2021/7/9

自分の感覚は「教科書」「先生」「道標」だなとつくづく感じた話  1日まとめ記事



イラストの練習をしていて気づいたのは「2次元平面に3次元の粘土を代入する」ことが肝だなと気づきました。

多分この感覚は僕しか納得しない特異なものなんですが、読んできたあらゆる参考書に一文も書かれていないことです。

つまりは結局は自分の感覚から導き出すことでしか向上や成長はできないんだなという気づきでもあります。



このことについては小さい頃からは知ってはいましたが、その精度というか信頼度が今はかなり増しています。

「教科書』「先生」と言った「何も知らないお前に教えてやる」システム、「お前より俺の方が頭いいから俺に従え」システムに乗っかってしまった故に学びの根本を蔑ろにしてしまっていた。



小さい頃の自分にアドバイスをするなら「学校全般の学習システム」の利用の仕方と危うさを説きます。


学校は子供を管理することが大前提でありそれに関わる大人たちを食わせるため、つまり子供たちのためではなくて大人達の生活のためが優先されている。

学校の授業は子供が選ぶことは不可能で一方方向の情報提供。

なので「個人の学習の進み具合」に配慮することは不可能で自ら速度を調整する必要がある。

だけど適応すると「速度調整をすることが目的」となり「勉強の最も吸収率がいい自主的な感覚を研ぐための学び」の優先度が大幅に落ちる。

学校の授業は「日本国内での同年齢の平均的な勉強の進捗具合」という指標にすぎない、自分と国内平均とのギャップを認識するための確認作業と割り切る。


学校の授業はお遊び程度に参加し、自分のための勉強は自分で準備し自分で進捗具合を調整し、達成感を得るための目標さえも自分で作らないといけない。

この一連のシステム構築については「教えてくれる大人が周りにいたかどうか」の運要素になってしまう現実。
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