2012/6/22

夢ってなんだろう?・・・「銀の匙」荒川弘  マンガ
 

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■ 娘は農ギャルを目指しています ■

我が家の娘は農業科の高校に通っています。
何故農業科かと言えば、学園祭でダンスを踊りたかったから。

娘の通う高校(普通科併設)は文化祭が盛んな事で知られています。
学園祭の夜には、全校生徒がユーロビートに乗って17分も踊り狂います。
ダンスのインストラクターに選ばれた10名程の高3の女子は、
ステージの上で、華やかなダンスを披露します。

高校の願書提出の二週間前、
私と娘はこの映像をネットで見つけてしまいました。
それまで、フツーに中堅の普通科の高校に進学して、
専門学校にでも行って、フツーに就職すれば好いと思っていましたが、
あまりもフツー過ぎて、娘も志望校に進学するという熱意は希薄でした。

ところが、ダンスの映像を見た瞬間、娘はこう言いました。
「私、この学校にする」
その学校は県立でも上位の高校です。
どう逆立ちしても、娘の偏差値では受かる事など不可能です。

でも、その学校には各学年一クラス、「農業科」のクラスがあります。
「農業科なら入れるけれど、農業やる?」と聞くと、
「農業科でも好い」と言うではないですか!!
県立願書の提出期限は2週間後に迫っていました。

実は、私は息子の受験の時も、この学校の「農業科」を進めていました。
「農家の一人娘をゲットしたら、逆玉だよ」って。
息子は返事すらしませんでした。

娘がまさか農業など志すはずも無く、娘には勧める事もしていませんでした。
「農家の跡取り息子をゲットすれば、玉の輿だよ」というのは
逆にリアルで言うのがはばかられます・・・。

イヤー、世の中なにが起こるか分かりません。
まさか、娘の方から「農業科に行来たい」と言うなんて・・・夢の様です。
だって、私の趣味は小学校の頃から「園芸」でしたから。
中学生の頃には親友と洋ランの栽培をしていました。

■ 個性豊かな農業科の生徒達 ■

学年に一クラスだけある農業科の生徒はユニークです。

上位の生徒達には、そこそこの普通科を目指せるのに、
植物が好きで農業科を志望して来る生徒も居ます。

家が農家で、お父さんも、お爺ちゃんも
同じ学校の卒業生という生徒も居ます。

花が好きだから・・という理由で入学した女子も居ます。

勉強が嫌いだけど、自由な学校と聞いて入りたかった
という生徒も少なからず居ます。

学力も結構バラバラ。

そんな生徒達が今取り組んでいるのが、
トウモロコシの栽培と、
草花や作物や農機具や肥料の名前を覚える事。

ノートにトウモロコシの日々の成長を記録し、
見分けの難しい雑草をスケッチしては名前を憶えてゆきます。

■ 実習は楽しい ■

我が家の物干しには、娘の作業着が風に揺れています。
農家のオッチャンが着ているようなヤツです。

花も恥じらう高校生女子が、
作業着に長靴姿で、畑を耕す姿が目に浮かび、
思わず笑ってしまいます。

「お父さん、今日畑を耕す実習をしたけど、
 ○○君は農家だから、女子の分も手伝ってくれるんだよ」

「お父さん、ヨウサンリンピって知ってる。肥料の名前だよ」

「お父さん、○○はミミズが怖いから、実習で大騒ぎだよ」

「お父さん、花をスケッチしてたらアレルギーで目がこんなに腫れちゃったよ」

「お父さん、○○ちゃんは英語が苦手なんだよ。 I is 〜 て覚えちゃってるんだよ。」
 
これが最近の我が家の食卓の会話です。

■ 北海道の農業高校を舞台にした漫画「銀の匙」 ■

そんな娘の16歳の誕生日プレゼントに買ってあげたのが、
「鋼の錬金術師」で一躍名を馳せた
「荒川弘」の最新作「銀の匙」です。

進学校の中学に通いながらも、
成績に伸び悩み、親とも上手く行かない「八軒」は、
担任の薦めで全寮制の「大蝦夷農業高校」に進学します。
専攻は酪農。

生徒達は、乳牛飼育や、農場経営、養鶏など農家の跡取りです。
中には獣医志望の子も居ます。

皆、将来の目的が明確です。
だいたが親の後を継いで立派な農家になる事を夢見ています。
農業経理を学んで、家業を拡大したいという望みを抱く子も居ます。

小さな頃から親を手伝って来た子供達は、
農業に関しての専門知識も豊富で、
農業高校ならば「1番」になれると意気込んでいた「八軒」は、
確かに学年一位にはなりますが、
各教科で一位を獲得する事は出来ません。

そんな不純で優秀な農業高校1年生と、彼を取り巻く農業高校生の
日々の生活や葛藤、そして交流が、
生き生きと描かれているのが「銀の匙」です。

■ 農業の実体を少年誌でじっくりと描く ■

「銀の匙」の掲載誌は「週刊少年サンデー」です。
青年誌向けのこの作品を、
少年誌で掲載した編集部に先ず喝采を送りたい。

そして「もやしもん」という先鞭はあるものの
農業という地味なテーマを、
少年少女達が楽しめるエンタテーメントに仕立てた
荒川弘に、さらなる拍手を送りたい。

少年少女を飽きさせないように、
笑いをちりばめながら
テンポ良く展開するストーリーですが、
扱っている内容は実に深い内容です。

TPPを踏まえ、日本の畜産農家が危機に瀕している事。
子供も含めた家族の労働無くしては農業が成り立たない事。
そして、鳥インフルエンザや口蹄疫などの伝染病で、
苦労して作り上げた農場が一瞬で潰れ、負債の山が残る事。

そんな農家が抱える問題を深刻に描くのでは無く、
大人も子供も老人も真剣に楽しく農業に向き合う姿を描いてゆきます。

■ 「夢」を問うストーリー ■

「銀の匙」のテーマは農業と同時に「夢」です。

「八軒」は学力優秀ですが、将来の夢が見つからずに挫折します。
そんな彼が辿り着いた農業高校の生徒は皆「将来の夢」を明確に持っています。

そして、彼らの「夢」は非常に「現実的」です。
高校入試の時点で実業高校を選択する子供達は、
ある意味において、普通科に通う子供達よりも
自分の将来をしっかりと見つめています。

そんな彼らの「夢」と対比させる形で、
「八軒」の兄が登場します。
東大を「夢」の為に中退した彼の「夢」は現実的とは言えず、
それに対する努力も「徒労」と呼べるものです。
そして「自分の分をわきまえない夢」は周囲に迷惑を掛けます。

一方で「夢」を持たない「八軒」を作者は否定しません。
教師達も「夢がないのが好い」と言ったりします。
「夢」とは成長の過程で見つければ良いのであって、
無理に掴み取るものではないと言いたげです。

「夢」に苦しむ子供の姿も描かれます。
家業の乳牛飼育以外に興味を持つ子供、
獣医になりたいと志望しながらも、動物の死に対して過敏な子供・・。
しかし、彼らも日々悩みながら、その答えを見つけて行くのでしょう。


■ 経済動物としての家畜への愛情 ■

この作品で繰り替えされるテーマの一つに
経済動物としての家畜への愛情があります。

家畜は屠殺されて食肉になって初めて価値を生じます。
生まれた時から殺され、食べられる事を運命付けられています。

生まれたての子豚を世話する実習で、子豚のあまりの可愛さに
「八軒」は思わず名前を付けそうになります。

ところがクラスメイトは皆、
「名前だけは付けるな」
「付けるならば豚丼とかにしとけ」と助言します。

何故ならば名前を付けたら愛情が生じ、
別れが辛くなる事を、
彼らは小さな頃から経験しているからです。

「豚丼」と名付けられたそのブタは、
すくすくと成長して、数か月で食用として殺されます。

「八軒」はそれでもブタに愛情を注ぎ、
そして愛する物を殺して食べるという矛盾に
正面から向き合います。

周囲の子供達も、当然として受け入れていた事を
もう一度、考え直すきっかけを得ます。
「農家にとっての家畜への愛情とは何か?」と。

■ 宮崎の口蹄疫で処分される家畜を「かわいそう」とTwitterした厚生技官 ■

新型インフルエンザ騒動の時、
厚生労働省の女性技官が、
TVに出演して厚生官僚批判を繰り返して人気を得ます。

その彼女が宮崎の口蹄疫で感染が発生した牛に対して
下記の様にTwittして総攻撃を受けます。

私はmow mow やoink oinkの専門ではないが、口蹄疫は人間の「はしか」みたいなものだろう。麻疹も感染力が強いが、罹ったからといって子供を殺すことはしないだろうに。herd immunity獲得まで待てば良いのではなかろうか。

口蹄疫に感染したmow mowのお肉をデパ地下で70% off販売したら、間違いなくわたくし、毎日買いに行きます。超高級和牛、通常の30%値なんて夢のようなお話。デフレに拍車をかけるかもしれないけれど。

これに対する攻撃はだいたい以下の様な内容です。

「牛は経済動物だ。
 感染の拡大は、経済動物としての牛を飼う農家を危機にさらす。
 それを厚生労働省の技官ともあろうものが「かわいそう」とは何事だ」

彼女は感染症と公衆衛生の専門家ですが、
人と家畜の感染症の影響を混同した所に過ちがあります。

人は感染症で死なない事を重要視しますが、
家畜は感染しただけで、その肉の流通は止められるので
「感染=経済性の喪失」なのです。

この様に農業における家畜の扱いは現実的でシビアです。

■ 淡い恋を交えながら、八軒の成長を瑞々しく描く傑作 ■

「銀の匙」は3巻が既刊され、7月に第四巻が発刊されます。

八軒とクラスの女子との淡い恋を交えながら、
話は高校1年の秋へと進んで行きます。

個性的な農業高の物語から目が離せません。

この素晴らしい作品は2012年の「マンガ大賞」を受賞し、
「手塚治虫文化賞新生賞」を受賞しました。

中学や高校生のお子様がいらっしゃる方は、
是非、子供と一緒に読まれて、
農業や「食べる」事について語り合われては如何でしょうか?
そいして将来の夢について語り合って下さい。



本日は、購入される方の為に、ネタバレしないように書いてみました。
9

2012/5/27

子供達に問われた「命の等価性」・・・「ぼくらの」は正座して読むべし  マンガ
 

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■ 作品との縁 ■

現代は毎日大量の本が出版され、
名前も知らないマンガが日々書店に並びます。
或いは、クラシック音楽から歌謡曲まで、
膨大な量の音楽CDが発売されます。

それらの中には優れた作品が数多くありますが、
私の限られたお金と、時間の中では
全てを読んだり、聞いたりする事はとうてい不可能です。

ですから、私は作品との出会いを「縁」に任せています。

日頃、絶対に「書評」を読んだり、
音楽の「レビュー」を読まないようにしています。

運悪く、何かの拍子で開いた雑誌で目に留まってしまった物を除き、
音楽雑誌や書評誌で評価を読んでしまった作品は、
私の中では「アウト」の分類になります。

何らかの「先入観」が付いた状態で作品に触れる事は不幸な事です。
CDの冒頭、どんな音が飛び出して来るのかドキドキする感じ・・・
マンガの1ページ目をめくる時の、眩暈のする様な高揚感が
私は何よりも好きです。

そして、それが予想に反するものであったとしても、
書店やCDショップの膨大な作品の中で、
私に買わせたいと思われるオーラを出していたのだから、
何か「特別なもの」があると信じて、
じっくりと作品に付き合うようにしています。

すると、今まで自分が触れた事も無かったジャンルでも
きっと面白い「何か」を見つける事が出来ます。

「作品」と「私」を繋ぐ「何か」を、私は「縁」と読んでいます。

■ 「ぼくらの」との不運な出会い ■

鬼頭莫宏の「ぼくらの」と私は不運な出会いをしています。

書店に平積された、「ぼくらの」を見た時、
私はこの作品を「買わなければ」と即座に思いました。
しかし、店員がそこに付けていた感想のカードが
私の決断を鈍らせました。

「子供達は自分の命を犠牲にして、
 巨大ロボットに乗って
 地球と大切な人の為に戦う」

多分、こんな書評だったと思います。

私はひねくれ者なので、「子供」と「動物」をダシにした作品が嫌いです。
まして「子供」が「命を掛ける」というのは、
設定として「あざとい」。

子供が死んで、読者に感動を強要する様な作品ならば
それは、私的には読むに値しません。
ですから、表紙が強烈な「買ってよ」オーラを放っていたにも関わらず、
私は、「NARUTO」の新刊を買ってしまいました。

アニメ版、「ぼくらの」を見た時、
私のこの選択は大きく間違っていた事に気付きます。
この作品は、近年稀に見る名作の一つだったからです。

■ 「ぼくらの」との幸運な出会い ■

先週、買い物のついでに近所の古本屋の店先を覗いたら、
「ぼくらの」の1〜8巻(7巻を除く)が、
1冊50円で売られていました。

ブックオフではたまに見かけますが、
それは「売られているのが当たり前」の古本屋です。
ここには、作品と私の間に「縁」は存在しません。

ところが、1冊50円という破格の価格で、
店頭で紫外線にさらされている「ぼくらの」は、
私の救出を待っていたとしか思えません。

今を逃すと、急な夕立で水浸しになってしまうかも知れない・・・。

これは「縁」だ!!
やはり「ぼくらの」と私は「縁」で結ばれていたのです。


・・・すみません。前置きが長くなりました。
「作品の内容を知っていたら購入しない」という自分のルールを破った事に
自分で自分を納得させる必要があったので・・・・。



ここからはネタバレ全開!!

■ 巨大ロボットの高さは500m ■

夏休みの自然教室に集まった中学1年生の14人の男女は、
海辺の洞穴の中で不思議な人物と出会います。

彼は洞穴の中にパソコンを持ち込み、
ゲームソフトを製作しています。
洞穴の中で良いインスピレーションが得られる、と彼は語ります。

ゲームはほぼ完成しているので、
君たち試しにやってみないかと、彼ココペリは誘います。

好奇心旺盛な子供達は、金属板に手を置いて、
ゲームにエントリーします。

と、次の瞬間に子供達は浜辺で気を失っています。
誰もが先程の事は、夢だったのでは無いかと疑います。

ところが、子供達の目の前に、
突如、真っ黒な巨大ロボットが出現します。

その高さは何と500m。

■ 命を代償にして地球を守る ■

次の瞬間、子供達はロボットのコクピットの中に転送されています。
そこには、先程のココペリが椅子に座っています。

そして巨大ロボットの前に別の巨大ロボットが出現します。

ココペリは、先ず手本に自分が、あのロボットを倒して見せると言います。

ぶつかり合う2体の巨大ロボットの戦いは壮絶です。
沖合いで戦っていても、その被害は陸地にまで及びます。

力で勝る子供達のロボットは、敵のロボットを倒し、
内部から球体のコアを取り出して、それを破壊します。
それが、戦いの決着を付ける行為だと、ココペリは説明します。

戦いが終わるとココペリの姿は消えています。
子供達は狐にツママレタ様な面持ちで、宿舎に帰ります。

最初にパイロットに選ばれたのは、
県の選抜にも選ばれたサッカー少年です。
しかし、彼は中学に入ってサッカーを止めています。
かつて全国大会にも出場した彼の父親が、
現在はサッカーより野球好きである事が、
彼がサッカーに熱中する事を、躊躇させています。

少年は劣勢の戦いの中で
サッカーの要領でピンチを脱し勝利を得ます。
勝利の高揚感の中で、少年は再びサッカーを始める決意をします。
ところが、少年はその直後に死にます・・・。

コエムシと名乗る謎の生き物が現れ、
このロボットは、人の命をエネルギーに動いていると告げます。
パイロットは戦いが終わると必ず死ぬのだと。
そしてこのロボットが負けた時、
地球は消滅するのだと・・・。

子供達は自分の命を代償に、地球を守る戦いを強いられるのです。

■ 死と向き合う事で、生に目覚める子供達 ■

子供達はそれぞれ様々な境遇で暮らして来ました。

裕福な家庭の子。
親が居ない子。
母親が風俗で働いている子。
先生に騙されて子供を妊娠した子。
不良のパシリの子。
親友との友情に悩む子。
養子でありながら親を大好きな子。
親に構ってもらえない子。

14人の子供達は、それぞれ現代の縮図とも言える
様々な生活を送って来ました。

その子達が、核爆弾にもビクともしない強大な力を得、
その代償として命を賭して地球を守れと言われる・・・。

「お前はもうすぐ死ぬが、地球や人類は生き残る」
なんとも理不尽な要求に、子供達は為すすべもありません。

彼らは彼らなりに生と死について深く考え、
最後に残された時間を、有効に使おうとします。

巨大な力を復讐に使う者。
逃亡する者。
仲間の為に時間を使うもの。

そしてコエムシの告げる事実はさらに子供を苦しめます。

彼らの戦っている相手は、無数に存在する平行宇宙の地球なのだと。
無限に分岐する平行宇宙の枝葉の「剪定」こそが
この戦いの目的であるのだと。

そして負けた「地球」は消滅するのだと・・・。

■ 命や存在の絶対性すら否定されて、子供達が選択する事 ■

自分達が1回勝つ毎に、
自分達が100億人の別の地球の人命を奪っている事に
子供達は恐怖します。

戦いは、相手の地球を舞台に行われる事もあり、
そのあまりにも自分達の「地球」に似た光景は
子供達を困惑させます。

自分達が「生きる」事で、相手に「死」を与えている事。
そこには「地球を守る」という正義すら存在しません。

学校で苛められていた者は、
普段自分を襲う暴力を、相手の地球に行使する事に躊躇します。
そもそも、相手の地球が残る事と、自分達の地球が残る事に
如何ほどの違いがあるのか、彼には判断が出来ません。

そんな彼に、彼らの世話をする女性の軍人はこう言います。
自分の近しい者、大切な者を守って他人を傷つける事は
利己的ではあるけれど、それは間違った事ではないのだと。
命とは利己的な選択の中でしか実感出来ないのだと。

子供達は命を代償とした戦いの中で、
それぞれの悩みの答えを見つけて、
そして淡々と死んでゆきます。

■ 「子供の死」という「アザトイ」設定でしか描けないもの ■

私が「ぼくらの」を買えなかった最大の理由は、
「子供の死の代償による正義」はマンガのテーマとしては安直に思えたからです。

人の死はマンガの中と言えども悲しい出来事です。
ましてや「子供の死」は強い感情を喚起します。

しかし、それが14人分繰り返されるのですから、
凡庸な作家の作品では、その「アザトサ」が際立ってしまいます。

「ぼくらの」の初期のエピソードは、
やはり「子供の死」という設定に安易に依存する傾向が見られました。
「子供の死」にバランスする「子供の事情」は過剰になりがちでした。

担任の先生に騙されて妊娠し、
その復讐にロボットの力を借りる女の子の話は
前半のハイライトではありますが、
どうしても、「巨大な力を復讐に使う子供」という設定を描きたい為に
少々、ショッキングな設定をし過ぎた感があります。

作者もそれを意識してか、
彼女の戦いの後に、
彼女と彼女の家族のほんの日常を描いたエピソードを載せています。
過激な行動を取ったこの子も、普通の女の子であった事を印象付けます。

中盤以降、作品は血が通い始めます。
一人ひとりが、作者にとっても、読者にとっても
愛おしい存在に思えて来ます。

そして、そんな彼らの死を通してしか
描く事の出来ない境地に作品は突入して行きます。

■ 何度も問われる「命の等価性」 ■

作者は死に行く子供に苛烈な選択を突きつけてゆきます。
子供達は戦いを繰り返す度に、
戦っている相手も、自分達と同じ思いを抱いている事を確信します。

作者は繰り返し「命の等価性」を問いかけます。

戦闘の犠牲になった人々の命と、自分達が守ろうとした人の命は同じではないのか?
自分達が戦っている別の地球の人達の命と、自分達が守ろうとする命は同じでは無いのか?

子供達は、繰り返しこの壁に突き当たりながらも勝利して行きます。
「自分の大切な人を守りたい」という思いが、
子供達を勝利に導きます。

それは、「命の等価性」を否定する事でもあります。
命の重みが、「相対的」である事に気付いた時、
子供達は、初めて自分の生きる意味を知るのです。

一方、大人がパイロットを務める他の地球では、
度々、パイロットが逃亡します。
パイロットの逃亡は、その地球の消滅に繋がりますが、
彼らは、自分達が奪おうとする100億の命に耐えられないのです。

そして作者は、最後の戦闘で、もう一度、この問題を子供に突きつけます。
彼に化せられた課題は、あまりにも苛烈です。
無数の殺戮を繰り返しながら、彼は自分の選択の代償に向き合うしかないのです。

「生」と「死」を、圧倒的な「理不尽」の中に置く事で、
「ぼくらの」はこの使い古されたテーマの本質に
リアルに迫ろうとする意欲作です。

文化庁はメディア芸術祭の優秀賞をこの作品に与えています。

■ 「死の強要」を「美化」する日本 ■

「ぼくらの」はSFとしても出色の出来です。

しかし、多くの人はこの作品をSFとして意識しないでしょう。
これはあくまでも子供達とそれを取り巻く大人達の日常のストーリーです。

そして、このある種残酷な作品を優しく包み込んでいるのが、
「死」に対する一種の美意識です。

これは日本人独特の感性かも知れません。

キリスト教の犠牲は、信仰の強さを証明する行為で、利己的行為とも言えます。
イスラム教の「ジハード」も、信仰の証明という意味ではキリスト教と同根です。

ところが「日本人」の自己犠牲は、「自己憐憫」と「自己陶酔」の感覚の上に成立しています。
「大切な人を守る為に死に行く自分は、儚く、美しい」
「散り行くサクラの如く、見事な最後を遂げたい」

但し、実際に死に行く者達が、そう感じていたかは別問題です。
「自己犠牲」を強要する同調圧力に屈して、
止む無く死を選択せざるを得ない状況であっただけとも言えます。

日本において「犠牲による死」は、意外にも同調圧力によって強要される物で、
キリスト教やイスラム教の様に、自己実現の手段では無いのです。

後に残された人達が「美しい死」という概念を創って、
「死を美化」する事によって、「死の強要」を「自発的死」に昇華させるのでしょう。

「ぼくらの」は、「子供の死」によって「死」を極限まで「純化」する事で、
やはり、日本人の「死の美化」のプロセスに、強く働きかける作品であるとも得ます。

「ぼくらの」は日本人の死生観の上に成立する物語であると言えます。

■ 正座して読むべし ■


子供達が命を代償に地球を守る話ですから、
この作品は当然、正座して読むべきですが、
我が家では、娘も私もいつもながら、
寝転がって読んでしまいました・・・。
きっと、バチが当たります・・・。


■ マンガとアニメでは大きく異なる ■

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「ぼくらの」はアニメ版も名作です。

しかし原作マンガとアニメでは、そのテーストが大きく異なります。
これはマンガとアニメの表現様式の違いを良く表しています。

マンガは絵と文字のメディアです。
ですからマンガ版は、哲学や倫理的問題を、
大量の文字を用いて問い詰めてゆきます。
少々、中学校一年生には難しい内容を、子供に語らせ、
そして大人顔負けの行動を彼らは取ります。

一方、アニメは映像のメディアです。
映像はマンガと異なり、一定のリズムを刻む時間の上に成立します。
ですから、セリフの比重が重すぎると、作品の魅力が薄まります。
映像は、ちょっとした仕草の積み重ねで、
言葉では表現できない、心の深層にメッセージを伝える力を持っています。

ですから、「ぼくらの」のアニメ版は、
原作マンガの内容を、いく分省略して、
その分、生身の子供達を描く事に力を注いでいます。

どちらが良いという話では無く、
メディアの違いによって、魅力的な2作品を私達が楽しめるという事です。


最後にアニメ版のOPのフルバージョンを紹介します。
誰かがアニメ本編のシーンを編集してくれています。

作品の世界に少しだけ触れてみて下さい。





「神曲」ってダンテじゃないですよ・・・昭和歌謡の究極進化形態「石川智晶」
http://green.ap.teacup.com/pekepon/597.html




6

2012/5/11

他人の不幸は蜜の味?・・・「蜜ノ味」 元町夏央  マンガ
 

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■ エッチな漫画を出しっぱなしにして、家内に怒られた ■

今朝、起き抜けに家内に怒られた。
「エッチな漫画を出しっぱなしにして、娘が読んでたわよ!!」

「エッチな漫画???」
そういえば、昨日、元町夏央の最新刊「蜜ノ味」を買って、
読まずに寝ちゃったな・・・。
そういえば、元町夏央は、ちょっとエッチかもしれない・・。

■ 若い女性の心理を、男性にも分かる様に描いてくれる元町夏央 ■

私は元町夏央の作品が大好きです。
桜庭一樹と同様に、ちょっとエキセントリックな若い女性の心情を、
男性の読者にも伝わるように描かせたら、この二人は当代一でしょう。

「蜜ノ味」は、世間では「ビッチ」と呼ばれそうな
性に奔放な、一人の女性「市橋ミツカ」を、
他人の視点で描いた、連作短編集と呼べる作品です。

ミツカの中学時代に始まり、結婚で終わる物語です。

中学の同級生の男子、
大学時代のSEXフレンド、
ミツカに助けられる弱気で地味な女子
ミツカが通うバーの初老のバーテンダー
そして、成人した後に再会した中学同級生の男子。

彼ら、彼女達の視点から「ミツカ」が語られていきます。

他人と関わりを持ったら、相手を傷つけなければ気がすまない「ミツカ」。
そんな彼女の鬱屈した性格に、特に原因や説明など無く、
ただ「ミツカ」に惹かれる人達は、絶望と恐怖を味わう事になります。

■ 「原因の不在」こそが恐怖と絶望を生む ■

「ミツカ」は特に際立った性格破綻者ではありません。
他人よりキレイで、表面は清楚な女性を演じていながら、
ベットでは積極的といった、どこにでも居そうなキャラクターとして描かれます。

しかし、彼女は自分と関係した他人の不幸に、恍惚の笑みを顔に浮べます。
彼女の味わうのは、「他人の不幸は蜜ノ味」というありがちな優越感とは異なり、
もっと根源的な喜びを他人の不幸に見出しているようです。

「ミツカ」のこの捩れた性格に原因など存在しません。
将来生まれ持った性格というか、性癖なのでしょう。

彼女が自分の性格をどう受け止めているのか、
彼女の視点では語られていないので分からない事が、
物語に深みと謎を与えています。

冴えないOLを、魅力的な女性に変える物語では、
ミツカは優しい一面も見せています。
でも、それはあくまでも身勝手で気まぐれな優しさでしかありません。

そんな捉えどころの無い彼女に人々は惹かれ、やがて絶望してゆきます。

「悪」とは加害者に悪意が存在するから「悪」として理解可能なのであって
「悪意」すらも存在しない「悪」に人は対処する術を知らないのでしょう。

■ それでも「ミツカ」が魅力的な訳 ■

レディースコミックにはうってつけのストーリーですが、
元町夏央が描くと、男性の読者でも違和感無く読む事が出来ます。

元町夏央の描く世界は、瑞々しくて、
彼女の描く背徳も、「社会に背く」という重さよりも、
「背徳」すらも無視して突っ走る、
若い男女のエネルギーに重点が置かれます。

だから「ミツカ」にも「背徳」にまつわる罪悪感がまとわり着きません。
「ちょっとしたイタズラ」、「ちょっとした好奇心」の延長線上で、
彼女に関わった人達が不幸になっているだけなのです。

そして、物語のはじめから終わりまで、「ミツカ」は絶えず魅力的です。

単行本化に当たり、弁当屋の娘のミツカの中学時代の短いエピソードが追加されています。

母親が持たせてくれた店の弁当をゴミ箱に捨てるプロローグ。
弁当屋を手伝い、髪に臭いが付くのを気にするエピローグ。

この二編が加わる事で「ミツカ」の本質が少し分かる気がします。

他人に構われたいのに、いざチヤホヤされると、
それがたまらなく重く感じて壊したくなる・・。

子供が玩具を手に入れたくて駄々をこねた挙句に、
その玩具を自ら壊す時の喜び・・・
こんな誰にでもある欲望のピュアーな現出が「ミツカ」なのでしょう。
だから私達は「ミツカ」に惹かれるのかも知れません。

■ 元町夏央は、女子高生が読んでいいのか? ■

さて冒頭の話題に戻ります。

「元町夏央を女子高生が読んで良いのか?」

私的には桜庭一樹を読むような娘ですから、全然問題無いと思うのですが、
家内的には性描写がある事から、これは「エロ漫画」認定されました・・・。

もっとも、息子が高校生の時には「あねおと」を、
「これちょっとエッチだから読んでごらん」って貸してた悪い父なので・・・。



ちなみに義理の姉弟の物語「あねおと」も傑作です。

「熱病加速装置」・・・元町夏央・人肌の熱さ 2011.05.06 人力でGO

http://green.ap.teacup.com/pekepon/417.html
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2012/3/10

ガンダムとはシャーとジオンの物語である・・・安彦良和が描く「機動戦士ガンダム THE ORIGIN」  マンガ
 


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本日はネタバレ全開です。ご注意を!!

■ ガンダムを安彦良和の視点で再構築する ■

このブログでも何度かガンダムを取り上げようと思ったのですが、
ガンダムを語る事は意外に難しい。

1979年に放送されて以来33年が経過しました。
その間にガンダム世代の私達は成人し、
放送当時、アムロの視点で見ていた作品世界を、
今ではシャーやブライトの視点で眺める様になっています。

昔はオヤジに叩かれると、
「殴ったね 親父にもぶたれたこと無いのに」と脳内テロップが流れたものですが、
今では、子供を殴りたい気持を必死で堪えながら、
「殴られもせずに1人前になった奴がどこにいるものか。」と心の中で呟きます。

そんなオヤジ・ガンダム世代に必読なのが、
安彦良和氏が描く「軌道戦士ガンダム THE」ORIGIN」です。
この度、23巻にてようやくア・バオア・クーが陥落し、
長かった1年戦争が終結しました。

ガンダムは監督である富野由悠季の作品と解釈されますが、
作画を担当していた安彦良和との相克の中から
あの物語が誕生したのではないかと私は考えています。

感覚的に物を考える富野氏に対して、
安彦氏は非常にインテリです。

安彦氏は学園紛争が盛んな時代に弘前大学に入りますが、
学生運動に傾倒するあまり大学を除籍。
プロレタリアート(労働者)の職業として
印刷工になろうとしますが、直ぐに挫折します。

そんな人間に一番似合っているダメな職業としてアニメの世界に入ります。
当時のアニメの現場は、過酷を極め、正に肉体労働状態だったと言います。
そんな理由で仕事を選ぶ事自体が、
頭で物を考える人間の、典型的な行動様式とも言えます。

一方、富野氏は皆さんもTV等でおなじみの様に、
もう言っている事も良く分からない・・。
何か自身の信念に突き動かされて作品を造りますが、
それらが常識の向こう側、
人間の生き物としての真理の領域に転げ落ちそうになります。

ガンダムでも後半は「ニュータイプ」が物語の中心になります。
ところが、安彦氏は「ニュータイプ」に疑問的でした。
そんな確執もあってか、安彦良和は体調を壊し、
TVシリーズの後半の作画に参加できない事もあった様です。
(映画版は安彦氏が大幅に書き直しています)

二人の対談がネットにアップされていました。
とても興味深いので紹介します。

ガンダムエースでの対談の抜粋の様です。
「トボフアンカル・ミニ・メディア(T:M:M)」http://d.hatena.ne.jp/tobofu/20090728/1248776734

安彦良和が角川書店の企画で始めたのが、
オリジナルガンダムを漫画で描くという
「機動戦士ガンダム THE ORIGIN」。

安彦氏はこの企画を「ガンダムは富野さんの作品」と断っていた様ですが、
富野氏が「自分も楽しみにしているから好きにアレンジして欲しい」と
言った事がきっかけで、「THE ORIGIN」がスタートします。

安彦氏自身、オリジナルガンダムに対する思いは相当に強く、
最初はオリジナルガンダムに現代風のディテールを加える程度の作品が、
次第にオリジナルガンダムの隠された真意を掘り出す作業に変化して行きます。

「THE ORIGIN」は安彦良和の視点で描かれた「もうひとつのガンダム」であり、
そして、ガンダムに隠されていた思想的背景を全面に押し出した、
「大人の鑑賞に充分堪えるガンダム」とも言えます。

■ 過去編の追加で「ジオン成立史」を描き切る ■

「THE ORIGIN」が単なるファースト・ガンダムのリメイクでない事が宣言されたのは、
「ジオン公国」の成立前史を描いた過去編からです。

「人類が増えすぎた人口を宇宙に移民させるようになって、既に半世紀が過ぎていた。地球の周りの巨大な人工都市は人類の第二の故郷となり、人々はそこで子を産み、育て、そして死んでいった。
宇宙世紀0079、地球から最も遠い宇宙都市サイド3はジオン公国を名乗り、地球連邦政府に独立戦争を挑んできた。この一ヶ月あまりの戦いでジオン公国と連邦軍は総人口の半分を死に至らしめた。」

このあまりにも有名なファーストガンダムの最初のナレーションに集約された
ジオン公国の成立史を、「歴史家」安彦良和の始点で構築する事が、
「THE ORIGIN」を承諾した安彦良和氏の真の狙いだったとも言えます。

この「過去編」を描く事で、ガンダムはアムロ・レイの成長の物語から、
シャーとセイラの復讐の物語に変容します。


■ 明かされたザビ家との確執と、ランバ・ラルの忠誠 ■

「過去編」ではキャスパル(シャー)とアルテイシア(セイラ)の、
そしてザビ家の面々の過去が詳らかにされてゆきます。

地球に収奪されていると感じていた宇宙移民達は、
「宇宙移民は進化した人類である」というジオン・ダイクンの演説に熱狂します。
しかし、安彦の描くジオン・ダイクンは、恐妻家で、
思想家として「同士」である妻に炊きつけられて、
扇動的な演説を考える日々を送ります。

一方、子供の居なかった正妻とは別に、妾を囲っています。
彼女は正妻も公認していて、
ダイクンの血筋を残せない自分の身代わりと彼女を見下しています。
そして妾の子供達がキャスパルとアルテーシアでした。

ジオン・ダイクンの穏健なやり方では
地球には太刀打ちできないと考えたデギン・ザビは、
ジオン・ダイクンを毒殺し、政権をその手中に収めます。

デギンには優秀が子供達が大勢居ました。

切れ者で陰謀家のギレン。
活発で気の強いキシリア。
人情家のドズル。
その他にもギレンと対立する長子が居ます。

彼らは権力の中枢を握り、ジオンはザビ家の独裁の様相を呈して来ます。

■ 幽閉されたキャスパルとアルテイシア ■

一方ダイクンの子供キャスパルとアルテイシアは母親と共に幽閉されます。
ジオン公国の思想的柱であるダイクンの遺児として、
政治的価値の高い二人を、デギンは手駒として将来利用しようとしたのです。

キャスパルは幼くしてその利発さは大人顔負けでした。
父を殺したザビ家を決して許す事無く、キシリアにも反抗的です。
キシリアはキャスパルを恐れます。
将来、彼がザビ家に禍根を為すことを予見していたのです。

そんなキャスパルとアルテイシアを地球に逃すのが、
退役軍人であったランバ・ラルです。
ラルの配下には、かつて情報機関に居たと思われるハモンや、
TVシリーズでもお馴染みのラルの部下達が集っています。

彼らはザビ家を出し抜いて、幼きキャスパルとアルテイシアを地球に逃します。
そして、地球で彼らを引き取ったのが、マス家だったのです。
しかし地球も安住の地ではありませんでした。
キシリアの追っ手を逃れ、彼らは再びスペースコロニーへと旅立ちます。

後にTV版でテキサスコロニーとして紹介される、
開発コロニーでキャスパルはシャー・アズナブルと出会います。

おっと、これ以上は・・・・。

■ シャーの復讐が始まる ■

シャー・アズナブルとしてジオンの士官学校に入学したキャスパルは、
そこでガルマ・ザビと出会います。
ガルマはザビ家の一員として、優秀である事を求められますが、
いつもシャーに勝てません。
シャーにライバル心むき出しのガルマですが、そこはお人好しのガルマだけあって、
ある事件をきっかけに、シャーを無二の親友と思う様になります。
シャーもガルマを嫌いでは無いようで、何かと面倒を見ています。

そんな二人の士官学校の校長がドズルです。
ドズルが又一本気で人が良い。
ギレンやキシリアとは正反対の二人に、
読者は子供の頃から植え付けられていた「ザビ家憎し」のマインドコントロールを
徐々に解かれてゆきます。

ところがシャーの復讐は既に士官学校時代に始まっているのです。
地球連邦との緊張が高まる中で、
士官学校生達が、地球連邦軍の駐屯所を急襲します。
ガルマを筆頭とした部隊ですが、計画はシャーが立てています。

この事件をきっかけにして、地球とジオンの対立は決定的な物となります。

さて、この事件の最中、校長であるドズルを拘束する役目を担ったのが
なんと後にドズルの妻となる若き日のゼナであ事は、
ファンに対する最高のサービスでしょう。

■ モビルスーツ開発史をも網羅 ■

「THE ORIGIN」のもう一つの魅力は、
大河原事務所によるメカデザインのリファインです。

30年という月日を経て、さすがにガンダムやホワイトベースや
その他のメカデザインは古さを感じます。

そこで、ファーストガンダムのメカデザインを担当した
大河原邦彦の事務所がデザインをリファインしています。

さらに、安彦良和はモビルスーツの開発秘話も明らかにしています。
モビルスーツが作業用機械から進化した事は周知の事実ですが、
高速ミノフスキー粒子を動力源とする事など新しい設定が満載です。

そして、モビルスーツ開発を一任されたドズルが
テストパイロットとして呼び寄せたのが、
何と「黒い三連星」と「赤い彗星」だったのです。

彼らの初陣がルウム戦役であり、
これによりジオンは連邦に対して圧倒的に有利に戦局を展開します。

ルウム戦役で地球連邦のデビル将軍が捕虜となりますが、
これを密かに逃走させたのは、デギンです。

デギンは宇宙戦争によるあまりにも多くの死者に密かに心を痛めています。
そして、和平を期待してレビルを逃走させたのでせす。
ところが、レビルは地球に戻るや、徹底抗戦を訴えます。

既にこの時、戦争はデギンの手を離れ、
ギレンやレビルの戦いとなって行くのです。

■ 22巻、23巻のセイラの活躍 ■

「THE OEIGIN」は、23巻でようやく終結を迎えます。

オリジナルガンダムでは後半良い所があまり無いセイラですが、
安彦良和はア・バオア・クーの攻防戦で、
最大の見せ場をセイラに用意しています。

これには痺れます。

過去編、ランバラル編と、セイラの存在感にも焦点を当て来た目的は、
このシーンの為にあったと思える程です。

とにかくオリジナルストーリーは読み飛ばしても、
サイドストールーや、新たに加えられたエピソードだけでも
「THE ORIGIN」を読む価値はあります。

■ ガンダムの歴史を発掘する「歴史家」安彦良和 ■

「THE ORIGIN」は何であるのか・・・そう聞かれたら、
「歴史家」安彦良和が、ジオン公国の成立史と、1年戦争の真の姿を
壮大なスケールで描いた、歴史エンターテーメントだと答えるでしょう。

そしてその主人公はアムロ・レイでは無く、
ジオン・ダイクンの遺児である、キャスパルとアルテーシアなのだと。

アムロは「ニュータイプ」の理想を掲げる富野のヒーローであるならば、
キャスパルとアルテーシアは、歴史に翻弄されたジオンの象徴とも言えるのです。


この壮大な歴史書を知らずして、もうオリジナルガンダムを語る事は出来ません。


最後に・・・


 全編を通じて、キシリアが魅力的です。
 狡猾ですが、父デギンには愛情を感じている娘らしい側面も見られます。
 キシリアがギレンを殺した瞬間、キシリアは父を殺された恨みから、
 直情的にギレンの頭を打ち抜いたのだと思わせる所があります。

 デギンも娘のキシリアは可愛いようで、
 ギレンは信用していませんが、キシリアは信用していた様です。
 ガルマもキシリアには良くなついていましたし、
 キシリアの親衛隊も彼女に忠誠を持って応えています。

 シャーを恐れるキシリアは、シャーの中に自分と同種の何かを感じた様で、
 それは一種の捩れた恋愛感情に近いものなのかも知れません。
 だからキシリアは執拗にシャーを抹殺しようとし、最後は手なずけようとします。


ここら辺は読む人によって解釈が違うのでしょうが、
安彦良和のドズルやキシリアに対する愛を感じてしまうのは私だけでしょうか?




9

2011/12/20

朝鮮半島と日本・・・「王道の狗」  マンガ
 


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■ 金正日 死去 ■

今年は「人騒がせな指導者」が大勢政権の座を奪われたり、
亡くなったりしました。

ビン・ラディン氏
カダフィー大佐
アサド大統領(息子)もそろそろ・・・

そして年末になって金正日氏が亡くなりました。

これが偶然であるのか、
歴史の転換点としての必然であるのかは、
あと何年か、或いは何十年か経てば分かるのでしょう。

金正日氏の死去は、新しいアジアの枠組みの
一つのエポックとして後世では語られるのかも知れません。

色々な記事やブログで金正日氏への評価や、
今後の北朝鮮国内の体制変化などが論じられています。
金正恩氏への3代世襲が行われるのか、
それとも、共同指導体制から、金王朝とは別の道を歩むのか
世間の目はしばらく北朝鮮に釘づけです。

■ アメリカの傀儡国家・北朝鮮 ■

陰謀論的には、北朝鮮の核武装を許したのはアメリカです。
表面上はIAEAの核査察など、北朝鮮の核武装を防ぐ振りをして、
米朝二国間協議によって国際的枠組みを無効化させながら
北朝鮮を核兵器開発に押しやる行動をアメリカは取り続けています。

北朝鮮が「お騒がせ国家」である事が、
東アジアでのアメリカの利権を生み出すからです。

日韓は、北朝鮮が「核武装」をした事により、
アメリカへの軍事的依存度を大きく増し、
さらにはミサイル防衛構想など、実際には役に立たない兵器に
巨額な出費をしてきました。

言うなれば、北朝鮮と金正日は、アメリカの傀儡国家として
アジア地域で緊張を煽る役割を担っているのです。
これは、リビアやシリアが与えられた役割に似ています。

■ 北朝鮮のニュースが年末のTVを占領する裏では・・・ ■

日本人は北朝鮮のニュースが好きです。
派手なパフォーマンスをする金正日氏は
日本のメディアやワイドショーに、
様々なネタを提供してきました。

本来は「何故北朝鮮が必要」なのかを論ずべきメディアは、
その責任を一切放棄して、金正日氏のパフォーマンスを追い続けました。

今回の金正日氏の死去で、
日本のTVはしばらく「北朝鮮一色」となるでしょう。

しかし、日本と世界の本当に危機は「金融危機」です。
元々、メディアは「金融危機」の実態を国民に目から隠して来ました。
しかし、ユーロ危機の高まりと共に、
金融危機はメディアとしても無視出来ない状況になっています。
これを報じなければ、メディアは無責任とそしりを受けるでしょう。

世界にとって今最も恐れているのは、
日本人が「金融危機」の実態に気づいて、
世界中から投資資金が引き上げられる事です。
要は、日本の老人達が、投資信託を解約したり
預金を引き出して、タンス預金にする事を恐れているのです。

世界にリアルマネーを供給していた日本の資金が逆転すれば、
世界恐慌の引き金を引く事になるます。

金融市場が崩壊寸前でバランスしている現在、
世界はその状況から日本人の目を逸らさせたいはずです。

金正日の死去は偶然かも知れませんが、
日本のメディアが「北朝鮮一色」になる事は、
金融資本家達にとっては、願ったりかなったりの状況です。

■ 「王道の狗」を読んでクールダウン ■

メディアは北朝鮮の新体制の事で持ち切りなので、
私は違った視点から、朝鮮半島と日本の関係を探ってみたいと思います。

今回用いるテキストは、安彦良和氏の「王道の狗」です。
又、漫画です。又、康彦良和です。

漫画はエンタテーメントで史実ではありません。
先日、「虹色のトロッキー」を取り上げた時もご指摘頂いております。
しかし、司馬遼太郎の「坂の上の雲」にした所で、史実ではありません。

私が漫画を取り上げるのは、
漫画が歴史小説よりも読みやすいからです。
そして安彦良和の一連の作品は、
日本の歴史に、全く別の側面から
光を当てる事に成功しているからです。

「王道の狗」は明治初頭、北海道で強制労働させられる
二人の政治犯の逃亡から、その幕を開けます。

加納周助と風間一太郎は鎖でつながれながらも脱走します。
加納は政治犯として逃亡中に人を殺しています。
風間は「新潟天誅党」の活動を罪に問われて囚われの身です。

度胸が据わった加納と、小心者の風間は、
アイヌに助けられ、「クワン」と「キムイ」というアイヌとして
土地の有力者の家に住み込む事になります。

加納こと「クワン」はとあるきっかけで
合気道の始祖、武田惣角の弟子になります。
武道大会で優勝した加納は、
朝鮮半島の革命家、金玉均のボディーガードとなります。

金は近代化を阻み、清の傀儡となっている李王朝に反旗を翻し、
日本に匿われている身の上でした。
金は加納に「貫真人(つらぬき・まひと)」という名を与えます。

一方、風間は、金鉱を探すヤマシの「財部数馬(たからべ・かずま)」を殺害し
彼の名を語って、北海道を離れます。
野心家の風間は、古川財閥の創始者に取り入り
陸奥宗光の秘書として、悪事を担います。

■ 明治初期の朝鮮半島と日本 ■

明治初期の朝鮮半島情勢は、複雑です。
中国の清王朝の傀儡である李王朝は、
朝鮮半島に近代化に無関心です。

日本は世界情勢に目覚め、朝鮮半島の軍事的重要性を自覚していました。
当時、ロシアは不凍港を求めて南下政策を取っていました。

ロシアが朝鮮半島を抑える事は、
日本にとっては脅威でした。
そこで日本では朝鮮半島を植民地化して、
ロシアに備えよという気運が高まっています。

一方、清国は朝鮮半島は清国の支配下だと考えていました。
そこで、朝鮮半島で日本と清国の利害対立が深まります。

李王朝に中でも清国と通じる者と、
日本に通じる者が対立します。
加納がボディーガードを務める事になった
金玉均は日本の後ろ盾で李王朝転覆を企てたとされています。

一方、この時期、日本は着実に経済面で朝鮮半島に進出します。
経済発展に伴うインフレは農民の生活を苦しめ
農民達が全国で蜂起する「東学党の乱」が発生します。
これは「甲午農民戦争」に発展し、
李王朝は日清両国に出兵を依頼し、
伊藤博文内閣は朝鮮に出兵を決意します。
朝鮮半島で日本軍と清軍が対峙する事態となります。

李王朝は農民の反乱が収まったのを機に
日清両国に撤兵を要求しますが、
両国とも対峙したまま撤兵を拒み、
1894年(明治27年)7月23日、
漢城に駐留する清軍を日本軍が急襲します。
ここに日清戦争の火ぶたが切られ、
この戦争に勝利した日本が、朝鮮半島を植民地支配します。

(日清戦争の経緯はこんなに単純ではありません。
 Wikispedeiaの「日清戦争」は必読です)

この様な形で独立を奪われた朝鮮半島では反日感情も強く
ハルビンで朝鮮独立運動家の安重根によって
伊藤博文が暗殺されます。
1909年10月の事です。

■ 日本国内から見た「日清戦争」を描く安彦良和 ■

安彦良和はこの時代の朝鮮と大陸の状況を、
加納と風間という、この時代を生きた
二人の青年の目を通して描いてゆきます。

二人が参加した当時の自由民権運動は過激化しており、
その活動は現代のテロリストと大差ありあません。
活動資金を得るのに強盗を働き、
民衆を扇動しては武力蜂起させ、
秩父事件など多くの犠牲を生み出しました。

現代でこそ「日本の民主化運動」として祭り上げられていますが、
暴力に訴えて社会を変革させようとする姿勢は、
幕末の脱藩浪士達や、赤軍派の姿と重なるものがあります。

自由民権運動は平和な運動と勘違いされていますが、
朝鮮を軍事支配して日本の国力増強を図るべしと
強く主張していたのは、やはり彼らだったのです。

板垣退助の「自由党」はこの様な過激分子だったのですが、
戦争に向かう世相に後押しされて、やがて英雄視されてゆきます。

漫画はエンタテーメントですから、
史実とは全く異なるのでしょうが、
教科書では、「帝国主義支配」の一環として描かれる
日本の朝鮮半島出兵が、
国民にどの様に支持され、
内閣が国民の圧力に屈して行く様が良く描かれています。

■ 北朝鮮を一方的に非難する前に学ぶべき事 ■

私達は学校で近代史を全くと言っていいほど学びません。

一方、韓国や北朝鮮、中国の人々は、
屈辱の歴史としてアジアの近代史を学びます。

歴史を知らない私達と、
歴史を熟知(多少歪んでいますが)する彼らの間に
共通の認識は存在しません。

ですから、日本人にとって北朝鮮は「迷惑な隣人」なのです。
しかし、明治の日本人は、きっと現在よりも国際的感覚を持っていました。

ロシアにどう対抗するかという長期的ビジョンで
アジア戦略を練っていました。

たとえそれが現在の悲劇の源だとしても、
当時の東アジア情勢の当然の帰結が
日清戦争であり、日露戦争でした

そしてその延長線上に、日中戦争や太平洋戦争が存在します。
全て当時の国民が望んだ戦争であり、
朝日新聞を初め、多くのメディアが戦争を煽ったのです。

私達は、軍部の独走が戦争を招き、
私達自身も戦争の犠牲者の様に教わって来ました。
しかし、それこそが歴史の捏造であり、
「国民が望んだ戦争」とい認識無しに、
「従軍慰安婦問題」も「北朝鮮問題」も語るばきでは無いのです。

確かに「事実と異なる事件を捏造」する事は許されません。
しかし、ネットに蔓延する、「ネトウヨ」的な感情は、
無知を自慢しているようで、恥ずかしくもあります。

TVでの「北朝鮮報道」を見るよりも、
近代アジア史の入り口として、漫画を読んでみるのも
有意義かもしれません。


・・・って、単に私がガンダム世代だから
安彦良和が大好きというだけの話しでした。
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