2021/6/17

(無題)  1日まとめ記事



自分ルールを徹底的に守る人って融通が効かなくてちょっとおかしな人、くらいに見えてました。

でもこのルールをちゃんと自分で作って、守らないと他人から良いように扱われるだけだな、と。



「フレキシブル性」といいように聞こえますが、相手の自分ルールを押し付けられても抗えないだけ。


集団が得意な人は個が強い人、と以前このブログで書きましたが一見集団では邪魔に思える自分ルールは必要条件。

自分ルールがないと集団に埋れていいように使われて終わり。

自分ルールがあると集団の中でも自我を保ちつつ飲み込まれることもないので安定できるんですよね。



僕は自分ルールを他人に侵されると不快感を示すものの「応じないとおかしな奴と思われる」恐怖から従ってしまう。

また従うことで集団に染まるプラス効果があると思いきやただ相手からするとカモなだけ。


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2021/6/17

「やらされてる感」恐怖症  1日まとめ記事



やらされてる感恐怖症。

高校生まで「ゲームいっぱい買ってくれれる褒美があるなら勉強頑張るのに」と考えていました。


勉強=自分のためなのに、そうやって「他人からの褒美」がないと頑張れない、自分でやるじゃなくて「やらされている」じゃないとやる気がでなかった。


この感覚は今でもあって、弊害として「自分のため」のことはやる気がでず「他人からの褒美付きの命令」だと頑張ろうとする。



奴隷根性、と言ってもいいと思うんですよね。

大学の時にこの恐怖感「自分のためのことに力が入らない」ことと「一生他人に命令されることでしか意欲がわかないのではないか」ということから強い抵抗が生まれた。



勉強を自主的にやらない生徒たちに宿題とか課題で一方的に「やらせる」教育は純粋な「加害」だと思います。

その潮流に気づかず流されてしまうと僕みたいな自分のことには力が出ない自分を大切にできない人間になる。


加害だと生徒、児童達も気づいているため「やらない」という抵抗を図りますがそうすると知識がつかず「ハンガーストライキ」みたいな相手の同情心に火がつかないと意味がなくただの「勉強やらない人」になる。

なのでこの場合は「やらされる」から逃れるために「それを上回る勉強」をしたらよかったなという後悔。




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