2021/3/31

(無題)  1日まとめ記事




映画とか漫画の「ネタバレされてから読む」というのが理解不能でした。

「自分の人生どうなるか知った上で生きるの辛くない?」とか「他者の口から物語聞くのって機会の損失じゃね?」とか。


でも別ジャンルでの例え、「なんの食べ物かネタバレしないように目を隠して食べる?」と聞かれると違って、むしろ「どんな味か」「どんな具材を使っているのか」とかネタバレされた状態じゃないと食べる気起きない。


こうやって「ありえないこと」「揺るぎない考え」について全く別ジャンルで例えるとその逆を当然のようにしてる、という気づきから視野を広げる試み。


強迫的な「〜ではなければならない」の縛られた紐を解き柔軟性を与えることで生きやすくする。



あとこれは防御壁としても機能すると思います。

他者から「〜でなければならない」「〜するのはおかしいありえない」とかいう冗談ではない本気でそう信じ込んでいる哲学を押し付けた際。

直接反論しなくても「ああ自分おかしいんだ」じゃなくて「ああこの人は自分の感覚を全く疑ったことがないんだ」と瞬時に俯瞰できる。

0

2021/3/30

映画と音楽の比較から考える「クオリティ」の意味  1日まとめ記事



なんとなく思いついただけで簡単に「おかしくない?」とつっこめます。

だけど、なんだか人生のヒントになる予感がしたのでメモ。

音楽と映画から考える「クオリティ」。


同じ「作品」の枠組みに入れことで音楽と映画の違いが見えていき、音楽的クオリティの高さを求めた方がいいのかな、と漠然な観測。


二つを比較して。全て「映画と比べて音楽は」が枕詞。

・1つの作品が短い
・生産コストが低い
・制作に関わる人が少ない
・数が多い
・ジャンルも多い
・楽に消費ができる


僕は「クオリティが高い=質が高い、複雑、長く楽しめる」みたいな感覚でした。

でもクオリティにも種類があって「音楽的な」「映画的な」のとりあえず2つがありそう。

クオリティが高い=質が高い、だけじゃなくて「質が高くなくても数が多い」でも「クオリティが高い」に属すな、と。



0

2021/3/30

シンエヴァを見てから映画を見る態度が変わった話  1日まとめ記事



ジョン・ウィックの3作目を見ていて。

もはや1作目の好きな箇所はなくなり細かい廟所よりも派手な描写優先でいわゆる「面白くなくなった」という感想。

を、以前までなら抱いていましたがシンエヴァを見てからだと変わりました。



制作サイドからの「お前らが続編を望んだからだろ!」という叫びが聞こえてくるんですよね。

「そりゃ続編作るなら前作より派手にしないとダメだろ!同じことしても意味ないだろ!」って。

3作目はもはやただのアート作品なんですよね。物語なんてないに等しい。


敵が主人公のファンで殺せる箇所では「ファンだから殺さなーい」で殺せない場所では「殺したい・・・!」ていう、もうジョン・ウィックを生かせるならどんな脚本でもok的なノリ。

このことに関して否定するレビューを見かけたんですが、これも以前なら賛同していたけど今は「もう1作目の再現は諦めろってことだよ・・」と冷めた感じに。



もうどの作品も足を突っ込めなくなりましたね。

常に遠くから見てる感じ。「あ、そういう方向性ね・・」と。




たんなる冷笑主義とは思わず、人間の性として受け止めようとうい心意気です。

映画なんて大勢が参加して大金注ぎ込んでそれなのに「ただただ鑑賞者に寄り添った作品」なんて無理。

「俺のエゴをうけとれえええええ!!」と暴力的で裏切り行為とさえ見えてしまう作品が当たり前なんですよ。

「鑑賞者に寄り添って欲しい」ならその鑑賞者である「自分」が納得する映画、つまりもう自分が欲しいものは自分で作るしかないんですよ。


鑑賞者に寄り添う作品を作る場合はあらゆる余裕とローコストが絶対条件です。

「数時間で作れる」とか「余ったものだけで作れる」とか「何も考えずに直感だけで作った」とか。

それくらい余裕がないとダメなんですよね・・・。

料理してたら気付くことなんですが、時間をかけて作ってそれが「他人のため」になったとしても「他人のために時間をかけた自分が報われるため」に絶対になってしまう。絶対って使ってしまたけど、そうなんですよね。



だから他人に自分のためのものを作らせるには「いかに楽に作らせるか」を考え場を提供しないと。



そう考える、AIが進歩して高性能PCがもっと手ごろに入手できるようになりソフトも充実すると「技術の発展により競争化が進み一部の上位者しか残らず失業者が増える」的なことを考えていたんですけど、鑑賞者に寄り添った作品が増えまた楽に作れるから生産者が増え「生産者かつ消費者」も増えるわけでつまり「知識がついた消費者」なので例えば「ここのライティングがいいから」というだけで購入するようなマニアック層も厚くなり、より発展するだけだよな、と。




なので、なのでっていう接続詞は変ですが映画よりも比較的に楽に作れる音楽は「鑑賞者に寄り添って作ってる作品」かつ「実際寄り添ってくれてる」感じがするのが多いな、という見方を習得しました。

きゃりーぱみゅぱみゅの歌きもちいいいいいいい!って感じです。

これもシンエヴァのおかげです。ありがとうございますシンエヴァ 。
0

2021/3/29

youtubeのアートネイチャーの広告をみて将来不安になる  1日まとめ記事



幸運なことに現在は頭髪に全く問題ないです。

なのにyoutubeでのアートネイチャーのCMがあまりにも多いんですよね。一度も関連動画みていないのに。

なんの感情も示さず最速スキップしてるんですが「まてよ、いつの日かこのCMが胸に刺さる時があるのか・・」という不安がでてきました。



おそらく僕の年代では既に頭髪で悩んでいる人が多いからCMがよく流れる。

頭髪が薄くなるのは特に男性では宿命なのでCMをスキップせずに注目する日がくるんだよな、と。


そんだけの内容の記事です
0

2021/3/29

無理をしないと成長できない!という考え方だけど変えた方がいいのかな?  1日まとめ記事


イラスト練習系の動画見ていて。

上達方法の心得として「無理をしてはいけない」っていうことを挙げてる人が結構います。

「確かに無理はダメだよなぁ」と思いつつも、持論ですが無理した方上達しやすい気がするんですよね。



無理をするってかなり疲れるし頭使うし、その結果導き出したものってそれだけで価値がある。

おそらく「無理した=上達した気になっているだけ」みたいなニュアンスがあるとは思うんですが。


だとしても無理した先に見えるものの方が上達に早い気がして。



無理するな、じゃなくて無理してもすぐリカバリーできる体制の用意なんじゃないかなって。

すぐに引き上げてくれる命綱の構築。

「無理をしてもすぐに回復できる」と作業中も安心できますし余裕ができますし。



ただこの命綱の構築がめちゃくちゃ難しい。

ご褒美的な、高級料理とか高い服を買うとかだったり、みんなから「君うまいね!」て褒めてくれたり。

本当に人によりけりなんですよね。僕の場合「自己中心性の純度が非常に高い」前提条件が命綱となっています。

「誰かのため」とか「褒められたい」がちょっとでも入ると終わりです。無理すると潰れます。

ただこの命綱、相当な精神的余裕がないと無理なんですよね・・。他のもっと簡単な命綱が欲しい。



ただ無理をする、というのも絶対悪があってそれは「時間の消費」なんですよね。

視野狭窄に陥りますし「自分が納得するまで」やるんで時間を膨大に消費する。

「無理にやらない」選択をすると「まぁこの辺で」でできるので完成品をその分多く作れる。



この辺は実感で難しいんですけど、勝手に成長したと思い込んでるかもしれませんが・・

「無理をした」方が貪欲さによる得られる情報、軽い気持ちだったら調べない手間暇かかる作業もモチベーション保てるんですよね。



すみません、ここまで書いていてあれなんですけど体力がないと無理をしたら簡単に潰れるので無理をする一歩手前くらいで保つ、もうわけわからん結論。


0

2021/3/29

映画の興行成績を見ていたら貧富の格差が怖くなってきた  1日まとめ記事



シンエヴァの興行成績をみて思ったこと。


貧富の格差はやっぱこわいな、と。


映画の場合チケット代は大体決まっていて得られるのも映画を見られる、ということ。

収益を増やすにはリピーターを増やすよりも初見さんを増やした方が影響が出やすいんだな、と。

鬼滅と比べてです。





1人で資産が1万人分を持っていたとしても映画を楽しむのは平等、一万人分楽しめるわけもなく。

貧富の差が拡大し富が集中し貧困層が増えると「娯楽産業」が衰退していくんだな、と。

娯楽は少数で楽しむものではなく大人数で楽しむのが前提で成り立っていた、だからこそニッチなところも商売できる。

映画だって例えば「朝起きて頭起きないから映画館いこ」とかそのくらい軽いノリで2000円を簡単に払えるだけのお金と時間がある人が多いほど儲かるし発展する。


日本の経済成長率が奇跡の横這いという知識を得るよりも、スーパーやコンビニでの食べ物の量と値段の変動で実感が湧く日本がじわじわ貧困化してる現実。

値段据え置きで量が減少って、要するに適正量のまま値上げしたら誰も買わなくなるからってことですよね。

給与そのまま、、じゃないですね、個人の税金が上がったので手持ちは減り同じ値段では量が減少され、ただただ円の価値が下がっている感覚に襲われる。


消費税10%はレジで税抜き商品を買う度に高すぎて意味わかんないですし。



今のところフィギュアに関しては値段がかなり上がってきてそれがスタンダートになってるけど、今後3000円台の低クオリティフィギュアが主流になったら嫌だな、と。

あ、すでにプライズが主流の立ち位置にいますよね・・・1000円であのクオリティは驚きですけど、やっぱ高いフィギュアをみんなが買うことで今後のフィギュアのクオリティアップに直結しますし、みんな高いフィギュア買って欲しいな、と。

高卒初任給手取り12万が普通なんですよ、やばすぎですよね。まじでこの値段で人働かせてるのかって。


初任給が手取り30万がデフォだとみんないい服買って街も賑わっていい感じになると思うんですけど、そのくらいの体力ある国のはずなんですけどねアニメすごいし。


アニメ業会もホワイト、と呼ばれているとこで「みなし残業45時間込みで22万」なんですよね。

残業時給2000円としても基本給13万なんですよね・・・。ホラーよりも怖いですよ。



10年働けば誰でも一軒家をキャッシュ一括で買えるくらいにしないとなんか辛いっすよね。



0

2021/3/28

庵野監督のプロフェッショナルという言葉が嫌い、という発言で思ったこと  1日まとめ記事



庵野監督をプロ?それともプロじゃない?と問うた時、プロであることは明らか。

プロという言葉はその人を縛り「プロとしての理想像」を押し付けられる感覚に苛まれる。


「プロなんだから」という押し付け被害に数多くあってきたんだな、と勝手な想像。

道具としての言葉が使用主の人間に大きなプレッシャーを与えてマイナスな効果を与える例、的な。




僕自身も「プロ」という言葉に乗じたらダメだな、というかもはや信頼関係を築けない言葉でもあるのかな、と。

プロ、には「なぁなぁな関係」という意味も内在している気がして、具体的な対策とか保険を説明しなくていい免罪符的な機能もあるな、と。

「プロですから」とだけ言った方が簡潔で好感をもたれやすいと思いますが。

だけど「プロって何?」という疑問の壁に立ち止まった人は詐欺的な匂いを嗅ぎつけるだろうなとも。



プロだと判定するのは本人ではなくて他人の自己満足的快楽でしかできない。

数値を使ってラインを定めることもできるけど、そうするとその数値の至上主義的方向へ誘導する危険性も考慮しなくてはならなくなる。

なので「あなたにとってプロフェッショナルとは?」とは番組的にはおまけ的な問いかけというのはわかりますが、被写体ではなくそれを見ていると視聴者並びにカメラを回した人、構成した人全ての目撃者が答えるべき問い。


剣哲也の「俺は戦闘のプロだぜ!」という台詞のおかしさも「自分自身でいうのかよ!」的なツッコミがあるから。

とことん追求しても責任取らせてもいいんだな?という野次馬根性に火をつけ注意を注目させるいい効果もあります。



色々書きましたが、庵野監督は言葉による被害を受けてきて自身のなかで拒絶しなければならない言葉はきっぱりと拒否しないとわずかな隙間から侵食する恐怖が身についているんだな、と僕の中で信頼できる返答でした。

「プロ」という言葉以上に「その言葉を拒絶する」言動が信頼に値するものとなった。
0

2021/3/26

こどもと比較して「ゲームは手間暇かけた分だけ成長する」という皮肉をノーダメージで受け取る技術  1日まとめ記事



久しぶりに、5年ぶりくらいにこのベタな発言を見て。

子供の知能の優劣じゃなくて、人にプログラムされてなく高度な知能を持つ生物においては独自に考え行動に移す能力があるが故、手間暇をかけても予定していた成長がみれるわけない。

なのでリンゴを食べて「あー石と違ってちゃんと咀嚼できて甘くておいしいー」みたいな別ジャンルと比較する可笑しさがある。





さらに実際の親子関係、はたまた師弟関係にお互いの信頼が成立しないと受け手は「ただの冗談」として受け止めることができない。

「親にとって自分は期待外れだったんだ・・」とか少なからずショックを受ける。






0

2021/3/26

人はいくら成長しても赤ちゃん成分は消滅しない話  1日まとめ記事



人は赤ちゃんからどんどん成長して変容する、というなんとなくの認識ですが。

よくよく考えてみると、赤ちゃん成分は一生内包していてそれを覆う外皮が付着していっているだけだな、と。

もし赤ちゃん成分が変容し大人になる、つまり消滅するのならば年老いて赤ちゃん返りになることもないだろうし。





この認識の変化の何が良いかと言うと、面倒くさがって行動に移さないことが減少するんですよね。

自分の中の赤ちゃんをあやす感覚で指令をだすと優しい気持ちになれるというか。

客観視することで「もし目の前に赤ちゃんがいたら自分はどうやってカバーをするか」を軸に考えられるので。

アメとムチ、という言葉がそもそも嫌いなんですがアメだけでも十分意味のある成長できる行動に繋げられる。


ちょっと本筋から外れますが、アメとムチじゃなくてアメと壁だと僕の中ではまだ納得できる。

アメを舐めて調子づいて挑戦して壁にぶつかり己を知る。

ムチって他人からの攻撃じゃないですか。

アメとムチは他人からの支配だけど、アメと壁は自己完結なんですよね。

壁にぶつかったかどうかは自分でしか判断できないし。


ずっとアメを舐め続け壁にぶつからないようにしていても、本人はその欺瞞に苦しめられますし。




壁にぶつかったら成熟した大人でも内に潜んでいる赤ちゃんが大泣きしてそれが染み出し影響し落ち込む。

だから「よーちよち、よくがんばったねぇ」とあやす、つまりアメを与え続ける。

なんだか、人生大事なのはアメを与えられる量だと思ってきた。

いくら傷ついても与えられるアメがありさえすれば癒せるし、あとはアメを与えるだけの心の余裕ですね。

「甘えだ!」とかいってアメを与えなかったら赤ちゃんは泣き止まないしそれがトラウマという形になりそうですね。




0

2021/3/24

アニメを楽しむ軸を常に「作り手」に置くようになってきた  1日まとめ記事


あるラジオ番組でアニメ音楽歴史家が音楽を紹介している時、歴史的に意味のある曲よりも自分が好きな曲をただ流しているだけに思えました。

自分の好きな曲が頂点にあり、それを広めるために「歴史」を付与して「歴史的重要な曲」という偉大性を担保させる。



なのでアニメ音楽歴史家は「アニメ音楽が好き」じゃなくて「アニメ音楽の歴史の変容が好き」じゃないと説得力がなくなるんですよね。

「むしろアニメ音楽自体には興味がない」くらいじゃないと。

興味を持ったきっかけが「あるアニメの音楽に惹かれて」の時点でダメなのかも。

全く興味なかったしむしろ嫌いくらいだったけど、アニメ音楽史に一定の法則を見つけてそこから興味を持った、という偶然性の方が大事、なのかなと。






この話にが何に繋がるかと言うとシンエヴァの感想です。

シンエヴァの感想、基アニメ全般に関する感想です。

以前の記事にも書きましたが「物語が個人的にダメなだけでキャラやメカや音楽や声優までを一緒くたの感想に染めるのは勿体ない」という最近の考え。

物語はバラバラだった各芸術をまとめるだけの結束バンドでしかない、と。

物語がダメだとしても結束バンドを解いて気に入ったバラけた欠片を拾ったらいい。

僕はこのアニメに対する見方は「冷淡」だと思っています。「期待しない」が前提の考え方だから。

「物語至上主義」の方が熱があったんですよね。さぁ俺をどう楽しませてくれるんだぁ!?って。

かなり厳しい目、厳しい評価、少しおかしな点に気づくと「物語が練られてない!」とぐぐんと批判の熱が高まる。




物語冷淡派の方が総合的には幸せ。熱はなくなるけど小さな幸せを見つける。

タイトルロゴだけは良いな、とか。


多分、シンエヴァは僕の人生で最後の「物語至上主義」の俎上に載せられた作品になります。

だから保存しておくというか、同時に最後の「熱を持った作品」になってしまうのでちょっと悲しい。

先に書いた内容とここで繋がるんですが、冷淡さを手に入れることでアニメの感想の質が上がったら良いな、と。

質が上がるってなんなんですかね。ただ好きなところだけをつまみ食いすることが本当に質上がるんですかね。




0



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ