2022/1/29
生きるモチベ 1日まとめ記事
生きるモチベがないと死ぬ、じゃない。
モチベがないと何もしないだけ。
死ぬには死ぬモチベ、衝動。
感覚的にはどちらのモチベも同じ類で、生きるモチベが高いほど死ぬモチベも高くなる。
モチベを上げていかないと、自然にモチベは下がる。
上げるためには自分いかに大切にするか。
我儘を通すか。
僕は他人から「良い奴」「悪い奴」どちらかに当てはまると「良い奴」と評されることが圧倒的に多い。
当然で相手の我儘を通す手助けをしていたから。
相手も「僕」という賛同者のお陰で社会から忌み嫌われている「我儘」を排除し「公正な意見」に変換できる。
人は争って当たり前、それが大前提で生きていかないといけない。
自身の我儘を言い合ったって、実際に我儘な行動にでる前に表明することの方が建設的。
さらに我儘を言って相手に一旦聞いてもらえるだけでも「生きるモチベ」が上がる。
「我儘を聞いてもらう」ことでも自分の価値を確認できる。
我儘をお互い言い合うことで妥協案ができる。
我儘を言うまでにはお互いの信頼関係が必要、かもしれないけど。
「これから信頼を築き上げたい」意思表明として我儘を使うことで生きるモチベをあげる。
自分を大切にする選択肢を選び続けるしかない。地獄。
生きるは自分を大切にする選択肢を選ぶ刑。

2022/1/23
(無題) 1日まとめ記事
「私おかしいよね?」
ともし半べそ顔で聞かれたら。
結局は個人が考えられるのは主観でしかなく、そこから出ることは不可能。
自分がおかしいと思ったらそれが正解になる。
他人に聞くのは大事なのは間違い無いけど、おかしいという個人的感覚に依存する場合は自分を守る方向で軸打ちをしないと他人に人生を乗っ取られる。
「これこれはおかしい」と定義付けてるのが専門家だけど、その専門家だって主観からは出れない。
それがわかってるから自信を補うため様々な造語を作り最もらしい世界を作る。
「あなたはおかしい」と断言する専門家に対して「あなたがおかしい」と厚顔無恥を自覚するこどない屈強な自信で自分の専門家は自分と仁王立ちする、そうでもしないと自分を守れない。
個人的経験、今の社会は自分を守らないことが美徳に感じられる。
誰かに強く依存、支配されることを推奨してる空気。
明言化してないけど、個性を出すと攻撃だと感じ取る人が多いように、自分を守ろうとする行為に感覚的に嫌悪感を示す。

2022/1/15
自由度が上がるなら自分でルールを作らないといけないジレンマ 1日まとめ記事
スパイダーマン2をみていて、携帯ではなく電話ボックス。
不便だな、と思うと同時に「すれちがい描写」が描きづらくなり。
「どこでもいつでもできる」ことの範囲が広がると「我儘」が浮き彫りになる。
「ここじゃできない」「その時間じゃ使えない」と面倒を責任転嫁できない。
今は「できるけど、眠いから」「できるけど、面倒だから」となり、でもそうなると「子供じみてる」「わがままだ」と指摘。
だから上手い言い訳を考えるようになるが、相手を傷つけたくない、自分が我儘だと思われたくないからとだからってこんなストレスが溜まって時間も浪費することはないだろと。
我儘を隠すことを諦め、他人の我儘にも「正当性」を求めない、我儘は正当性を持つとみなす。
我儘に自信を持つ。自由度を上げルールが取り除かれたなら自分でルールを作り自分を守る。
自分ルール最高。

2022/1/11
スパイダーマンの最新作をみなければいけない!と言う話。 1日まとめ記事
IMAX2400円たけーなコロナだし行きたくねーなと思ったましたが。
振り返ってみると、サム・ライミ版一作目からアメスパ含め、スパイダーマン作品は全て映画館で見てます。
前作もなんだかんだ映画館で見ておもしれー!ってなったので近いうちに見に行こうとと思います。
ここまでくると腐れ縁ですよね。映画館自体行かなくなったけど、今行かないと後悔する。
アメスパ1作目超おもしろかったな、とか。
多分、義務感で行く映画は今回で最後だと思います。
シンエヴァもみたし。

2022/1/8
怖い話、大学受験編 1日まとめ記事
夢で見て当時を振り返り、実はそうだったんだ、と気づいた話。
暴力こそコミュニケーションの兄が優しくなった時期。
僕が高校3年生だった11月以降。
「ゲームしない?」とか受験勉強の気晴らししたら?みたいな気遣い。
今思い返すと本当にその時期だけやさしかったんですが、ただ勉強の邪魔して滑らせようしていたんだな、と。
受験日前日もしつこくゲームしよと誘ってきたし。
今さら怖くなりました。
ひとは笑いながら助けてあげるからとか褒め言葉を言いながら平気でナイフで刺してくるんだな、と。
そりゃ人間不信のまま現在に至るわ、と。

2022/1/7
繊細なことを気にしないのは強いことではない 1日まとめ記事
疲れてすぐ寝るよりも3時間くらいゆっくりした方がいいとか。
自分が緊張状態なのかどうか。
何に緊張してるか、腹が減ってもすぐ食べられる環境にいるかでストレスが変わったり。
このような「繊細なこと」に対して蔑ろにして生きてきた。
繊細なことを無視する方が偉い、大人、かしこい、みたいな感じ。
だけど人間「無視するふり」しかできなくて、ちょっとの意識変化で仕事の質が上がるならやった方がいい。
使ってる箸を高めにするとか、使い捨て容器を常備するとか。
今どんな状況で作業をしてるのか、どんなプレッシャーがあるのかを細かく上げていき気にしなくて良いのか吟味したり。
「細かいことを気にするのは発達障害」て主張し始めたの誰やねん。
スポーツ選手全員発達障害やんけ

2022/1/6
(無題) 1日まとめ記事
プラモを速く完成させたいんですが、平気で3ヶ月とかかかる。
そこで様々な改善をしてしましたが「結局同時並行」に結論でそう。
結局とつけたのは何度もこの結論がでては他の方法。。を繰り返してきたから。
自分の説明書。
完成がどうかは自分でしか決められない。
「落書き程度」なら1日一つペースで完成できるんですが、「自分なりに納得できた完成」は時間がかかる。
ペースを上げるため「納得してなくても完成」を取り入れ、日常で身についた「諦めの精神」も役立ち質より量の方向にシフトしつつ。
それに加えて自分の特性「自分のアイデアを出し切る」ことがもはや模型作りのアイデンティティなのではないかと。
つまり「完成させるにはある程度の時間」を要しそれならば考えてる時間に他のプラモを作ろうと。
3ヶ月に1体がほぼ同時期に3体できる、感じ。
今後の改善としてまず理想は早ければ早いほど良いので「アイデアが出し切ってなくても気持ち悪さを感じない」ようにすること。
恐怖の根幹として「作りまくってるのに全くレベルアップしてない」こと。
だけどまぁ己を信じるしかない

2022/1/5
実務時間の定義を変える取り組み 1日まとめ記事
「さぼり」も実務時間内に入れた方が自分には向いている、かも。
受験の時もいわゆるさぼり時間を省いた「純粋に勉強してる時間」を勉強時間に換算していた。
ずっとそんな感じで時間を測っていたけど、サボり、小休止を入れた時間を測った方が向いてる、かも。
小休止状態でも緊張状態が抜けず。
予定した時間を過ぎた後、成果が少なかったらサボり過ぎた、お思えますし。
今まではサボっていても「まぁこの時間は除外だから」と危機意識が薄い。
時間は24時間。サボり時間分だけ長くなるわけあらず。、
0
受験の時もいわゆるさぼり時間を省いた「純粋に勉強してる時間」を勉強時間に換算していた。
ずっとそんな感じで時間を測っていたけど、サボり、小休止を入れた時間を測った方が向いてる、かも。
小休止状態でも緊張状態が抜けず。
予定した時間を過ぎた後、成果が少なかったらサボり過ぎた、お思えますし。
今まではサボっていても「まぁこの時間は除外だから」と危機意識が薄い。
時間は24時間。サボり時間分だけ長くなるわけあらず。、

2022/1/5
実務時間の定義を変える取り組み 1日まとめ記事
「さぼり」も実務時間内に入れた方が自分には向いている、かも。
受験の時もいわゆるさぼり時間を省いた「純粋に勉強してる時間」を勉強時間に換算していた。
ずっとそんな感じで時間を測っていたけど、サボり、小休止を入れた時間を測った方が向いてる、かも。
小休止状態でも緊張状態が抜けず。
予定した時間を過ぎた後、成果が少なかったらサボり過ぎた、お思えますし。
今まではサボっていても「まぁこの時間は除外だから」と危機意識が薄い。
時間は24時間。サボり時間分だけ長くなるわけあらず。、
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受験の時もいわゆるさぼり時間を省いた「純粋に勉強してる時間」を勉強時間に換算していた。
ずっとそんな感じで時間を測っていたけど、サボり、小休止を入れた時間を測った方が向いてる、かも。
小休止状態でも緊張状態が抜けず。
予定した時間を過ぎた後、成果が少なかったらサボり過ぎた、お思えますし。
今まではサボっていても「まぁこの時間は除外だから」と危機意識が薄い。
時間は24時間。サボり時間分だけ長くなるわけあらず。、

2022/1/4
(無題) 1日まとめ記事
推し燃ゆの親と子のコミュニケーション描写を考えていて。
「典型的な毒親」というテンプレをはめたのか、それもと実体験なのか、とか考えていて。
「よくある一般家庭」を「実は子を殺す導線を紡いでるんだよ」という警告にしたなったのか。
「親の限界」を子の立場の読者に気づいて欲しかったのか。
こういう考えをしていると「作者の掌で踊らされてる」と批判されがち。
つまり読者が勝手に解釈し世界を広げて自分勝手に作者を崇拝する様が哀れに見える。
僕的には「理屈が通ってるので真実に思えてしまう虚実」であって本人の感情の価値を下げる言動。
作品は鑑賞者も一部なので。
まぁ何より、出来るだけ年少のうちに親は金づるだと気づき、親に対して良い子を演じる覚悟、親の言うことを聞いてるふりもしてその中で自分を見失わず我儘を貫く意志の強さが大事だという考えが強化された。
つまり親は「子供は子供を演じていることを理解しつつそれを楽しむ強かさ」「子どもの金蔓になることの喜び」を前提に生きていってほしいし、それくらい割り切らないと「理想をぶつけてストレスやら自分の惨めさを瞬間的に発散される生体道具」になってしまうので。
親への情、なんて今の社会では弱点でしかない。
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「典型的な毒親」というテンプレをはめたのか、それもと実体験なのか、とか考えていて。
「よくある一般家庭」を「実は子を殺す導線を紡いでるんだよ」という警告にしたなったのか。
「親の限界」を子の立場の読者に気づいて欲しかったのか。
こういう考えをしていると「作者の掌で踊らされてる」と批判されがち。
つまり読者が勝手に解釈し世界を広げて自分勝手に作者を崇拝する様が哀れに見える。
僕的には「理屈が通ってるので真実に思えてしまう虚実」であって本人の感情の価値を下げる言動。
作品は鑑賞者も一部なので。
まぁ何より、出来るだけ年少のうちに親は金づるだと気づき、親に対して良い子を演じる覚悟、親の言うことを聞いてるふりもしてその中で自分を見失わず我儘を貫く意志の強さが大事だという考えが強化された。
つまり親は「子供は子供を演じていることを理解しつつそれを楽しむ強かさ」「子どもの金蔓になることの喜び」を前提に生きていってほしいし、それくらい割り切らないと「理想をぶつけてストレスやら自分の惨めさを瞬間的に発散される生体道具」になってしまうので。
親への情、なんて今の社会では弱点でしかない。
