2021/4/11

本番失敗率95%の人間の考え方  1日まとめ記事



(1)
最近練習について考えてます。

「練習は本番の質を上げるため」なんですが、その効果が最も高いのは「本番を経験する」なんですよね。

「本番を経験する」ことが「本番の練習」であり、もし一度しか体験できないのなら「練習不可能」となる。


(2)
この考え方にたどり着いた時「練習は本質をぼやけさせる」みたいな、所謂ネガティブワードなんだなと位置付けました。

練習は本番でしかなしえないし、練習とされるものは効果が薄くやるだけ無駄まである、と。

練習したために「予想していた本番との違い」で戸惑いマイナス効果になることさえある。


(3)
理屈は通るけど違和感は拭えず。

「本番の貴重性」は無視できないからです。

本番の機会を自分でコントロールすることは難しいですし、評価する他人が関与する。

「練習は無駄だから」と本番まで何もしないというわけにはいかず。


(4)
なので「いかに本番に近い環境を整えるか」が練習の質を上げる。

「環境を整える」そしてそれ以前の「どうやったらその環境に近づくか」だけでも所謂「勉強の範囲内」になる。



(5)
こんなの「当たり前」に属すんですが。

僕の中では「練習せずに本番で成功」に美徳があるんですよね。

さらには「その方が人間として能力が高い」とさえ思っている。

「本番に近い練習」をしているだけでも「逆に能力が低い」とさえ。


「練習に近い環境を整えられる」は個人差がある能力で、その重要性の理解度も個人差ある能力。

練習はしないけど本番に強いというのは確かに魅力ある能力だけど上手くいった理由は「自分が出せる能力以下だから」というのがほとんど。

「自分の能力より高いことをする」場合は練習が必要となる。


(6)
僕は本番での失敗率が95%はあると思うんですが、その理由が多分ここにあるんですよね。

・練習をせずに本番で成功することに美徳を感じる
 =自分の能力以下のことのみ適応可能。

・すでに自分ができることには興味がなく、自分ができないことに挑戦する刺激がが好き
 =自分の能力より上のことに挑戦する。


この二つが混じり合った時、僕の場合は「自分ができないことを本番でする」という失敗しかあり得ない選択肢をしていることに気づく。


(7)
なので「練習がむしろ本番」「本番はお遊び」くらい極端に考えてもいいなと僕の場合。

本番は「本番の空間にいる」だけでも疲労しますし。

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