2021/2/3

2021年版 「甘え」という言葉に対しての個人評  1日まとめ記事



わざわざ「2021年版」とつけたのは、5年くらい毎年甘えについて記事にしてきたな、という曖昧な記憶から。

しかも毎回何を書いたか覚えておらず、もしかしたら毎年同じことを書いているだけかもしれない。





一つの言葉をとっても日々刻々個人的視点からも評価が変わる。


そんな中でも危険ワード、しっかりとした解釈を持たないと「飲み込まれる」レベルの言葉がある。

その一つが「甘え」であり、この言葉は一瞬で人生をネガティブにさせるだけの力があると僕は危険視しています。




自分で何か作業をしている際も「ま、いっか」で完璧を求めず終わらすことがある。

それが原因で失敗をした際に「甘えてしまった」と反省をする。

別に普通のこと、原因を「甘え」と捉えて何が悪いの?ってことですが。

甘えは非常に便利ワード、この単語のみで様々な情報が圧縮されている。

その「圧縮された情報」は「本来圧縮してはならない情報」である可能性が非常に高いために、甘えという言葉で済ませてはいけないんですよね。

もし甘えだったから、で終わると「ま、いっか」=悪、という短絡思考に陥り「無益な完璧主義」に執心してしまう。





「ま、いっか」は「省略による効率化」でありあらゆる行動の時短につながる有能な考えでもあるんですよね。

それを甘えで切り捨てると「ま、いっか」の中でも分類できる、強度だったり疲れている時はダメとかを考えられない。




甘えという言葉に不信感を持たず受け入れていると「ただ甘えていないだけ」なことを高評価してしまう。

甘えた方が楽だし利益がでるのにもかかわらず「甘えない」を重要視する人はよくみかけます。

「甘えた姿を他人に見せる」ことが確かに現日本ではリスクになってるんですよね。





だからこそなんですが、個人レベルでは、まして己には甘えという言葉は使ってはいけないと心に決めています。

深掘りがなくなるんですよね。本当に。

甘えではなく「時短を優先させた作業」だとか「脳の疲労度を和らげるための工夫」とかとか。

甘え、を使うことでそれによってでた利益が蔑ろにされる。

ネグレクト的言葉。母の日にカーネーションプレゼントしたら「バラが良かった!こんな花いらない!」て言われてるのと同じ。

何が同じて、母への日頃の感謝を掬い上げられない、つまり有益な情報を潰すんですよね。






0



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ