2017/8/21

愛されキャラ  パワーワード

好意的な言葉に言い換えして上下関係を築き相手を我が物にしようとすうることってよくあります。

「愛されキャラ」もそうです。

自分の範疇に収まるキャラクター性をもつ人に対して使われがち。

「お前は俺を絶対に裏切れない」

「お前は俺を絶対に超えられない」


という上から覆い被さる意志を隠しています。

「愛されキャラ」の当人は「愛されキャラを脱却すること」に対して恐れを抱きます。

「そんなやつとは思ってなかった」という一方的な価値観の押し付けによる被害者です。


人が人にたいして行う「キャラ付け」は

・これ以上あなたのことを深堀したくないという意志表示
・俺が制定したキャラ通りに動けという操作欲


以上からなるものですが、これは多くの人間と関わらないといけない昨今ではシンプルに人間関係を整理できる有効な手段でもあります。

しかし同時に

・俺はキャラ付けすることで人間を浅はかに規定する真の浅はか人間だ

という表明でもあるので+と−を考えるとキャラ付けは人間にしないほうがいい。
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2017/7/26

他人の不幸は蜜の味  パワーワード

この慣用句を発明した人は受験の滑り止めという一般知識を生んだ人並に罪があります。

これのせいで自己正当化し時には他人を巻き込んで負の社会をひろげる。

他人の不幸=自分にとっていい物と正当化していいはずがない。


人が自然に感じる事だがいい結果を生まずむしろ悪い方向へ引っ張られることを注意すべき。

しかしこれはそれを強化促進推奨している。

慣用句やことわざでこの類いに属するものは消滅させるかブラックユーモアとして完全消化しなければ。


これ経由で意気投合とかやってはいけない悪党ですよ。


「疑う」が基本ですよね。

「疑い深いとは自分を信じていない証拠」とか様々な言語手段で責められることばかりですが。

人間が外部の概念、思考を中に入れるためには疑いっていう関門を通る必要性。

通らない時。

1、洗脳
2、強制(人権侵害)
3、前から自身も同じようなことを考えていた

他人の不幸は蜜の味。ざまぁみろ。

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2017/7/16

筋肉をつける、格闘技を蓄えると自信がつく  パワーワード

相手をいつでも倒せる、威圧感を与えると自信がつく。

これは想像容易いですし、実際効果抜群でしょう。

しかし、自信をつけるためというのはとてもインセンティブが高い理由だと思います。

自信がつくとそれで終わり。どんな方法であれ。

だから、何によって自信をつけるのかの選択が大事。

筋肉で自信がついた人は、知識で自信をつけようとはこれ以上考えない。

ターンエーをみて。
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2017/7/15

消したい考え、感情  パワーワード

・懲らしめてやる
⇒相手に依存してしまう考え。考えを歪曲してしまう

・我慢したらいいことがある
⇒無かった時の絶望感。

・相手に趣味、好きな物を聞く
⇒安易に人の中へ入ると責任感が生じ時間を浪費
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2017/7/14

宗教は思い込みの大枠内にある  パワーワード

宗教。

分派する概念ですが、その大元は思い込みではないかと。

自由度が上がる程不安定。

相手に危害を与える人程、思い込みという後ろ盾があるんだと思います。

「気持ち悪いねきみ。」
⇒自分は気持ち悪くないという思い込み、だから人に言っても自分は大丈夫。

「頭おかしいね」
⇒自分は正常であるという思い込み。だから〜

自由を求めてる人は自然と悪口等の相手に危害を与える事を避けます。



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2017/7/11

全てにおいて否定を持つ時、気をつけよ  パワーワード

否定をする、というのはその事柄に関心を持っているということ。

そして自分は何かしらの影響力、支配力を持っているということ。

これは「これが好きです。」という意思表明と同じですが、否定は意思表明せずともそう心隠しています。

否定から改善が生まれる場合と、生まれない場合があります。

生まれる場合は否定に気づいた瞬間から改善に向かう事で人生を豊かにします。

しかし生まれない、つまりコントロールができない場合は否定し続けることなります。

否定し続ける事により、より否定箇所を見つけまた論理的になります。

そのことによりさらに「支配力・影響力」を持っていることに悦に浸ります。

しかし、いくら豊富かつ説得力ある否定を所持していていも、改善は生まれないのでどこまでいってもそのままです。

否定し続けることにより論理的思考能力を肥やす可能性は大いにあります。

しかし、問題は「世の中には良い事」が溢れているという事実。

「否定しつづける」を選択することは「出会うことができた良い事・楽しい事」の機会を失っているとのと同意義。

「良い物に出会う可能性はない」という普遍的事実があれば話は別ですが、世の中は潤沢に良い事が存在します。

よって、その真実から否定し続けることはどれだけの機会損失なのか自己認識をする必要があり、恐らく否定し続ける人はその真実をよく知らない。

それでも否定し続ける人は先述した「影響力・支配力」を欲している人。

しかもそれは過度で、他人を自分に考えに同調させたい、染めたいという自由思考の侵害にまで及んでいます。


以上より、否定は有意義な一面があり疑う事無く実行しつづける言動であり、悪影響を垣間みることを防壁する一面もあり非常に注意すべきコミュニケーション手段です。

ちなみに「無駄」なコミュニケーションは自然淘汰されるのでさほど問題はありません。

必要ないこと=無駄であり、否定は無駄なコミュニケーションンではなく一定の影響力があるので危険だということです。

否定は非常に高度なコミュニケーション道具であるということ、時には必要でありどこで効果的なのか熟知するべき手段です。

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2017/6/27

褒める  パワーワード

人が褒めたって、それが本音なんか一生わかりませんよね。

褒める事で印象づけたいだけなんてざらですよ。
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2017/6/26

「その質問の答えはもっと上の学年で習う事だなー」  パワーワード

小中で主に言われていたが、これは文部科学省が判定した事であって、個人には関係ない。

つまりそうやって生徒達の疑問を解消せず空中分解させたままにしている。

教育の悪例。

先生はそう言うしかないので、個人がなんとかして自己防衛策を作らなければならなかった・・・・・・。
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2017/6/25

人の心配より自分の心配  パワーワード

これは「相手を突き放せ」と同意義として受け止めないと僕は消化できません。

恐らく言葉そのまま「相手の心配する時間があったらまず自分を心配しろ」以外の意味は持たないはず。

しかしこんなこと本当にできるのかってつい考えてしまう。

どこの範囲までなんだろうか、とかどのレベルまでだろうか、とか。

この言葉を言われるときは自分が比較的危険な時。

しかし、それ以上に知り合いが危険な目にあっていれば?とか。

そんなことも考えるな!ってことでしょうが、ならばそこまでいうなら少しくらい助けろよ、と思ったり。


「人の心配」を商売にしている企業なんてごまんとありますし。


実際自分だけに注いだら「自己チュー!」て非難しますし。



無理矢理肯定してみます。

人は追い込まれたらまず自分を助けようと動きます。

溺れた時、いじめられた時、銃で脅された時。

その時は「人の心配を考える余裕なんて無い」から「自分の心配のみ」考えます。

中動態からの視点で扱うと、相手からそうせざる負えない状況に置かれた、ということです。


「人の心配より自分の心配」はそこまでの状況下ではなく、自分をコントロールする余裕が残っています。

だから人の心配をしてしまうんですが、そこを自制し「相手からそうせざる〜」へ自らの思考で導く事。

確かに、危機的状況だと爆発的な行動力を生みます。

これを環境や人に関係なく、自らの手でいつでも引き出せるようにしろ、ってことです。

無理矢理に肯定化しましたが、こういうことでしょう!たぶん。

精神や思考にも「体力」が存在している事は科学的根拠から明らかと何かの行動経済学系の本で読んだので、これによる疲労はなかなかのもの。

「人の心配より〜」と助言してくれる人は同時に心の癒しも提示して欲しい物ですね。

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2017/6/25

死ぬ程がんばる  パワーワード

死ぬ程がんばる。


なんて美しく力強いんだ。そう思ってました。



しかし、これは危険思想。

相低迷惑、じゃなくて自分に。

というのも、行動よりも「死ぬ程」に引っ張られてしまえばもう終わりです。

「行動」より「精神」を追い込む。

本人はまじめに死ぬ程苦痛な思いをするんですよね。

しかしそれがイライラ、苦肉の感情に支配されて行動自体が上手くいかなくなる。


なので、「死ぬ程がんばる」という目標ではなく、「死ぬ程がんばった」という結果ではないといけません。

行動中はできる限り精神を「楽に、楽しく」するべき。

教育者が「死ぬ程がんばり!」と指示するのはものすごいパワーワード。

何がともあれ度合いを「死ぬ」で表現する人のことはそのまま受け取らないように努力しなくてはいけません。

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