2019/12/31

『バビロン』・・・表現限界に挑む  アニメ
 

予告ではベストテンの発表でしたが、『バビロン』があまりにも衝撃的でしたので、急遽、この作品の紹介を。

ネタバレ全開なので、少しでも興味を持たれた方は、先ずは作品を観てからお読み下さい。


■ 胸糞悪い名作映画『セブン』 ■

20年以上前になるでしょうか、『セブン』というハリウッド映画を劇場で観ました。ブラッド・ピットが演ずる若い刑事ミルズと、連続殺人犯「ジョン・ドゥ」の対決の物語。ジョン・ドゥは「名無しの権兵衛」の意味。

ジョン・ドゥはキリスト教の七つの大罪になぞらえて、猟奇的で残忍な殺人を繰り返します。食欲、色欲、強欲、怠惰・・・。5つの殺人の後にジョンはミルズの前に姿を現しますが、彼はミルズにミルズの妻の切断された首を差し出す・・・。ミルズは激情にかられジョンを射殺します。

この瞬間に、ミルズは「憤怒」の罪に落ち、ジョンは「嫉妬」の罪で死ぬ。

デビット・フィンチャーが監督した『セブン』は、ハリウッド映画の中でも一二を争う「後味の悪い」作品ですが、それ故に多くの人の記憶に残りました(私も含め)。・

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『セブン』より

■ 『バビロン』はセブンを越える胸糞悪いアニメだが・・・・名作だ! ■

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『バビロン』より

現在配信されているアニメ『バビロン』を観ていると、どうしても『セブン』を思い出してしまいます。

行政特区の実験都市「新域」の首長選の不正と、謎の自殺事件を負うと特捜検事の正崎であったが、事件は思わぬ展開を見せます。首長となった齋 開化(いつき かいか)は、人々が自由に自殺する選択が出来る「自殺法」を制定すると言い出し、姿を消します。そして64人の人々がビルから集団飛び降り自殺をする。

この事件の背後に一人の女性の影がチラつきます。彼女の存在が、言葉が人々を惑わし、自殺へと駆り立てる。彼女が耳元で囁くだけで、人々は死にたくて、死にたくて、どうする事も出来なくなる。死は彼らにとって抵抗する事の出来ない快楽となる。

彼女の名は「曲世愛(まがせ・あい)」。彼女は正義の対極の存在として特捜検事の正崎に挑戦する。いや、彼女の言葉を借りるなら「一人の勇者が魔王を打ち取る為に戦うゲーム」をしている。魔王は「世の正義やルール」。

7話において曲世は正崎が信頼を置く女性の部下を拉致し、四肢を斧で切断して殺害します。その状況をネットで正崎に見せつけながら。彼女は正崎に「悪について理解して欲しいの」「理解しなくても、悪について、もっと考えて欲しいの」と正崎に迫ります。

『セブン』に匹敵する「胸糞悪い」内容でしたが、一方で、だからこそこの作品の素晴らしさが引き立つ内容でした。私的には名作認定です。


■ 体に「点線を引く」という行為で異常性を引き立たせる・・・名シーンだ(胸糞悪いけど) ■

ゾンビ映画やホラー映画では首が飛ぶ、内蔵が飛び散るなど、直接的な残酷描写多くあります。それに比べると『バビロン』の殺人シーンは抑制が効いています。曲世は拘束した女性の四肢にマジックで点線を描いてゆく。そして斧を手に取り、振り下ろすカットが描かれます。それだけで、視聴者は四肢が切断された事を理解し・・・戦慄する。

ヒッチコックの『サイコ』のシャワールームの殺害シーンに匹敵する歴史的シーンだと私は思います。

ただ斧を振り下ろすのでは無く、「点線を引く」という行為を加える事で、ネットを通じて曲世の行為を傍観する正崎に「四肢切断」を予想させ、それを実行する。そして私達は正崎に完全にシンクロする事で、このシーンに恐怖します。

「切断の予告」を「身近な文房具で点線を引く」という「遊び」的な行為に貶める事で「冒涜性」が際立ち、視聴者は言い表す事の出来ない嫌悪感と恐怖を覚えます。

それまでも、曲世の異常性は親戚の医師の証言や、自殺した刑事の死の直前の言葉で表現されていましたが、今一つ実感に欠けていました。しかし、「点線を引いて切断する」描写によって曲世の異常性は、初めて実感として視聴者に伝わります。


■ 誰もが疑わない「自殺は悪」を疑う事で、悪とは何かを追及する ■

「自殺」はキリスト教では「悪」とされます。近代国家の法律でも自殺は肯定されていません。一部の国で「安楽死」は認められていますが、末期がんの患者などの救済を目的としたもので、健常者が普通に自殺を選択する事はモラルに反する事とされています。

「自分の命を選択する事が何故悪い事なのか」・・・これに論理的に答える事は難しい。「自殺は悪なのか」「自殺が悪ならば悪とは何なのか」・・・・一種のトートロジーではありますが、
この作品は悪とは何かを、誰もが選択し得る「自殺」を通して問いかけます。原作者は野崎まど。『正解するカド』の方ですので、安心は出来ませんが、いまの所は200点を差し上げたい。

今後、どういう展開になるのかは分かりませんが、正崎の妻子の描写が・・・『セブン』的な結末を暗示している様で・・・胸糞が悪くなります。

『セブン』同様に、正崎の個人的怒りが限界を超え、曲世の殺害を実行する事で、正崎の正義が崩壊する・・・そんな『セブン』の様な結末を迎えるのでは無いか・・。(原作は未読)

ハッキリ言って今年一番の作品です。


■ この作品が完結するまではベスト10は発表出来ません ■

この作品の完結の前に、ベスト10を付ける事は出来ないので、『バビロン』が完結してから、ベスト10は発表したいと思っています。

3話まで観て、あまりに素晴らしいので、年末にじっくり観ようと取っておいて良かった。そうで無ければ、次回が気になって一週間悶絶する事になったでしょう。





2019年も1年間、当ブログをお読み頂きありがとうございました。

2020年が皆様にとって良い年で有るよう、お祈り申し上げます。

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2019/10/24

19夏アニメ・・・私的ベスト  アニメ
 

最近、アニメを観る本数がめっきり減ってしまいました。以前は子供達とアニメトークを楽しんでいたのですが、息子は彼女とオタク道を極めつつあり、娘は韓流にハマってしまし、オヤジの出番は無くなりました。

かわいそうに思ったのか、最近が家内がアニメのお相手をしてくれます。以前は私が居間のPCでアニメを観ていると「キモイ、そういうのは自分の部屋で観てよ」と掃除機の騒音で邪魔をしていた家内も、今では「ねえ、あの続きまだ?」と聞いて来る様になりました。

そんなこんなで、アニメライフに少し変化が表れているこの頃、観るアニメも「夫婦で楽しめるアニメ」に変わりつつあります。

今回の19夏アニメベストは、そんな私的な変化を反映したものとなります。


第一位 『女子高生の無駄づかい』

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『女子高生の無駄づかい』より

第一位の選出理由は「家内が一番喜んで観ていたから」ですが、私的にも相当に評価の高い作品。とある東京近郊の女子高で再会した小学校の同級生、「バカ」「オタ」「ロボ」を中心とした日常劇ですが、「バカ」の馬鹿さが突き抜けていて、ハラワタが捩れます。

4コマ漫画原作ですが、「バカ」が馬鹿な会話を始めると、「オタ」が利口だけどかなり世間とズレた返しをして、そこに普通の女子高生の「オタ」が普通のツッコミを入れる構造。会話として全くかみ合っていないのだけれど、3人の友情が接着剤となってコミュニケーションが進んでゆきます。

これ、実際の女子高生の会話もこんな感じですよね。話題がコロコロ変わるけれど、とりあえずノリで「マジ、ありえねぇー」とか「うわぁ、それキモ!」とか「パナイわ」なんて相槌を適当に打って何となく会話が進んで行く。

この作品、「会話が成立する場」の作り方が非常に上手いのですが、セリフ先録りの「プレスコ」作品。同様の作品に岸誠二監督の『遊びあそばせ』が先ず思い浮かびますが、日常のほんの少しのズレを笑いに転化するテクニックとしては『女子高生の無駄づかい』の方が断然優れています。

原作は未読ですが、アニメは入学してからの1年間を、時間を追って描く事で、ギャグアニメならが、しっかりと登場人物達が成長してゆく様が描かれます。

私個人としては「バカ」と「ヤマイ」の絡むシーンが好き。「ラスト・クラッパー」なんて捧腹絶倒!!



第1位 『コップクラフト』・・・・これも第一位ですよ!!

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『コップクラフト』より

ハリウッドが映画化権を取得した事で一時話題になったラノベ『フルメタルパニック』の著者、賀東招二のラノベ作品のアニメ化。ベテラン作家の賀東招二は、大変器用な方で京アニ作品を中心に脚本を書いたり、『氷菓』や『天城ブリリアントパーク』のシリーズ構成を担当されたりしています。

地球と異世界の間にゲートが開き、セマーニ(異世界)の土地の一部が地球に突然「飛ばされ」てしまった後の世界を描いています。異世界の土地は「サンテレサ市」として開発され、セマーニ人と地球人が一緒に生活しています。

セマーニは科学技術は後進国ですが、魔法や妖精が存在するファンタジー世界で中世の様な封建国家。セマーニ人にとっては地球は科学によって豊な生活を実現した理想世界です。ですから、セマーニ人は地球に住み続けています。

セマーニ人は私達の世界では「移民」だと思え違和感は薄らぎます。「サンテレサ」はアメリカのカリフォルニア州の大都市だと思うと分かり易い。雑多な民族が混在して、快楽と犯罪が蔓延る街。

その街の刑事「ケイ・マトバ」とセマーニ人の騎士の少女「ティラナ・エクセディリカ」がある事件を切っ掛けにバディーを組んでセマーニ人絡みの事件の捜査に当たる。アメリカ刑事もののドラマを、そのままラノベにした様な作品ですが、原作は推理小説としても、刑事小説としても「大人向が楽しめる小説」として評価が高い。

アニメは「アメリカの刑事映画」を忠実に再現した様な作風ですが、低予算作品なので、動画がヌルヌル動く事はありません。いえ、むしろ全然動かない。

一般的には「口パク」で誤魔化す事の多い低予算アニメですが、この作品は「モンタージュ」や「引きの絵」を上手に挿入して単調になる事を防いでいます。

例えば、ハンドルを操作する手元を写しながら会話が進行したり、部屋の片隅にカメラを固定した状態で、登場人物がフレームに入ったり出たりしながら会話するシーンがあったり。これ、70年代のアメリカの映画を彷彿とさせます。

この作品を観ると、アニメにおける「絵コンテ」の重要性を思い知らされます。アニメにおける「絵作り」は、どうしても「キャラクターを動かす」事に注意が集中します。しかし、アニメは「映像作品」として捉えるならば、背景や近景ふ含めた「フレーム」の作り方は、重要な要素の一つです。

そして、低予算映画が「固定カメラ」を多用する様に、低予算アニメも同じ手法を用いれば、動画を無駄に使わずとも「映像として成り立つ」事を、この作品は見事に証明しています。

内容は、異世界から来た少女が地球との文化のギャップに戸惑いながらも、移民差別や、民主主義を理解して行くというものです。最初は反目しあっていた「ケイ」との信頼の醸成や、ほのかな恋心の芽生えが、甘酸っぱいスパイスとして効いています。

実は、ラノベの古典的名作の『フルメタルパニック』を未読だったのですが、ネットでアニメを観だしたら面白くて、アニメ全話と、さらにラノベの続き(本編)を完読してしまいました。

同一作者のデビュー作、『フルメタルパニック』は戦場しか知らない少年の相良宗介が、ある少女を護衛する為に高校生活を送り、戦場的判断で日常生活で色々トラブルを生むという内容ですが、『コップクラフト』でもエクセデリカが文化ギャップ故のトラブルを巻き起こします。実はよく似た構造です。

『フルメタルパニック』はラノベの皮を被った「戦記SF小説」として秀逸ですが、『コップクラフト』はラノベの皮を被った「本格刑事小説」です。ラノベの皮を被るだけで一般小説よりも100倍以上は売り上げるのですから、「一皮剥ける」事が良いとは限らないのが現在の日本の小説とラノベの関係。

興味を持たれた方は、6話までは我慢して観て下さい。7話目から大人の鑑賞に堪える作品というか、近年のドラマや映画のどの作品よりも素晴らしい内容になります。「30分」って、こんなにも濃密な時間なのかと感心する事しきり。


第3位 『Dr.STORN』

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『Dr.STORN』より

少年ジャンプ連載作品のアニメ化。

ある日、世界中の人々が突然石化して、3700年が経った後の物語。文明は滅び去り、科学も失われ、世界は森林に覆われます。

最初に石化が解けたのは、科学知識の豊富な少年「石神 千空」。洞窟のコウモリの糞が作り出した硝酸が体表の石を溶かしたのっです。

千空は友人の石化を解く事を皮切りに、科学の失われた世界に、再び科学の大国を築く事を目指します。しかし、それを望まない男に阻まれます。彼は「汚い大人」の居ない世界を作ろうと行動を始め、千空と敵対します。

千空は命を狙われ逃亡し、人間の村にたどり着き、そこで「科学王国」を作る事を決意します。彼に興味を持った一部の村人の手を借りて天然素材から実験道具を一から作り、化学薬品や電気を作り出してゆきます。

「少年漫画」には昔は「サバイバル物」と呼ばれるジャンルが有りました。核戦争で自分だけが生き残るとか、島に流れ付くなど様々なバリエーションが有ります。大元を辿れば元祖ラノベの『十五少年漂流記』や『ロビンソ・ンクルーソー』に行き着く、歴史あるジャンルです。

ただ、それらの作品の多くは、何も無い場所で「原始生活」を始める事をテーマとしていました。科学の発達した近代以降、人々は心の底で違和感を感じており「原始生活」にある種のロマンを見出していたのでしょう。(今でもアメリカのTVプログラムでは「原始人もの」が放映されるなど、ジャンルとして確立しています)

しかし『Dr.STORN』は、「原始の世界に科学を再興する」という新しいジャンルの「ジュブナイルSF」作品です。これは、斬新です。「科学の夢」が失われつつある現代だからこそ生まれた作品とも言えます。

内容的にも科学的で、原作を読んだり、アニメを観る事で、科学に興味を持つ子供が増えるとするならば・・・文科省が推薦すべき作品です!!


第4位 『彼方のアストラ』

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『彼方のアストラ』より

人類が宇宙に進出した後の時代のお話。高校の夏休みの研修旅行で、とある惑星に行くことになった男女9人。ところが、ワームホールに飲み込まれ、宇宙の彼方へ飛ばされてしまいます。そこで、偶然にも見つけた宇宙線に乗り込み、数々の惑星に立ち寄って水と食料を補給しながら地球を目指すという「SFサバイバル」作品。少年ジャンプ連作マンガのアニメ化です。

「SF=電脳」の様になってしまった現代において、『Dr.STORN』も『彼方のアストラ』も古典的なSF作品です。しかし、SF本来の魅力に溢れる骨太の作品として、私はこの2作品を大きく評価します。

『Dr.STORN』が科学自体をテーマにしている一方で、『彼方のアストラ』の科学は「舞台装置」の役目を果たしているだけで、その本質は「本格ミステリー」です。

緻密に練り上げられた謎が、地球が近づくにつれて一つ一つ明らかになり、何故彼らが彼方の宇宙に捨てられたのか原因が明らかになってゆきます。そして、さらには地球に隠された秘密の核心に到達する・・・。回を追う毎に興奮で胸が高鳴る見事な構成に感服。

マニュアル化された脚本の、つまらないハリウッド映画を観るならば、この作品を観た方が余程面白い。


第5位 『荒ぶる季節の乙女たちよ』

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『荒ぶる季節の乙女たちよ』より

岡田麻里が原作を担当したマンガのアニメ化。

文芸部に集う年頃の少女達の群像劇。『女子高生の無駄づかい』が今風の作品なのに対して、こちらは「演劇的」な作風。

今時の女子高生に反感を覚えながらも、性に憧れる、ちょっと時代遅れの文芸部員の女子達が真剣に性に悩む姿が、カワイイ絵柄で展開します。岡田麻里作品としてドロドロ感が少ないので万人向け。

1話の後半があまりにもインパクトが大きいので、その後の失速が心配でしたが、なかなかキャラ立ちも良く、楽しめる作品でした。(作画はもう少し頑張って欲しい回も有りましたが)


敢闘賞 『通常攻撃が全体攻撃で二回攻撃にお母さんは好きですか』

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『通常攻撃が全体攻撃で二回攻撃にお母さんは好きですか』

ラノベの異世界物には飽きたのですが、「母親同伴」の異世界物にはビックリ。ヒロイン・・・お母さんだよ・・・・。

まあ、色々アレな作品ではありますが・・・・「真々子さんは俺の嫁」って事でOK?・・・あ、別に私がマザコンって訳じゃ無いですからね。真々子さんが隣に住んでたらヤバイって方向で宜しく。


残念賞 『炎々の消防隊』

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『炎々の消防隊』より

人体が自然発火する現象が多発した世界、特殊消防隊は「焔人(ほむらびと)」と化した人の魂を鎮め、街を火災から守る正義のヒーロー・・・・のハズですが、何か裏に陰謀が渦巻く。

今風の作品で面白いのですが・・・あの事件の後でこの作品はちょっと・・・。作画なんて今期最高なんですけどね。特に炎のエフェクトの手描き作画のが凄い。こういう職人芸は、だんだんと観れなくなるかも知れません。



とまあ、アニメを観る本数も、熱量も失われ気味の54歳親父ですが、今期イチオシも紹介します・・・


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『俺を好きなのはお前だけかよ』

ラノベの「お約束」を逆手に取った作品でキワモノ扱いされるかも知れませんが・・・面白い!!原作4巻まで買っちゃいました。(3巻まで読みました)

実に原作、推理小説として良く出来ています。小説は文章で書かれていますから、文字で書かれた内容と現実にズレがあっても読者には分かりません。その「不可視性」を巧みに利用して読者騙すのが推理小説の常套手段です。

さらに、この小説、ほとんどが主人公のモノローグで構成されますが、モノローグが事実を語るとも限りません。

そういった、小説ならではの「面白さ」に溢れた作品です。アニメは原作者のシリーズ構成と脚本でうまく纏まっていますが、原作も合わせてお読みになる事をお勧めします。(但し、ラノベを読みつけている方限定)


『無限の住人』・・・・3話で何故、あそこまで原作を飛ばしちゃうかね・・・。話数の問題だとは理解していますが、残念です。しかし4話は悪く無かった。そもそも3話の蒔絵の回は、原作でも戦闘シーンは素晴らしいのですが、ストーリーとしては分かり難く、蒔絵と影久の幼少時を描いたアニメ4話を先にもって来る方が話としては理解し易い。


ちょっと余談。作画ってヌルヌル動く事が良いと言われる昨今ですが、カクカク動いても演出によっては魅力ある事がこの二つのOPを比較すると良く分かります。


『炎々の消防隊』OP


『コップクラフト』OP

図らずもカーアクションや落下系の演出が共通する両作品のOP。『炎々の消防隊』は予算も充分なのか、ヌルヌルと良く動き、アングル変化やエフェクト作画も素晴らしい出来栄え。もうOPだけでおなかイッパイって感じで本篇見なくても良い。でも、EDはしっかり見る!!(こちらも凄い)

対する『コップクラフト』は予算を節約する為に、止め絵と動画をバランス良く使い、背景も単純化。動画部分ではコマを飛ばしているので動きはカクカクしますが、デフォルメされ、タメの利いた動きはダイナミックで小気味良く、キャラクターが音楽とシンクロしています。

両OPとも、まさに職人芸。

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2019/10/11

『無限の住人-IMMORTAL-』・・・そがファンの待ち望んだ「無限」だ!!  アニメ




『無限の住人-IMMORTAL-』 PV


amazonオリジナルアニメの『無限の住人-IMMORTAL-』の配信が始まりました。

過去にアニメ化やキムタク主演で映画化されましたが、どちらも残念な出来。「無限の魅力の何たるかが理解出来ているのかな?」と思わせる内容にファンは失望しきり。

しかし『無限の住人-IMMORTAL-』は、本当に「無限愛」を感じます。私達はこんな「無限」を見たかったのです。


以前、このブログの読者の方の依頼で(海外に日本をマンガを紹介するお仕事?)書かせていただいた原稿をアップします。私のこの作品への愛情が少しでもご理解いただけたら。

今期アニメの大本命です!!

何だかんだ言ったってマンガは絵の上手さだ・・・・沙村広明 「無限の住人」・・・「人力でGO」 2011/11/13




純粋な暴力」がぶつかり合う、ハードコア・パンクな「チャンバラ」・・・『無限の住人』


■ 床屋で出会った名作 ■

日本の床屋には、たいてい「マンガ」が置かれています。

床屋の待ち時間に「マンガ」を読む事を楽しみにしている人も少なくありません。私もその一人です。「マンガ」のセレクトから、床屋の店主のセンスが伺えるので、私は、マンガのセンスの悪い床屋には行かない様にしています。さらに、私は興味のあるマンガを読み尽くすと、床屋を変えたりもします。日本人にとって床屋は、新しいマンガとの出会いの場所になっているのです。私が『無限の住人』と初めて出会ったのも、近所の床屋の待合室でした。

 『無限の住人』は所謂「時代劇マンガ」です。侍が日本刀で殺し合う、伝統的なアクションマンガです。この分野は「チャンバラ」などと呼ばれます。刀の刃がぶつかり合う時の「チャン・チャン・バラバラ」という音を、そのまま呼び名にしたものです。

 私は「チャンバラ・マンガ」が好きではありません。日本で「チャンバラ・マンガ」を愛読するのは、所謂「オヤジ(50歳以上の男性)」です。ですから、この作品がズラリと並ぶ床屋の待合室に入った時、私ははっきり言って、床屋の店主は「オヤジ」で、きっと私の髪型は「オヤジ」の髪型にされてしまうと恐怖しました・・・。

 ところが、『無限の住人』を数ページ読んだ所で、私は確信したのです。きっと今日の私の髪型は最新流行の髪型になるだろうと・・・。むしろ私は、ツンンツンに尖がった、パンクヘアーになるのではないかという恐怖すら感じたのです。

■ ハードコア・パンクなチャンバラ ■

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『無限の住人』より・・・・初期のパンキッシュな作画

 チャンバラには暗黙の美学があります。その美学とは、血しぶきが飛び散る様な過激な表現を避ける事です。これはマンガに限らず、チャンバラ映画やドラマでも同様な傾向があります。人々は、剣の達人の動きの美しさを堪能するのです。

 ところが『無限の住人』は全てにおいて「掟破り」なチャンバラ・マンガでした。腕はや足が断ち切られるのは当たり前。体や頭が真っ二つに切断され、内臓や脳漿が地面に散乱します。侍達はおよそ「日本刀」と呼べないような、異様な形の刀を振り回します。

 従来のチャンバラ作品をアメリカの音楽でカントリーミュージックと例えるとするなら、この作品に流れるリズムはパンクです。それも、ハードコア・パンク。

 作者は、既存のチャンバラのストイックな美学を、あざ笑うがごとく大量の血しぶきを、内臓を、そして暴力を読者に叩きつけます。主人公の「卍(マンジ)」の怒りが、直接的な暴力として読者に襲い掛かります。

■ 日本の美学に貫かれた絵柄 ■

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『無限の住人』・・・敵の女性剣士の蒔絵の登場シーンはどれもスタイリッシュ

 この作品は、過激な暴力描写が繰り返えされる反面、その絵柄は極めて日本的な美学に貫かれています。剣士達が剣をふるう場面では、作者はページ全体を使って「決め」の絵柄を描きます。構図はシンメトリーで、背景には日本の伝統的な絵柄が描かれ、着物の襞の一つ一つが美しく描写されます。

しかし、浮世絵に代表される日本の絵画は、シンメトリーの構図を好みません。この作者のデザインする絵柄は、西洋美術のフォーマットの上で、日本の美学を再構築したとものとも言えます。それは一種の日本美術に対するパンク的破壊行為です。そして、この作風は同時代の日本の若者の心をガッチリと捉えます。多くの若者が、この作品を「クール」と感じたのです。

■ マンガの表現手法に、鉛筆で攻撃を加える ■

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『無限の住人』より・・・鉛筆絵は印刷での再現性が難しいので徐々に減ってゆきます

 これらの特徴的な絵は、鉛筆で描かれています。普通、マンガはペンによって黒いインクで描かれます。作者は描画手法においても、既存のマンガの表現に対するパンク的破壊を試みているのです。

 「鉛筆で描かれたマンガ」は、同時代の若いマンガ家達に大きなショックを与えました。そして、『無限の住人』の発表以降、多くの若いマンガ家達が、鉛筆による表現にチャレンジしています。

 しかし、この特徴的な「鉛筆の絵」は、次第に作品の中から姿を消してゆきます。鉛筆で描かれた、微妙なトーンを印刷で再現する事は難しいのです。作者の沙村弘明は、この作品を描き始めた頃は美術大学の学生でした。しかし、彼がプロの漫画家としての自覚に目覚めるに従って、彼は「マンガは長い年月の鑑賞に堪えなえければいけない」という認識に至ります。彼は印刷での再現性に乏しい鉛筆の描写が、マンガの表現手法として適切で無い事に気づいたのです。

 ページから鉛筆の描写が減るのと同様に、作品から過剰な描写が減ってゆきます。一見するとそれは、突っ張っていた若者が、大人になるにつれて角が取れた様にも感じられます。あたかも、パンクロッカーが就職してスーツを着た様な印象を与えました。

 しかしその変化は、アンダーグラウンド・ロックの帝王Lou Reedが、『Blue Mask』の中で「I’m just an average guy.」と歌いだした時の衝撃と同種のものです。その変化は「後退」では無く、「進化」あるいは「深化」なのです。

■ 緻密に再構築された歴史の中で繰り広げられるパンク・チャンバラ■

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『無限の住人』より

『無限の住人』の作者、沙村弘明が、チャンバラを題材に選んだ理由はいくつか考えられます。

1) 伝統的なチャンバラというジャンルで全く新しい表現を試みるインパクト
2) チャンバラは殺し合いなので、手足が切断され、内臓を撒き散らす様な暴力表現が可能。
3) 現代劇では問題になる暴力描写も、時代劇では許される

以上はあくまでも私の推測に過ぎません。しかし、作者は過激なチャンバラを描いている内に、江戸時代を描く魅力にすっかり魅了されてしまった様です。

彼の描きだす江戸時代の町並みや風物、生活の様子はどんどんと緻密になってゆきます。作品のページの中から、当時の時代のざわめきや、空気がふっと立ち上って来ます。

そして、生き生きと再現された江戸の街を背景にする事で、サムライ達の架空の戦いは、あたかも歴史の一コマであるかの様なリアリティーを獲得するのです。

■ 日本の若者の心を掴んだのは「伝統」では無く「先鋭」 ■

この作品を支持したのは、伝統的なチャンバラファンである「オジサン」ではありません。いわゆるオタクと呼ばれる、ある種の先鋭的センスの持ち主達によって、『無限の住人』は熱狂的に支持されています。

ネットには彼らのコスプレ画像がアップされています。彼らは、この作品を純粋に「カッコイイ」と感じています。その感覚は、キアヌ・リーヴスの「マトリクス」を見て「カッコイイ」と思う感覚と共通です。学校の歴史の時間に居眠りをしていた日本の若者達の心を捉えたのは、今まで見たことも無いような全く新しいチャンバラ・アクションであり、「江戸時代」という、現代の日本とは全く異なる、ファンタジーワールドだったのです。

 彼らにとって、チャンバラという伝統的なエンタテーメントは、むしろ「先鋭的」なジャンルに感じられたのです。

■ 生きる目的を失った男が、不死身の肉体を得る ■

『無限の住人』現在29巻が発売されています。この長大な作品の中で、作者はひたすら暴力を描き続けます。

 主人公の卍(まんじ)は、かつては将軍に仕えるえるサムライでした。彼は上司に命令されるままに、「悪人」を殺してきました。しかし、彼の殺した悪人とは、上司の不正を正そうとする人物だったのです。事実を知った卍は、上司を切り殺してしまいます。

 封建時代の江戸時代で、上司を殺す罪は許されません。切腹(ララキリ)してその罪を償うのが当時の社会のルールです。しかし彼はサムライとしての誇りを捨てます。彼は動物的な生存本能のままに、100人の追手を切り殺します。個人の誇りを守る為に、侍の社会の掟を破った卍は、自己の存在理由を見失ってしまいます。

そんな卍に、一人の尼僧が「不死の薬」を与えました。その薬は「血仙虫」と呼ばれ、肉体が破壊されればその場所に「虫」が集まり、破壊された対組織を復元します。生きる目的を失った彼は、皮肉な事に「不死身」の肉体を手に入れてしまったのです。

■ 暴力によって暴力を償う決意 ■

卍には妹が居ました。彼女の夫は卍と戦って死にました。その場に居合わせた妹の精神は崩壊してしまいました。そんな妹が、盗賊によって、卍の目の前で殺されます。彼は怒り狂って剣を振るい、何十人もの敵を惨殺します。不死身の彼に適う者は誰も居なかったのです。

大切な妹を失った事で、彼の心に変化が生じます。生きる目的を失っていた男は、「1000人の悪人を斬る」という誓いを立てます。彼は暴力によって暴力を償う決意をしたのです。

■ 凛という一人の少女を守る為の純粋な暴力 ■

神の意志が支配する西洋と違い、東洋の「善悪」とは相対的な価値観です。「完全なる悪」や「完全なる善」は東洋には存在しないのです。ですから、「1000人の悪人を斬る」と誓いを立てた所で、卍には誰が悪人なのか良く分かりません。

そんな彼の前に「凛(りん)」という少女が現れます。彼女の父親は道場を営んでいましたが、「天津影久」という男と彼の仲間に父と母を、目の前で惨殺されています。影久と凛の父親の道場の間には、祖父の代の怨恨がありました。影久は祖父の恨みを凛の父母を殺す事で晴らしたのです。

凛は卍に、自分の「敵討ち」の手助けを頼みます。圧倒的な強さを誇る影久と彼の率いる「逸刀流(いっとうりゅう)」を殲滅する為に、不死身の力を貸して欲しいと頼んだのです。ところが卍はその頼みを一度は断ります。彼には凛と影久のどちらが「悪」なのか判断が出来なかったからです。

ところが、卍は凛に妹の面影を見てしまいます。卍は妹を二度失う悲しみには耐えられません。彼は純粋に一人の少女を救いたいという欲求によって、その不死身の肉体を行使する事を決意します。

骨を断たれても、足を切り落とされても、心臓を突かれても死なない卍は、ある意味最強の剣士です。彼は不死身の肉体という圧倒的な暴力を、ただただ純粋に一人の少女を守る事に行使します。

■ 理想の為に行使される純粋な暴力 ■

一方、凛の両親を殺して彼の祖父の復讐を果たし天津影久は、彼の仲間「逸刀流」を率いて、日本中の流派を統一する理想に燃えています。

 江戸時代は日本の歴史の中でも、最も平和な時代です。将軍を頂点とする統治機構のシステムの完成度が高かったのです。サムライ達は日々、道場に通い剣の技を磨いています。しかし、平和な時代の剣の技は、実用性を欠き、形骸化しています。

影久は「逸刀流」を率いて全ての流派を倒す事で、形骸化した日本の剣の技を、再び実践的な技術に戻す事で、将軍に貢献しようという野心を抱いています。彼の野心は、あくまでも純粋です。

 彼に賛同する剣士も大勢表れます。「逸刀流」の流儀は単純です。それは、一対一の戦いで敵をただ倒す事です。二本の刀を使うのも、異型の刀を使うのも許されています。さらにサムライという身分にも拘りはありません。影久はただ、強い者が勝つという、戦いの基本に忠実な事を重要視したのです。

影久や逸刀流の剣士達は、容赦の無い暴力によって、他の道場を統合してゆきます。強い理想に貫かれた彼らの暴力は純粋であるが故に、強大で獰猛です。

■ 純粋な暴力の対立という現代的なテーマ ■

「大切な人を守る為の暴力」と「理想を実現する為の暴力」は、両方ともその目的は極めて純粋です。

歴史上、世界で繰り返されてきた暴力的対立は、この二つの暴力の対立に単純化する事も可能です。

近年、私達は、映画のスクリーンで、この二つの暴力の明確な対立を目の当たりにしています。『The Dark Knight Rises』です。

ゴッザムシティーを暴力から救う為に、バットマンはいつもながら「悪」に対して容赦の無い暴力を振るいます。一方、バットマンに対抗するベインの暴力の目的は、ただ大切な人を守る事です。

私は『The Dark Knight Rises』を見ながら、バットマンを単純に応援出来ませんでした。対立する二つの暴力のどちらが正義なのか、混乱してしまったのです。バットマンの振るう暴力は、時として国家が民衆に振るう暴力と同種のものです。国家というシステムを守る為にそれは正当化されます。一方、ベインは自分の愛する者の為だけに暴力を振るいます。一見、それは利己的の様に見えますが、反面、人間の根源的愛情にあふれているとも思えます。

 アメリカの社会をモデルにした『The Dark Knight Rises』では、明らかに正義はバットマンの側にあります。ところが、善悪の判断が相対的な日本を舞台にする『無限の住人』においては、この二つの暴力に善悪という優劣は付けられません。
だから、凛は影久を親の仇として憎みながらも、理念というものに縛られる影久に一種の憐みを覚えたりもします。

 『無限の住人』で殺し合うサムライ達は、どこか心の底で共感しあうものを感じています。彼らは、彼らにしか分からない暴力という言語で語り合う喜びに身を委ねているのです。既に、彼らの暴力は、コミニュケーションの手段であり、一つの文化になっているのです。

■ 女性剣士の美しさに感銘するも良し ■

 いろいろと、難しい事を書いてしまいましたが、『無限の住人』の最も正しい楽しみ方は、美しい女性剣士達の姿を、心ゆくまで堪能する事です。

 作品中の最強の剣士は、卍でも影久でもありません。槇絵(まきえ)という女性の剣士こそが、最強です。

 彼女のシナヤカな肢体から繰り出される攻撃から、屈強の男達は逃れる事は出来ません。彼女と戦った者達は、どこからとも振り下ろされる刃に、無残に内臓を散らし、彼女の美しい姿を網膜に焼き付けて息絶えます。

 29巻での槇絵の美しさは、言葉で表現する事が出来ません。雪の中を音もなく静かに舞う彼女の周辺で、男達がハラハラと倒れてゆく描写は、この作家の初期の過剰な描写の対局にある表現です。

■ 日本独自の美学を確立した沙村弘明 ■

 沙村弘明は、ハードコアー・パンク的な過剰さを、削ぎ落とし続ける中で、日本美術の本質へと回帰しゆきます。それは、激しい動きの中にある、一瞬の「静止」す。「静」こそが日本美術の神髄尾であり、同時に日本の武道の極意とも言えます。

 日本のマンガはアメリカンコミックの影響を強く受けてきました。動きを表現する為のデフォルメやパースの強調、さらには効果線を駆使してマンガを描かれます。
沙村弘明は、それらのマンガ的な技法を捨て去る事で、日本オリジナルのマンガ表現に到達しています。

 擬音はアメリカン・コミックの偉大な発明です。表音文字の機能を最大に生かしたその手法は、日本のマンガも取り入れられています。日本語のカタカナと呼ばれる表音文字はアルファベット同様に、擬音表現のデザイン処理に適して文字です。ですから、日本のマンガにはカタカナの擬音表現が多く見られます。

 しかし沙村弘明は『無限の住人』の中で、漢字による擬音表現にチャレンジしています。「斬(切る)」という漢字は、「切る」という意味と、「ザン」という音の両方を持っています。画面に踊る「斬」という擬音表現を楽しめるのが、漢字文化のの人々に限られるのが残念でなりません。

 もし、この作品を読まれる方に日本人の友人がいらしたならば、その漢字の「意味」と「音」を教えてもらうのも楽しいでしょう。これこそが、『無限の住人』の一番、マニアックな楽しみ方かも知れません。

 是非、この素晴らしい作品をお読みになって、遠い日本の、遠い時代に思いをはせて





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『波よ聞いてくれ』より

ハチャメチャでいい加減な性格のカレー屋の女店員が、ラジオのパーソナリティーに抜擢され、ハチャメチャな番組を放送してゆく話・・・・だけど佐村作品だけに一筋縄ではいかない。『無限』って実は1/4はギャグ漫画で、1/4はラブコメ漫画なんですよね。



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『春風のスネグラチカ』より

凌辱趣味が程々に抑えられていて、純粋に「良作」。


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2019/8/28

構成の上手さに舌を巻く・・・『COP CRAFT』の7話は今期アニメで最高!!  アニメ
 

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『COP CRAFT』より

今期のアニメから1話だけ選ぶとするならば『女子高生の無駄づかい』の第7話、『やまい』だと信じて疑わなかった私・・・「ラストクラッパー」には私も家内も捧腹絶倒!!

しかし、思わぬダークホースが。

地球人と宇宙人の刑事のバディーもの『COP CRAFT』


『フルメタル・パニック』の賀東招二のラノベ原作ですが、良質の会話劇です。シリーズ構成も原作者本人が担当しています。(『氷菓』のシリーズ構成を担当しています)

海外の刑事もののツボを押さえた演出と、作画を節約しながらも、映画的なカット、そして岩崎琢の極上のサウンドトラックで、ひそかに楽しんでいました。

ただ、あと一つが足りない・・・。「良い所まで行くのに、感動に結びつかない残念は作品」というのが私の評価でした。

しかし、アニメオリジナルとなる7話は凄かった・・・。

これも、刑事ドラマで「ありがち」な展開ではあるのですが・・・極力説明的な会話を排除して、全く無駄のないシーンやカットの連続で、ラストはオジサンの涙腺は完全決壊です。

普通は悪役で終わる市長候補とその妻も、単なる悪役だけでない深みがあって、30分番組でこれをやられると、映画の尺って長すぎるって思ってしまいます。

大量の動画を使わなくても、絵コンテでしっかり画面を作り込んでいけば、映画の様な作品が作れる好例です。(対照的なのが『天気の子』)

1話から6話を全く観ていなくても、この7話だけは必見です。是非ご視聴を!!


サントラ・・・当然、買います!!


PS

ケレンミたっぷりのOPも必見。絵がヌルヌル動く必要は無いんです。本当にカットが上手い監督。

オオイシマサヨシの昭和ポップス全開の歌も良い!!


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2019/8/4

聖地巡礼中  アニメ


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暑いので😵ついでに海水浴中。

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