2013/4/20

省略の美学としての短編・・・『式の前日』  マンガ
 

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■ これはタダモノでは無い ■

先日本屋の漫画コーナーに行ったら、「漫画大賞2013」の受賞作品が並んでいました。

大賞を吉田秋生の『海街diary』が受賞した事は知っていましたが、
その下に『式の前日』という作品が並んでいました。

・・・もう、いくっきぁ無いでしょう、この表紙は!!


作者の穂積さんは新人らしいのですが
一言・・・「この人、タダモノじゃない」

■ たった16ページで、姉と弟の10年を想起させる ■

表題作の「式の前日」は、「月刊flowers」の新人賞で2位になった作品の様です。

姉の結婚式の前日の姉弟の日常をスケッチした作品ですが、
小津安二郎が現代に生きていて、絵コンテを切ったらこうなっただろう的な作品。

状況説明は一切無し。
ただ、断片的な日常シーンの繋ぎで、姉と弟の10年間を描き切ります。

16ページで、何が表現出来るのか、
短編作品の魅力に溢れる作品です。

■ どんなミステリーよりも素晴しい「あずさ2号で再開」 ■

2話目の「あずさ2号で再開」はもう涙腺決壊。

弱いんです、こういう作品には・・・・ズルイ・・・。

内容は書かないけれど、イカニモというお父さんを描いた時点で、
読者は全員騙されてしまいます。

どんなミステリーよるも、素晴しいミステリーとして感服いたしました。

■ 省略の美学としての短編 ■

「式の前日」の魅力は、「省略の美学」です。

日本の芸術の特徴は「描かない事」です。

俳諧は、制限された文字数の中で、省略の極致の表現を試みます。
日本画も余白によって表現の深みが増します。
音楽においても、「つづみ」などは、無音にこそ意味があります。

そんな日本人独特の美意識は、短編向きとも言えます。
小説においても、世界観がガッチリ固まった長編よりも、
ほんの日常の一瞬をさらりとスケッチした様な短編に良作が多い様に思います。

一方、手塚治が発展させた漫画は、長編に人気が偏る傾向があります。
これは、漫画雑誌に連載される事でマンガ家の生計が成り立つので、
多くの作家が、どれだけ話しを引っ張るかに腐心する事とは無関係ではありません。

短編漫画は、デビューしてまもない作家の作品が多い様です。
「お試し」として、雑誌に何篇かの短編を掲載してキャリアを積み、
そして、人気が出れば、長編の連載を担当するシステム故とも言えます。

あるいは、大御所と呼ばれるマンガ家が、
長編連載の合間に、短編で生き抜きする様な作品もあります。

■ 「ささいなどんでん返し」の効果を最大化する短編というフォーマット ■

穂積の「式の前日」は前者に当たりますが、
彼女の作風は、圧倒的に短編に向いています。

彼女の最大の魅力が「ささいなどんでん返し」にあるからかも知れません。
淡々とした展開から、最後に思わぬ結末が訪れるのは短編の定石ですが、
彼女の場合は、淡々と結末が訪れ、そしてそれが結構「ささいなどんでん返し」だったりします。

長編にありがちな盛り上がりが無い分、
「ささいなどんでん返し」がジンと読者の胸に染み入ります。

2部構成の「夢見るかかし」にも「ささいなどんでん返し」はありますが、
少し長めの話では、それに関係しないエピソードが邪魔をして、
「ささいなどんでん返し」の効果が薄まってしまっています。
これが、もっと短い作品であれば、読者はもっと静かな感動を味わう事でしょう。

■ 多くの大人に、今一番お薦めしたい作品 ■

『式の前日』の評価は、ネットを中心にかなり高い様です。

Twitterなどでも、評判が評判を呼んでいます。

近年の大人向けの漫画には上野顕太郎の『さよならもいわずに』や、
少し前の作品になりますが、豊田 徹也の『アンダーカレント』の様な良作があります。

しかし、これらの作品は、少し重たく、スタイリッシュではありません。

そおういった意味においては『式の前日』は
絵柄も表現様式も、充分に現代的でスタイリッシュです。

普通の若い女の子が読んでも充分に感動し、
マニアが読んでも満足する作品です。


ゴールデンウィークの一冊に加える事をお薦めします。



ちなみに、吉田秋生の『海街diary』を加えるとモアベター!!

「海街diary」・・・本音をみつめる女性の視点 (人力でGO 2010.11.03)
5

2013/1/17

この画にゾクゾクしなければ、あなたは不感症だ・・・『シュトヘル』  マンガ
 

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■ マンガでゾクゾクしたのは久し振りだ ■

2年ぐらい前だろうか?
秋葉原のヨドバシカメラの上の本屋でこのマンガを見つけました。

薄い冊子で、冒頭1話が読める様になっていましたが、
電撃に体を貫かれる様な衝撃を覚えました。
『来訪者バオー』で、荒木飛呂彦の画に初めて出会った時の衝撃に似ていました。

その本の名前は『シュトヘル』。


決して上手い画では無い。
しかし、動きの一瞬を、デフォルメして切り取った見開きの画に、
脳が痺れるような衝撃を覚えました。

近所の西友で見かけた表紙なので、後で買おうと思ったきり、
何故か、近くの書店で見かける事も無く、買えずにいました。

ところが、先日、1巻目だけが、西友の本屋で売られていました。
速攻で購入して、息をする事も忘れて読み終えました。

2巻目以降を、アマゾンで「ポチっとな」しようと思っていたら、
近所のブックオフで5巻目までが売られていた。
・・・これこそが、私とマンガの間にある「縁」です。
当然、大人買い。

■ この画にゾクゾクしなければ、あなたは「不感症」 ■

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マンガの画の好みは人それぞれです。
しかし、私は敢えて言いたい。
この画にゾクゾクしなければ、アナタは「不感症」だ!!

上手い絵を描くマンガ家はゴマンと居る。
綺麗な絵を描くマンガ家は、素人にだって溢れている。
しかし、個性的な絵を掛けるマンガ家は限られています。

さらに、「ゾクゾク」させる絵を描けるマンガ家ともなると、
両手の指にも余る。

そして、「ゾクゾクする絵」と「ゾクゾクさせるストーリー」を描けるマンガ家は、
片手の指に余る存在です。

■ 「文字」を巡るスリルングな歴史活劇 ■

舞台はモンゴル帝国勃興の時代。
西夏は宋を退け繁栄を築きます。
西夏では学問が栄え、多くの仏典や歴史書が、西夏文字で翻訳され、遺されています。

一方、繁栄を誇った西夏も周辺から衰退が始まっています。
モンゴルを初めとする騎馬民族に脅かされています。

そして、今まさに西夏の城壁は、モンゴル軍の攻撃に陥落せんとしています。
モンゴル軍の先頭に立つのは、モンゴルに屈したツォグ族の族長の息子ハラバル。
彼の母は皮肉にも西夏の出身ですが、彼はその血に抗うがごとく戦闘に身を置きます。

そして、西夏の城壁の上で、仲間と共に目前の死に無向い合う少女兵士が一人。
彼女は「ウィソ(雀)」と仲間に呼ばれています。

劣勢が確定した西夏軍は、城砦の裏手から退却を余儀なくされますが、
それは敵の罠でした。
一人残らず、討ち取られ、城壁に弓矢で死体が串刺しとなって曝されます。
逃げ遅れた「ウィソ(雀)」は、仲間の代わり果てた姿に愕然とします。

ところが、仲間の死体を目当てにオオカミ達が集まってきます。
群れのボスの体は人よりも大きく、
仲間の死体を食いちぎろうとするオオカミに「ウィソ(雀)」は一人立ち向かいます。
そして、倒したオオカミの死肉を喰らいながら、彼女はオオカミのボスにも打ち勝ちます。
復讐と生への無垢な執着が、彼女をオオカミの様な野生の戦士へと変えてゆきます。

「ウィソ(雀)」は、モンゴル軍が「悪霊=シュトヘル」と恐れる存在となるのです。

■ 守るべき物、守るべき者 ■

ツォグ族の族長の息子ハラバルに復讐を果たすべく、
シュトヘルは執拗にモンゴル軍を襲います。

そんな彼女は、行商人の策謀で、ハラバルの弟ユルールを守る事となります。

ユルールは血の繋がらない西夏出身のハラバルの母に懐いていました。
彼は戦いでは無く、学問を好み、西夏の文字に惹かれます。
そして、西夏の滅亡を目前に、西夏の文字をモンゴルの焚書から守るべく、
玉に刻まれた文字と共に、ツォグ族の下を出奔します。
共には、西夏からハラベルの母が嫁いだ時に付き添った、年老いた従者一人を連れて。

ユルールと行動をともにすれば、彼を追う兄ハラバルと遭遇するだろうと行商人は言います。
そこで、シュトヘルはユルールと行動を共にするのです。

文字を守る事に命を書けるユルール。
西夏文字を何故か徹底的に消し去ろうとするモンゴルの皇帝。
西夏人の血を引く事で、あえて戦いの中で生きる事を選択するハラベル。
そして、モンゴル人を根絶やしするという復讐に燃えるシュトヘル。

物語は、戦いを好まぬ者、戦いに生きる者、戦いでしか生きられない者の
それぞれの思惑を絡めて進んで行きます。

それぞれが、守りたい者と、守りたい物の狭間で揺れ動きます。

■ ナント作者は女性だった ■

この骨太のストーリーと、迫力ある構図から作者は男性とばかり思っていました。
しかし、ナント、伊藤 悠は1977年生まれの女性。

確かに、シュトヘルのキャラクターが男性から見た女性とは一味も二味も違う。
さらに、この作品、もう一つのカラクリがあって、
ジェンダーが非常に不明確になっています。
(・・・・ここら辺は読んでのお楽しみ。)

元町夏生など、青年誌で活躍する女性作家は、
少女漫画の作家達と一線を画する存在ですが、
誰をとっても、個性的で魅力的な作風を特徴としています。

まだまだ荒削りな作家ですが、
それ故に、ペンの勢いを感じずにはいられない魅力的な作家です。

7巻目がまもなく発売になる様です。
はたして、ユルールは文字を守り切る事が出来るのか?
まだまだ手に汗を握る展開が続きそうです。

本日は、レビューというよりも、
ただただ、この作品の存在を知ってもらいたいだけの記事になってしまいました。

マンガはやはり絵を楽しむものです。
私がここで、どんなに言葉を尽くすよりも、
一読して、ゾクゾクするかしないかしか無い作品とも言えます。

そして、この作品にゾクゾクしない方を、私は「不感症」と非難する程に、
私はこの作品が好きだという事を、勝手に皆さんに押し付けずにはいられないのです。




<追記>

伊藤 悠はこの作品のほかに『皇国の守護者』の作画も担当しています。

この作品も、本屋に行く度に「買ってよオーラ」を私に向って放射し続ける作品です。



9

2012/12/8

首筋に突きつけられた熱く冷たいナイフ・・・『BANANA FISH』 吉田秋生  マンガ
 

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■ 少女マンガってイライラするよね ■

私は47歳の中年男ですが、
たまに、少女マンガを夢中になって読みます。

だいたい娘の本棚から拝借してハマッテしまうのですが、
最近では「いくえみ綾」作の『プリンシパル』が結構楽しみです。

しかし、少女マンガを読みつけない男性は、
少女マンガを読むと、たいていイライラします。

「こんなイケメンいる訳ネーだろ!!」
「何でここで告白しないんだよ、ボケ!!」
「背景、花、引込め!!」
「フレームからはみ出すんじゃネェーーー」

多くの少女達が少年マンガを普通に読めるのに対して、
何故か多くの男性は少女マンガを生理的に受け付けません。
れは一つの謎です。

多分、女性特有の「はっきりさせたく無い気持ち」が男性には理解出来ないのです。


■ お花畑の対局にある少女マンガ ■

こんなお花畑的な少女マンガの世界において、
少年マンガよりもクールな作家達が沢山居る事は意外に知られていません。

吉田秋生(よしだ あきみ)もそんな作家の一人です。

彼女の作品の登場人物は、何処となくナイフを思わせます。
鋼の持つ硬さ、しなやかさ、鋭利さ、冷たさ・・・そして内に秘めた熱さ。

彼女の作品の主人公たちは、周囲に馴染めない者達です。

彼らは、学校から、友達から、社会から、ジェンダーから、家族から
好むと好まざるにかかわらず、阻害された存在です。

何処となく周囲と馴染めないけれど、
それを確信を持って受け入れる強さを持っています。

最新作の鎌倉を舞台にした「海街シリーズ」でも、
中学生の「すず」ですら、このナイフの肌合いを共有しています。
家庭環境に恵まれなかった彼女は、大人顔負けの強靭さで、この運命と対峙しています。

吉田秋生作品の魅力は、彼らの醒めた視点から眺めた世界の意外性です。
学校も、職場も家族も、集団から疎外された視点で捉えなおされます。

彼らは自分を阻害した、あるいは自分からスピンアウトしてしまった世界を愛しています。
あちら側の社会と、こちら側にいる自分に極めて自覚的でありながら、
確固とした自分の意思で、こちら側の自分を選択し得る人間のみが持つ強さに私は惹かれます。

彼らは、凛としてカッコイイのです。



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■ 青年マンガ顔負けのハードボイルドアクション巨編 『BANANA FISH』 ■

そんな吉田秋生の作品群の中では、少し異色なのが今回紹介する『BANANA FISH』です。

『別冊少女コミック』で1985年5月号〜1994年4月号まで連載され、
コミックスで19巻になる大作です。
これは、小品が多い吉田作品では異例です。

さらに、ニューヨークのストリートギャングの青年と
コルシカマフィアの攻防を描くストーリーは、少女マンガとしても異例です。

ところが、吉田秋生の代表作は?と聞かれると、
多くの方はこの作品を挙げます。
最終回は、新聞の記事になった程のヒット作でもあります。

『BANANA FISH』は少女マンガでありながら
多くの男性ファンを持つ稀有な作品です。

■ 謎の麻薬「バナナフィッシュ」を巡るミステリー ■

物語は、謎の麻薬「バナナフィッシュ」を巡るミステリーで始まります。

ベトナム戦争に従軍したグリフィンは、突然、錯乱して戦友を銃撃します。
グリフィンが最後に口にした言葉は「バナナフィッシュ」。

10年以上経過したNYで再び「バナナフィッシュ」と口にして死んだ男が一人。
偶々、彼の最期に立ち会ったアッシュはニューヨークの少年ギャング達のリーダー。
そして、彼そこが、グリフィンの弟だったのです。

アッシュは金髪碧眼の17歳の美少年。
しかし、その風貌とは裏腹に銃の腕前は殺し屋以上。
そして、頭脳はIQ200の天才児です。
彼は、優れた統率力でNYの下町の不良少年たちを仕切っています。

とこらが、アッシュには暗い過去があったのです。
彼は少年のと時、レイプされ、男娼としてマフィアに飼われていたのです。
コルシカマフィアのボス、ゴルチーネはアッシュを愛玩すると同時に、
アッシュの才能にほれ込み、彼に英才教育を授け、
行く行くは自分の後を継がせようとしています。

ところが、アッシュは野生の山猫の様に自由気ままで、
なかなかゴルチーネの思い通りには行動しません。

そして、アッシュの兄、グリフィンを廃人にしたのが、
「バナナフィッシュ」という違法な薬物であり、
その実験にゴルチーネも関わっていると知り、
アッシュは決定的にゴルチーネと対立します。

コルシカマフィアとNYの不良少年達の、
血で血を洗うような抗争が勃発します。

■ 魂のペアー ■

ニューヨークのダウンタウンの不良達に中にあってアッシュは
掃き溜めに降り立った白い鶴の様な存在です。

彼は仲間に囲まれていても、いつも孤独です。
これは、吉田作品の主人公に典型的な「阻害され、孤立した人格」です。

しかし、吉田作品は必ず、「孤立した個人」に「魂のペアー」を用意しています。
取材でアッシュの元を訪れれた日本人青年、英二が、アッシュの魂のペアーです。

極めて平凡ですが、人の良いところだけが取り柄の英二だけにアッシュは心を許します。
アッシュは英二の前でだけは、その鋼に様な心の鎧を脱ぐ事が出来るのです。

■ 少年たちの純粋な愛憎劇 ■

ゴルチーネはアッシュを愛しています。
それは美しい少年への性的愛情であり、
美しい生き物への、本能的憧憬であり、
自分の作り上げた作品への、自己陶酔でもあります。

ゴルチーネのアッシュへの愛は、ひたすら歪んでいますが、
ある種の純粋性の域に昇華しています。
俗を極めた先にある聖なる領域に達しようとしています。

一方、アッシュと英二の関係は、兄弟の様な代償を必要としない友愛です。
二人の美少年の関係と聞くと、腐女子の耳がピクピクと動きそうですが、
彼らの間に、性的な関係はありません。

英二に限らず、不良達ががアッシュとの間に交わす友情は、
尊敬の念に裏打ちされた純粋なものです。

少年達の結ぶ純粋な愛情(友情)と、
マフィアのボス、ゴルチーネの捻じれた純愛の対比が、
この物語のもう一つのテーマになっています。

純粋な愛情が、邪悪な愛情に打ち勝てるのかが、絶えず問われ続けます。

■ アッシュの鏡としての二人の少年 ■

人望の篤いアッシュをひたすら恨む少年が居ます。
若くしてチャイナタウンを仕切るユエルンです。

彼はアッシュと同様に不幸な過去を持ち、
そしてアッシュと同様にマフィアの財産を引き継ぐ立場にいます。

イェルンとアッシュはまさに鏡に映った己が姿です。
ところが、アッシュには英二という魂のペアーが存在し、
イエルンには存在しません。

その事がユエルンの魂の平穏を乱し、
彼は英二を執拗に憎みます。

本来、鏡に映ったペアーであるはずのアッシュが
ユエルンよりも幸せに見える事への嫉妬が彼を狂わせます。

■ ボーイズラブへと退化する「魂のペアー」 ■

連載当時、アッシュと英二の関係は少女達の憧れだったでしょう。

少女マンガを愛読する様な女子は、
現実世界では性的に奥手な子が多いはずです。

彼女達にとって、「男女の性」は興味はあるけど、現実からは遠い存在です。
だから、思春期独特の潔癖さによって性愛は「不潔」なものとして排除されます。

そこで、彼女達は「不潔」でない性的関係を探しました。
それが「少女同士」「少年同士」の性だったのです。

これらは最初は「友情」として描かれます。
ヒロインとその親友の女の子の純粋な友情。
ヒロインの憧れの男性とその親友の男の子の純粋な友情。

「ボーイズラブ」の発端は、『エースをねらえ』の藤堂と尾崎の様な
「理想の男友達の関係」として描かれます。

一方では少女マンガは進化の過程で、少年マンガよりも積極的に「性愛」を描写してゆきます。
少年たちよりも早熟な少女達が、作品の中に「性愛」を求めたのでしょう。

妄想力豊な少女達の求める「愛」は動物的肉欲では無く、精神的な強い絆です。
どうしても、「肉欲」に打ち勝てない異性との性愛より、
「同性愛」を少女達が好むのは、
その関係が生物学的必然では無く、精神的つながりだからではないでしょうか?

一方では少女の潔癖性が、「同性の魂のペア」を生み出し、
一方では「アブノマルな精神的性愛」少女達は求めてゆきます。

この二つの事象が合体した先に、現代の「ボーイズラブ」の世界があるのでしょう。

そして、『BANANA FISH』 はそういった時代の先駆けとして、
男同士の友情が、同性愛という安定性を獲得する前の
スリルングな状態を鮮やかに描き出したのです。

言うなれば、現代の「ボーイズラブ」は、魂の高みを目指した「同性同士の魂のペアー」の
墜落した姿であり、退化した姿なのです。

■ ジェンダーの障壁を軽々と越えてゆく吉田作品 ■

吉田作品の孤高の登場人物たちには、かならず魂のペアーが存在します。

『吉祥天女』の冷酷な殺人者、小夜子にも涼という「魂の鏡」と、
由依子という控えめな「魂のペアー」が用意されています。

『ラバーズキッス』は、様々な登場人物経ちが、社会から少しずつ阻害されながらも
傍らにはいつもその理解者が付き添っています。

彼らはジェンダーの壁をも超越しています。
男性と女性の組み合わせ、
男性の同性愛者と、女性の同性愛者の組み合わせなど多様です。

吉田作品では男女は理解し合えない存在では無く、
人間性の本質によって、理解し合える対象として描かれます。

■ 時代と共に変化し、成長する吉田秋生 ■

吉田作品の主人公たちは、今も昔も熱いナイフの様に強い精神の持ち主です。

しかし『ANANA FISH』や『吉祥天女』の時代の主人公達は、
「自分を守る為に相手を傷つける事しか知らない強さ」に守られていました。

しかし近作の『海街diary』では、そのエッジは大分和らいでいます。
それでも、時々登場人物達の見せる醒めた表情に、背筋がゾクゾクします。

吉田秋生の絵柄も作品の内容も時代と共に変化し、成長していますが、
作品の根底に流れる、クールさと「しなやかな強靭さ」は未だ衰えを知りません。


ちなみに、鎌倉を舞台にした4姉妹の物語、『海街diary』は少女マンガの到達点の一つです。

「海街diary」・・・本音をみつめる女性の視点 (人力でGO)

25

2012/11/5

<再録>マンガやアニメと実写の境界・・・「うさぎドロップ」  マンガ
 
昨日久しぶりにTSUTAYAに行ったら、
『うさぎドロップ』 のDVDが並んでいました。
大人も見れるアニメは、ジブリ作品ばかりが強調されますが、
こういう優れた作品が日本にはたくさんある事を
少しでも多くの方に知っていただきたく、昔の記事を再録します。

ついでに『Drive』が新作コーナーに並んでいました。
こちらは万人受けする映画ではありませんが、
本当の映画好きならば、この映画の素晴らしさを堪能される事でしょう。

動機の純粋性が暴力を肯定するか?・・・ヒーローとアメリカの暴力の根幹に迫る力作「ドライブ」(2012.6.8 人力でGO )http://green.ap.teacup.com/pekepon/797.html


園子温監督の『希望の国』が上映されています。

福島の被災地で家族の絆を問う作品との事。
園監督は今まで「暴力」をテーマに家族関係を描いてきましたが、
「原子力災害」という「科学」と、「反原発という社会の暴力」を、
園監督がどう描くのか、これは必見の映画だと言えます。

http://www.kibounokuni.jp/


<再録>マンガやアニメと実写の境界・・・「うさぎドロップ」

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■ 「でかした!! 息子よ」 ■

子供は成長する。

「お父さん、オレこのマンガ、オレの子供が出来た時読み直すんだ。」
高3の息子がこんな事を言った。

ビックリだ!!
だって、ついこの間までは子供だったよな・・こいつ。
それこそ、保育園の送り迎えだって、
私には、つい先日の事の様に思えるのに・・・。
子供は成長する。

嬉しいようで、ちょっと寂しい。

高3の息子に、こう言わしめたのは「うさごドロップ」というマンガである。
先日からTVアニメがスタートしたこの作品、
息子は翌日には、マンガを全巻「大人買い」していた。
勿論、自分のバイトで稼いだお金でだ。

でかした、息子よ。
君が立派な大人のオタクに育ってくれて、父はウレシイ!!

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■ 「うさぎドロップ」を見ずして、今期のアニメは始まらない ■

「うさぎドロップ」は同名のマンガ原作の今期のTVアニメです。

祖父の葬式にやってきた大吉は、そこで女の子に出会います。
従兄弟の子と思ったその子は、実は祖父の隠し子だという・・。
突然の事態に当惑する親族、突然出来た妹に戸惑う大吉の母。

アニメは「お葬式」という人間のエゴがむき出しになるイベントを
良作の日本映画の様なタッチで淡々と描いていきます。

身寄りを無くした5歳の少女の、子供ながらの不安を、
そんなリンを放っておけない、30独身男の大吉の視線を、
アニメは様々なシーンの断片で綴ってゆきます。

そして大吉はこう言うのです。
「りん、俺んち来るか」
答えは、ふわりと大吉に寄り添う、小さな靴を履いた足。

30分の一話目で、昨今の日本映画の水準を軽々と越えるこのアニメ、
今期のアニメは「うさぎドロップ」を見ずに何を見るというのだろうか?

■ 子供は親を育てる ■


注意) ここからはネタバレ

リンを施設に預けようとする伯父達の大人の判断に
子供の様な直情さで、リンを連れ帰った大吉ですが、
そこは独身三十路男。
何をどうして良いのやら、皆目見当も付きません。
従姉妹に電話して、保育園の緊急一時保育に入れるには入れたものの
会社と保育園のお迎えで、彼の生活は一変します。

アパレルメーカーの営業として、それなりの実績を持つ彼は
思案の末に、配置替えを上司に嘆願します。
始めは、「勢い」で始まった奇妙な「子育て生活」でしたが、
大吉の中で価値観が大きく変化して行きます。
「リンの為」が大吉の中で一番大切なものになっていきます。

保育園、小学校、高校と「リン」は大吉の元で成長します。
保育園の男友達、その母親、育児パパ達との交流を交えながら、
2人の時間は次第の積み重なってゆきます。

「リン」が高校を卒業するまでの15年間を
マンガは丁寧に9巻を費やして描いてゆきます。

父子家庭としての大変さを、
片親で子供を育てる大人同士の連帯と、臆病な恋を。
リンと幼馴染の恋の行方を、
そして、リンの心の成長を、
ちょっと離れた視線で柔らかに作者と読者は見守ります。

決して派手では無く、むしろオーソドックスな表現ながら、
そこには、仮の親としての意地も、愛情も、
そしてリンを捨てて仕事を取った母親の
身勝手ながらも、女性らしい子供を気遣う視線も
ハッとする様な新鮮さで、詰まっています。

■ かつて経験した事 ■

共働きの家庭の子育ての大変さは・・・などと書くと
専業主婦の方達から反発があるのでしょうが、
子供が熱を出した時に、夫婦のどちらが迎えに行くかのバトルは
今思い起こしても熾烈なものがありました。・・我が家でも。

でも、近所のオバサンや、母親仲間、パパ仲間の協力で、
我が家の子供達も危機を乗り切ってきました。
とにかく、保育園に通う子供が熱を出す事は
親の仕事にダイレクトに影響します。
ですから、冬は恐怖のシーズンでした。
ましてや、インフルエンザの流行は、ゴジラの襲来に近い恐怖でした。

そんな保育園に子供を通わせていた頃の思い出が
このマンガにはギッシリと詰まっています。

■ 子供を見る、東西の視線の違い ■

ダスティン・ホフマンの映画、「クレーマー・クレーマー」は、
奥さんが家出して突然育児を任された父親の話で秀逸でしたが、
ダスティン・ホフマンの父親が子供を見る視点は
「エイリアン」を見る視点でした。
「大人の論理の通用しない怪物の面倒を見る男の悲劇」が
コミカルに描かれていました。

一方、「うさぎドロップ」の大吉の視線は
もっと情緒的です。
子供の一挙手、一投足に一喜一憂する様は、
まさに日本の親の日常です。

子供の思考を分からないながらも、
子供の気持を分かち合おうとする姿勢も
もしかすると、日本人独自のものなのかも知れません。
自分の延長としての子供、子供に繋がれた大人・・・。

「自立した個人」という近代西洋の視点に立てば、
限りなく未成熟な親子関係ですが、
ある意味、切れない紐で結ばれたような関係は、
何とも心地よく、子は親に甘え、親は子に甘えます。
それが、たとえ血の繋がりの無い子供であっても、
日本人はそのような繋がりを結ぶ事が、この作品から伝わってきます。

たとえ育児を放棄した母親であっても、
心のどこかで、子供に依存していたりもします。

■ マンガやアニメでしか伝わらない事 ■

この何ともぬるま湯的な世界は、
小説や実写映画では伝わり難い内容です。

実写映画では、どこにでもある日常を越えられませんし、
小説では、「普通の事」を表現して読者に読ませる事こそが難題です。

ですから、現在のメディアで、「普通」を伝える手段として
マンガやアニメの果たす役割は無視出来ません。

キャラクターとしてイメージを外在化出来るからこそ、
マンガやアニメは「客観視」や「観察」に適しているのでしょう。
自分達の日常は、こんあにも素晴らしい事を、普通に表現出来ます。

最近の子供向けのマンガやアニメは、とにかく日常指向です。
敵も無く、イベントも無く、仲間内の日常がダラダラと展開します。
それこそ最近は恋愛も非日常として排除されていたりします。

エヴァンゲリオンの様に、時空を越える壮大な作品を排出したアニメやマンガは、
現在はエントロピーが拡大しすぎて「熱死」の状態にあるのかも知れません。
そして、先鋭的な現代小説がかつて辿った様に、
例えばコップの中の水を表現する事(確か、高橋源一郎だったか)から
やり直しているのかもしれません。

■ 実写で見たい 「あの日見た花の名前を僕らは知らない」 ■

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前期のアニメの代表作に
「あに日見た花の名前を僕らはまだ知らない」という作品があります。

「とある魔術師の超電磁砲」で素晴らしい演出手腕を見せた
長岡龍雪の作品で、中高生を中心にかなりの支持を受けた作品です。

小学校の遊び仲間6人の一人が、ある日、川で溺れて死にます。
残された5人は、それぞれのトラウマを抱えて高校1年生に成長しています。

登校拒否に陥っていたリーダー格の「じんたん」の前に
死んだはずの「めんま」が成長した姿で現れます。
・・しかし「めんま」が見えるには「じんたん」だけ。
ところが、その「めんま」の存在が
離れ離れになっていた5人に心を結び付けて行きます。
5人は、「めんま」が成仏できる様に、
必死で「めんま」の願いを叶えようと奮闘します。

秩父の小さな街を背景に、5人の若者の成長が
アニメらしい瑞々しい表現で描かれてゆきます。

・・とても素晴らしい作品です。
最後は46歳の大人の目に涙が溢れました。

しかし・・私はあえて言いたい。
私はこの作品を実写で見たい。
監督は徒然、岩井俊二。

もちろん「めんま」は最後まで1カットも出なくいい。
居るのか、居ないのか、
「じんたん」の虚言なのか、妄想なのか、分からない・・・。
そんな存在を軸にした、5人の若者の姿を
秩父の自然を背景に、実写映画で見たい。

アニメが不出来なのでなく、
この手のファンタジーはアニメでは見えすぎてしまうのです。
アニメでは「めんま」は、絵として描かざるを得ません。

しかし、「めんま」は最後まで見えない方が、
この素晴らしいコンテンツが引き立ちます。

リアルなアニメが成立するとして、
実写とアニメの何処い線を引くかは、難しい問題です。

これは原恵一の作品にも言える事です。
表現としてアニメを選んだという説得力に、
「あの日見た・・・」は乏しいと思うのは、私のワガママなのでしょうが・・。

■ 「うさぎドロップ」と「あの日見た花の・・・」は必見 ■

いずれにしても、TVで普通に放送される作品が
これ程までに高クォリティーを有している事は驚異的です。

この2作品のアニメと、そして「うさぎドロップス」の原作マンガは、
現在のアニメやマンガの水準を知る上で、
必見の作品では無いでしょうか。
2

2012/6/22

夢ってなんだろう?・・・「銀の匙」荒川弘  マンガ
 

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■ 娘は農ギャルを目指しています ■

我が家の娘は農業科の高校に通っています。
何故農業科かと言えば、学園祭でダンスを踊りたかったから。

娘の通う高校(普通科併設)は文化祭が盛んな事で知られています。
学園祭の夜には、全校生徒がユーロビートに乗って17分も踊り狂います。
ダンスのインストラクターに選ばれた10名程の高3の女子は、
ステージの上で、華やかなダンスを披露します。

高校の願書提出の二週間前、
私と娘はこの映像をネットで見つけてしまいました。
それまで、フツーに中堅の普通科の高校に進学して、
専門学校にでも行って、フツーに就職すれば好いと思っていましたが、
あまりもフツー過ぎて、娘も志望校に進学するという熱意は希薄でした。

ところが、ダンスの映像を見た瞬間、娘はこう言いました。
「私、この学校にする」
その学校は県立でも上位の高校です。
どう逆立ちしても、娘の偏差値では受かる事など不可能です。

でも、その学校には各学年一クラス、「農業科」のクラスがあります。
「農業科なら入れるけれど、農業やる?」と聞くと、
「農業科でも好い」と言うではないですか!!
県立願書の提出期限は2週間後に迫っていました。

実は、私は息子の受験の時も、この学校の「農業科」を進めていました。
「農家の一人娘をゲットしたら、逆玉だよ」って。
息子は返事すらしませんでした。

娘がまさか農業など志すはずも無く、娘には勧める事もしていませんでした。
「農家の跡取り息子をゲットすれば、玉の輿だよ」というのは
逆にリアルで言うのがはばかられます・・・。

イヤー、世の中なにが起こるか分かりません。
まさか、娘の方から「農業科に行来たい」と言うなんて・・・夢の様です。
だって、私の趣味は小学校の頃から「園芸」でしたから。
中学生の頃には親友と洋ランの栽培をしていました。

■ 個性豊かな農業科の生徒達 ■

学年に一クラスだけある農業科の生徒はユニークです。

上位の生徒達には、そこそこの普通科を目指せるのに、
植物が好きで農業科を志望して来る生徒も居ます。

家が農家で、お父さんも、お爺ちゃんも
同じ学校の卒業生という生徒も居ます。

花が好きだから・・という理由で入学した女子も居ます。

勉強が嫌いだけど、自由な学校と聞いて入りたかった
という生徒も少なからず居ます。

学力も結構バラバラ。

そんな生徒達が今取り組んでいるのが、
トウモロコシの栽培と、
草花や作物や農機具や肥料の名前を覚える事。

ノートにトウモロコシの日々の成長を記録し、
見分けの難しい雑草をスケッチしては名前を憶えてゆきます。

■ 実習は楽しい ■

我が家の物干しには、娘の作業着が風に揺れています。
農家のオッチャンが着ているようなヤツです。

花も恥じらう高校生女子が、
作業着に長靴姿で、畑を耕す姿が目に浮かび、
思わず笑ってしまいます。

「お父さん、今日畑を耕す実習をしたけど、
 ○○君は農家だから、女子の分も手伝ってくれるんだよ」

「お父さん、ヨウサンリンピって知ってる。肥料の名前だよ」

「お父さん、○○はミミズが怖いから、実習で大騒ぎだよ」

「お父さん、花をスケッチしてたらアレルギーで目がこんなに腫れちゃったよ」

「お父さん、○○ちゃんは英語が苦手なんだよ。 I is 〜 て覚えちゃってるんだよ。」
 
これが最近の我が家の食卓の会話です。

■ 北海道の農業高校を舞台にした漫画「銀の匙」 ■

そんな娘の16歳の誕生日プレゼントに買ってあげたのが、
「鋼の錬金術師」で一躍名を馳せた
「荒川弘」の最新作「銀の匙」です。

進学校の中学に通いながらも、
成績に伸び悩み、親とも上手く行かない「八軒」は、
担任の薦めで全寮制の「大蝦夷農業高校」に進学します。
専攻は酪農。

生徒達は、乳牛飼育や、農場経営、養鶏など農家の跡取りです。
中には獣医志望の子も居ます。

皆、将来の目的が明確です。
だいたが親の後を継いで立派な農家になる事を夢見ています。
農業経理を学んで、家業を拡大したいという望みを抱く子も居ます。

小さな頃から親を手伝って来た子供達は、
農業に関しての専門知識も豊富で、
農業高校ならば「1番」になれると意気込んでいた「八軒」は、
確かに学年一位にはなりますが、
各教科で一位を獲得する事は出来ません。

そんな不純で優秀な農業高校1年生と、彼を取り巻く農業高校生の
日々の生活や葛藤、そして交流が、
生き生きと描かれているのが「銀の匙」です。

■ 農業の実体を少年誌でじっくりと描く ■

「銀の匙」の掲載誌は「週刊少年サンデー」です。
青年誌向けのこの作品を、
少年誌で掲載した編集部に先ず喝采を送りたい。

そして「もやしもん」という先鞭はあるものの
農業という地味なテーマを、
少年少女達が楽しめるエンタテーメントに仕立てた
荒川弘に、さらなる拍手を送りたい。

少年少女を飽きさせないように、
笑いをちりばめながら
テンポ良く展開するストーリーですが、
扱っている内容は実に深い内容です。

TPPを踏まえ、日本の畜産農家が危機に瀕している事。
子供も含めた家族の労働無くしては農業が成り立たない事。
そして、鳥インフルエンザや口蹄疫などの伝染病で、
苦労して作り上げた農場が一瞬で潰れ、負債の山が残る事。

そんな農家が抱える問題を深刻に描くのでは無く、
大人も子供も老人も真剣に楽しく農業に向き合う姿を描いてゆきます。

■ 「夢」を問うストーリー ■

「銀の匙」のテーマは農業と同時に「夢」です。

「八軒」は学力優秀ですが、将来の夢が見つからずに挫折します。
そんな彼が辿り着いた農業高校の生徒は皆「将来の夢」を明確に持っています。

そして、彼らの「夢」は非常に「現実的」です。
高校入試の時点で実業高校を選択する子供達は、
ある意味において、普通科に通う子供達よりも
自分の将来をしっかりと見つめています。

そんな彼らの「夢」と対比させる形で、
「八軒」の兄が登場します。
東大を「夢」の為に中退した彼の「夢」は現実的とは言えず、
それに対する努力も「徒労」と呼べるものです。
そして「自分の分をわきまえない夢」は周囲に迷惑を掛けます。

一方で「夢」を持たない「八軒」を作者は否定しません。
教師達も「夢がないのが好い」と言ったりします。
「夢」とは成長の過程で見つければ良いのであって、
無理に掴み取るものではないと言いたげです。

「夢」に苦しむ子供の姿も描かれます。
家業の乳牛飼育以外に興味を持つ子供、
獣医になりたいと志望しながらも、動物の死に対して過敏な子供・・。
しかし、彼らも日々悩みながら、その答えを見つけて行くのでしょう。


■ 経済動物としての家畜への愛情 ■

この作品で繰り替えされるテーマの一つに
経済動物としての家畜への愛情があります。

家畜は屠殺されて食肉になって初めて価値を生じます。
生まれた時から殺され、食べられる事を運命付けられています。

生まれたての子豚を世話する実習で、子豚のあまりの可愛さに
「八軒」は思わず名前を付けそうになります。

ところがクラスメイトは皆、
「名前だけは付けるな」
「付けるならば豚丼とかにしとけ」と助言します。

何故ならば名前を付けたら愛情が生じ、
別れが辛くなる事を、
彼らは小さな頃から経験しているからです。

「豚丼」と名付けられたそのブタは、
すくすくと成長して、数か月で食用として殺されます。

「八軒」はそれでもブタに愛情を注ぎ、
そして愛する物を殺して食べるという矛盾に
正面から向き合います。

周囲の子供達も、当然として受け入れていた事を
もう一度、考え直すきっかけを得ます。
「農家にとっての家畜への愛情とは何か?」と。

■ 宮崎の口蹄疫で処分される家畜を「かわいそう」とTwitterした厚生技官 ■

新型インフルエンザ騒動の時、
厚生労働省の女性技官が、
TVに出演して厚生官僚批判を繰り返して人気を得ます。

その彼女が宮崎の口蹄疫で感染が発生した牛に対して
下記の様にTwittして総攻撃を受けます。

私はmow mow やoink oinkの専門ではないが、口蹄疫は人間の「はしか」みたいなものだろう。麻疹も感染力が強いが、罹ったからといって子供を殺すことはしないだろうに。herd immunity獲得まで待てば良いのではなかろうか。

口蹄疫に感染したmow mowのお肉をデパ地下で70% off販売したら、間違いなくわたくし、毎日買いに行きます。超高級和牛、通常の30%値なんて夢のようなお話。デフレに拍車をかけるかもしれないけれど。

これに対する攻撃はだいたい以下の様な内容です。

「牛は経済動物だ。
 感染の拡大は、経済動物としての牛を飼う農家を危機にさらす。
 それを厚生労働省の技官ともあろうものが「かわいそう」とは何事だ」

彼女は感染症と公衆衛生の専門家ですが、
人と家畜の感染症の影響を混同した所に過ちがあります。

人は感染症で死なない事を重要視しますが、
家畜は感染しただけで、その肉の流通は止められるので
「感染=経済性の喪失」なのです。

この様に農業における家畜の扱いは現実的でシビアです。

■ 淡い恋を交えながら、八軒の成長を瑞々しく描く傑作 ■

「銀の匙」は3巻が既刊され、7月に第四巻が発刊されます。

八軒とクラスの女子との淡い恋を交えながら、
話は高校1年の秋へと進んで行きます。

個性的な農業高の物語から目が離せません。

この素晴らしい作品は2012年の「マンガ大賞」を受賞し、
「手塚治虫文化賞新生賞」を受賞しました。

中学や高校生のお子様がいらっしゃる方は、
是非、子供と一緒に読まれて、
農業や「食べる」事について語り合われては如何でしょうか?
そいして将来の夢について語り合って下さい。



本日は、購入される方の為に、ネタバレしないように書いてみました。
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