2020/12/31

ステイホームの正月に読みたいマンガ  マンガ
 

いつもなら「今年のアニメベスト」を発表する年末ですが、コロナの影響でベストを付け難いというか、「コレダぁーーーー!!」ってアニメが思い浮かびません。

そこで、今回は趣向を変えて「正月休みに読みたいマンガ」のご紹介。最近は書棚がイッパイになてしまってマンガも電子書籍で買う事も多く、そんな中で「紙の本」に拘って買った作品の紹介になります。


 『恋と嘘』 11巻 ムサヲ作

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少子化対策の為に、厚労省のコンピューターが遺伝子的にベストマッチの相手を指定する「ゆかり法」が施行された時代。16歳の高1男子の根島 由佳吏(ねじま ゆかり)には小学校から思いを寄せる女の子が居ました。ネジは「ゆかり法」でペアーを決められてしまう前に、どうしてもその思いを彼女に告げるべく、公園に呼び出します。約束の時間に遅れて現れた高崎 美咲(たかさき みさき)は、自分もネジの事がずっと好きだったと告げます。両想いだった事に感動する二人はキスを交わしてお互いの思いを確かめますが、直後に美咲は自分の事は忘れてくれと言う。混乱するネジの元に、政府から「理想の相手」の通知が届きます。携帯の画面に表示された相手の名は・・美咲だった。ところが、その画面は直ぐに消えて、別の女性の名前が表示されます。

美咲の拒絶に混乱するネジですが、法には逆らえず仕方なく政府が決めた相手の真田 莉々奈(さなだ りりな)とお見合いをする事に。浮かない表情のネジに莉々奈は激怒します。「あなた失礼だわ、何故私を見ようともしないの」って。そんな出会いをしたネジと莉々奈ですが、彼女はネジと美咲の話に感動してしまいます。そして二人を結び付けようと奔走する。ところが、莉々奈はいつしかネジの事が・・・。

2017年にテレビアニメが放送され、実写映画化もされた『恋と嘘』。マンガ配信サイトの「マンガボックス」で発表された作品ですが、55歳のオヤジにして胸がキュンキュンする様なピュアーなラブストーリー。アニメ放映後にその後が気になって続きをマンガで読んでいます。

もう莉々奈が可愛くて、トニカクカワイイ漫画ですが、11話にして美咲のヒロイン力が爆発します。タイトルの「嘘」とは何か・・・初めて明かされる真実に驚天動地、心慌意乱。あんなに「美咲の野郎はクソビッチだ、ネジに思わせ振りな態度をしやがって」と思っていたのに、もう莉々奈と美咲のどちらを応援したらイイのかオジサンは分からなくなってしまいました。

アニメを観て満足していた君!!原作を買いなさい!!

「消しゴム」が恋愛の「最強アイテム」だる事を証明する作品としても重要。



『人馬』墨佳遼(スミヨシリョウ)作

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上半身が人、下半身が馬。ギリシャ神話ではケンタウロスに相当する生き物?が、日本には古来住んでいた。人は彼らを「人馬」と呼んだ。

人馬は山中に住んで人と多く接触する事は無かったが、戦乱の世に人馬の戦闘力を戦に用いる様になり、人馬は狩られる立場に。人を避け、深山でひっそりと暮らす人馬ですが、人馬狩の手はそこにも及ぶ様になります。屈強な体躯で人馬狩を退けて来た「松風」は、甥を助ける為にとうとう人の手に落ちます。

人に飼いならされた人馬は、多くの場合両腕を切り落とされます。鍵を開けて逃げる事を防ぐ為です。そんな人馬の一匹である「小雲雀」は飼い主のお気に入り。美しく賢い。彼は他の人馬達の反感を買っても人間に媚びています。しかし小雲雀は松風に逃亡を持ち掛けます。彼は人に心を許してはいなかたのです。屈強の松風を飼いならす事に拘った飼い主は、彼の腕を残していたのです。

こうして松風と小雲雀は、人の手の及ばない高山に住む松風の家族の元を目指します。しかし追手は直ぐに迫ります・・・。

圧倒的画力に目を奪われて大人買いした『人馬』。『シュトーヘル』の様な硬派の戦闘が続く作品と思いきや、人馬の愛で満ち溢れた「優しい」作品でした。愛を育み、子を産み、子を育て、家族を守り、そして代を重ねる。新人ながら墨佳遼は注目の作家です。

「大人のマンガ読書」に最適の一冊としておススメしあます。


『子供はわかってあげない』 田島列島

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作品は少ないながら熱烈なファンが多い「田島列島」。女性作家らしい柔らかなタッチが魅力ですが、私は六田登が描く女性キャラを連想してしまいます。ちょっと下ぶくれな所が似ているのかな・・・。

『子供はわかってあげない』は2014年の作品。失踪した父を探す女子高生と、何故か彼女と縁がある書道部男子の話ですが・・・どう表現した良いのか全く分からない不思議な作品。いわゆるボーイミーツガールとも違います。何となく友達になって、何となく関係が深まって、なんとなく好きになって行く・・・。『恋と嘘』の様に高校生の恋愛にキュンキュンするでも無く、父探しの謎が物語に進行に大して重要な訳でも無く・・・ただ、少年は少女に出会って、ちょっとだけ大人になるという話の様な気もするし、そうでない気もするし。要は、フワフワとした展開の中で、なんだか最後はとっても良い作品に出合ったという確信が残る。言語化不能・・・というのが最も適した評論。実写映画化もされていますが・・・これ、無理でしょう。アニメ化も無理だと思う・・・マンガでしか成り立たない世界。


『水は海に向かって流れる』 田島列島 作

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高校進学で下宿生活をする事になった男子高校生と、年上のOLの恋の物語。実は彼の父の不倫の相手は、彼女の母親だった。これも一見ショッキングな設定ですが、内容的には下宿の不思議な住人達との交流を楽しむ、捉えどころの無い作品。

でも、これ、現代の30前後のナイーブ女性の理想の恋愛なのでは・・・なんて思ってしまいます。

田島列島の作品に関しては、言葉で説明は不可能なので、読むしか無いのですが、意外にこれは実写に向いた作品です。TVドラマにしたら、若い女性は胸キュンなのでは・・。


『詩川百景』 吉田秋生 作

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『海街diary』で幅広いファン層を獲得した吉田秋生の最新作。実は『海街』のスピンオフ作品。海街の最終巻の巻末に、『詩川百景』のイントロダクションが掲載されていました。(商売が上手い)『海街diary』自体が前作の『ラバーズキッス』のスピンオフだったので、吉田秋生の常とう手段とも言えますが・・・。

『海街』の1巻でスズちゃんと異母姉妹達が初めて出会う山形の温泉街が舞台です。姉妹達の父は離婚した後に、温泉街で子持ちの女性と結婚していました。男性に依存しなければ生きていけないその女性には前夫との間に二人の子供が居ました。スズの父が死んで、彼女はすぐに別の男性と結婚し子供を産みます。しかし、生活が出来ないので、長男と生まれたばかりの赤ん坊を親戚に預け、次男を連れて街を出て行きます。

物語は、残された兄妹と、兄が働く温泉旅館の孫娘を中心に展開しますが、海街同様に魅力的なキャラクターが次々と登場する群像劇。1巻が発刊されるのみですが、登場人物の数は海街並みなので、誰が誰だか・・・という感想も聞かれますが、もう何巻もこの温泉街の話を読み続けているかの如く、登場人物が作品にしっかり居場所を作っているのはサスガとした言いようのない手際。

実は温泉宿の孫娘、街一番の美人だけど、どこか醒めた所がある。吉田の旧作の『吉祥天女』や『ラバーズキッス』時代を思わせるキャラクターです。これからの展開が気になって仕方が無い。

舞台の河鹿沢温泉は山形県に在るとされていますが、架空の温泉街。GoToで家内と聖地巡礼に行こうと思っていたのですが、ちょっと残念。山形県は学生時代に出羽三山に行ったきりですが、是非再訪したいと思っていた地です。山形に似た雰囲気の温泉街があれば、是非行きたいと思っております。どなたか、おススメがあればお知らせ下さい。



コロナに明け暮れた2020年。私的には「陰謀論」に確信を持った年でした。

ブログの内容もコロナ関連が多くなってしまいましたが、そんな年の最後だからこそ、このブログらしく、オタク記事で絞め括りたいと思います。


本年も一年間、私の妄想にお付き合い頂きありがとうございます。来年は、コロナが終わる事を願っています。(終わると本当の危機が来るので、願って良いのか分かりませんが)


それでは、皆さま、良い新年をお迎えください。
3

2020/11/6

「腐女子」考・・・オタクにおける性差  マンガ
 

■ 「腐女子」って何? ■

『鬼滅の刃』の記事で「腐女子」という言葉を使いましたが、「腐女子って何?」と思われる読者も多いかと。

「腐女子」とは、マンガやアニメの登場する男性キャラクター同士を勝手にカップリングして、脳内でイチャイチャさせて、勝手に悶絶する生き物です。性別は圧倒的に女性が多い。

具体例を上げれば、ジャンプで連載されていた『ナルト』で、主人公のナルトと、ライバルのサスケを同性愛のカップルに見立てて、二人がイチャコラする妄想で頭がイッパイになってしまったり、さらには同人誌などの二次創作で二人のイチャコラシーンを描いてしまう・・・。

腐女子が何時の頃から発生したのか定かでは有りませんが、私が小学生の頃の同級生の女子は、既に登場人物で様々なエッチな妄想を思い切り膨らめていましたから、40年以上前から先祖は生息していたと考えられます。(そんな女子に少女漫画を借りて感想を言わされていた私って何なんだ・・・)

一説には吉田秋生の『バナナフィッシュ』が観測出来る数の腐女子を生み出した最初の作品とも言われています。『バナナフィッス』のコアなファン、パナイですからね。ニューヨークまで聖地巡礼に行っちゃう。


■ 宗教としてのカップリング ■

今回、腐女子についてネットでブログなどを見ると、腐女子の「カップリング」に対する、並々ならぬ「拘り」を感じます。

「ナルトとサスケはテッパンだけど、ナルトとチョージは地雷」とか・・・。

「カップリング」とは作品の登場人物(男性)の誰と誰をくっ付けるかという選択。実はこのカップリングには「宗派」が存在している様で、異なるカップリングを信仰する「宗派間の対立」は極めて激烈です。もう絶対に相手を認めようとはしない。

二次創作本も宗派毎にきちんと棲み分けがされている様です。

■ 二次創作を原作の一部と認識する感性 ■

「腐女子」の恐ろしいのは二次創作を原作の一部だと認識している点。原作に少しでも男同士の絡み(接触)を見付けると、そこに至るイロイロや、その後のイロイロを勝手に原作に付けたしてしまいます。

「原作のコマに描かれていない所を、自分達で補完する」というのが「腐女子」の基本スタンスです。だから、『ナルト』の原作のラストで、ナルトとヒナタ(大好き)が結婚して、サスケとサクラ(コイツ嫌い)が結婚すると、腐女子はパニックに陥ります。

「原作が地雷」とか「公式が地雷」と腐女子は表現しますが、原作が自分達を裏切ってゲロゲロのカップリングをしたと感じるのです。そして作品への「歪んだ愛情」も醒めてしまう・・・。

「脳内の妄想と、現実との境界が曖昧」というのが腐女子の腐女子たる所以。

これ、腐女子に限った事では有りません。我が娘の韓流スターへの偏愛を見るにつけ・・・脳内がプリンで満たされているとしか思えません。会った事も無い「押し」の子と、妄想の中で日々生活している様にしか見えません・・・・。現実に妄想を介入させる能力を一部の女性は持っているのかも知れません。


■ 男のオタクと腐女子の決定的な違い ■

男のオタクも相当に気持ち悪い存在です。二次創作など、もうキャラクターへの冒涜としか言いようが無い。(彼らにとっては愛情表現なのですが)ただ、男のオタクに関しては性的にはある程度の理解が可能です。主体はあくまでも自分にあって、自分がキャラクターをイチャコラする妄想に浸ります。

「カワイイ」→「好き」→「性的に支配したい」

ところが「腐女子」は脳内変換がオタク男子とは異なる。自分は「観察者」で、イチャコラの主体は男性キャラ同士。まあ、男のオタクでも「ユリ」が好きな方は同じ傾向かも知れませんが・・・。

「好き」→「男同士を絡ませる」

この違いな何か・・・。男のオタクにとっては「キャラクター」こそが神なのでしょう。だから「神の寵愛を自分が受ける事を夢見る」。「〇〇ちゃん、マジで神」って表現をする。

一方、腐女子の神は「カップリング」に宿る。「これ神カップリングじゃね」なんて表現になる。当然、神カップリングに自分が割り込む様な無粋な真似はしません。


■ 恋愛における能動性と受動性の結果 ■

男のオタクの妄想の主人公はあくまでも自分です。イチャコラの主体は自分とキャラクター。これは男性の性行為が「能動的」な事を反映しているのでしょう。

一方、女性の性行為は一般的には受動的です。だから腐女子の多くは、好きな男性キャラを脳内で攻略しない。男性キャラが自分を攻略する妄想は可能ですが、何故かこの方向に走らない・・・。これ、女性の妄想が男性に比べて「現実的」だからでは無いかと私は妄想しています。「自分の様な女にイケメンキャラが言い寄って来る事なんてあり得ない」という現実がきちんと見えている。これは腐女子の方々の自己評価が総じて低い事とも関連が有りそうです。

実際に男性の場合は、金さえあれば美女と一夜を共にする事も、チョー美人の奥さんを獲得する事も夢では有りません。一方、女性の場合は「外見」の恋愛に占める割合は無視出来ません。美人は恋愛カーストの上位に君臨する。

「どうせ自分は」という達観を持つ女子は、マンガやアニメの世界に自己投影をする事無く、「崇高なカップリングを崇める」事で、その性的衝動を代償しているのかも知れません。むしろこの歪みこそが彼女達には「愉悦」なのでしょう。


■ 一次創作としてのBLと、二次創作としてのBL ■

「腐女子」にも二つのタイプが有る様で、マンガやアニメの登場人物を勝手にカップリングしてキャッキャ・ウフフする腐女子と、BL小説やBLマンガをガッツリ愛読する腐女子が存在する様です。前者はソフトな腐女子、後者はハードな腐女子とでも言えなくも無い。

実は、BLの一次創作をしているマンガ家には有能な方が多く「オノナツメ」や「えすとえむ」など今を時めく漫画家もBL出身だったりします。「えすとえむ」、『うどんの女』で評価を確立しますが『愚か者は赤を嫌う』などのBL作品も、あるいは『ゴンドリーナ』といったトランスセクシャルの作品も素晴らしいものが有ります。

この様な1次創作の作家に比べ、二次創作の作家は世に出る事は少ない。二次創作という行為は原作に対しる宗教的な奉仕であって、創作のポテンシャルの目的が「創造」では有りません。「創造」は神の領域であって不可侵。


本日は「腐女子」をテーマに、オタクにおける男女の性差について雑に考察してみました。

4

2020/5/12

『ふたりソロキャンプ』・・・オヤジの夢とキャンプ入門  マンガ
 


■ キャンプ場で暇過ぎて、スマホで漫画をポチっとなしてしまった・・・。 ■

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自転車でソロキャンに出かけたのは良いのですが、焚火もコンロも無いので、暇過ぎて、テントの中で『ふたりソロキャンプ』なんて漫画を1〜5巻、ポチっとなしてしまいました・・・。これ、面白い。『未亡人登山』よりは、数段面白い。

ソロキャンプをこよなく愛する男(34才独身)の前に20才の女子が現れます。キャンプ場で、下半身パンツ姿で。もう、これだけで掴みはバッチリ。

彼女は一人でキャンプに来て、脚を滑らせ河で尻もちを着いて下半身がビショビショ。男の焚火に当たっている所に、彼がトイレから戻って来た。

時刻は夕暮れ、キャンプ場の管理人は帰った後なので、テントの無い彼女に男は「直ぐに帰れ」と告げます。すると、彼女、どうしてもキャンプ場に泊まると言って聞く耳を持ちません。「このままじゃ何しに来たか分からない・・」と。

さらには「どうにかしてくれなければ、押し倒されたと人に言う」と脅します。もうムチャクチャですが、男も根負けして一晩を共に過ごします。彼女はテントでシュラフに包まり、彼はテントの外で焚火の番・・・。

そんなムチャクチャな女ですが、食事を作るのだけは上手い。彼女が準備してくれたのは「ビア缶チキン」。丸ごとのチキンにハーブを散らし「お尻の穴から半分だけ入ったビール缶を突っ込む」なんとも残酷な料理。これを無視挙げると・・・えも言われる美味だとか。

彼女は彼に語ります。「皆とキャンプに来た事はあるけど、どうしても一人で行ってみたくなった」と。そして彼女が提案します。「ふたりソロキャンプをしましょう」と。

彼女が一人前のソロキャンパーになるまで、男に色々と教えてもらいたいと言うのです。行きも帰りも別行動。現地集合、現地解散。テントも少し離れてそれぞれ設営。但し、授業料として料理は彼女がすると提案します。彼女は短大を卒業したら調理師の専門学校に行く予定だとか。

男も女の熱心さに根負けして、こうして「ふたりソロキャンプ」は幕を開けます。


コミック・モーニング連載作品ですが、ソロキャン親父の「夢」が詰まった作品です。20才の短大生がオヤジとキャンプするか??ウチの娘だって「ヤダ」の即答瞬殺だよ。家内も・・・。

まあ、そんなオヤジ・ファンタジーを置いとくとして、この作品、キャンプのウンチクと、キャンプ料理のレシピで埋まっています。もう、読んでるだけで道具を買いたくなりますし、涎が口の中に溜まって来ます。


これを読めば家内も「私をキャンプに連れてって」って言うかなと思い薦めてみましたが、「いいよ、別に、虫居るし」で瞬殺。確かにテントに出入するだけで蚊が2〜3匹入って来ます。その後はハンティング大会で結構楽しいのですが・・・。
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2020/1/24

『恋と国会』・・・国会の不思議、丸分かり!!  マンガ
 

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『恋と国会』より

■ とうとう西炯子のマンガを買ってしまった・・・ ■

書店のマンガコーナーで何とも言えないオーラを放つ西炯子。10年程前、『娚の一生』を買おうか迷いながらも、まん丸な瞳の絵柄が好きで無かったので買わなかった事で、「自分的に乗り遅れた」作家というイメージが強く、今まで買う事に躊躇していました。

しかし、最近書店に並ぶ『恋と国会』というタイトルには抵抗出来ませんせんでした。だって「恋」と「国会」ですよ。このミスマッチ感、気になるでしょう。(ついでに『未亡人登山』というマンガも買ってしました。こちらのミスマッチ感もナカナカ。)

■ 秋葉原の地下アイドルが国会議員になった!? ■

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『恋と国会』より

海藤福太郎(25)は祖父、父共に元首相経験者のサラブレット議員。幼い頃より国会議員の何たるかを叩き込まれた福太郎は父の引退で地盤を引き継ぎ国会議員となります。

そんな彼の前に表れたのは同じ1年生議員の山田一斗(25)。何と「元秋葉原の地下アイドル」という経歴の持ち主。2人は政権与党・大国民党に所属します。

国会の「と」の字も知らない一斗の言動はとにかく破天荒。国会冒頭の首班指名でいきなり自分の名前を書いて、「造反行為」として大国民党を除名されそうになるなど、とにかく無知故の型破りが目に余る状態。福太郎はそんな彼女を苦々しく思っていますが、何故か幹事長から「世話を見ろ」と言われてしまう。

何を言い出すか分からない一斗に振り回されながら、国会のリールや慣習を教えて行く内容ですが、「職業議員としての常識」はことごとく我々国民の常識からかけ離れている事に読書は驚きます。

■ 多忙な国会議員がどうして委員会に出席出来るの? ■

一例を挙げると委員会における「さしかえ」という習慣があります。国会には法務委員会や外務委員会など様々な委員会が有ります。各法案は関連委員会で事前審議されて本会議に提出される。議員は委員会に所属していますが、多忙な議員は委員会に出席する時間が作れません。

こういう時、「さしかえ」が行われます。1年生議員を中心に代理で委員会に出席するのです。法案が委員会を通過する為には1/2以上の出席が必用なので、その数合わせの為に与党は若手議員を代理出席させるのです。若手議員は「さしかえ」を掛け持ちしたりするので、「さしかえ」がどんどん入れ替わってゆく事も・・・。

私は常々、多忙な大物政治家が良く委員会に出席出来るなと疑問に思っていましたが、これを読んで、その疑問が氷塊しました。「なーーんだ」と思うと同時に、「民主主義」を「ルールとして形骸化」している国会の姿に飽きれました。

こんな「国会のトリビア」が満載の『恋と国会』。今後、福太郎は一斗に惹かれて行くのでしょうが、恋のライバルと思しき野党議員も現れ、2巻目以降が楽しみな一冊です。


■ 「多数決が正義」の国会で野党は「時間闘争」しか対抗手段を持たない ■

「民主主義」は単純に言ってしまえば「多数決」が全てです。国会で多数派の与党は、審議などせずとも強硬採決によって、どんな法律も成立させる事が出来ます。

しかし、それでは「数による独裁」となってしまうので、形だけでも国家で与野党が充分に法案について話し合って採決するというポーズを取ります。

ところが、皆さんも不満を持たれている通り、国会で法案の中身が議論される事は少なく、政府のスキャンダルの追及に野党は明け暮れています。これをして「くだらない野党」とか「無力な野党」と揶揄する人がネトウヨに限らず大勢居ます。(国民の殆どがそう感じています)

しかし、これが少数派の野党に精一杯の抵抗だという事を知っている国民は少ない。法案の内容を審議した所で、最後は「数の力」で法案は成立してしまいます。国民も「充分内容を審議した」と納得してしまいます。

そこで、少数派の野党は「時間切廃案」という「時間闘争」で抵抗するしか手が有りません。

本来、時間稼ぎは法案の内容の審議であるべきですが、国民はこんな細かい事に興味はありません。国民を見方に付けない限り「審議は充分尽くされた」として採決に持ち込まれてしまいます。だから野党は「国民が興味を示し易いスキャンダル」で審議時間を使い尽くし、「強硬採決を許さない空気を醸成」して、法案をまとめて「時間切れ廃案」に持ち込む「時間闘争」を常套手段にしています。

■ 国会は既に法案の中身を審議する場では無くなっている ■

そもそも日本の国会は法案の中身を審議する場では無くなっています。その理由は「議員が勉強不足」だから。

日本の法律は「議員立法」が少ない事は皆さんもご存じだと思います。法律の多くは「閣法」です。「閣法」は、内閣が閣議決定して国会に提出される法案の事です。

1) 官僚が法案の雛形を作る
2) 自民党内の政務調査会の部会で法案の内容が審議される(利権の調整)
3) 自民党の「総務会」で法案の内容が検討される(さらなる利権の調整)
4) 国会への法案提出が閣議決定される

5) 国会内の委員会で法案が審議される(野党との調整)
6) 法案が本会議に提出され、審議後に採決される

自民党は「政治主導」の名の元に小泉政権時代から国会議員の国会での自由な裁量を制限して来ました。議員は国会で自民党が提出した議案に反対すると、次の選挙で党の公認が得られなくなるのです。だから、現在の国会議員は「数合わせ」に過ぎないのです。

当然、国会議員の質も低下します。かつては政策に精通した議員も多く居ましたが、現在では「選挙で勝てる議員」が「良い議員」です。世襲議員で後援会の基盤がしかかりしていたり、或いは話題性があって当選が見込める人が党の推薦を受け易くなります。

かくして国会で法案の中身を審議出来る議員が居ない、いえ必用無くなったのです・・・。


イギリス議会にしても、アメリカ連邦議会にしても、民主主義は形骸化しており、民主主義の理想とは大きくかけ離れた物になっていますが、日本の国会の形骸化はその最たるものかも知れません。「民主主義」が本当に機能する為には「理知的で公平な国民」が必須ですが、実際には国民は「利己的な集団」に過ぎません。結果的に民主主義を国民の手に委ねると国家は滅亡します。だって、税金払う人、居なくなりますから・・・。

「民主主義」は近代政治が生み出した「妥協案」ですが、様々な手段を使って「民主主義を制約」する事で機能して来ました。日本の国会システムも、長い年月をかけて作られた「妥協案」の一つです。

国民から見ると「理解不能」な国会システムですが、これも先人の知恵(と欲望)の結晶と思えば、評価する点もあるのかも知れません。








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『恋と国会』とセットで買ってしまった『未亡人登山』。はっきり言って「タイトル買い」です。どちらのタイトルもミスマッチ感がMAX。

内容は、山で最愛の夫を亡くした「未亡人」が、夫が残した登山手帳を元に、夫の山での足跡を辿るというもの。最初の谷川岳こそ「喪服で登山」というエキセントリックな内容でしたが、その後は若い男性とイチャイチャ登山に変容。・・・おい、未亡人、夫があの世で泣いてるぞ!!とツッコみながら読みました。

まあ、どーでも良い作品ですが・・・軽い内容だけに、何故だか「気軽に山に行きたくなる」そんな不思議な機能を持った一冊です。二巻完結の様ですが・・・。


しかし、「未亡人」という言葉、何故こんなにも男心を刺激するのでしょうか・・・。同じ対象を表現する「若後家さん」とは雲泥の差です。私的には「未亡人」のイメージはジャンヌ・モローですね。これにピンと来た人は、多分それなりのお年ですね。トリフォーの『黒衣の花嫁』、私も騙されて殺される側だな・・・。(「若後家さん」のイメージは関根恵子・・・)

ジャンヌ・モローの妖艶さに比べると、『未亡人登山』の未亡人は、全然「未亡人指数」が足りません。むしろ生娘って感じで原点5。
3

2019/1/10

祝・『海街diary』完結・・・吉田秋生作品の登場人物達の救済だった  マンガ
 

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『海街diary』より

■ 平成マンガの最高傑作がここに完結! ■

もし、私が誰かから「何か良いマンガを教えて」と聞かれたら、絶対に吉田秋生『海街diary』をお勧めします。


1)「面白い」のでは無く「良い=良質」なマンガ
2)老若男女を問わず、誰もが共感できる内容
3)純文学に匹敵する高度な表現力
4)沢山の登場人物それぞれに、しっかりとした存在感と人生観を持たせる群像劇の極致

しかし男性諸氏に少女漫画のハードルは高いらしく、実際に買って読んだ人はいません。むしろ最近は是枝監督の映画の方が有名になってしまったので、「ああ、あの映画の原作だよね」で済まされしまう事が多い。


個人的には平成になってから出版された、あらゆるマンガの中で最高の作品だと信じています。『海街diary』の初版本が出た時に、しかりと本屋でジャケ買い(表紙買い)した事が、私のマンガ好きとしての矜持となっている。


<ネタバレ全開・・・ご注意を >


■ 普通の人達の普通の物語 ■


鎌倉に住む3姉妹の元に、父親が訃報が届きます。父親は離婚して家を出ており、母親も姉妹を祖母に預けて他の男と再婚しています。父が家を出たのは3女が生まれて間もない頃なので、「父が死んだ」と聞いても、次女と三女には今一つ実感が有りません。

旅行にでも行く様な感覚で山形の温泉街にやって来ますが、そこで彼女達は自分達に血の繋がった中学生になる妹の「すず」が居る事を知ります。実は父親は、すずの母親とも別れており、今は別の女性と暮らしていました。すずには、父の再婚相手の連れ子の血の繋がらない弟達が二人居ます。(ちょっと複雑で家系図でも書かないと理解が難しい)

父親の死によってすずは血の繋がらない母親と兄弟と暮らす事になりますが、母親はどうにも頼りない。すずの身を案じた長女は、すずに「一緒に鎌倉で暮らさないか」と誘います。すずはそれを迷いも無く即座に承諾します。こうして、鎌倉の極楽寺に有る一軒家で、4人の姉妹たちの生活が始まります。

母親代りの長女の幸はしっかり者で看護師。病院の医者と不倫の関係ですが、彼の妻は精神を病んでおり、彼は離婚には踏み切れません。次女の佳乃は地元の信用金庫に勤めていますが、性的に奔放。イケイケな女性です。三女の千佳はスポーツショップに勤めていますが、店長とは恋人関係。性格は楽天的。

こんな、バラバラな3姉妹と暮らす事になるすずですが、小学校の頃よりサッカーが上手で、鎌倉でも少年達に交じってサッカーチームに入ります。最初は家でも遠慮しがちのすずですが、次第に姉妹とも打ち解け、サッカーチームのメンバーを通じて鎌倉に知り合いも増えて行きます。

物語はこうして動き出しますが、実は全9巻を通して、淡々と彼らの日常が描かれるだけで、事件らしい事は何一つ起きません。私達や私達の知り合いにも日常的に起こるであろう出来事が、マンガの中で丁寧に描かれて行きます。

特徴と言えば、背景に鎌倉の街が有り、鎌倉の春夏秋冬が有る。しかし、これとて、私達の街の景色とそれ程違う物ではありません。私達の街にも季節は訪れますし、そこに住む人は街に愛着を感じています。


■ 使われ過ぎて安っぽくなってしまった「絆」という言葉の本質を問う ■

この作品が終始描いて来たものは、「人は縁あって出会い、そして絆を深めてゆく」という至って普通の事に過ぎません。

311の震災以来「絆」という言葉は、半ば「助け合わなくてはイケナイ」という強迫的なイメージを持ってしまいましたが、『海街diar』yの中で結ばれる絆は、自然に生まれ、自然に深まり、そして人々はそれを大事にする。絆という言葉が本来持っていた、やさしく、デリケートな姿がそこには有るのです。

大人は複雑な事情の中で絆を確認しあい、子供は子供の世界の中でそれを育み、そして大人達とも結ばれている。地域の人々が、目に見えない糸の様なもので、ゆるやかに繋がっていて、誰かの変化は、その周囲へと伝わってゆきます。

こうして全9巻を通して、人々は絆を深め、そして互いに少しずつ成長してゆく。

(よく似た作品に、吉田秋生と現代女性漫画家の双璧を成す「くらもちふさこ」の『天然コケッコー』が有りますが、こちらは田舎の「強い絆=しがらみ」を描く作品です。amazon primeで映画版が無料で観られます。こちらはデビューしたての夏帆ちゃんと岡田君が初々しい、素晴らし映画です。是枝版の海街なんて目じゃありません。)

■ 吉田秋生の過去の作品の登場人物の救済劇 ■

『海街diary』は吉田秋生の過去の作品の『ラヴァーズ・キッス』の後日譚にもなっています。『ラヴァーズ・キッス』で人生に悩みアウトローだった人物達が脇役で登場しますが、すっかり大人になり丸くなっているのが微笑ましい。

興味深いのが喫茶店「山猫亭」。「山猫=アッシュ」ですよね。そう、『BANANA FISH』です。山猫亭のマスターの存在感は巻を追う毎に大きくなっており、9巻はマスターが主役では無いかと思える程。過去の自分の愚行を悔い、流れ者の自分を受け入れてくれた鎌倉こそ、自分の居場所なのだと人生の最後に思い至るひねくれた性格の老人ですが、アッシュが生きていればこんな老人になったのかも・・・。


吉田秋生の過去の作品は、様々な悩みを抱えて世の中に居場所の無い者達を描く物語が多かった。トランスジェンダーだたり、先天的な精神異常者だったり・・。かなりキレッキレの人物が多いですが、『海街diary』では、人々は優しく穏やかで、これが同じ作者なのかと戸惑う程です。

ただ、三姉妹の長女や次女、すずが時折見せる鋭い表情に、吉田作品特有のナイフの様な冷たさが表出します。過去作では、それらの抑えきれない感情の表出に押しつぶされる人物が多かったのですが、海街では感情や激情を心の内に秘める「逞しさ」を獲得しています。吉田作品は丸くなったのでは無く、強さを手に入れたのです。


■ 後日譚で見事に円環を成す ■

9巻の巻末には『通り雨のあとに』という番外編が付いています。すずが秋田に置いて来た弟達の話です。

すずの高校進学から10年後、父の13回忌を期に、父親のお骨を鎌倉に移す為にすずは二人の甥を連れて山形を訪れます。別れた弟とはそれ以前にも会っている様です。

川遊びに興じる甥達を見ながら、弟は川からカジカが消えたと話します。上流の温泉開発で酸性の水が流れ込んだ事が原因なのだろうと。しかし、かじか沢に並走する小さな川は大丈夫だと。この川はかじか沢の支流と思われていいるが、源流も別で、河口まで交わる事も無い。ただ、この場所だけで並び合って流れているのだと。

これ、すずと弟の人生を象徴しているエピソードですね。もう、素晴らしいとしか言えません。

ところが、直後に橋の上の若い女性が現れます。弟が務める旅館の女将の姪だという彼女は、すずがこの温泉街を離れた直後に母親と越して来た。妙と呼ばれる女性は街に馴染んでいて、弟とも仲が良い。

妙は、この街にすずが残ったら、こんな感じだったという、すずのもう一つの姿なのでしょう。そして、彼女は不幸では無く、そして弟も不幸では無い。(どうやら弟の初恋はすずの様ですが・・)

イヤー、さすがは吉田先生! 最期にすずが捨てて家族をも救済して物語の幕を閉じるとは、感服いたします。そして、父親の死を切っ掛けに始まった物語は、「縁を結ぶ」事で、「絆を保ち続けた」事で、見事に円環を成して終わります。


・・・こんなに読み応えのある作品は他には有りません。吉田先生、2007年から11年間、本当に楽しませて頂きました。私の心の中では鎌倉の4姉妹は実在しています。鎌倉を訪れる度に、極楽寺の坂や、稲村ケ崎に浜辺に、彼らの息遣いを感じる事が出来ます。


最終巻のハイライトは稲村ケ崎の浜辺に降りる階段でしたね。『青ブタ』でも何度も出て来た階段。これは聖地巡礼に行くしかありません!!

「海街diary」・・・本音をみつめる女性の視点 『人力でGO』 2010.11.03


「鎌倉」聖地巡礼・・・『海街diary』と『ラヴァーズ・キス』  『人力でGO』 2013.11.03
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