2021/6/12

自分を信用するために「感情」よりも「言葉」を重視する試み  1日まとめ記事




僕が自分を信用できないのは言葉よりも感情を重視しているからというあえて変わった視点を持ってみる。

感情重視派なんですが、それが故の対義。


感情はブレが大きくすぐ言葉を裏切る。

感情のコントロールは難しくなので暴れ馬を制御するため言葉を使う。


その言葉が効果が見込めない、すぐ感情を優先してしまうつまり暴れさせ続けることで自分自身を制御できない無力さを感じる。

そのため自分自身を信用しなくなり自信を喪失していく。



なので何がなんでも感情を押さえつけ言葉で制御し己の自信を生成する。

かといって、感情を押さえ込むと精神疲弊は避けられず不調を来すのは目に見えている。


そのことから「言葉による制御」「感情の暴走に任せる」の塩梅を自身で見つけなればならない。

感情に傾くと計画が立てられなくなるし、言葉に傾くと気分が下降する。



抽象的な理想ですが、言葉で感情を押さえ込む代わりに、感情にプラスな要素となるご褒美を与えるシステム構築。

成功した嬉しさだったり、成し遂げた達成感、コントロールできたこと自体の自信。

褒美がなければただ押さえ込んだだけになるし、感情が無理矢理にでもないはずの褒美を探し出す。

その褒美が「自分をいじめるため」「周りに迷惑をかけるため」みたいな間違った取得をしてしまい自傷癖になってしまうのかなと。



言葉重視の生活に疑問を持ち自分の感情を大切にする考えに変化したけど、次は感情の質を上げるために言葉重視に戻してみる。

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2021/6/12

感情と言葉の関係を考えてみる  1日まとめ記事



■ブレのなさ

感情<言葉<法律

■個人のダイレクトな情報

法律<言葉<感情


信頼とは個人を制限すること。

個人単位では感情と言葉のバランス。

言葉は感情の釘留め。ブレないようにする役割。

だけど体は正直で、感情を蔑ろにするとダイレクトに不調がでる。

本来ブレの少ない言葉を自分を優先させるためブレを大きくするテクニックも大事。

おそらくこのブレが大きいと「ADHD」とか「情緒不安定」とかいわれるのかな、と。

つまり言葉の効能を理解せず「感情」と「言葉」の距離が近く境目がほぼない。



個人的感覚だけど、感情と言葉の境目がなく言葉もブレが大きいと、感情重視で我がままな自分に優しい精神安定すると思いがちだけど、自分自身をコントロールできない逆に不自由で精神が疲弊するのかなと。

感情のブレ、揺らぎを抑えるために言葉で結束しブレ範囲を抑える。

この結束が強すぎると感情が停止し精神が崩壊するのかな、というイメージ。







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2021/6/12

【生産側の傲慢】細かく、一つ一つに意味をもたすと質が上がるという哲学  1日まとめ記事


生産側の楽しいところはあらゆるパラメータをいじれることですが、それ故事細かに「意味合い」をつけようとする。


だだっ広いキャンパスに宇宙を描く時何千個もある白い点それぞれに意味を持たせる、とか。


でもそんなこと消費者にとってはどうでもいいし、消費者はぱっと見の印象とその後の維持性を重視している。




生産側はそんな消費者をどうみるかというと「わかってないな」と己の自尊心を守るために思うんだけど、俯瞰すると「無闇に時間をかけてしまった」という反省点なんですよね。



元々消費者だった側が生産者になるきっかけの一つに「生産者のこだわりに惚れたから」もあるあんですよね。

書籍等の説明を見て「なるほど!」とよりその作品への理解度が上がった瞬間の喜びを再現したい欲。

だから「なぜこれはこうなんですか?」と消費者に尋ねられた時絶対答えられなければという使命感がある。



でもそれはどうでもよくて「なんとなく」でいいんですよね。

そう答えることの恐怖。薄っぺらい作品なのでは?と疑われる恐怖。


でも、やっぱ時間なんですよ。時短のためにはあらゆる努力をしなければならない。

だからいちいち意味なんて作らなくていいし、己の自信のなさ故に見た目が不評でも内実を知ったら高評価になるはずだという保険のためにいちいち遠回りしてはいけない。

時短。時短を軸に考える。

一定の質を保ちつつ時短。



あとこれって「すぐ怒られる環境」にいたことも「意味をつけないと怖い」に該当するんだと思います。

「嫌い」「好き」だけという感覚だけでは許されず、他のもっともらしい理由がないと感情を否定される。

「ピーマンが嫌い」に対して「栄養があるから食べないとダメ」と言われれば己の感覚を否定することに慣れてしまう、みたいな。


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