2020/3/15

自己愛の絶対に手放せない宿命について  1日まとめ記事




現時点での人間と自己愛の関係性について、勝手に僕個人の位置付け。



「生きる」こと自体が自己愛が発露の活動。

生きるの対義である「自殺」も自己愛だと位置付けていて、楽になりたいとか自分の存在を否定することも自己愛からなる思考の顛末です。



人間は自己愛から逃れることができず、すべての行動が自己愛を満たすためが目的、という極端な昇華ができる。

なので「自己愛を拒否することで満たす自己愛」というのがあり、これは真っ当な自己愛を満たそうとしても上手くいかなかった時の逃げ道となる。



好きな服を着て「似合ってない」と否定され傷ついた自己愛を守るために「服に無頓着」になることを選ぶ。


先日記事にした「黒子のバスケ作者脅迫事件の犯人」もこのタイプなんだな、と。



共通するのは「相手の自己愛を傷つける可能性が非常に高いが、自分の自己愛を満たす行動」ができない点。

「犯罪はどうなんだ」っていう話ですが、黒子脅迫事件の犯人を例に出すと「厳罰化を求める姿勢」から「相手の自己愛を傷つけてそれと同等以上の傷を自分の自己愛に付けることで自己愛を満たす」ということになる。


法律で罰則があるのは「他者自己愛損害、自分の自己愛満足」の過度な事例を抑止しまた他者を「被害者」として救済するため。



「過度じゃない事例ってなんだよ」という話。

「好きな服を着る」「好きなご飯を食べる」「笑顔で散歩する」とかとか。

「ただの自己愛を満たす行動」に見えますが、「似合わない」「贅沢しやがって」「ニコニコ気持ち悪い」という他者からの応答を予測し自分で押さえ込んでいる。

「抑え込むの意味がわからん」という人が無意識に「他者事故損害、自分の自己愛満足」ができていて、さらに「これくらいの自己愛損害は許す」と大目にみてくれた人々の元育った、もしくは「損害する方がおかしい」と反発できる堅固な自己愛が形成されている。





難癖つける人も目的は「他者自己愛損害より自分の自己愛満足を優先」している人です。

それを満たすために暴力を振るう人だっていますし。これは「過度」なパターンですが。



一度でも否定された経験があると怖いんですよね。

他者に不快な気持ちにさせるくらいなら、自己愛をプラスの方向へ満たすのではなくてマイナスの方向で満たそうと。



幼少期、自分より世界が広く知識がある人間が周囲に多数いる環境でなすことにいちいち「否定」される経験をすると簡単にこうなります。



自己愛を満たすために自己愛を傷つける人は堅固な自己愛の形成ができていない状態。

なので無理してでも「他者に迷惑がかかるけど自分がやりたいこと」を意識してした方がいい。

否定され反発されても「自分がやりたいんだ!」と自己愛を守りレベルアップ、相手か反発がなかったら「案外大丈夫なんだな」と社会への信頼が厚くなる。



「他人に迷惑をかけるな」ていわれていますがこの言葉自体が他人に迷惑をかけている矛盾。

迷惑ってこんな一言で言いあらわせるほど簡素なシステムじゃなくてかなり複雑。

人によって違いますし「金」によって解決できますし「迷惑」が仕事の発露になりますし。




自分のやりたことをやって自己愛を満たす。他人に反発されても「だめなんだ」と辞めるんじゃなくてこちらも「自己愛を満たすためにやってるんだ!」と反発する。

他人を傷つける、の閾値があまりにも低すぎるんですよ。

「他人の視界に自分が入ることに申し訳なく感じる。」とか。


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