2020/5/21

人の言葉への責任追及を個人的に緩める運動  1日まとめ記事


攻撃手段として、炎上しそうな過去ツイートを見つけ出す。

何年前であっても「文章としての形」に残ると言葉の責任が永久保存される。



言葉の責任の消費期限は媒体で大きく異なる。

SNSは容赦無く一生負えと言わんばかりの風潮。

新しい情報を得たら次の瞬間真逆の発言をするし清純キャラが数年前は下ネタを言いまくるなんて当然あること。


文章で残さなくても口頭だって昨日と今日いうことが違うなんてのも当然ある。



切り分けが重要、というかするのが生きていいく上での大前提、責任を負うのかそれとも軽口なのかはっきりと。

日常言葉を使ったコミニケーション全てに。

友達との会話だって掲示板での文章だって。

「〇〇した方がいいよ」というアドバイスも失敗したら責任を負うのは自分だけですし。




こう考えると気が軽くなったんですよね。

過去の罵倒、褒め言葉だって責任なんてない軽口の部類だったんだなって。

だから素直になれるというか瞬間のみの存在、記憶に止める必要なんてないんだな、と。

ゲームというか遊びというか。その場をうまく納めるための言葉を使った遊び。継続性がない。




ちゃんと責任を負ってくれるのかどうか。

この参考書おすすめだよ!と勧められら参考書を読み進めても成績が上がらなかったら始める前まで時間を戻してくれるのか。

優しい性格が素敵と褒めてくれた人はその優しさで被った被害を肩代わりしてくれるのか。




本当に責任が取れるのか、自分が望む形ではなくても予め責任の取り方を用意してくれているのか。

面倒なんですよ。本当に面倒。

だから上の空で聞いてていいんですよ。



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