2021/7/19

圧倒的な映像と圧倒的な駄作感・・・『竜とそばかすの姫』  アニメ
 

クリックすると元のサイズで表示します
『竜とそばかすの姫』より


ここから下は未見の方はご遠慮下さい。



■ 圧倒的なんだよ・・・ ■

未見の方が多いと思いますので、あまり細かくは書きません。

「圧倒的な映像表現が随所にちりばめられた、圧倒的な駄作」 以上。



冒頭15分のバーチャル空間の映像だけで観に行く価値は十分あり、

駅での「グラナダの奇跡」の進化系を観るだけで往年のファンには嬉しい。

なのに、何故か、観終わった後にに圧倒的なガッカリ観が襲って来る・・・・


脚本だよね・・・。


細田監督は『美女と野獣』をやりたかったと語っている様ですが、マンマじゃねぇーか!!

捻れよ・・・。



さらに・・・野獣の正体は・・・おい、これあり得んだろう・・・。

父ちゃん、モブキャラじゃねぇーか!!?

母ちゃん、何であそこで激流に挑むの?

おい、男子高校生二人・・・君ら物語に絡んでいないじゃん、「時かけ要員」ですか?

コーラスのオバちゃん達誰だよ・・・って、何で歌えない娘が市民コーラスに居るの???

おい、サックス吹いてる美少女・・・カワイイじゃん・・・

カヌー男子、お前主人公とどういう関係だよ・・・説明無いじゃん・・・・。


■ 脚本の役割 ■

カンヌで濱口監督が脚本賞を受賞しています。村上春樹の原作を映画化した「ドライブ・マイ・カー」による受賞です。

文章としては完成の域に達していると思われる村上春樹の原作を映像表現にするに当たり、脚本は「取捨選択と補足」を要求されます。(未見なので詳しくは分かりませんが)

例えば、原作では時系列で進行している物語を、クライマックスからスタートさせる手法は一般的です。観客は飽きやすいので、最初に掴みが無いと「つまらない」と感じるからです。

或いは、文章を映像化するに当たり、セリフを大幅に削る事も在ります。映像で説明出来る所は映像に任せた方が効果的な場合も多いからです。

登場人物をマルっと削る事も在ります。映画の尺に合わせる為に不要なエピソードを削る為です。或いは主人公が男性から女性に変わる事も在ります。『夏美のホタル』がこの例で、原作は男性が主人公でしたが、映画では有村架純が主人公となっています。

この様に、映像作品における脚本家の役割は非常に大きい。特にオリジナル作品の場合は、物語の全てが脚本家に委ねられています。

■ 「必然性」と「偶然性」そして「必要性」のバランス ■

上の書いた様な事は、脚本の技術的な問題に過ぎません。

脚本に限らず物語に必要なのは「必然性」と「偶然性」そして「必要性」のバランスだと私は考えています。

例えばラノベやアニメ作品がバカにされる原因となる「ご都合主義」ですが、これは「必然性の欠如」と言い換える事が出来ます。物語の進行上は「必要性」が高いのですが、「必然性」が低いので、視聴者や読者はそれを「唐突」で「ご都合主義」と感じる。

やはり作品に納得を得る為には、登場人物やプロットに「必然性」は不可欠です。ある人物が搭乗するならば、その人物が登場する「必然性」が必要です。物語の進行にその人物が不可欠であると納得する必要がある。

この場合、ランクには色々あります。ゲームの「村人A」の様な登場人物も居ますが、これも物語の進行には不可欠です。物語の分岐に関わっているからです。これは「名脇役」などと呼ばれる人達が演じる事が多い。思わせ振りな態度や視線で、一瞬で不穏な空気を作ったりする事が要求されたりします。

一方「クラスメイトA」あるいは「モブキャラ」はあまり物語には重要では在りません。これは「背景」として機能するだけで、物語の進行に関わらないからです。

もう少し重要な登場人物になると、物語の進行に不可欠で、主人公の行動に強く影響を与えます。当然、登場時間も長くなります。

これらの「必要性」と「必然性」が満たされている事が、物語の最低限のルールです。


■ 「偶然性」はスパイス ■

「偶然性」は物語のスパイスとして機能します。

例えば、「刑事と犯人が偶然出会っていた」んどという設定はテッパンです。さらに心惹かれて合っていたなんて展開は私的な好物です。

但し、「偶然性」にも禁則はあります。例えば連続殺人犯が偶々職質で見つかってしまうのはNG。「偶然の連発」もNGでしょう。(これツマラナイ推理ものでありがち)

「偶然」は「伏線」としても重要です。一見、物語に関係の無い人物が、実は裏で物語に大きく絡んでいたなんていうのは良く使われる手法です。読者や視聴者は、登場人物の全てに注意を配らないと、「伏線回収のアハ感」が得られない。上手な伏線が張られた作品は読後や視聴後の満足度も高い。

一方で、「こいつ怪しい」とか「実はこの人が裏で絡んでいる」と思われた人物が、ただの登場人物Aだった時の失望も大きい。少なくともその人物が物語に絡めば納得もしますが、結構登場時間が長かったり、主人公にとって重要な存在なのに、「出て来ただけ」だと興ざめします。


■ 重要なシーンをどう繋いでゆくか ■

ハリウッド映画の脚本は観客を飽きさせない為に3分に1回は笑わせたり、ハラハラさせたりする必要が有ると言われています。しかし、私はそれが優秀な脚本だとは思いません。むしろダメな脚本。

優秀な脚本とは、最後のクライマックスを盛り上げる為にコツコツと伏線を積み上げ、登場人物を掘り下げ、物語の帰結としてのラストへの「必然性のレール」を敷く行為だと考えます。

物語全体としてダラダラしない為に、重要なシーンをしっかりと描き、その間のシーンで主人公の性格や物語の背景を掘り下げる様な地味なシーンで上手に繋ぐ事こそ脚本家の手腕だとも言えます。

尤も、意図的にこの約束に反する事で成立する物語がある事も理解しています。「裏切りの快感」で成立するトリッキーな作品ですが、面白いけれど名作とは成り難い。


■ 細田監督は断片的なシーンは天才的 ■

細田監督は、単体のシーンの構築に関しては天才的な監督です。人物の配置や動かし方。寄りや引きのバランスや、その崩し方など、映像表現としては今作でも驚きの連続です。

一方で、物語をスムーズに展開させる事は苦手かも知れません。「ドレミと魔女をやめた魔女」などでは、この「違和感」が演出として非常に効果的ではありましたが、それは脚本がしっかりしていて、全体として物語が上手く収束するからこそ生きるす。

個性的な監督には同様の傾向があり、『のんのんびより』の川面監督なども物語をスムースに流す事が苦手な様です。吉田玲子の緩急自在の脚本の上で川面監督の個性が輝く。

細田監督も「サマータイム」ではしっかりした脚本によって彼の優れた演出が支えられていた。登場人物はとても多い作品ですが、親戚の人達のキャラクターがしっかりと描かれ、それぞれに物語の推進力として機能していました。私、この作品は劇場で5回位い観ました。本当に素晴らしい作品でした。

しかし、『竜とそばかす姫』では、圧倒的な映像や演出に鳥肌は立ちますが・・・・物語としては不満だらけです。


■ 制作会議の初回プロットを大金で映画化した様な作品 ■

今作では細田監督は脚本も担当していますが、オリジナルなので原作者でもあります。ここに最近の『バケモノの子』以来の細田作品の問題が有ります。


多分、監督が頭を捻って彼が考える「大人から子供まで楽しめる物語」をスタッフに提示していると思いますが、本来なら制作会議の初回で提示されるプロット的なものをブラッシュアップせずに脚本にしている。

きちんとした制作現場ならば、「この登場人物は必要なるのか」とか「この展開はもっと捻りが必要」だとか、「ここは分かり難いからシーンを加えよう」などと脚本家に注文が付いて、何回も書き直しをした後に制作に取り掛かる。それがされていないのでしょう。

これによく似た制作現場を皆さんもご存じでしょう。そう、スタジオジブリです。原作も脚本も宮崎駿がクレジットされていますが、彼の場合はいきなり絵コンテから始まる様です。制作が始まってもラストが決まっていないなんていつもの事。だから後期の作品は、物語の途中から、がらりと内容が変わってしまったり、ドタバタ劇になってしまう事が多い。


■ 観るべきか、観ないべきか ■

色々と酷評してしまいましたが、私は『竜とそばかすの姫』を劇場で観るべきか、観ない方が良いかと聞かれたら、ライトなファンは観るべきと答えます。普通に観る分には、後期宮崎アニメ程度には楽しめます。開始後15分の映像だけで満足するでしょう。

では、コアな方から聞かれたらどう答えるか・・・「やはり観るべき」と答えるでしょう。例え断片的であっても、バーチャル空間の演出は圧倒的であり、ディズニーアニメに真っ向からチャレンジした結果も見届ける必要を感じます。

特に書割的なシーンが連続する城へ通じるシーンなどは、アニメならではの演出でゾクゾクします。

そして『天気の子』と同様に、どんなに素晴らしい映像や演出であっても、脚本が破綻していたら物語としては成り立たない事を確認するだけでも、観る価値がある作品だと思います。


■ 『虹色ほたる』『がっこうぐらし!』『神様になった日』を見返している ■

偶々2013年のアニメ映画『虹色ほたる』がアマゾンで観れるので、観てみましたが・・・「高畑勲作品??」と思うほどに素晴らしく5回も観てしまいました。コンパクトな物語ですが、丁寧に描かれていて物語として破綻が無い。さらに動画がもう鳥肌もので、実写から書き起こしたロトスコープかと思う程、子供の動きがリアルです。

『がっこうぐらし!』も偶々見直していますが、「構成の勝利」としか言いようの無い作品。原作を褒めるべきなのでしょうが、脚本も見事。

『神様になった日』は聖地巡礼に行ったので見直していますが、一見、「ご都合主義の連続」の代表格の麻枝准の脚本は、何故か最後の感動に見事に収束して行きます。ゲーム作家ゆえの手法と思えますが、1話に普通の作品の3話分程度の内容が凝縮されており、「言葉が強い」ので、強引に物語の展開に視聴者を引きずり込む力はパナイ。(麻枝作品としては感動が薄いですが、やっぱロリは生理的に無理かも)


TV局がタイアップして予算を贅沢に欠けられる大作が駄作を量産する一方で、少ない予算をやりくりする為に、しっかりとした脚本で制作に挑む事で名作化する作品があるのも事実。


『竜とそばかす姫』・・・実は素材は素晴らしいので、きちんとした脚本家で観てみたかった。それだけが残念でなりません。



最後に・・・「主人公がゲロを吐くアニメは傑作」という私の中のジンクスが崩れました。
2

トラックバックURL

トラックバック一覧とは、この記事にリンクしている関連ページの一覧です。あなたの記事をここに掲載したいときは、「記事を投稿してこのページにお知らせする」ボタンを押して記事を投稿するか(AutoPageを持っている方のみ)、記事の投稿のときに上のトラックバックURLを送信して投稿してください。
→トラックバックのより詳しい説明へ


teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ