2020/8/14

「自分はすごい」の勘違いは良い/自信を付けさせる教育を蔑ろになぜするのか  1日まとめ記事

短めのテキストを2つ。

■「自分はすごい」の勘違いは良い。

さいとうなおき氏が「絵の上達には『自分ってすごい!』という勘違いが大事」というツイートをしていて。

勘違いは「よりレベルが高いところへ行ってしまった」から起こる現象。

つまり「あるレベル以下の層」では真実。

それが「何もできない赤ちゃんの頃から知っている両親目線」でも「すごい」のは確か。

「今の存在しかしらない」人からすると「同じ今の存在しか知らない」大勢と比較するのでレベルが上がる。



「自分ってすごい!」と思うのは小さい頃からある自分の記憶、自分が下手だったことを知っているから抱ける感想。

なので誰かに「勘違い」「自惚れ」と言われても確かにある面ではそれも真実だが、自分がすごいと思えた事実を離さないこと。

真実を「嘘」に変換しないこと。




■自信を付けさせる教育を蔑ろにするのはなぜなのか。

僕の世代、はたまた僕の周りだけ、いや僕だけかもしれませんが。

挫き、わざと自信をなくさせ「自分は代わりがどこにでもいる凡庸」と思わせ従順な人間にさせようという目論見。

「調子に乗るな」「たまたま」一つ目のタイトル「勘違いだ」と言われ、自信形成の機会を狩られた。


僕は他人から秀でていると自覚していることは「そんなことないよ」と隠し、また自分にも言い聞かせた。

「ただ隠しているだけ」じゃなくて抑えこむ、自分を否定していた。



自信を挫かせる人の狙いは従順にさせるためは勿論あるが、その場限りの快楽もある。

自分より下の人間が自分以上になるかもしれない火種を消すことでまだ自分は大丈夫だという安心感を得たい。

本人に「勘違いだったのかな」と自己否定させることで「やっぱそうだよな・・」と火種を消した罪悪感を薄めようとする。




自信を消火する言葉が多種生み出された背景、また「意識高い系」とか未だに作り出されている事実。

自信が湧いてもバレないようにするのがもはや社会組織に属すための必須スキルでもある。

他人からの妬みはそれだけ恐ろしいことなのだよ、という先人が残したアドバイスなのかもしれない。



ならば自分自身だけでも度が過ぎた自信形成をしなければコップ一杯の水でも消火される小さな自信しか生まれない。

映画のセッションを思い出すと、自信を挫かれ万人ならそこで終わるところを唯一消えなかった小さな火種を焚き燃え上がらせた、という見方ができる。


他人からの自信を消化させる言葉は必ず効果がある。

だけど完全消化されない限りまた焼べて元に戻る、どころか何苦楚と以前よりも大きな炎を巻き起こすかもしれない。


自分だけでも自分を信じるしかない。
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