書こうと思いましたが前置きが長くなってしまったので今回はここまで。

次回は感想とともに、ついの存在であるマイケルムーアとの比較を絡んで書く予定です。
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