2015/4/12

死にたいの解釈を美化し間違いにも関わらず正論と押し通す  

死にたいとは。

今回の「死にたいは」、は少しの失敗等での小さな呟きではなく「死を欲している」人間について。

「死にたい=さびしいってことなんだよ。」

「死にたい=なんとかしないといけない、という気持ちの表れだよ。」

「死にたい本人の甘え。経験不足からくる妄想。」

"死にたい”というとこういうことを言われるようです。

本心ではなく、裏になにかあるはずだ、と。

しかし「死を欲する」人はただただ死にたいのであって、それ以上の考えなどなく楽に死ねる方法を知りたいだけ。

本心を無理矢理創作し諭す行為は「ああ、結局誰に話しても何も起こらないんだ。」と対話を諦めさせる。

「よしわかった。楽に殺してやるから後ろ向け。」

そう言われた瞬間はぞっとし、自分を殺害するのに値する人間かどうかを判断、値する人物ならば後ろを向きそうでないのならば立ち去る。

楽に死ねる方法をただ探求し続ける人生。

線路投身自殺は、僅かなクズみたいな良心が、鉄道会社からの家族へ対する損害請求を考えると一歩踏み込めない。

1人で、一瞬、痛みを感じる間もなく自殺できる方法があればどれだけ救われるか。

日本がアメリカに比べ銃規制が厳しいのは自殺をさせないためではないか、と思ってしまう。

ダークな話でした。
0



トラックバックURL

トラックバック一覧とは、この記事にリンクしている関連ページの一覧です。あなたの記事をここに掲載したいときは、「記事を投稿してこのページにお知らせする」ボタンを押して記事を投稿するか(AutoPageを持っている方のみ)、記事の投稿のときに上のトラックバックURLを送信して投稿してください。
→トラックバックのより詳しい説明へ



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ