2020/10/31
性格のコントロールは無理だけど強気・弱気はコントロールできる 1日まとめ記事
性格のコントロールは無理だけど、強気・弱気はコントロール可能だな、という気づき。
あと利点として現時点での立場をシンプルに解析できるんですよね。
落ち込んでいる時は「弱気なんだな」と認識し「どうやったら強気になれるか」と逆算できる。
何か躊躇したり、引っかかって一歩踏み出せない時は「強気になれる何かが足りない」という指標。
これに気づくだけでも自責、「自分はなんて弱いんだ」「なんて自分は勇気ないんだ」と責めてなくていい。
「強気になれる何かが足りないだけ」とあっけらかんでいられる。仕方ねえよな、と。
自責の代わりに何が足りないかを考え、見つけたらそれを取り入れる、という具体的な解決への行動を起こせる。
これだけでも今回の気づきは貴重。
会いたい人は「自分が強気でいられる人」ですね、多分。
「弱気な相手にだけ会いたい」というわけじゃないです。
自分が弱気でなければ、相手が強気だろうが弱気だろうがいいです。
あ、でも強気のほうがいいですよね。弱気だと変に気を遣ってしまう、楽しいふりをしているのかな?と自分も弱気が伝染しそうなので。
他人の言動の指標にもなる。
「弱気になるため」は特定条件、未来の自分が強気になるために今の自分を犠牲にするため、くらい・・・?
ほとんどの言動は「自分が強気になるため」なのかな、と。
大きな声で怒鳴りつけたり、無駄に大きな音でエンジンを駆動させながら運転するバイクとか。
「あーこの人強気になりたいんだー」という観察、「この人これで強気になろうとしてるんだなー」という価値判断もできる。

2020/10/29
僕が優しいのは「そうしないと攻撃してくる相手」だけ? 1日まとめ記事
中学時代、ヤンキー的な生徒に対しては理解があり超優しいのに、僕に対しては煩雑でビンタまでしてきた教師がいました。
自尊心傷付けられましたし他人から見た僕の価値はすごく低いんだな、と。
ただ、今思い返すと「優しく接しないとまとめにコミュニケーションができない」と判断しただけなのかな、と。
一方僕の場合「見下した接し方をしてもなんの問題ない」と判断していた。
そう考えると、僕自身も「優しく接する」理由は「危害を及ぼす危険性がある」からで、そうでない人には優しさを発揮していないのかな、と。
逆説的に考えると。
他人から優しくされる人はは恐怖の対象、いわば危険人物。
逆に雑なコミュニケーションをされる人はそうやっても危害を加えない、安全な人物。
ただ、安全な人物故「舐める行為」をされる、暴行のハードルが下がったり尊厳を踏みにじられたり。

2020/10/28
自分が立てた目標を「スマホレベルの重要なデバイス」とすることで自信向上へ繋げる取り組み 1日まとめ記事
僕は自分の立てた目標を軽視しています。
自由度がありますし、達成したところで自分しか嬉しくないですし。
でも精度が高い目標立て能力が人生においてかなり重要だな、とさっき考えつきました。
この精度が上がることで「自分の価値観」をより信じれるようになる。
現在僕がかなり辛い想いをしていることの一つに「他人から依頼、命令、指示」の達成の方が「自分のやりたいこと」の達成よりも価値を感じていることです。
頭の中では「自分の方が大事!」と念じていても、他人からの命令達成の方が絶対的に情報量が多いんですよね。
他人の喜ぶ顔、周囲からの評価が上がる、自信が単純につく、とか。
なぜ辛いと思っているのか。
本来の目的からズレてしまうのもありますし「他人に支配されている」ことに甘んじてしまうからです。
やっぱりこれは「自信がないから」に集約されていて、自信がない、自分自信を信頼できていない、自分への評価が低いからそうなる。
他人からつけ込まれることを容認し、断ったとしても自責をしてしまう。
愚痴をこぼす他人なんかほっとおいたらいいのに「自分の問題でもある」としてしまう。
これもやはり「自分自身が定めて目的」の価値が低いから。
「自分が計画した目標」の価値を上げることは「自信」が上がることに直結する。
で、価値を上げるには目標の精度を上げる。
精度の上げ方なんですが、
・細分化
・時間を設定する
・できないことは除外する
まずはこの3つかな、と。
細分化は僕の中では結構重要で、当ブログで何回か書いていますが細分化せずに消費エネルギーの計算を間違える、という悪習慣から抜け出すため。
目標が「朝起きて歯磨き」なら「まず口を濯ぐ」ところから始まり、上のはからとか、奥歯はしっかりとか、省略せずにここは外せないよね、という箇所をしっかりと書く。
確かに面倒なんですが、それだけ目標を立てることに意味がある、精度を高めることに繋がりはたまた自信向上に繋がるから。
時間を設定する、も当然なんですが重要でレガシーとして残るんですよね。
「自分の感覚」じゃなくて絶対値として残るので比較検証がしやすい。
大事なのは「想定していた自分よりすごい!・悪い!」を切り捨てることですね。
「ふーん」くらいの冷徹さ。いちいち感情を起伏させなくてもいい。
3つ目はまぁなんとなく書いただけですが。
単純にできないとわかっているのにそれを目標として書くのは精度を下げることにしかならないな、と。
ただこれ含め3つとも共通する大事な点は「反省の質も上がる」ところなんですよね。
反省の質、とは。
感覚的な話にもなるんですが、具体的に次に繋がる改善点を掘り起こせるかなんですよね。
改善点が上がれば次の行動に移すモチベーションに直接なってくれますし。試したい!って。
こうやって自己完結で循環できると自然と自信が向上できる、はず。
自分が立てた目標を詳細化し、達成率を上げる。
そのことで自分の立てた目標への信頼感が上がり、自分自信への信頼、自信向上となる。
自分が作ったものを有能化する。

2020/10/26
心が死んでいく、と感じた時の対処法 1日まとめ記事
映画を見たりおいしいものを食べても何もときめかない。
面白い、とただ思うだけ。何の電気も流れず「信号が赤色」みたいな目の前の出来事をただ脳内で復唱しているだけの状態。
かれこれ10年くらい急に襲ってくる感覚なんですが、ここ数年はさらに頻発している。
今までの対処法は「それでも日常を過ごす」という、いわば時間で解決でした。
が、最近はこれを「心が死んでいく」と捉えより深刻な状態なんだという評価に変えました。
自分の精神状態の悪化は謂わば科学的にはわからないけど脳内で確実に異変が起こっている状態なわけです。
深刻に捉えることは決してわるいことではなく「深刻だからこそしっかりと見定める」必要性があると判断できる。
実際行う対処法なんですが、まずは「心が死んでいく」としっかりと気づくこと。
無理にいい刺激を与えるもの、映画とか食事を無理に摂取しないこと。
この時に摂取すると症状が緩和された際にも影響を与える。
例えば好物だったものがそうでなくなったり、映画だって傑作のはずが凡作に思えたり。
オカルト的な対処になるんですが、ただ時間経過を待つのはしたくなく。
なので「大丈夫大丈夫」と自分に言い聞かせることです。
とりあえず心を攻撃しないこと。
いくら他人からレコメンドされたものでも面白く感じず、先述した通り自分の好物にも全く反応できず。
「ただの時間経過」だと反応できない場面に遭遇する度に自動的に自己否定になるんですよね。
ツッコミを入れる、と言い換えられますね。
【今まで」】
1、脳が好物を摂取しても反応しない
2、どうしよもないのでいつかなおるだろうと高を括る。
【これから】
1、同上
2、普段は好意的な反応を示すものだが、今は心が死んでいる状態なのでそう反応できないと言い聞かせる
これをすることで治りも早くなるんですよね。
脳が気付くんですかね、確かに反応しなくなってるな、と。

2020/10/26
個人主義思想=発達障害、と言い換えしている? 1日まとめ記事
・周りのアドバイスより自分の選択を重視する。
・空気に流されず自分の意見を言う
この2つだけでも「発達障害」と判断される。
個人的偏見であり今現在恐れている価値観でもあります。
つまり上記二つを行うことで「他人からの発達障害とみなされる」という恐怖。
この2つの逆。
・周りのアドバイスをよく聞き柔軟な選択をする
・周りの目をしっかりと読み取りトラブルがないように意見を調整する
この2つは学校で教わったことですし、無理矢理そういう場を先生達が作ってきた、という経験もしました。
周りを無視し、自分の意見を述べたら後にずっと「あなたの通りやっていたらみんな失敗していた」と先生がみんなの前で注意する。
犠牲型集団主義に染まらない=発達障害であり「邪魔者」と1人を注意することで間接的に他多数を学習させる。
「1人を犠牲にして他を助ける」というのはアニメでは美化されがちな定番シーンですが、教育現場でも取り入れられている。
社会にでもこの「超軽い個人主義」が煙たがれがちですが、煙たがる人は「支配したい」「使い勝手がいい取引相手が欲しい」という「害悪な個人主義」とも言える。
しつこいくらいに条件を厳密に設定すること。
明記しない「なぁなぁ」「暗黙の了解」が多いほど「社会に適応できている大人」「相手を信頼しているできた大人」みたいな評価がされがちですが。
僕は悪き慣習、後からのトラブルの元になる種を目の前で撒いているとしか思えない。

2020/10/25
トランプから見る「普段攻撃性が強い言葉を言い続けた方が得か?」という疑問 1日まとめ記事
公の場の発言だったりツイートだったり。
普段強い言葉を使い続ける人
と
丁寧な言葉を意識して使い続ける人
後者が炎上すると1発アウト級に地位が落ちますね。
この場合の地位というのは信頼、発言力。
炎上により前者の支持者からの攻撃は勿論、後者の支持者からも「そんな人とは思わなかった」と見放される。
前者が炎上した場合。
後者の支持者からの攻撃はあるが前者の支持者は「さすがだ!」と褒め称えるんですよね。
そしてどちらも支持していない中間層からは「またか」と飽きられて終わるんですよね。
後者炎上は中間層も攻撃側に回る。

2020/10/23
東大卒がいるのに選ばないと面接官として後悔するな、という話 1日まとめ記事
自分が面接官の際、もし採用の際に東大卒がいたら選ばないと結局は後悔するな、という勝手な気づき。
東大卒以外の人間を採用した場合、優秀だったら「ああもしかしたら東大卒の方がもっと優秀だったのかな」って思いますし、平凡未満だったら「ああやっぱ東大卒だったな」と思いますし。
そりゃあ高学歴が有利になるのは当たり前ですし、人間の心理としてそうならざるおえないな、と。

2020/10/23
幼少時に自分より知能が高い人達とばかり連んだ後遺症 1日まとめ記事
後遺症。
最近気づいたこと、シリーズ。
幼少時同い年よりも年上の人達と連んでました。幼少時って1歳違うだけでも知能に大きな差がつくんですよね。
幼いながらも「知能が高いか低いか」を判断し年上(1〜5歳上)と自分から連んでました。
同い年と比べると周りに年上が多かった、というのもありますが。
平仮名よりも漢字を先に覚えたり、本来学ぶべきとされている感覚を飛ばしてその年上の人たちが学ぶことを一緒に学んでました。
その弊害、後遺症があるな、と最近。
というのは
1、目的を細分化できない
2、細分化できないので「一休み」ができない
3、それが原因で疲労度が高い
4、「すごく疲れる」ことが事前にわかっているので「すぐ行動」ができない、躊躇ってしまう
「レベル1」から一気に「レベル10」を目指してしまう、ということですね。
問題なのは自分の中では「レベル1」「レベル2」という段階だと思い込んでいること。
そして大事なのは、他人から見みて順序通りにやっているように見える、といこと。
ここ本当に大事なのでもっと詳しく書きます。
自分しかわからないんですよ、適正なレベルの順序が。
他人はあくまでも「見た目」と「自分のレベルとの比較」でしか見ることができない。
脳は「共有」でない完全独立しているので仕方ないんですよ。
なので自分がレベル1と思っていても他人からは「レベル10」に見えたりするんですよ。
逆もしかり。レベル10なのに他人からはレベル1に見えたり。
「レベル10」を「レベル2」と勘違いしているので「予想していた消費エネルギー」よりも膨大にズレるんですよね。
で、それが常習化すると「レベル1上げるだけでも大量のエネルギーが必要」と脳が学習する。
それで行動を起こすこと自体躊躇し、他のこと、ネットサーフィンとか寝転んだりとか、本来なら同じだけでのエネルギー消費量なのに余計な時間とエネルギーを消費してしまう。
細分化。多分、多く人は意識することはないんですよ。
本当につくづく思うんですが、人間は0歳児からの延長線なんですよ。
赤ん坊の時、幼少時と今の自分は「別人」だと思い込む、そうだという認識が常識となっていますが。
でも延長戦なんですよ、なので思考の癖とかの発端は0歳の頃から今までのどこかにあるんですよ。
レベル1から一気にレベル10に挑戦しても、その間のレベルを疎かにして知識の空洞化が起こってしまう。
細分化、背伸びせずに淡々と。プログラミングみたいにコツコツとシンプルなコードを積み立て続ける。

2020/10/23
「自分すごい!」という自賛は守りに入り成長を遠退かせる 1日まとめ記事
今まで自分は極度に自信がなかったんだな、という再確認ができたとも言えます。
僕は近年何か目的を達成したり想定どおり物事が運べると「自分ってすごい!」て褒めてました。
それまでは押し殺していた感情だったんですが、勘違いでもいいのでちゃんと受け取るよう努力しました。
確かに効果がありまた自分を褒めたいために更なる行動に移すエネルギーになりました。
有名イラストレーターも「絵が上達する秘訣は『自分って才能ある!』という勘違い」とツイートしていました。
でも最近は「落とし穴があるな」という見方。
1)満足してしまう。
僕の中で満足は結構危ない感覚だと思っています。
向上心がそこで止まったり、数値でみたその日の成果が少ないのに反省しないとか。
他人に「どうぞどうぞ」と気分がいいので余計に譲ってしまうこともあるし。
お酒が好きすぎて依存症になってしまう人はお酒を飲む=満足するから、なのかなとも。
必ずしも満足=QOLアップとは限らない。
極度に自信がない人には必要だと思います。
だけどある程度自信がある人だと「あれ、思ってたポジションよりだいぶ下だ!」「ま、でも満足したしえっか」となりかねない。
2)守りに入り後に修正できなくなる。
後に「あれ、なんか変?」と気づいても修正するハードルがかなり高くなるんですよね。
褒めた過去の自分を「やっぱ勘違いだったな!」と裏切ることになりますし。
そして個人的な癖として最大限警戒しなければならないのは「褒める時間」です。
「満足する時間」と言い換えてもいいですが「よくがんばったな」「あの時のあれがよかったんだな」と悦に浸る時間。
これは食事は散歩、要するに他のことをしていても浸っている。
「極度に自信がなかった」証明とでも言えますが、自分を賛美することに慣れていないとできるだけ長く悦に浸りたくなる。
気持ち良さの刺激に慣れていないので中毒症状的なトロけ方をするんですよね。
学年で一番可愛いな、と思っていた女子が向こうから積極的にコミュニケーションを取ってきて「好きでたまらないの」と言われたどう思いますか。
極度に自信がない人生を歩んできた人が「自分が自分を褒めていいんだ、むしろ褒めた方が成長につながり行動意欲も湧いて良いことしかないんだ」という判定をした時、同じような気持ちになるんですよ。
そんな女子を後から「あれ、なんか変」と思ったくらいで別れることなんてできないです。
もっと素敵だと思う女子を見つけたとしても「付き合った過程」が素晴らしすぎるので不可能になるんですよ。
しかも結構な時間を使っているので。
極度に自信がなかった人、というか「極度に自信がない状態」に陥ってしまった人は「自分を褒める」この過程は絶対に通らないといけないものだと思っています。
まず「自信を得る方法」「自信自体」がわからない状態なので、何がなんでも実感する必要があるからです。
ある程度続けると感覚が衰えてくる、好きなクラスメイトがあちらから告白!?も20回経験すれば「またかよ」ってなりますよね。
というかむしろ「モテる側」だと自分を認識する。
「モテ側」になったら、自信がある程度形成された次の段階に進むために「自分を褒める」ことで満足してはいけないんですよ。
押し殺す。「自分ってすげえ!」と思っても次の瞬間「はい次の行動に移りまーす」と冷たく遇らう。
いちいち「自分はすげえ!」と思ってなくても良いくらい自分には自信があるんだ、という自覚が必要なのかな、と。
自戒です。
時短のために一々トロけるなってこと。
クオリティアップのためには完成→修正は個人的には絶対欠かせない。
なのにとろけると修正を怠る、というかできなくなるんですよ。時間が足りないとかで。
それを回避するためです。より成長するために。
自分を褒めても良いけど一瞬。満足してはダメだしすぐ忘れるくらいで。
それだけ日常茶飯事なことにすればいい。

2020/10/22
「自分が生きやすくなる」ために何を考えたっていい 1日まとめ記事
思想、考え。
上記を行うためには「言葉」が必要不可欠。
僕は時々本を読んでいますが「物語を楽しむため」よりも「語彙を増やすため」に重きを置いている。
「日常会話では使わない難しい言葉」を学ぶため、もありますが「簡単な言葉の連なりで奥行きができる文章」を欲している。
好きな小説は100ページ以上あるのに感覚的には「ひとつの単語」という感覚で受け取れるもの。
その受け取った単語は「深さ」が尋常じゃなく深くなる。
例えばコンビニ人間。あれも僕の中では「ひとつの単語」という扱いです。
0
上記を行うためには「言葉」が必要不可欠。
僕は時々本を読んでいますが「物語を楽しむため」よりも「語彙を増やすため」に重きを置いている。
「日常会話では使わない難しい言葉」を学ぶため、もありますが「簡単な言葉の連なりで奥行きができる文章」を欲している。
好きな小説は100ページ以上あるのに感覚的には「ひとつの単語」という感覚で受け取れるもの。
その受け取った単語は「深さ」が尋常じゃなく深くなる。
例えばコンビニ人間。あれも僕の中では「ひとつの単語」という扱いです。
