2018/3/2

ダレン・ブラウン:The Push 感想  映画(見たもの、見たいもの)

NETFLIX配信作品。

ネタバレ全開の感想です。


編集がすごいな、と思いました。

ラストスパートに一番の驚きを持ってくる、僕は「どこにピークを持っていくか?」ではこのパターンが満足度が一番高いかも。

ラストがなくても驚きの連続なんですよ。

そこでまさか、ラストがもっと驚くようなことがあるとは・・・と。

編集のあやですね。初っ端にラストを持ってくることも可能ですし。

編集=他人が鑑賞者に向けてどうしたら影響力、面白さが一番伝わるか、を構築する作業。


自分の目ではなくて相手から作られた影響という点で、以前よりものめり込みなくなりました。



ただ社会適合者を馬鹿にしたのではなくてその「社会適合とは?」と疑問を投げかける映画でした。

社会適合者ほど、不可解でも周りの環境に合わせ己をの不自然さを消そうとする。

これが証明された映像をみることができただけでもよかったです。

なぜなら、よく「自分で考えろ!」ていう叱責あるじゃないですか。

「周りに合わせてばかりで!」とか「自分をもて!」とか。

それができないのは「社会適合の能力が高い」からなんですよね。

社会適合度合いが高い人は板挟みになり、どっちにしたらいいのか悩みます。

そのフォローはされず、互いから批判されます。

「やっぱり自分で考えられないじゃないか」と「裏切るのね」という。


今作は「社会適合性が高いと危険」という注意喚起

今作が良いのは、その社会適合性の高さを責めないんですね。

「多くの人が同じ選択するよ」という、責めではなくて危険性を教授している。

「自分で考えろ!」という第三者視点からの命令ではなくて、「このまま社会適合を続けると、危険な目に遭います。それでも続けますか?」という問いです。

「自分で考えろ!」は僕が子どもの時によく言われましたし、今でもたまに言われます。

社会適合性を求める社会の中でこの発言というのは「言論マウント」の部類に属してもいいのだと自信を得ました。


じゃあどう指摘すればいいのか?

自分だけで選べない場合は「社会適合性が高い証拠」と指摘しつつ、

「ただ、社会適合性のON/OFF、またずっと高いのではなくて時には低くする、コントロールを身につけることは視野が広がるきっかけになるよ」


なんというか「〜できない」の裏には、その理由が当然あり、それは大体「高い○○な能力」である、と。

例えば高所恐怖症は高所において危険を察知する能力が非常に高い、ということ。


ワンフェスの時ガンダムフロント東京にいったんですが、7階かつエスカレーターが下から上まで吹き抜け構造でめちゃくちゃ怖かったです。

エスカレータはのれなくてエレベータでしか行けませんでした。高層マンションに住むことは僕には絶対無理です。






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