2009/9/6

新型インフルエンザの実体  危険なワクチン
■ ようやく真実が報道され始めた ■

http://www.mypress.jp/v2_writers/beep/story/?story_id=1855612

長いので引用はしませんが、
今回の新型インフルエンザの感染率は1.5で、
通常の季節性インフルエンザの1.3よりはやや高いようです。
これは、高齢者以外免疫を持っていない事を考えれば、
むしろ低いとも言える数値です。

又、死亡率は季節性インフルエンザと同等か、やや低い程度と目されています。

さて、この様なインフルエンザは社会的脅威でしょうか?

■ WHOのトーンが変わってきた ■

ここにきてWHOもトーンダウンせざるを得なくなっています。
それでも彼らは、妊婦の重症化を煽り、
若者の肺への直接感染の危険性も過剰に強調しています。
しかし、彼らの発表に専門家からも疑問の声が上がり始めています。

■ 機能しないワクチン接種 ■

日本でも国産ワクチンの接種が10月下旬から始まるようです。
ワクチン接種から免疫が得られるまでの期間が1ヶ月程度ですから、
ワクチンの効果が現れるのは、11月下旬となります。
さらに、これは、国産ワクチン1800万人分ですから、
優先順位の低い大方の国民がワクチンの接種を受けられるのは
11月以降という事になります。

一方、感染ピークの予測は10月初旬です。
ワクチンの接種が始まる10月下旬は、インフルエンザの感染は終焉に向かっています。

これでは、ワクチンの接種はタイミング的に遅すぎて機能しません。
厚生労働省は無策による非難を避けたいのでしょうが、
果たして、無意味なワクチン接種にどれだけの価値があるのでしょうか?

■ ワクチン接種を拒否するイギリスの医療従事者 ■

http://www.dailymail.co.uk/news/article-1208716/Half-GPs-refuse-swine-flu-vaccine-testing-fears.html

<引用>

かかりつけ医の半分近くが豚インフルのワクチンを接種することを望んでいない。
医者たちはワクチンが準備され次第接種を受ける最前線となるが、多くの医者が、患者にはワクチンを提供するとしても、自分の接種は断るだろう。
ワクチン注射を断る医者の3分の2以上が、ワクチンは十分にテストされていないと考えている。

また、多くの医者が、ほとんどの場合にインフルエンザが弱毒性に変わってきたので、ワクチンは必要ないと考えている。

<引用終わり>

以前、日本でもインフルエンザ脳症を引き起こすとして、
小学校などで強制的に行われていたインフルエンザの予防接種が行われなくなりました。
ワクチンによるインフルエンザ脳症の発症率は非常に低いのですが、皆無ではありません。
自然感染の広がりで、感染してインフルエンザ脳症を起す人数と、
ワクチン接種によってインフルエンザ脳症を起す人数とどちらが多いでしょうか?

現在、季節性インフルエンザのワクチン接種を行われる方は、
高齢者か、受験生とその家族、仕事が忙しくて休めない方が中心です。

感染率も、死亡率も、症状も季節性インフルエンザと変わらない今回のインフルエンザで、
無理にワクチンを接種する必要がどれだけあるのでしょうか?
ましてや、輸入されるワクチンは仮に副作用があっても、
製薬会社はその責任を一切負わないという条件を出しており、
さらには、安全性の確認すら済んでいない物を、
今、予約しなければ他国に回すと、脅しまで掛けてきています。

さて、これが安全な薬事行政でしょうか?

■ 段階を追って簡略化される対策 ■

息子の高校ではインフルエンザの発症者が二人出たクラスが学級閉鎖になっています。
この程度で学級閉鎖をしていたら、10月初旬には学校から生徒が居なくなってしまいます。

しかし、5月や6月時点では、感染が確認された学校と、
その兄弟が登校中止になっていた事を考えると、
インフルエンザ対策も随分と簡略化されました。

一ヶ月後には、季節性インフルエンザ並みの扱いになっているでしょう。
政府が買い上げた大量のワクチンが、使われる事無く破棄される可能性もあります。

今回のインフルエンザの教訓は、
「空気感染で症状の軽いウィルスの封じ込めは不可能」という事です。
WHOがどんなに騒ごうが、社会活動を一切停止出来ない以上、
この事実は変わりません。

尤も、重篤な症状を伴うエボラ出血熱やSARSや致死率の高い新型インフルエンザが
今回の様な感染の広がりを見せる事は無いでしょう。
軽症者が歩き廻ってウィルスを伝播する可能性が低いですから。
感染者のほとんどが重篤化する場合、感染は一部地域に限定されます。
そうでなければ、人類は当の昔に絶滅しています。
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2009/9/6

小説では描けない世界・・・「海獣の子供」  マンガ
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■ 表紙に抵抗出来ない ■

CDは「ジャケ買い」、本やマンガは「表紙買い」をモットーにしています。
何の情報も無いCDを掛けて、音が出た瞬間のドキドキ感がたまりません。
外れたーって思う時もありますが、大体は聞いているうちに気に入ります。
尤も、ビジュアル的に深層心理に語りかけるジャケットや表紙は、
何か共通の波長を発してているようで、大体ジャンルや傾向が似ています。

しかし、稀に全然思いもしなかった内容に行き当たったりもします。
そういう時、新たなジャンルの引き出しが出来たようで、一人でニンマリしてしまいます。

さて、最近の1冊は「海獣の子供」、五十嵐大介という人のマンガです。
本屋に行く度に表紙が気になって、ついつい手に取ってしまいますが、
連載物は何巻か揃ってから買わないと、次が待ち遠しいので我慢していました。

ところが、先日、単巻完結だと思って、思わず購入したら、
なんと「海獣の子供」の4巻目でした。
始めは気付かずに、話が唐突だな・・・などと思い読んでいましたが、
グイグイ引きこまれて、一気読みした後に、背表紙に「4」の文字を発見して愕然。
慌てて、1〜3巻を買いに走りました。

■ 海・水・魚・鯨 ■

周囲に溶け込めない少女「琉歌(ルカ)」は、不思議な少年「海」に出会います。
「海」は兄の「空」と共に、海洋学者のジムに保護されています。
「海」と「空」はジュゴンに育てられた子供達です。
さらに、彼らは「人ならざる存在」、海という彼岸の彼方から来た存在です。

海洋民族の間には、「海から来た人」の伝承が多く残されています。
彼らは、時に崇拝され、時に虐殺され、時に無視されて現れ続けます。
何のために彼らは現れるのか、ジムは研究に没頭しますが、
彼は同時に「海」と「空」を慈しんでいます。

人と馴染む事の無い「海」と「空」ですが、何故か「琉歌」を気に入ります。
それは、「琉歌」が彼ら同様に、海の声を聞くことの出来る人だからです。
「琉歌」は海女の家系です。彼女の遺伝子が海と強く結び付いていたのです。

「海」と「空」を巡り、ジムや彼の弟子のアングラードの前に
海は奇怪な様々な現象を見せ付けます。
そして、それはあたかも、何かの予行練習のような・・・。
宇宙と海と地球を繋ぐ壮大な世界の扉が開かれようとしています。

そして、そこに深く係わるのが「女」達です。
子を産む事で、生命を創造する「女」。
今、「琉歌」が、そして彼女の母親の「加奈子」が、事件の中心に迫ります。

・・・・と書いてみて・・・全然分かりませんね・・・。

■ 絵でのみ伝わるもの ■

海洋物としては先日読んだ「深海のイール」も良く書けた小説でした。
しかし、小説はあくまでも論理的に展開されます。

しかし、マンガは論理性が希薄でも伝わる媒体です。
五十嵐大介の絵は、商業的に完成された絵ではありません。
しかし、そこからは潮の匂いが沸き立ち、肺を海水が満たす感覚がしてきます。
鯨やアザラシや魚の目の、何と深遠な事か・・・。
彼岸の彼方を覗く窓の様に描かれた、目。
海中を泳ぐ子供達のしなやかな動き。

物語とは別の何かが、全編を覆って支配しています。
そして、それは物語に深みを与え、謎が謎である事を必然に変えます。


一切の効果線を配した絵柄ですが、
海中を泳ぐ子供も、クジラも、魚も、そして波を切るヨットも、
まるで動いているかの様に見えます。

動きの中の一瞬の静止。
次の動きに移る一瞬を見事に切り取った絵柄は、
優れた写真のように動きを予感させます。

浮上するイルカが、一瞬で海中に没する時の一瞬の静止。
ジャンプする鯨の、落下に転じる一瞬の静止。
ヨットの舷側に波が砕ける瞬間。
その瞬間に、居間で寝転がっている現実を忘れ、大海原に連れ去られてしまいます。

文章では書き表す事の出来ない、根源的な何かを感じさせるこのマンガを、
ブログで文章で表現する事は不可能です。
真のマンガ好きで無ければ読み進める事も難しい一冊ですが、
マンガが小説を軽々と越える表現手法である事を確信させる1冊でもあります。
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