2013/9/1

「鎌倉」聖地巡礼・・・『海街diary』と『ラヴァーズ・キス』  マンガ
 

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■ そうだ、聖地巡礼をしよう ■

自転車で自宅からヤビツ峠を目指しましたが、異常な高温で、意識モウロウ、心臓もバクバク。あえなく国道246を藤沢街道で左折して、急遽、江ノ島を目指します。本日はシラス丼でも食べて電車で帰ろう。

ところが、江ノ電を見た瞬間に予定変更。

「そうだ、聖地巡礼をしよう。」

■ 『海街diary』と『ラヴァーズ・キス』という表裏を為す名作 ■

私にとって鎌倉は吉田秋生の名作『海街diary』と『ラヴァーズ・キス』の舞台の街。

「海街diary」・・・本音をみつめる女性の視点

鎌倉を舞台にした4姉妹の物語『海街diary』は、今では多くのファンを魅了していますが、それに先立って発表された『ラヴァーズ・キス』は『海街』とは表裏を為す作品です。

『海街』の登場人物の多くが『ラヴァーズ・キス』にも登場します。鎌倉高校に通う6人の男女の恋愛模様を描く作品ですが、『海街』で次女が恋したサーファーの男子高校生の話しを主軸にして、ホモセクシャルやレズなどのマイノリティーとしての恋愛問題を抱えた高校生達の心の葛藤や交流を描いています。

『海街』でチョイ役の酒屋の長女がちょっとグレタ高校生だったりして、『海街』の前日譚的な作品なのですが、香田家の次女佳乃と深い仲になるサーファーの藤井朋章の話しだけが、同時進行となっており、少し時間がズレています。『ラヴァーズ・キス』については機会を見て紹介したいと思います。

さて、文庫版の表紙がこちら。

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そして、今回、たまたま見つけたのが・・・

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極楽寺の切り通しから、左に小さな道を入っていった先にあったのですが、何だか引き寄せられる様に、自転車のハンドルが勝手に左に切れた感じがしました・・・。これって、何か作品との間に運命的なものを感じます。

尤も、何回とも無く読んでいるので、頭の中にバーチャルな「海街地図」が出来上がっているのかも知れません。

■ 香田家4姉妹が住む極楽寺 ■

香田家4姉妹の住まいは極楽寺駅の近くとされています。それだけに、極楽寺周辺は「聖地」のパワースポット。

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『ラヴァーズ』にも勿論登場します。

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で実際はこんな感じ。

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関東の駅百選に選ばれている、趣きのある駅です。

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アングルが逆ですが・・・

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そうそう、ホームには入場券を買って入りました。
駅員さんが鋏を入れてくれました。

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極楽寺駅の上には「櫻橋」という、丹塗りの橋が架かっています。

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この橋から鎌倉駅側を見ると、江ノ電唯一のトンネルが見えます。

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この橋の近くにあるのが、「導地蔵」。

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そして、その向い側にあるのが極楽寺。山門前ですずちゃんと風太が待ち合わせをした場所です。

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極楽寺は弘法大師が開いたお寺だそうですが、境内の百日紅(さるすべり)が立派です。


櫻橋方向に戻って、駅とは逆側に坂を下ると、そこは「極楽寺切り通し」。

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この坂は史跡に指定されています。
そして坂を下った所にあるのが、風太がお遣いを頼まれた「力餅家」

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そして、力餅家の小路を入っていくと、江ノ電の踏み切りがあります。
文庫版の『ラヴァーズ・キス』の表紙の場所ですが、『海街』にも登場。

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極楽寺駅周辺を散策していると、香田家4姉妹会えそうな気がしてきます。

■ 佐助稲荷は・・・昼でも怖い ■

そして、今回の聖地巡礼のハイライトは「佐助稲荷」。

銭洗弁天の近くにありますが、ここを訪れる人は少ない様です。

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稲荷神社というのは、どこも神秘的な雰囲気を漂わせますが、昼でも暗い「佐助稲荷」は別格。パワースポットを通り越して、心霊スポット的な佇まい。

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すずちゃんと3女が、次女の恋人を尾行して辿り付いた場所ですが、3女のチカちゃんが藤井君を狐の化身かと思うのも、分からなくも無い雰囲気。

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■ 鎌倉のもう一つの魅力は海 ■

鎌倉と言えば海。

「稲村ガ崎」や「七里ガ浜」が作中に登場します。

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本日は強風で、砂が吹き付けて、痛かったです。


■ お土産は稲村亭の焼豚 ■

さて、本日のオミヤゲは、江ノ電「稲村ガ崎駅」近くにある「肉の稲村亭」の焼豚。

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炭火でじっくり焼き上げてあるので、ジューシーで香ばしい逸品。
実はこの店、仕事の知り合いのおじいちゃんの家だそうです。
従兄弟が継いでいるのだとか。

早速、夕飯を焼豚丼にしてみましたが、これは美味しい!!




本日は、軽い熱中症になりながらも、鎌倉聖地巡礼を堪能しました。



ちなみに、こんな素晴しいガイドブックが発売されています。

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これさえあれば、聖地巡礼は完璧!!
8

2013/5/29

日本SF漫画の頂点・・・たがみよしひさ『化石(いし)の記憶』  マンガ
 

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■ これ程再読に耐える漫画は珍しい ■


世の中の漫画は、たいがい一度読めば内容が理解出来ます。

しかし、中には何回も読まなければ分からない様な作品もあります。その様な作品の多くが、、セリフの言外を推測しなければならないなど、表現様式が難関なのに対して、たがみよしひさ『化石(いし)の記憶』は、その内容において難解とされる作品です。

タイムトラベルを扱ったSF作品ですが、エンタテーメントとして、素晴しいクオリティーを維持しながらも、タイムトラベルの構造の重層性において、一読で理解するのが難しい作品です。

しかし逆に言えば、これだけ再読に耐える漫画も珍しいと思います。

確かに現代の「主観概念的世界観」というSFの潮流からすれば、タイムとラベルだとか、恐竜などという設定は古さを感じずにはいられません。しかし、だからと言って、この作品に込められたSF的トリックの面白さが、決してあせる事は決してありません。

私は敢えて言いたい。

日本のSF漫画の中で、一番面白いのは、『化石(いし)の記憶』だと!!

■ スタイリッシュな『軽井沢シンドローム』のノリのガチのハードSF ■

たかみよしひさと言えば真っ先に『軽井沢シンドローム』を思い出します。

二頭身の若い男女達が、延々にイチャコラする漫画ですが、時々絵柄がリアルになる瞬間があります。その時の描写やセリフは、とてもクールでナイフの様に鋭い。

捉えどころの無い作品でしたが、「ミニタリーオタク臭」もプンプンして、まさに、「ごった煮文化」の80年代を象徴する様な作品でした。

この『軽井沢シンドローム』のスタイリッシュでシリアスな描写で、タイムとラベルSFにチャレンジしたのが『化石(いし)の記憶』です。

■ 「ぬし」と呼ばれる巨大生物 ■

美袋(みなぎ)竜一は、無職のオタク。
下宿には所狭しとモデルガンやフィギアが並べられています。
しかし、竜一は、男前でモテる。
女とは何故か関係が出来てしまう・・・それが女子中学生でも・・・。
そんな、いい加減を絵に描いた様な竜一は、ある日のニュースに目を止めます。
彼の田舎の赤森で、熊らしきケモノが出没したというニュースです。

彼は「ぬしが覚醒(おき)たのか」と呟きます。

彼は、彼の部屋に入り浸る女性中学生とのセックスのビデオをネタに、
会社の重役の彼女の父親を脅迫します。
「300万よこせ」と・・・。

ダメ人間を絵に描いた様な竜一ですが、
彼は手にした金でモデルガン屋に実弾を注文します。
そして、故郷の縞(しま)へと彼は向います。

縞には1000年以上前から「ぬし」と呼ばれるケモノが出没します。
「ぬし」は村の家畜を襲うだけで無く、民家に侵入して人をも襲います。
その現場は凄惨を極め、人は原型を留めない程に喰い散らかされてています。
「ぬし」の正体を巨大な熊だと考える人が多いのも頷けます。

同じ頃、縞に一人の大学の研究者が来ています。
本庄哲也は古生物学の研究をしていますが、
彼は縞の赤森(あかのもり)から恐竜の化石が出ると信じています。

縞の地層の年代(白亜紀末期)、日本列島は海底に沈んでいました。
ところが、縞からは陸上恐竜の化石が出ると、本庄は信じています。
それは、以前、縞から出土した陸上恐竜の化石が縞の旧家に伝わっていたからです。
今では火事で所在の分からくなった、この化石を根拠に、
本庄は日本の学界を覆す様な発掘を夢見ているのです。

旅館から散策に出た竜一は、発掘中の本庄と出会います。
お互いに軽く自己紹介を済ませた時、本庄は化石らしきものを発見します。
それは、明らかに人間の頭部の化石に見えるものでした。
それも、ホモサピエンスの・・・・。

白亜紀の地層から、ホモサピエンスの化石が出る事は絶対に在り得ません。
しかし、それは明らかに目の前に存在する・・・・。
本庄はその化石を持って、東京の研究室に急遽戻ります。

■ 「ぬし」を母親の敵と狙う竜一 ■

竜一は「ぬし」に母親を食べられています。
父親は縞の赤森に、本庄の父親と調査に入り、消息を断っています。

本来なら、名家の長男として何不自由なく育つはずであった竜一は、
両親を失った後は、北海道の施設で中学生まで育ちます。
彼は、彼の人生を一変させてしまった「ぬし」に根源的な敵意を抱いています。

竜一は「ぬし」を敵として殺そうと、赤森にやって来たのです。
「ぬし」は何十年か周期で現れ、そして消えてしまいます。

調査を進める過程で竜一はとうとう「ぬし」と遭遇します。
ところが、彼が遭遇したのは・・・何と小型の肉食恐竜。

彼が襲われたのは、小型のディのニクスですが、
近辺には大型恐竜の痕跡もあり、どうやら「ぬし」は一匹では無い様です。

現実とは思えない事態に、竜一は戸惑います。
それでも、彼の「ぬし」への敵意は消える事はありません。

■ 赤森の伝承に伝わる「竜哭」 ■

縞には「ぬし」の他に「竜哭」という伝承があります。

戦国時代、村上一族の長、村上逸馬は、
時谷貞光の持つ、雷を呼び、雨を降らせるという「竜哭」を手に入れる為、
時谷に攻め入ります。
「竜哭」を手に、逃げる時谷貞光は、いつしか赤い竜に姿を変え天に昇ったと伝わります。

「竜哭」は時谷の埋蔵金とも、或いは古美術的価値のあるものとも噂されます。

この「竜哭」争奪を巡り、いくつかの勢力が暗躍しています。
竜一の中学生のセフレの父親も「竜哭」を追う一人です。
そして、本庄の恋敵の大手研究機関の小室もそれを追う一人です。

さらには、政界の大物や、大銀行の頭取まで絡んで、
「竜哭」を追う勢力同士が、お互いを潰し合います。
敵ばかりでは無く、見方をも裏切る壮絶な戦いが繰り広げられます。

「竜哭」の正体どころか存在すらも知らない企業の社員達が、
争いに巻き込まれて、次々と命を落としていきます。


■ 運命に翻弄される様に赤森に引き寄せられる人々 ■

一方、東京に戻った本庄を、研究室の教授は相手にしません。
「理解不能な事には手を出さない」と言い切ります。
本庄は仕方なく縞に戻りますが、発掘中に消息を断ちます。

一方、東京の研究室では発掘された人骨化石に肉付けして復元を試みます。
そして、復元された人物の顔を見て人々は驚愕します。
そこには、本庄の顔があったからです。

恐竜と人骨化石と、伝承の「竜哭」を求めて、多くの人達が縞に集まって来ます。
竜一を追う刑事、研究所の研究員、大学の研究班、暴走族。
それぞれが、それぞれの目的を持って縞を目指しますが、
その目的とは、「竜哭」を手に入れる事。

「竜哭」には、何か重大な秘密が隠されているのです。

そして、縞に集う人々は、何らかの形で縞と繋がりがある事も分かって来ます。
これが偶然なのか、それとも「竜哭」が人々を引き寄せているのか・・・。
人々は逃げる事の出来ない運命にからめ取られ、
そこから逃げる事が出来ない無力さ翻弄されます。

「竜哭」とは何か、何故、恐竜が現れるのか?
そして、本庄の化石が何故、白亜紀の赤森の地層から出土したのか・・・

多くの謎を残しながら、人々は「竜哭」に導かれるかのごとく集まり、そして・・・。

これ程多くの人達が、複雑に関係しながらも、
一つの焦点に見事(強引)に収束してゆく作品を私は他には知りません。

一人として部外者は存在しないのです。
これは、ご都合主義にも思えます。
しかし、人々がそこに集う事自体が目的なので、妙に納得させられてしまいます。
そして、それぞれの人物に用意された事件の結末は、どれも意外でショッキングです。


イヤー、文章で書いても何だか分かりませんね。
これは、読むしか無い。
それも、何回か読まないと、正確には理解出来ません。

■ 日本SFの名作 ■

あまり世間では話題にならない作品ですが、
私はこの作品は『ジュラシックパーク』にも勝るとも劣らない名作だと思っています。

マイケル・クライントンの『ジュラシックパーク』は最新の生命工学を駆使したお伽噺ですが、
『化石の記憶』は、タイムパラドクスを駆使した御伽話です。
同じ恐竜をテーマにした作品ながら、全く志向の異なる作品ですが
どちらもSF的なアイデアの宝庫と言えます。

ちなみに『化石の記憶』が発表されたのは『ジュラシックパーク』の5年前の1985年。

謎の生物や恐竜、タイムとラベルや宇宙人(?)。
歴史の伝承と、人々の因果・・・・。


タイムマシンというアイテムをこれ程、活用した話を私は他に知りません。
あるとすれば『涼宮ハルヒ』シリーズくらいでしょう。


今でも文庫版は手に入ると思います。
興味を持たれた方は、AmazonにGO!!
17

2013/4/20

省略の美学としての短編・・・『式の前日』  マンガ
 

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■ これはタダモノでは無い ■

先日本屋の漫画コーナーに行ったら、「漫画大賞2013」の受賞作品が並んでいました。

大賞を吉田秋生の『海街diary』が受賞した事は知っていましたが、
その下に『式の前日』という作品が並んでいました。

・・・もう、いくっきぁ無いでしょう、この表紙は!!


作者の穂積さんは新人らしいのですが
一言・・・「この人、タダモノじゃない」

■ たった16ページで、姉と弟の10年を想起させる ■

表題作の「式の前日」は、「月刊flowers」の新人賞で2位になった作品の様です。

姉の結婚式の前日の姉弟の日常をスケッチした作品ですが、
小津安二郎が現代に生きていて、絵コンテを切ったらこうなっただろう的な作品。

状況説明は一切無し。
ただ、断片的な日常シーンの繋ぎで、姉と弟の10年間を描き切ります。

16ページで、何が表現出来るのか、
短編作品の魅力に溢れる作品です。

■ どんなミステリーよりも素晴しい「あずさ2号で再開」 ■

2話目の「あずさ2号で再開」はもう涙腺決壊。

弱いんです、こういう作品には・・・・ズルイ・・・。

内容は書かないけれど、イカニモというお父さんを描いた時点で、
読者は全員騙されてしまいます。

どんなミステリーよるも、素晴しいミステリーとして感服いたしました。

■ 省略の美学としての短編 ■

「式の前日」の魅力は、「省略の美学」です。

日本の芸術の特徴は「描かない事」です。

俳諧は、制限された文字数の中で、省略の極致の表現を試みます。
日本画も余白によって表現の深みが増します。
音楽においても、「つづみ」などは、無音にこそ意味があります。

そんな日本人独特の美意識は、短編向きとも言えます。
小説においても、世界観がガッチリ固まった長編よりも、
ほんの日常の一瞬をさらりとスケッチした様な短編に良作が多い様に思います。

一方、手塚治が発展させた漫画は、長編に人気が偏る傾向があります。
これは、漫画雑誌に連載される事でマンガ家の生計が成り立つので、
多くの作家が、どれだけ話しを引っ張るかに腐心する事とは無関係ではありません。

短編漫画は、デビューしてまもない作家の作品が多い様です。
「お試し」として、雑誌に何篇かの短編を掲載してキャリアを積み、
そして、人気が出れば、長編の連載を担当するシステム故とも言えます。

あるいは、大御所と呼ばれるマンガ家が、
長編連載の合間に、短編で生き抜きする様な作品もあります。

■ 「ささいなどんでん返し」の効果を最大化する短編というフォーマット ■

穂積の「式の前日」は前者に当たりますが、
彼女の作風は、圧倒的に短編に向いています。

彼女の最大の魅力が「ささいなどんでん返し」にあるからかも知れません。
淡々とした展開から、最後に思わぬ結末が訪れるのは短編の定石ですが、
彼女の場合は、淡々と結末が訪れ、そしてそれが結構「ささいなどんでん返し」だったりします。

長編にありがちな盛り上がりが無い分、
「ささいなどんでん返し」がジンと読者の胸に染み入ります。

2部構成の「夢見るかかし」にも「ささいなどんでん返し」はありますが、
少し長めの話では、それに関係しないエピソードが邪魔をして、
「ささいなどんでん返し」の効果が薄まってしまっています。
これが、もっと短い作品であれば、読者はもっと静かな感動を味わう事でしょう。

■ 多くの大人に、今一番お薦めしたい作品 ■

『式の前日』の評価は、ネットを中心にかなり高い様です。

Twitterなどでも、評判が評判を呼んでいます。

近年の大人向けの漫画には上野顕太郎の『さよならもいわずに』や、
少し前の作品になりますが、豊田 徹也の『アンダーカレント』の様な良作があります。

しかし、これらの作品は、少し重たく、スタイリッシュではありません。

そおういった意味においては『式の前日』は
絵柄も表現様式も、充分に現代的でスタイリッシュです。

普通の若い女の子が読んでも充分に感動し、
マニアが読んでも満足する作品です。


ゴールデンウィークの一冊に加える事をお薦めします。



ちなみに、吉田秋生の『海街diary』を加えるとモアベター!!

「海街diary」・・・本音をみつめる女性の視点 (人力でGO 2010.11.03)
5

2013/1/17

この画にゾクゾクしなければ、あなたは不感症だ・・・『シュトヘル』  マンガ
 

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■ マンガでゾクゾクしたのは久し振りだ ■

2年ぐらい前だろうか?
秋葉原のヨドバシカメラの上の本屋でこのマンガを見つけました。

薄い冊子で、冒頭1話が読める様になっていましたが、
電撃に体を貫かれる様な衝撃を覚えました。
『来訪者バオー』で、荒木飛呂彦の画に初めて出会った時の衝撃に似ていました。

その本の名前は『シュトヘル』。


決して上手い画では無い。
しかし、動きの一瞬を、デフォルメして切り取った見開きの画に、
脳が痺れるような衝撃を覚えました。

近所の西友で見かけた表紙なので、後で買おうと思ったきり、
何故か、近くの書店で見かける事も無く、買えずにいました。

ところが、先日、1巻目だけが、西友の本屋で売られていました。
速攻で購入して、息をする事も忘れて読み終えました。

2巻目以降を、アマゾンで「ポチっとな」しようと思っていたら、
近所のブックオフで5巻目までが売られていた。
・・・これこそが、私とマンガの間にある「縁」です。
当然、大人買い。

■ この画にゾクゾクしなければ、あなたは「不感症」 ■

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マンガの画の好みは人それぞれです。
しかし、私は敢えて言いたい。
この画にゾクゾクしなければ、アナタは「不感症」だ!!

上手い絵を描くマンガ家はゴマンと居る。
綺麗な絵を描くマンガ家は、素人にだって溢れている。
しかし、個性的な絵を掛けるマンガ家は限られています。

さらに、「ゾクゾク」させる絵を描けるマンガ家ともなると、
両手の指にも余る。

そして、「ゾクゾクする絵」と「ゾクゾクさせるストーリー」を描けるマンガ家は、
片手の指に余る存在です。

■ 「文字」を巡るスリルングな歴史活劇 ■

舞台はモンゴル帝国勃興の時代。
西夏は宋を退け繁栄を築きます。
西夏では学問が栄え、多くの仏典や歴史書が、西夏文字で翻訳され、遺されています。

一方、繁栄を誇った西夏も周辺から衰退が始まっています。
モンゴルを初めとする騎馬民族に脅かされています。

そして、今まさに西夏の城壁は、モンゴル軍の攻撃に陥落せんとしています。
モンゴル軍の先頭に立つのは、モンゴルに屈したツォグ族の族長の息子ハラバル。
彼の母は皮肉にも西夏の出身ですが、彼はその血に抗うがごとく戦闘に身を置きます。

そして、西夏の城壁の上で、仲間と共に目前の死に無向い合う少女兵士が一人。
彼女は「ウィソ(雀)」と仲間に呼ばれています。

劣勢が確定した西夏軍は、城砦の裏手から退却を余儀なくされますが、
それは敵の罠でした。
一人残らず、討ち取られ、城壁に弓矢で死体が串刺しとなって曝されます。
逃げ遅れた「ウィソ(雀)」は、仲間の代わり果てた姿に愕然とします。

ところが、仲間の死体を目当てにオオカミ達が集まってきます。
群れのボスの体は人よりも大きく、
仲間の死体を食いちぎろうとするオオカミに「ウィソ(雀)」は一人立ち向かいます。
そして、倒したオオカミの死肉を喰らいながら、彼女はオオカミのボスにも打ち勝ちます。
復讐と生への無垢な執着が、彼女をオオカミの様な野生の戦士へと変えてゆきます。

「ウィソ(雀)」は、モンゴル軍が「悪霊=シュトヘル」と恐れる存在となるのです。

■ 守るべき物、守るべき者 ■

ツォグ族の族長の息子ハラバルに復讐を果たすべく、
シュトヘルは執拗にモンゴル軍を襲います。

そんな彼女は、行商人の策謀で、ハラバルの弟ユルールを守る事となります。

ユルールは血の繋がらない西夏出身のハラバルの母に懐いていました。
彼は戦いでは無く、学問を好み、西夏の文字に惹かれます。
そして、西夏の滅亡を目前に、西夏の文字をモンゴルの焚書から守るべく、
玉に刻まれた文字と共に、ツォグ族の下を出奔します。
共には、西夏からハラベルの母が嫁いだ時に付き添った、年老いた従者一人を連れて。

ユルールと行動をともにすれば、彼を追う兄ハラバルと遭遇するだろうと行商人は言います。
そこで、シュトヘルはユルールと行動を共にするのです。

文字を守る事に命を書けるユルール。
西夏文字を何故か徹底的に消し去ろうとするモンゴルの皇帝。
西夏人の血を引く事で、あえて戦いの中で生きる事を選択するハラベル。
そして、モンゴル人を根絶やしするという復讐に燃えるシュトヘル。

物語は、戦いを好まぬ者、戦いに生きる者、戦いでしか生きられない者の
それぞれの思惑を絡めて進んで行きます。

それぞれが、守りたい者と、守りたい物の狭間で揺れ動きます。

■ ナント作者は女性だった ■

この骨太のストーリーと、迫力ある構図から作者は男性とばかり思っていました。
しかし、ナント、伊藤 悠は1977年生まれの女性。

確かに、シュトヘルのキャラクターが男性から見た女性とは一味も二味も違う。
さらに、この作品、もう一つのカラクリがあって、
ジェンダーが非常に不明確になっています。
(・・・・ここら辺は読んでのお楽しみ。)

元町夏生など、青年誌で活躍する女性作家は、
少女漫画の作家達と一線を画する存在ですが、
誰をとっても、個性的で魅力的な作風を特徴としています。

まだまだ荒削りな作家ですが、
それ故に、ペンの勢いを感じずにはいられない魅力的な作家です。

7巻目がまもなく発売になる様です。
はたして、ユルールは文字を守り切る事が出来るのか?
まだまだ手に汗を握る展開が続きそうです。

本日は、レビューというよりも、
ただただ、この作品の存在を知ってもらいたいだけの記事になってしまいました。

マンガはやはり絵を楽しむものです。
私がここで、どんなに言葉を尽くすよりも、
一読して、ゾクゾクするかしないかしか無い作品とも言えます。

そして、この作品にゾクゾクしない方を、私は「不感症」と非難する程に、
私はこの作品が好きだという事を、勝手に皆さんに押し付けずにはいられないのです。




<追記>

伊藤 悠はこの作品のほかに『皇国の守護者』の作画も担当しています。

この作品も、本屋に行く度に「買ってよオーラ」を私に向って放射し続ける作品です。



10

2012/12/8

首筋に突きつけられた熱く冷たいナイフ・・・『BANANA FISH』 吉田秋生  マンガ
 

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■ 少女マンガってイライラするよね ■

私は47歳の中年男ですが、
たまに、少女マンガを夢中になって読みます。

だいたい娘の本棚から拝借してハマッテしまうのですが、
最近では「いくえみ綾」作の『プリンシパル』が結構楽しみです。

しかし、少女マンガを読みつけない男性は、
少女マンガを読むと、たいていイライラします。

「こんなイケメンいる訳ネーだろ!!」
「何でここで告白しないんだよ、ボケ!!」
「背景、花、引込め!!」
「フレームからはみ出すんじゃネェーーー」

多くの少女達が少年マンガを普通に読めるのに対して、
何故か多くの男性は少女マンガを生理的に受け付けません。
れは一つの謎です。

多分、女性特有の「はっきりさせたく無い気持ち」が男性には理解出来ないのです。


■ お花畑の対局にある少女マンガ ■

こんなお花畑的な少女マンガの世界において、
少年マンガよりもクールな作家達が沢山居る事は意外に知られていません。

吉田秋生(よしだ あきみ)もそんな作家の一人です。

彼女の作品の登場人物は、何処となくナイフを思わせます。
鋼の持つ硬さ、しなやかさ、鋭利さ、冷たさ・・・そして内に秘めた熱さ。

彼女の作品の主人公たちは、周囲に馴染めない者達です。

彼らは、学校から、友達から、社会から、ジェンダーから、家族から
好むと好まざるにかかわらず、阻害された存在です。

何処となく周囲と馴染めないけれど、
それを確信を持って受け入れる強さを持っています。

最新作の鎌倉を舞台にした「海街シリーズ」でも、
中学生の「すず」ですら、このナイフの肌合いを共有しています。
家庭環境に恵まれなかった彼女は、大人顔負けの強靭さで、この運命と対峙しています。

吉田秋生作品の魅力は、彼らの醒めた視点から眺めた世界の意外性です。
学校も、職場も家族も、集団から疎外された視点で捉えなおされます。

彼らは自分を阻害した、あるいは自分からスピンアウトしてしまった世界を愛しています。
あちら側の社会と、こちら側にいる自分に極めて自覚的でありながら、
確固とした自分の意思で、こちら側の自分を選択し得る人間のみが持つ強さに私は惹かれます。

彼らは、凛としてカッコイイのです。



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■ 青年マンガ顔負けのハードボイルドアクション巨編 『BANANA FISH』 ■

そんな吉田秋生の作品群の中では、少し異色なのが今回紹介する『BANANA FISH』です。

『別冊少女コミック』で1985年5月号〜1994年4月号まで連載され、
コミックスで19巻になる大作です。
これは、小品が多い吉田作品では異例です。

さらに、ニューヨークのストリートギャングの青年と
コルシカマフィアの攻防を描くストーリーは、少女マンガとしても異例です。

ところが、吉田秋生の代表作は?と聞かれると、
多くの方はこの作品を挙げます。
最終回は、新聞の記事になった程のヒット作でもあります。

『BANANA FISH』は少女マンガでありながら
多くの男性ファンを持つ稀有な作品です。

■ 謎の麻薬「バナナフィッシュ」を巡るミステリー ■

物語は、謎の麻薬「バナナフィッシュ」を巡るミステリーで始まります。

ベトナム戦争に従軍したグリフィンは、突然、錯乱して戦友を銃撃します。
グリフィンが最後に口にした言葉は「バナナフィッシュ」。

10年以上経過したNYで再び「バナナフィッシュ」と口にして死んだ男が一人。
偶々、彼の最期に立ち会ったアッシュはニューヨークの少年ギャング達のリーダー。
そして、彼そこが、グリフィンの弟だったのです。

アッシュは金髪碧眼の17歳の美少年。
しかし、その風貌とは裏腹に銃の腕前は殺し屋以上。
そして、頭脳はIQ200の天才児です。
彼は、優れた統率力でNYの下町の不良少年たちを仕切っています。

とこらが、アッシュには暗い過去があったのです。
彼は少年のと時、レイプされ、男娼としてマフィアに飼われていたのです。
コルシカマフィアのボス、ゴルチーネはアッシュを愛玩すると同時に、
アッシュの才能にほれ込み、彼に英才教育を授け、
行く行くは自分の後を継がせようとしています。

ところが、アッシュは野生の山猫の様に自由気ままで、
なかなかゴルチーネの思い通りには行動しません。

そして、アッシュの兄、グリフィンを廃人にしたのが、
「バナナフィッシュ」という違法な薬物であり、
その実験にゴルチーネも関わっていると知り、
アッシュは決定的にゴルチーネと対立します。

コルシカマフィアとNYの不良少年達の、
血で血を洗うような抗争が勃発します。

■ 魂のペアー ■

ニューヨークのダウンタウンの不良達に中にあってアッシュは
掃き溜めに降り立った白い鶴の様な存在です。

彼は仲間に囲まれていても、いつも孤独です。
これは、吉田作品の主人公に典型的な「阻害され、孤立した人格」です。

しかし、吉田作品は必ず、「孤立した個人」に「魂のペアー」を用意しています。
取材でアッシュの元を訪れれた日本人青年、英二が、アッシュの魂のペアーです。

極めて平凡ですが、人の良いところだけが取り柄の英二だけにアッシュは心を許します。
アッシュは英二の前でだけは、その鋼に様な心の鎧を脱ぐ事が出来るのです。

■ 少年たちの純粋な愛憎劇 ■

ゴルチーネはアッシュを愛しています。
それは美しい少年への性的愛情であり、
美しい生き物への、本能的憧憬であり、
自分の作り上げた作品への、自己陶酔でもあります。

ゴルチーネのアッシュへの愛は、ひたすら歪んでいますが、
ある種の純粋性の域に昇華しています。
俗を極めた先にある聖なる領域に達しようとしています。

一方、アッシュと英二の関係は、兄弟の様な代償を必要としない友愛です。
二人の美少年の関係と聞くと、腐女子の耳がピクピクと動きそうですが、
彼らの間に、性的な関係はありません。

英二に限らず、不良達ががアッシュとの間に交わす友情は、
尊敬の念に裏打ちされた純粋なものです。

少年達の結ぶ純粋な愛情(友情)と、
マフィアのボス、ゴルチーネの捻じれた純愛の対比が、
この物語のもう一つのテーマになっています。

純粋な愛情が、邪悪な愛情に打ち勝てるのかが、絶えず問われ続けます。

■ アッシュの鏡としての二人の少年 ■

人望の篤いアッシュをひたすら恨む少年が居ます。
若くしてチャイナタウンを仕切るユエルンです。

彼はアッシュと同様に不幸な過去を持ち、
そしてアッシュと同様にマフィアの財産を引き継ぐ立場にいます。

イェルンとアッシュはまさに鏡に映った己が姿です。
ところが、アッシュには英二という魂のペアーが存在し、
イエルンには存在しません。

その事がユエルンの魂の平穏を乱し、
彼は英二を執拗に憎みます。

本来、鏡に映ったペアーであるはずのアッシュが
ユエルンよりも幸せに見える事への嫉妬が彼を狂わせます。

■ ボーイズラブへと退化する「魂のペアー」 ■

連載当時、アッシュと英二の関係は少女達の憧れだったでしょう。

少女マンガを愛読する様な女子は、
現実世界では性的に奥手な子が多いはずです。

彼女達にとって、「男女の性」は興味はあるけど、現実からは遠い存在です。
だから、思春期独特の潔癖さによって性愛は「不潔」なものとして排除されます。

そこで、彼女達は「不潔」でない性的関係を探しました。
それが「少女同士」「少年同士」の性だったのです。

これらは最初は「友情」として描かれます。
ヒロインとその親友の女の子の純粋な友情。
ヒロインの憧れの男性とその親友の男の子の純粋な友情。

「ボーイズラブ」の発端は、『エースをねらえ』の藤堂と尾崎の様な
「理想の男友達の関係」として描かれます。

一方では少女マンガは進化の過程で、少年マンガよりも積極的に「性愛」を描写してゆきます。
少年たちよりも早熟な少女達が、作品の中に「性愛」を求めたのでしょう。

妄想力豊な少女達の求める「愛」は動物的肉欲では無く、精神的な強い絆です。
どうしても、「肉欲」に打ち勝てない異性との性愛より、
「同性愛」を少女達が好むのは、
その関係が生物学的必然では無く、精神的つながりだからではないでしょうか?

一方では少女の潔癖性が、「同性の魂のペア」を生み出し、
一方では「アブノマルな精神的性愛」少女達は求めてゆきます。

この二つの事象が合体した先に、現代の「ボーイズラブ」の世界があるのでしょう。

そして、『BANANA FISH』 はそういった時代の先駆けとして、
男同士の友情が、同性愛という安定性を獲得する前の
スリルングな状態を鮮やかに描き出したのです。

言うなれば、現代の「ボーイズラブ」は、魂の高みを目指した「同性同士の魂のペアー」の
墜落した姿であり、退化した姿なのです。

■ ジェンダーの障壁を軽々と越えてゆく吉田作品 ■

吉田作品の孤高の登場人物たちには、かならず魂のペアーが存在します。

『吉祥天女』の冷酷な殺人者、小夜子にも涼という「魂の鏡」と、
由依子という控えめな「魂のペアー」が用意されています。

『ラバーズキッス』は、様々な登場人物経ちが、社会から少しずつ阻害されながらも
傍らにはいつもその理解者が付き添っています。

彼らはジェンダーの壁をも超越しています。
男性と女性の組み合わせ、
男性の同性愛者と、女性の同性愛者の組み合わせなど多様です。

吉田作品では男女は理解し合えない存在では無く、
人間性の本質によって、理解し合える対象として描かれます。

■ 時代と共に変化し、成長する吉田秋生 ■

吉田作品の主人公たちは、今も昔も熱いナイフの様に強い精神の持ち主です。

しかし『ANANA FISH』や『吉祥天女』の時代の主人公達は、
「自分を守る為に相手を傷つける事しか知らない強さ」に守られていました。

しかし近作の『海街diary』では、そのエッジは大分和らいでいます。
それでも、時々登場人物達の見せる醒めた表情に、背筋がゾクゾクします。

吉田秋生の絵柄も作品の内容も時代と共に変化し、成長していますが、
作品の根底に流れる、クールさと「しなやかな強靭さ」は未だ衰えを知りません。


ちなみに、鎌倉を舞台にした4姉妹の物語、『海街diary』は少女マンガの到達点の一つです。

「海街diary」・・・本音をみつめる女性の視点 (人力でGO)

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