2021/1/30

自信がないのは、その根拠となる実績がないだけ、と言う当たり前に今更気づいた  1日まとめ記事




自信がないのはその根拠となる実績がないだけ。

当然ですよね。

これに気づく前は

・自分は何事も自信がない
・生きづらい
・何をやっても失敗するイメージしかない


みたいな結論をしてきましたが。

それから「今は自信ないけど、何度も繰り返せば勝手に自信がつくんじゃね?」という想定ができるように。

なので「自信がない状態」に対して不安が減少しました。




このことは知っていたんですけど、理解しようとしなかったですね今まで。

自信がない=じゃあやらない方がいい、という考え方。

これは短期的な集団生活では正しい。

集団だと自信がある人に任せた方が良くて自信がない人に任せることは愚かなこと、となるから。



短期的、としたのは例えば自信ある人が離脱した際の対処法が困難になるから。

自信がある人だけがする、という思考になっているので自信がない人だけになると「やらない方がいい」という結論を出してしまう恐れ。

長期的だと「自信がある人」を増やすべきなので自信がない人に経験を積ませた方がいい。






生まれたからずっと余裕がない生活をしてきたからだと思います。

あとまたでてくるワードで、また最強だと証明してしまいますが「障害者」とみなされていたから。

障害者とみなされていたので「経験を重ねてできるようになる」という期待ができなかったんですよね。


自信がない=悲惨、ということでは決してなく。

ただ自信ができるまでやっていないだけ。

自信がないなら、自信ができるまでやり続ければいいだけ。





根拠なき自信、は他ジャンルだけど成功体験があるから持てる自信、つまり根拠ある自信。





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2021/1/28

Netflix映画 ホワイトタイガー 感想  1日まとめ記事


インドが舞台の映画、なんですが踊らないので制作はインドじゃない?

Netflixのトップだったので試し見し、吹き替え版もあったので鑑賞。

テンポが良くはじまってすぐに最後まで見ることを決意。

結果面白かったです。



鑑賞中も観賞後も色々考えさせれる映画でした。

権力監視とか教育とか責任とか、様々な角度から見れるので感想を書こうとするとパニック。

長文になるしまとまった文章にもならないし。。なのでいろいろ省略してシンプル重視で書きます。

以下ネタバレ感想。






権力最低、己の奴隷根性に気付け、蹴落としてものし上がれ、的なメッセーが含まれている本作。

そんな誘導的な作りになってますが、それでも僕は罪を犯した主人公側ですね。

もし捕まっても悔いがない、上層側に一瞬でもいたから、という台詞がすげえわかるんですよね。

自分もそうしたい!ではなくて、そりゃそういう心境になるよな、と。


対人関係に応用できます。

ルールで縛ったり高圧的な態度を取ったり。

「支配できているな」とやってる側は優越感を覚えるんですが、いやそれ自分の首をしめてるよって。

本作の一つのテーマ「檻の中の鶏」相手だと優越感が永遠。

だけど一度でも檻の外を見てしまうと「いかに自分が不当に扱われてるか」を実感する。

そうなると復讐心が生まれ、しかも目的の実行、復讐のハードルは低い。

「自分が得するなら平気で蹴落とす」心境、なぜなら不当に扱った相手が悪いからと。



結局自分に返ってくる。もし被害側にたったら不当を訴える。

まだ被害が小さい内に声を出さないと「殺害」のハードルがどんどん下がっていくんですよね。

「捕まってもいい、死刑になってもいい」レベルまでは意外と早く辿り着くんじゃないかな、と。


一度でも成功体験がないと被害側は「我慢」、つまり檻の中の鶏を選択してしまうんですよね。

だから小さいながらの成功体験、「あれ、今尊厳ふみにじられた?」と感じたら強気で指摘する。

じゃないと檻の鉄格子の強度が高くなる、つまり檻から出るハードルが上がる。


奴隷を廃止し個人の尊厳を尊重する、というのは「綺麗事な宗教」ではなくて、己を守るための知恵。




あと教育は他人が不快にならない不文律を知らぬ内に学ばせているんだなとか、政治と権力監視をもっと真剣に考えないとまずいよなとか思ったり、色々ありますがここで感想終了。

十分長いですよねすでに。
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2021/1/25

自制を意識して「自分がコントロールできる」感覚を初めて知った。  1日まとめ記事


今月から「自制」を意識して生きています。

ここでの自制は「目的達成のための行動を優先して誘惑に耐える」というもの。



人生初めて自制ができている、という実感があります。

幼少期から「自制教育」は受けていて「今欲しいおもちゃ1ヶ月我慢したらもっといいもの買ってあげる」とかゲーム我慢して宿題をする、とか。

でも気づいたんですが自制は「他者」が関与すると消滅するんですよね。

「自粛要請」が日本語として間違っているのと同じで「自制を促す」もおかしいんですよね。




「自分自身で完結」しないと「ただの他者からの命令・提案」でしかない。





「自制の実感」の年齢は低いほど良い、というか3歳くらいまでは本来経験すべきこと。

今までの僕は「なんとなくの自制」でした。

「これに耐えたら良いものがゲットできるはずだ」とかなんていうか、抽象的な感覚で生きてきた。



自制はどこまでも自己中心的で、自分が自分のためにやらないと実感できない。

自制の実感とは、自分をコントロールしている感覚です。

コントロールしている感覚、つまり責任を持つことができ改善・修正ができる。




ただこれは僕が幼少期に指摘された「知的障害者の特性」なんですよね。

ひとりよがり、他者を受け付けずに自己完結しようとする。

そう指摘され続けて自分のことなのに自分で選択・決断することを恐れ、責任が取れない他者に決定権を渡す人間になったのかなと。


自分で何も選べないから他人に全部選んでもらう。これは知的障害じゃないそうです。どんな理屈だよ。



「こどもの頃に家族から知的障害者の扱いをされた」というのは最強だなとつくづく。

何が最強かって、今の自分の嫌いなところと簡単に結びつけられちゃうし、しかももっともらしいし。

原因はそうでも責任は自分しか取れない。原因と責任が一致しないのはよくあること。

本当はそれが原因じゃない可能性があるのに。



親目線からしてもめっちゃ楽ですよね。

「知的障害者」と言われると子はそうじゃないと反論するべく指摘された言動をやめる。

楽な教育です。



今回初めて「あ、自分ってコントロールできるんだ」という感覚のほんの一部に触れられた感じ。

がっつり掴めることができるのだろうか・・・。
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2021/1/22

自制と我慢の違い  1日まとめ記事




自制大事だね、これ新しい惑星を見つけたくらいの発見。

テイラースイフトに倣って「世間一般の常識を過度に評価する」スタイル。



本当に自制が苦手で自制する方が損じゃん?自由がなくなるじゃん?って。

でも社会の仕組みはよくできていて、自制ができないと組織等の集団に制限されるだけなんですよね。

本当の自由というのは人間である限り存在せず、「制御」の総量は変わらないのかな、と。

つまり「自制がMAX」なら他者からの制御は受けず、「0」ならば完全なる支配を受ける、というような。



他者から守るためという目的にもなる「自制」。



ただ、我慢とは違います。

僕は我慢という言葉大嫌いで、誤用というか「偉いこと」とされているのが気に食わない。

僕にとっての我慢は「満員電車でお腹を壊しトイレに行きたいがいけない」そんな時に「漏らさないようにする」ことが我慢です。

他に代替できない最終手段というか、自己犠牲の最終形というか。

「きっといいことがあるはずだ!だから我慢」とこの例から抽出でき、これを悪用する人が大勢いるんですよね。




我慢できる=それにより利益が持たされれることを約束された立場であり、それが満たさないとできない行為。

また我慢と自制は次元が違い、自制の中のたった一つの手段に我慢があるだけ。

我慢できないと「当人にが悪い!」と責任を押しつけられますが、我慢できない環境に責任を向けるべきなんですよね。

我慢で得するのは「我慢している側」じゃなくて「我慢を強要している側」です。

支配するため、コントロールするため。




我慢を多用する人、まるで優秀な人間に必要な要素として使う人からは逃げること。

相手にしないこと。
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2021/1/21

自制を重要性を再認識する試み  1日まとめ記事


自制。苦手。

自制をしなくて失敗した経験なんて山ほどあるのに、自制をした結果失敗したことばかり思い出す。





ネットの発達により自宅で完結できる事柄がどんどん増加している。

「周囲にいる大勢の他人」「場所」によって自制できていたけど、自宅となるとそうはいかず。

全裸になっても問題ないし、どんな歌を歌ってもいいし虚栄を張らななくていいし。

自由度が増してたのしー!のはずが自由を自らの手で縛らないと生活が崩壊するんですよね。





正直なところ、自制の加減がわからないんですよね。

自制は「自分の判断」でもあるので過度だと「障害者か?」と指摘される。

というかそう指摘されてきたから苦手意識が強いんですよね。

やりたいことを制して、締め切りがあることをすると「生きてて楽しいか?」とかも言われますし。





そんなこと言われると考えてしまうんですよね。自分っておかしいのかな、そうなのか、って。

でも自分も他人の自制にたいして「ノリが悪い」だの悪態をつけてきた。

自制はバトルなんですよね。間接的に「俺のいうことを聞け」と言っているようなもの。






だけど「人生のため」という最強ワード使えば相手がどう思おうが自分のため、自制しないと。

自制を楽しむ人生。
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2021/1/20

時間に責任の大半を押し付けてもいい、という考え  1日まとめ記事


時間に責任を押し付けてもいい。

自分が悪いんじゃない、時間が悪いんだ。





成立する、というか実際そう社会は動いている。

あらゆるルールに時間は使用され、他のジャンルに変換される。

仕事量も「時間単位」で評価され賃金も時給で変換され。




「誠意」という個人的な価値観も「どれだけレスポンスが早いか」や「どれだけ時間かけて練ってくれたか」が評価の大部分となる。

こんなに「時間」が人の価値観に関与しているのいん「責任がない」わけがない。




個人的な価値観よりも重要視される時間、に責任転嫁をする術を使わないのは人類に対する冒涜。

は、言い過ぎかもしれませんが「時間」を理由にクオリティの出来高を言い訳にしていいな、と。

というかするべきなんですよね。

自分でしないと、他人は「時間」に責任を求めず個人に求めようとするので。



時間管理は外部は納得するけど個人に関しては甘えだとかサイコパスとか言われがち。

「ゲームがしたい」「寝たい」「家の雑務をする」時間を計画しても個人だと「俺のお願いを聞いてくれないのか」みたいな見下される。

組織よりも自分の時間管理を徹底、くらいに考える。
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2021/1/19

メッキが剥がれる、を自分のために利用する試み  1日まとめ記事



他人から言われるとすげえ傷つきますよね。

滑落の始まりというか。



でも、自分自身に言い聞かせる分にはいいことなのかな、と。


・嘘をつかなくていい、虚勢をはらなくてよくなる。
→立場上自分の方が上だという雰囲気を醸し出してるけど、実力は下の可能性が高い、、だけどそれを表に出したくない、という余計な虚勢をしなくて済む。


・実力を知ることで何が足りてないのかを考えられるようになる。




メッキが剥がれる、というよりメッキを剥がす、ですね。

僕は虚勢癖が激しい、かなり。

馬鹿にされる、いじめられることに恐怖を覚えながら生きていた故ですね。

メッキは実力の向上という面では邪魔なだけなんですよ。

他人からは「失望した」「期待外れ」とか言われと思いますが、普通は他人に見せたくない「失望」を見せてやったんだから感謝しろや精神。

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2021/1/19

Netflixドラマ ザ・スパイ”エリ・コーリン” 感想  1日まとめ記事



なんとなく、目に止まって日本語吹き替えがあったので見ました。

面白かったです。

が、むかつきました。



タイトル通り主人公はスパイで、だからこそできる「視聴者にも共感させるドキドキスリリング」を味わえる。

何度も「あーやばいあーやばい」と「え、バレるんちゃうん!」と不安な気持ちになりました。

主人公の上司が「有能な人間は活発に行動し必要以上の成果を上げようとする。それ故失敗をしやすい」という台詞がよりその気持ちを刺激する。

「あ、じゃあいつか失敗するんだ」というフラグ。





だけど現実世界そうで、有能なほど失敗をしやすいというのは確かにそうだな、と。

それをそのまま「失敗」ということで低評価を押すか、それとも「学び」として高評価にするかはもはや運。

評価する人間、職種、社会情勢で変わるので。




ムカついた理由。ネタバレです。





主人公は助からないんですよね。

悲劇、家族は悲しむし、引き時を誤りさらに作戦実行のタイミングも間違った上層部のミスがもう腹が立ちます。

だけどスパイをされた側、は完全な悪ではなく国家でもありこっちからすると主人公は敵なんですよね。

主人公が原因の犠牲も多数ありそう考えると自業自得的な考えも生まれてくるんですよね。

すっきりしないし、モヤモヤした気持ち、ここまで主人公サイドに感情移入させといてこれかよ、ていう。

制作陣にむかついたんですよね。

どう思って欲しいの?敵国サイドのシリアは酷い国なんだ!と思って欲しいの?主人公に同情してほしいの?とか。






まぁ製作陣の意図なんて考えなくていいんですけどね。

ただ考えることで立体的な思考になるというか、ただ見せられた映像をそのまま受け止めずにその向こう側にいる製作陣の意図を考えることで自分自身の思考を守れるんですよね。

「なんて悪い奴なんだ!」とならず「なぜそう描いたのか?」を考えることで、悪役側に賛同する可能性ができてますし。





いや、多分全製作陣はそう考えて欲しいんですよね。

ただ映像だけじゃなくてその裏側を知って欲しい。

というかなんでもそうですね。その方が面白いですし。

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2021/1/17

何かの感想、評論に「比較」を使うことでのメリットとデメリット  1日まとめ記事




比較をすることで文章力を補ってくれます。

ただの「好き嫌い」も「〇〇と比較して好き嫌い」と描くことで情報に立体感がでてくる。

また対象の独自の性質を理解するきっかけとなる。

10個の類似品を比較した結果、Aだけが唯一〇〇という性質を持っていてそこがよかった、とか。




語彙力の補助、言葉数の少なさや言葉同士の連なりのパターンの少なさからくる説得力の低さを補ってくれる。

以上がメリットとするとデメリットはなにか。





比較対象の選択を間違えると信頼性、説得力が欠けてしまうこと。

また聞いた人によって「比較対象の妥当性」の評価が変わること。

己でやめなければと思うことの一つに、例えば日本製のドラマをみて面白くなかったら「日本のドラマはこんなのばっか」と嘆く。

これは「日本のドラマを常に追っかけている」実績がないと信頼性に欠け、それまでの感想が面白かったとしても台無しにしてしまう可能性がある。

でも言いたいんですよね。日本のドラマの視聴本数は少ないけど印象としてそう記憶しているから。

ここが文章力の力量の低さが露呈するところです。





文章力が高い、文章の構成力が高いと「他人にショックを受けさせるような返答」をしても「それを補える、相手に納得させられるだけの文章の構成」ができる。

なので「日本のドラマをろくに見ていないのに、日本のドラマはこんなのばっかという浅はかな偏見」にも妥当性を持たせられる。




例えば「ここ10年以上日本のドラマをまともに見ていない。だけどNetflixオリジナルということで期待を持ち見てみた。自分がなぜ長期間日本のドラマを見なかったのかがわかる作品だった。」

こう追記することで期待を裏切られた悲しみからでたのが「こんなのばっか」という大雑把な括りなんだな、という意味合いとして使っていることを相手に知らせることができる。




以上比較を用いた文章のメリットとデメリット。

ちゃんとしたデータがない場合は逆に信頼性を失う、当然ですが。

ただデータがないのになぜそこまで断言できるのか?という隙を「あえて」作りそこをしっかり補えられると主張の軸の強さを相手に伝えられるのかな、と。


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2021/1/15

Netflix 今際の国のアリス 感想  1日まとめ記事

序盤から明らか金かけた、どうやって撮影したんだという最後まで期待できる画作り。

が、それがピークでした。

面白くなかった、面白く感じられなかった。

画作りはいいんですけど。。。



「そこに人が生きていない感」があるんですよね。

「欲しい展開」、例えば友人の死とか新たな仲間との出会いとか。

そこまでの流れが悪い。中身が薄すぎる。

展開に比べそれまでの描写レベルが足りてない。

足りてないと「お笑い」になってしまうんですよね。



君の肝臓を食べたい、でも感じたことなんですがヒロインの死因が「んなあほな」で集約されてしまう。



具体的なシーンを挙げます。

主人公の父親が目の前で「主人公の弟よ、お前は兄と違って優秀だな」と貶した直後に「主人公、飯一緒に食おうよ」と誘うんですよ。

頭おしくないですか。嫌がらせにしてもレベル低すぎですし、全く共感できない。

丁寧さがないというか、鑑賞側に物語の補完を任せていて「面白く感じないのはあなたの補完不足です!」と言われてる感じ。



いやーなんか勿体ないんですよね。日本の実写映像作品がんばってくれよとなりました。

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