「本日は、戦没者を追悼し平和を祈念する日です」(政府広報・厚生労働省)が各紙の一面に載った。
第二次世界大戦が終結して62回目の「終戦記念日」が訪れた。戦争による加害者側も被害者側も、この戦乱の中で多くの惨たらしい死を迎え、二度とこのような戦乱を起こすまいという願いを込めて、この暑い一日を思い返す日である。しかし、この政府広報の意味するところとは大きく違う。“皆、余分なことは言わずに戦没者を追悼し、正午から一分間の黙とうを”と、言いたげだ。
国家というものはなぜ残酷な行動を執るのか?
集団自決や特攻をさせたものは何なのか?
国家を動かした張本人は誰なのか?
忌まわしい慰安婦問題を起こさせた軍国精神はどこから生まれたのか?
それでも今なお、慰安婦問題を強制でなかったと言い張る国家がある。
そして同時に、「戦後レジュームからの脱却」や「美しい国」を掲げる首相が加害責任への反省を平然と言う。
今もう一度、ニッポンという国家が犯した行動を見直す必要がある。
「何だった 日本の戦争」(しんぶん赤旗8月12日日曜版)は長期にわたる海外侵略の軌跡を分かり易く解説している。「領土拡張と他国の支配狙った侵略の歴史」として解説している。ここでは、アジア・太平洋における日本の戦争を四つの段階に分けて考えている。
第一段階:日清戦争(1894〜95)、日露戦争(1904〜05)
朝鮮王宮を日本軍は支配下に置き、台湾を清国から割譲(1895)し住民弾圧を行った。そして、「韓国併合」(1910)し、日本政府は「帝国百年の長計」と記した。
第二段階:第1次世界大戦(1914〜18)、満州事変(1931〜)
強大な軍隊「関東軍」を南満州に配置し、南満州、内モンゴル、山東省を支配し、中国を日本の属国化とした(1915)。そして、この野望の拡大に向け「満州事変」に突入し、1932年に傀儡国家「満州国」を作った。「豊富な資源」を目的としていた。関東軍が自ら起こした鉄道爆破を中国軍の仕業として、戦争を起こすキッカケとした。卑劣な策謀は報道と共にニッポン国家に庶民を巻き込んでいる。
第三段階:日中全面戦争(1937〜)
1937年に「盧溝橋事件」が起り、対中国全面戦争に突入した。日本軍の北京近郊での演習に対して何者かが発砲した、とするものであった。「捕虜の扱いを定めた戦時国際法を無視」して、「南京大虐殺」を引き起した。
第四段階:太平洋戦争(1941〜45)
日独伊で世界分割に突き進む。
そして、残虐な沖縄戦、各地の米軍による空襲、広島・長崎への非人間的核爆弾の使用によって、終戦を迎える。
被害者は常に庶民であった。
国家は庶民を犠牲にし、その責任も曖昧にさせている。
それでも小泉前首相は靖国参拝を堂々としている。高市大臣や超党派の46人の国会議員も。
「戦争という歴史」(朝日新聞8月15日社説)で、「新藤(兼人)さんは、戦争が勇ましく、人が死ぬことが美しく描かれている本や映画を見ると、怒りがわいてくる」、そして「醜さを伝える責任」があることを載せている。
単に手を合わせる日ではない。痛ましい戦争という事実に向かい合い、戦争を起こした国家のやり口を確認しなければならない日である。
この国家にこのような行動を取らせないための枠組みを明確にしなければならない。「憲法」という枠組みとその不戦・平和思想を国家にぶつけなければならない。そんな
関係性を互いに強めよう。

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