2019/11/30
批判されるが好きなこと、を見つけること実行することの大切さ 1日まとめ記事
■頭脳のアップグレード
なんであれ、世間から不評だが自分が好きなものを行使したり積極的に集めたり。
これによる利点は素晴らしく僕は「頭脳のアップグレード」とまで表現していいと判断しました。
■利点とは?
・自分自身の感性と思考で導き出した証明となり自信につながる。
・「自分なりの工夫」が楽しくなりチャレンジ意欲が発生する。
・他者の批判に価値を置かないため失敗はただの今後につながる栄養素となる。
・「各個人自分に合った方法」の重要性を経験則から認識しているので多様性を受け入れられるようになる
■勿論欠点も・・
欠点は主に他者からの攻撃です。
こっちのほうがいいよ、とか何馬鹿なことをして、気持ち悪い、とか。
自分のやりたいことをしたいだけなのに余計に圧力や「悪いこと」というねじ曲がった意味合いが「やりたいこと」に混入する。
つまり、無駄にハードルが上がりそれでも乗り越えたとしても「いけないことをやってしまった」という罪悪感が発生する。
■どうすれば他者からの攻撃をまぬがれるか?
・無視
他者からの信頼をなくす方法だが突き詰めると「強い人間」と評され「頑固者」ともいわれる。
・社会から距離を離す、縁を切る
他者からの攻撃という大きな壁がなくなり実行しやすい。
「引きこもる」のではなくて社会では完全な「別人格の仮面」をかぶることで個性を守る。
■他人へのむかつきの正体を考える
なんでむかつくのか。
自分に危害を与えるからか。嫉妬か。自分が我慢しているのに好き勝手に振舞っているからなのか。
導き出すことで今の自分に何が足りないのか考えるきっかけになりますし。
もしそれが「自分のやりたいことができていない」ならば相手を賞賛。
そして自身もその方向へ。

2019/11/28
無力感=ポジティブ?苦痛を感じさせないためのおまじない? 1日まとめ記事
■無力感=弱い人間の証?
無力感=情けない、ダメなこと、弱い人間の証、というわけじゃないです。
人間は常に無力感を生み出せます。
「ベンツが欲しいけど買えない」
これも無力感です。
「諦め」とも言えますが、買えるわけがない思い込みがあるので買える努力すらしないし思いつくこともない。
■そもそも無力感って何?
「自分ではどうやっても抗えない大きな力を前にした時に諦めるしか選択がない状況で生まれる感情。
悔しさ、情けなさ、自責も生まれ自信喪失に陥る原因となる」
僕が経験則から勝手に作った意味です。
amazon prime映像作品「一人っ子の国」で表現された無力感を自分なりに解釈したものが下記。
「自然法則のような、自分が何をやっても覆ることはないと確信していることに対しての感情。責任を持つことが不可能。」
■二つの違いは?
「一人っ子の国」の無力感は「悔しさ」等の自責精神が皆無。
「無力感に陥った自分」が存在していない。
つまり無力感は「元気」「疲れ気味」のような状態ではなくて、「酸素濃度が薄いので息苦しい地域」「暑い夏」のような現象だという主張。
■無力感と理解した時点で無力感ではない?
「一人っ子の国」の解釈が人生の中でしっくりきたんですよね。
無力感に襲われている当人達の姿を見て。
「情けない」「自分を恥じている」ではないんですよ。
「仕方がない」「自分なりによくやったよ」であったり、自賛する人もいます。
「情けなさ」等の責任を感じた時点で無力感にカテゴライズしない。
「力が足りない自分」「知識が足りない自分」等の曖昧でも原因・理由説明ができる時点で無力感ではない。
■無力感を簡単に使わない
周りは秀才ばかり、自分だけが置いてけぼり、周りに邪魔者扱いされている。
今まではこんな状況から発生する感情を「無力感」て定義していました。
が、今後はそうしない。これは無力感じゃない。
なぜなら「対策」が思いつくから。勉強する、自分なりに雑用でもできることを探す、とか。
周りは秀才ばかり、邪魔者扱いされていることに対して
「ま、しょうがないよな。こんな中でよくやっているよ俺は。」
これが無力感。どうあがいても無駄なので自賛する方向へ進む。
■あれ?無力感ってポジティブ思考じゃね?
ポジティブなんですよね。「一人っ子の国」で被害にあった人達もポジティブなんですよ。
じゃあ無力感って問題じゃなくね?っていうことになりそうですが。
■無力感の危険さとは
改善、修正、別の環境への移動とかとか。
行動に移すどころか案さえも思いつかない。
■2つの分かれ道
一人っ子の国でも2つのグループがいるんですよね。
1つは「仕方ない」「どうしようもない」「でもよくやったよ俺は」の無力感グループ。
もう1つは「なんとかしなければならない」「俺ができることをしよう」「なんて情けないんだ」と自責グループ。
大きな隔たりは「苦痛」なんですよね。
無力感グループは苦痛がかなり小さい。感じてはいるが「だってさー仕方なくね?そんな状態でも俺がんばったんだよ?」と苦痛を和らげるポジティブさがある。
自責グループはとにかく苦痛。こんなことしかできないのか・・どうしたらいいんだ・・・と苦悩。本当に苦しそう。
■ポジティブはいいこととは限らないし、苦痛は悪いこととも限らない。
あなたならどっちを選びますか?ってことですよね、僕含めて。
苦しさを伴うが自責し改善・修正等の思案を重ねて少しでもと自分の人生の糧にするか。
苦しさが激減し「この環境下でよくやったよ」と自信とポジティブさを得られるがそこで終わり無力感に屈服するか。
自信が欲しい僕は無力感に簡単に流れそう・・。

2019/11/26
AMAZON PRIME 作品 一人っ子の国 感想 1日まとめ記事
中国の一人っ子政策について、当時子供であった本人が大人になり焦点を当てた作品。
「恐ろしさ」をなんとなく知っていましたが、映像と当事者たちの言葉はやっぱガツンときます。
最近映画を見る気力がなくなっていてそれは「現実を重視しよう」みたいな生意気な理由。
しかしやっぱ影響受けますし面白いですし、視野が広がるきっかけをくれますね。
印象に残ったのは2点。
・「権力者からの命令」「報酬」が絡むと人間の感情を簡単に操作できる
・人生の決断を他人に取られると無力感から責任を感じることができなくなる。
1点目は「赤ん坊をポイ捨て」「泣き叫ぶ女性を毛布とロープでぐるぐる巻きにして強制不妊手術」を名誉なことをした!と自画自賛する人たちを見て。
まぁ当たり前ですが「中国人だからな」では終わらない問題。全ての人間に当てはまる特質。
他人の行動指針のその奥の、何に対して喜びを感じるのかを凝視するようになりますね。
2点目。個人的にこの映画から学ぶ感情はこれに尽きます。
学ぶ感情、というのは僕自身が未だ自分の感情についての学習が未達で、”個々の感情の意味合い”よりも”言葉”が優先してしまっている。
つまり本来は体感できていない感情であって「言葉」だけを知っているだけなのでは?という問い。
「無力感とはこうこうことか」と学べた、ということです。
1点目、2点目を組あせせることで見えてくる視点。
仕事やあらゆる立場での振る舞いですね。
「無力感」って感じざる負えなくありませんか。
立場によって責任を抱えられる範疇が違う。
子供だったら経済的責任に負えませんし、大人だって独裁者じゃなきゃ責任を負った決断は一部しかできない。
鋼の錬金術師で「自分の頭で考えろ!」というセリフが終盤ででてきます。
当時それを読んだ僕は「でも無理じゃね?」と思ってしまいました。それは組織にいる以上はそれに逆らうと痛すぎるお仕置きがあるからです。
無力感と責任の範疇、人生でどうデザインするかが鍵になりますね。

2019/11/24
結果に責任を感じ続ける人生を生き続けたい 1日まとめ記事
amazon prime 一人っ子のの国、という映像作品を見て。
感想は後ほど書きます。
その中ででてくる一つの言葉
「結果に責任を感じ続けられない」
無力感。自分ではなくて他人に人生の決断をされ続けた結果、責任を感じられずに「無力感」のみが残る。
僕は責任を責め続けられて、また責任を強く感じてで折れてしまった。
その日から今でも「無力感」に覆い尽くされていますが本作を見て痛感。
ショックだったり傷ついたり。
「痛み」を感じられる選択を自らの意思でやらなければ。
「傷つきたくないから」と代わりに他人に決めさせてはいけない。
生活を見直します。

2019/11/22
自分と同じ考えの人を見つけ出すことの重要さ 1日まとめ記事
自分と同じ考えの人を見つけ出すこと。
このことの重要さに気づくの、年齢が若ければ若いほどいい。
「なんとなく知ってる」じゃだめです。
はっきりと「重要だ」という認識が必要。
なぜなら集団内で孤立に陥った際の改善策としてすぐ思いつき行動に起こせる必要があるから。
「すぐ思いつき行動に起こせる」はよっぽどの自信がないとできない。
なので「重要、得策である」ことを確信する必要性がある。
「自分だけおかしいのか?」と孤立無援な立場に陥ったことありますか。
僕はかなりあります。というか人生常にそうです。
だから集団の哲学に合わせる人生ですが、やっぱこれは大間違いです。
集団内でも外でも、一人でもいいので自分と同じ考えの人を探し出すべきです。
一人だけでもいたら気が楽になりますし、堂々と孤立無援を突き進めます。
逆に、自分の考えを否定する人とは距離を離す必要性。
人間は学習によって行動・思考が形成されます。
失敗体験、自分の思考を否定される経験の学習が重なると強力な僻みが内在した卑しい人間になります、確実に。
「イエスマンばかりあつめて」とか「柔軟な思考がない」とか「独りよがりのエゴイスト」とか言われますが。
そんなことに耳を貸してる場合じゃないんですよ。
自分が否定される環境って、その個人にとっては緊急事態なんです。
「集団に染まれ」って教育され続けて大人になりますが、自ら生きやすい環境を構築する術は軽視されがち。

2019/11/19
「悔いがないように」はもう言わないでほしい 1日まとめ記事
応援とかで「悔いがないようにがんばってください」みたいな声かけありますよね。
人生経験上聞いていた語呂がいい最もらしい言葉を当てはめただけなんですよね、あれ。
言葉通りに受け止める人には毒です。
「悔いがないように」するほうが目的達成よりも難しいです。
さらにこの言葉が毒なのは「悔いが残る」=悪いこと、という位置付けをしていることです。
悔いが残らない前提の行動・発言はかなりの制限されます。
まず「なんだかわからないけど、やりたいからとりあえずやる」ができなくなります。
理論を詰めてからしかできない「わかってからやる病」しかならない。
人間悔いが残るのは、それだけ知能が発達しているからです。
学習能力が高いからこそです。
悔いが残らない行動=悪、ではないです。理想ですし素晴らしいことです。
しかくあくまでも結果論であって、やる前から目標にすると余計な足かせになる、という話。
悔いが残る、後悔することはめちゃくちゃ怖いです。人生クオリティを下げる一因になりまかねませんし。
でも、無理なんです。人間若いまま200年生き続けるという無理さと同じです。
怖いけど、傷つくけど進まないといけない。
悔いが残らないようにやっても必ず悔いが残る事柄が現れる。
難しいです。「悔いが残る選択」なんて誰もしたくありませんし、誰もそれを選ばない努力をします。
それでも悔いが残る恐怖の中を進まなければ次へいけない。
なので、悔いが残らないように、という人の言葉はとても軽く以降は聞き流しです。

2019/11/16
15歳未満のこどもにも労働させて賃金を得る権利を与えたほうがいい、という話 1日まとめ記事
「こどもが親に搾取されるから」という題目で禁止されていますが。
ただし放送関係、ドラマとか映画はokなんですよね。不思議。
(ずるいのか、作品上どうしても必要な子ども達をノーギャラにさせないためなのかは謎)
僕は15歳未満でも労働して賃金を与える仕組みを作るべきだという考え。
16歳からokなんですがこの年齢も十分子どもですし親に搾取されるなんて16歳でも30歳でも40歳でもされる人はされています。
今の社会では「こどもに搾取されないため」よりも「子どもを支配下に置くため」の方が意味合いが強くないですか。
生きることに絶対必要な金を親が握っているわけですし。
親と他の繋がりも大事ですし。学校だけでは世界狭すぎます。
現在でもメルカリ利用転売とかアプリ開発で儲けている15歳未満なんてごまんといます。
ならば月数万円程度までと制限付きでいいので稼げるバイトなりをする権利を与える。
サンプルが僕しかないですが自分で稼げてほしいものを買える、ってだけで少年時代は明るいものに変わっていましたよ。
親への申し訳なさは激減します。
発展途上国のように1日中働かせて学校もいかせない、は当たり前ですが論外です。
1日1時間でもできるような労働許可してもいいと思うんですけどね。
本当に親ガチャなんですよね。親がダメならご飯すら食べれないんですよ。
親がダメなら大学を見下して高卒こそ至高とかいう教育受けるんですよ。
こどもが自身を守るためにも労働をする権利があったほうがいいと思うんですが、どうでしょうか。

2019/11/13
デスストランディング 感想その6 クリア前後で物の見え方が変わった話 1日まとめ記事
物の見え方、人とのコミニュケーションとか死生観とか、日々の雑務とか。
少しずつですが、あらゆる対象に対して見え方が変わったことを実感しています。
クリアして時間が経ち、またゲームをやらない生活に戻ったことで実感すること。
裏を返せば「どれだけ薄い人生観持ってたんだよ、影響されすぎ」ってことですが、影響されるゲームを選べてそしてプレイできてよかったな、と。
しかも良い影響です。知らない世界を知れて視野が広がった感じ。
目に見えて変わったところ。
あらゆるものに対しての「想い」です。
「想いは重い」なんてよくいわれますが、「重い想い」は当人以外は「気持ち悪い」ものなんですよね。
デスストランディングはカリスマ性が高く「命令されるだけで気持ちいい」レベルの小島秀夫の脳内イメージを純度高く作られている。
それゆえ「気持ち悪い」んですよね。プレイ中何度も「こいつやべーわ(どんびき)」がありました。
今までのシリーズ、メタルギアはよりプレイヤー向けにフィルターを何層も設備して作っていたんだな、と。
ただこの気持ち悪さを他人に感じさせるほど個性を表現できるって特殊能力なんですよね。
できない人なんてごまんといますし。
だがその気持ち悪さを好意的に受け止められるのってよっぽどその人のことが好きな人じゃないと無理なんです。
まして愛する異性だったり、昔から憧れを持っていたカリスマ性の高い人物だったり。
20年来のコジプロファンである僕でも好意的よりも「不快感」が勝りました。
ただ「小島秀夫が表現したかったことはこういうことか」と知ることでの喜びはありました。
よく「100%の実力を出せないのは失礼」みたいないことを言われました。
それは対人コミュニケーションでも、創作物でも。
でもこれは間違いで「40~60%がちょうど良い」という考えに変わりました。クリア後の今。
まず「実力ってなんだ定義は?」から攻めなければいけませんが今は置いておきます。
100%の想いをかけたもの・ことってもはや自分自身なんですよ。
自分が憑依している。自分の分身。
だから少しでも他人にけなされるとショックを受ける。
だから、80%以上の純度が高い想いによって作られた何かは「娯楽」から出たらいけないんですよ。
「自分が楽しむためだけの娯楽」です。そうでもしないと精神病みます。
世間に公表する時は「40〜60%」くらいです。
で、余裕があれば純度が高いものも表に出す。ただし他人の評価を気にしないことが絶対条件。

2019/11/12
デスストランディング 感想その5 クリア 1日まとめ記事
クリアしましたプレイ時間は約40時間。
ネタバレありです。
よかったところがありつつも、残念な部分も結構あったな、という印象。
結果「面白かった」んですが、僕が20年近くのコジプロファンであり、フリーになった経緯や発表から発売までの3年間の宣伝・待ち遠しさが加わっての評価です。
他人に勧められる?となると本作は「できない」です。コジプロの名前も知らないという人にはただの謎の面倒なお使いゲームだとしか映らない可能性が非常に高いです。
新しいゲームを頻繁に買う人にとってはかなりいい刺激にはなるはずです。他に類を見ないプレイ感覚、のはず。僕はあまりゲームをやる方じゃないのでここんとこあんま自信ありませんが。
よかったところ。
・今まで1番操作キャラとの一体感を感じれた「重心に重きを置いた移動」
→R2とL2とで左右の重心を調整します。すぐぐらきまた「踏ん張り」もしなければならず。
面倒なんですが、この面倒くささが日常生活リュックを背負って歩いている時の自分とリンクしました。
・やっぱ映像綺麗
→リアルさ、本物っぽさはバイオRE:2の方が強く感じました。
ただ違う良さ、細かさというか芸術性が高いというか、絵になる映像美は本作の方がまさっているのかな、と。
ライティングがかなりよかったです。光と陰の付け方です。美しさを引き立てている。
・最後まで「騙された!」となる物語
→ムービーかなり長かったですし、テンポはゆったり目で寝落ちしかけたところなんて山ほどありましたし。
でも最後まで「ああそいうことか!」「うわ騙された!」という驚きは絶えず。
「謎」もちゃんと解決していて「肩透かし感」がなかったのがよかったです。めっちゃ大事。
残念だったところ
・縄と棒の対比がうまくいっていない印象。
→本作だけでは「縄」も「棒」の一種となっています。
つまり「縄」も武器なんです。
思わず笑ってしまったのが、「縄VS 棒」の戦いがあるんですが、縄のこちら側は相手を縄で縛り倒してひたすら蹴り続けるというもの。
「いや暴力じゃん!」と笑ってしまった。
あとアクションは「棒で殴る」方が相変わらず楽しくてなんだか縄の良さを伝えられていない。
・後半あたりから「いや主人公に任せる幅おかしくね?」とため息
→「伝説の運び屋」と呼ばれている主人公ですが「伝説のヒットマン」でもあり「伝説の召使い」でもある。
何が言いたいかというと、課される目的のハードルが上がるにつれ「主人公一人にやらせるこいつらのために頑張りたくねえ」となってしまった。
「護衛兵」くらいつけて欲しかったですし、補助ロボットはもっと使えるものにしてほしかった。
・物語テンポ悪い
→本当に、こればっかりは。かなりマイナスです。だるかったです。
・字が小さい
→まじで目をやりました。激痛です。好みサイズに変えれるくらいのUIにしてほしかった。
これまでのコジプロの経緯とか会社設立後の1作目だとかものもの含めたから楽しめた。
そうじゃなければクリア前に挫折したいた・・・かな、というのが正直なところ。
「最後まで遊べば必ず救われる」というこれまでの小島監督作品の信頼からクリアできました。
結果よかったんですけどね。
ただなんというか、コジプロの呪縛が解けてよかったです。
「うわー早くやりてー!」とか「コジプロ作品は常にチェック!」みたいな注目は今後しません。

2019/11/10
デスストランディング 感想その4 対人が苦手な理由がわかった 1日まとめ記事
デスストランディングは生身の体、つまり自分が自分の体を動かす感覚と操作系が近い。
MGSシリーズはモーション自体は現実寄りの地味目だが、本作はより地味。
だからこそ、なぜ自分がゲームが好きになり未だやり続けているのかの答えのヒントを教えてくれる。
自分のアクション(ボタン操作)に返答してくれる、反応してくれるからゲームが好きなんだな、と。
バグとじゃない限り無視はしない。ボタンを押したら必ず応答してくれる。
対人が苦手なのは無視をされる、こちらからのアクションに水をかける応答によるショックがあるから。
ボタンをめちゃくちゃに押しても主人公サムはちゃんと反応してくれる。
現実のコミニュケーションだと、めちゃくちゃに押したらサムがキレてもう操作対象にはならないと以後進行不能になる恐れがある。
推測の範疇からでませんが、
・僕は寂しがり屋で強い繋がりを求めていてそのサンドバッグがゲーム。
・こちらの希望通りのアクションに答えてくれない現実の対人コミュニケーションはクソゲーだという認識。
・ゲームは「こちら(プレイヤー)を傷つけるわけがない」という安心感がある
これは「対人コミニュニケーションからの逃げ」とかそういうものじゃないです。
ゲームの素晴らしさの浮き彫り。
