2021/4/21
「はじめの一歩の速度」を高めるのは才能がいるがその中でも自分で進化できやすい 1日まとめ記事
結果の作業量は同じ、変わるのは自分の考え方だけ。
何か行動を起こそうとするとまず結果を考える。
それで必要な作業量も同時に考えるけど、量が多いので面倒になり一歩が踏み出せないんですよね。
「はじめの一歩の速度」というのは速さ個人差あり、速い人は才能だと思います。
だけどこの才能は才能の中でも自分で変えられる可能性が高い部類。
さらに再現性があり応用できる能力。
所謂「ただしている人が少ないだけど普通にできること」だと思います。
そのあと続かなくてもとりあえずはじめの一歩に全力。
朝目が覚めたら布団を足でどける。
外行く時はとりあえず立つ。
料理する時もとりあえず立つ。

2021/4/20
自己中心、人生の見方を自分に嘘ついてでも明る方向にする 1日まとめ記事
ジェーンスー、堀井美香のオーバーザサン聴きましたか。
EP29。
常に自分の思考の角度は変えられる、ということを意識するようにします。
人間の脳は甘えん坊で「猿が操縦している」と揶揄される程なので「あたかも選択肢は一つしかない」と思い込んでしまうことが多々あります。
思考は自由なので悲惨にも喜劇にもできる。

2021/4/16
「心配性」なのか「対策をしっかりしている」なのか 1日まとめ記事
(1)
心配性=悪いことだと漠然として価値判断をしてきましたが。
でも「対策」、格ゲーとか何かの試験だったりでは有用な特性なんじゃないかと思い始め。
心配性なほど対策が深掘りができるというか。
感覚的にできるんですよね。
(2)
心配性を軽減する感覚に従って準備すれば自ずと対策になっていくからです。
でもこの心配性、第三者からみたら「神経質で独りよがりな危険なやつ」と見られる場合もある。
(3)
軽減するためにあらゆる対策を講じると「やりすぎ」と批判されがち。
人によっては「しっかりと対策していて偉い」と高評価に繋がるんですが、そんな人ごく稀だなと。
本人にとっては意味があるのに「意味がない」と断じたり。
そんなふうに「お前は変だ」と言われ続けると「対策をせず心配を解消しない、見て見ぬ振りでごまかす」ようになってしまう。
(4)
過去にあまりにも心配でひたすら勉強していた時「お前は大丈夫だよ」と声をかけられたことがあり。
その時は何も思わなかった逆に煽りかと思ってましたが、今振り返ると数少ない心配性を肯定的に見てくれた意見だった。
(5)
最近実験的に心配性を利用した対策を試みたんですがかなりいい線いったんですよね。
他人から「やりすぎ」「おかしなやつ」と言われるだろうけど、本来みんなそのくらいするべきなのにただしていないだけまであると思えてきました。
長年自分の心配性は障害的な何かではないかと、家族に指摘されてそう思い込んでいたんですが。
この類を相談するなら同じレベルまたはそれ以上の人としないと「変なやつ」で終わるんですよね。
(6)
自分の感覚を最優先、と書くと頑固で独りよがりに思われますが。
でもこれは同時に「他人の感覚も尊重する」ことにつながる。
自分の感覚を守るためには相手の感覚も尊重する。
個々人感覚が異なることを前提にする考え。
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心配性=悪いことだと漠然として価値判断をしてきましたが。
でも「対策」、格ゲーとか何かの試験だったりでは有用な特性なんじゃないかと思い始め。
心配性なほど対策が深掘りができるというか。
感覚的にできるんですよね。
(2)
心配性を軽減する感覚に従って準備すれば自ずと対策になっていくからです。
でもこの心配性、第三者からみたら「神経質で独りよがりな危険なやつ」と見られる場合もある。
(3)
軽減するためにあらゆる対策を講じると「やりすぎ」と批判されがち。
人によっては「しっかりと対策していて偉い」と高評価に繋がるんですが、そんな人ごく稀だなと。
本人にとっては意味があるのに「意味がない」と断じたり。
そんなふうに「お前は変だ」と言われ続けると「対策をせず心配を解消しない、見て見ぬ振りでごまかす」ようになってしまう。
(4)
過去にあまりにも心配でひたすら勉強していた時「お前は大丈夫だよ」と声をかけられたことがあり。
その時は何も思わなかった逆に煽りかと思ってましたが、今振り返ると数少ない心配性を肯定的に見てくれた意見だった。
(5)
最近実験的に心配性を利用した対策を試みたんですがかなりいい線いったんですよね。
他人から「やりすぎ」「おかしなやつ」と言われるだろうけど、本来みんなそのくらいするべきなのにただしていないだけまであると思えてきました。
長年自分の心配性は障害的な何かではないかと、家族に指摘されてそう思い込んでいたんですが。
この類を相談するなら同じレベルまたはそれ以上の人としないと「変なやつ」で終わるんですよね。
(6)
自分の感覚を最優先、と書くと頑固で独りよがりに思われますが。
でもこれは同時に「他人の感覚も尊重する」ことにつながる。
自分の感覚を守るためには相手の感覚も尊重する。
個々人感覚が異なることを前提にする考え。

2021/4/15
ゲーム欲を高めるためには発売前までの準備が最重要になった 1日まとめ記事
(1)
発売後おもしろそうだなーと思ったら買うスタイルでしたが。
子供時代そうだったんですが、発表されてから発売までいかに自分の中で盛り上がるが鍵なんだな、と。
開発費より広告費の方が高いゲームを見るたびに「開発費に割いてクオリティ上げろよ!」とつっこんでましたが。
統計的に広告の方が大事で開発費を上げても一定のところで鈍化して効果が薄くなるってもう結果がでてそう。
(2)
いくら後から面白い!と話題性が上がっても購入してから「なんかあんまだけでとりあえず最後まで・・・」と惰性でプレイして結果「やっぱあんまりだった」ということが多く。
自分の感情は自分しかわからないので「妄想」が最強なんですよね。
妄想、この場合は発表から発売までの情報を集約して勝手に「こんなプレイがしたい!」「こんなことできるんじゃないか!?」と期待すること。
この「期待」だけでも十分価値ありますし、つまりゲーム買わなくても価値ありますし、期待外れだったとしても「期待していた時間」だけで色々な想像、期待外れだった部分の改善点をだして人生に活かせるんですよね。
(3)
映画でもそうですが、できるだけ情報なしに見た方が面白く感じるはずだ!という価値観は僕にもあります。
だけど僕は猜疑心が強いのか「本当に面白くなるのー?」「あーこれハズレかー?」とか見ている最中に思ってしまうんですよね。
ある程度事前情報がないと「疑いの目が基本」になります。これは個人的な生き方ですよね。疑うのが前提。
多分、僕のような人間がいるから「アバンタイトルで全力を出す」映画が結構あるんだと思います。
(4)
結局僕は「ずるい」「せこい」が人格の基盤にあるんです。
「読書」「映画鑑賞」「ゲームプレイ」だけではだめで他の付加価値がないとだめなんです。
「会話の種になる」とか「創作に活かせる」とか。
その類で「事前情報を集め妄想し期待する」が属す。

2021/4/12
何かやりたい理由が「かっこいいから」だけでも十分 1日まとめ記事
(1)
何かをやりたい時に「かっこいいから」だけだと「それは理由じゃない」と否定されがち。
作文調で200文字くらいは書けないと「本当の理由」じゃないらしい。
(2)
小学生の頃からそう叩き込まれましたが、今の僕からすると十分すぎる理由です。
「かっこいい」とかの短すぎる理由がダメなわけは「本当の理由じゃないから」じゃないです。
授業の都合上「本人の感情よりも文字数を優先」「短かい=稚拙」「先生が納得できないから」です。
やりたい理由なんて本人だけの自己完結でいいのに。
ただ誰かから支援、巻き込みたい場合は「それらしい理由」が必要になるので作文の授業は必要だったかも。
(3)
ただ「他人を説得するための儀式」として教えてくれたらいいものの、本人の感情を否定し長文の必要性を説くの間違ってる。
「自己肯定感を高める」ことよりも「自己を否定し上部を練り上げ他人に気に入られる」ことを重視するのが学校教育。
わざわざ「自己を否定」しなくてもいいのに。「わがまま」「迷惑」「あなただけ」とか。
元々「上部だけ」と理解している人は先生に自己否定の強要されず隠蓑を上手く使えている。

2021/4/11
本番失敗率95%の人間の考え方 1日まとめ記事
(1)
最近練習について考えてます。
「練習は本番の質を上げるため」なんですが、その効果が最も高いのは「本番を経験する」なんですよね。
「本番を経験する」ことが「本番の練習」であり、もし一度しか体験できないのなら「練習不可能」となる。
(2)
この考え方にたどり着いた時「練習は本質をぼやけさせる」みたいな、所謂ネガティブワードなんだなと位置付けました。
練習は本番でしかなしえないし、練習とされるものは効果が薄くやるだけ無駄まである、と。
練習したために「予想していた本番との違い」で戸惑いマイナス効果になることさえある。
(3)
理屈は通るけど違和感は拭えず。
「本番の貴重性」は無視できないからです。
本番の機会を自分でコントロールすることは難しいですし、評価する他人が関与する。
「練習は無駄だから」と本番まで何もしないというわけにはいかず。
(4)
なので「いかに本番に近い環境を整えるか」が練習の質を上げる。
「環境を整える」そしてそれ以前の「どうやったらその環境に近づくか」だけでも所謂「勉強の範囲内」になる。
(5)
こんなの「当たり前」に属すんですが。
僕の中では「練習せずに本番で成功」に美徳があるんですよね。
さらには「その方が人間として能力が高い」とさえ思っている。
「本番に近い練習」をしているだけでも「逆に能力が低い」とさえ。
「練習に近い環境を整えられる」は個人差がある能力で、その重要性の理解度も個人差ある能力。
練習はしないけど本番に強いというのは確かに魅力ある能力だけど上手くいった理由は「自分が出せる能力以下だから」というのがほとんど。
「自分の能力より高いことをする」場合は練習が必要となる。
(6)
僕は本番での失敗率が95%はあると思うんですが、その理由が多分ここにあるんですよね。
・練習をせずに本番で成功することに美徳を感じる
=自分の能力以下のことのみ適応可能。
・すでに自分ができることには興味がなく、自分ができないことに挑戦する刺激がが好き
=自分の能力より上のことに挑戦する。
この二つが混じり合った時、僕の場合は「自分ができないことを本番でする」という失敗しかあり得ない選択肢をしていることに気づく。
(7)
なので「練習がむしろ本番」「本番はお遊び」くらい極端に考えてもいいなと僕の場合。
本番は「本番の空間にいる」だけでも疲労しますし。

2021/4/8
「嫌な経験をしても嫌いにならないことが本当に好きなこと」という嘘 1日まとめ記事
(1)
嫌な経験、他人に貶されたり頑張ったのに報われなかったり。
そんな経験してもなお「好き」だったらそれは才能がある証拠、みたいな。
嘘です。
普通に嫌いになります。
もし嫌いにならなかったら逆に疑った方がいいレベル。
DVする配偶者を愛し続けるのと同じなので。
(2)
嫌いにならない工夫が必要。
おかしくね?てなりますが。好きなことって何よりも優先する、勝手にそうなるから工夫する時点で好きなものじゃなくね?と。
違います。世の中「好きなものを嫌いにする」罠だらけで、折角好きになったものを手放さないようにしないといけない。
「わざわざ工夫してまで好きな状態を保つ、方が好きのレベル高い」というのが現在の考え。

2021/4/7
生産者的創作、消費者的創作の違い 1日まとめ記事
(1)
勝手な造語。
感覚的に創作には2種類「生産者的」と「消費者的」があるな、と。
生産者的は第三者に売る目的での創造。
消費者的は自分だけで自己完結する創造。
(2)
注意するのは生産者的創作。
軽い気持ち、深入りしない、時短を優先しないと心が持たない。
「消費者」と同じようなモチベーションだと100回成功しても1回の失敗で心を病みますし創作意欲がなくなります。
「本気」「執念」「納得するまで試行錯誤」は「プロ意識」とされがちですがこれで成立するには「かなりの運要素」が必要。
援助してくれる周りの人は必須ですし、それを待ってくれるファンがいるのも前提ですし。
(3)
番外編。
「お金と時間」が関与すると選択肢の価値が変わる。
僕は「お気持ち」主義。食べたいものがあったらそれこそが至上の価値だとして探しまくったり。
「お金と時間」だと「探す」時点で価値が下がる。
「すぐ食べられる」だけで価値が上がる。
この視点が大事なんですよね。

2021/4/7
「理想の高さ」を維持するためには冷淡な切り捨てを瞬時にする必要性 1日まとめ記事
■
理想が高いと「執念深さ」が自然発生する。
だけどその執念深さはあちこちの方向へ行ってしまい、特にサンクコストへ行くことが多い、個人的に。
そうなると本来の「理想の高さ」よりも「もったいない」が優先されてしまい納得いかない形のまま突き進んでしまう。
■
なので「理想が高い」状態を維持するためには「切り捨て」をしていかなければならない。
損を感じてもすぐさま取り除く。
そうしないとすぐに「もったいない」の方向へ舵を切る。
■
あくまでも「執念」は「高い理想」を現実にするための焼べる薪。

2021/4/3
気分は視覚情報で変わると言っても過言じゃないかも 1日まとめ記事
想像以上に影響を受けている。
例えば食器洗い。
最後に溜まった食器を一気に洗うのが効率的と思いがちだけど。
見た瞬間疲れてしまう。なので実は料理作りながらこまめに洗うのが効率的。
この「見た瞬間に疲れる」という不合理とも言える視覚情報による感情の揺れが行動や判断に思いの方か影響するな、と。
無視しているようで実は無視できていない。
「肩こり」という概念が輸入されるまで「肩を凝る」感覚がなかったアメリカ、この例と同じ理屈。
朝布団からなかなか出られない現象も、温かいからじゃなくて「視覚情報に刺激がないから」かもしれない。
ちょっとセンシティブな話になりますが。
視覚情報に過敏な人、過剰にリアクションをとる人を「おかしい人」「何かしらの障害がある人」と見がちですが。
確かに「正常」と分類される人はそれらを無視して全く気にせずに過ごせるんですが、実は何かしらの影響を受けているのに感知できるだけのセンサー感度が低いのかな、と。
成功者と言われている人の本を読むと「普通は気づかない細かなところに着目している」というよくあるパターンがあります。
つまり「過敏な人」と「成功者」は細かなところに気づくという共通点があって、逆に「正常」と呼ばれる人たちはセンサーが鈍い
人類全体を見ると下層に位置する、かもな、と。
世が世なら逆転怒るというか今「正常」と呼ばれている人たちが「異常」に分類される可能性もあるな、と。
視覚情報をコントロールして生きる活力をつける。
やっぱフィギュアは最高だな!って話なんですよね。
